LOGINその言葉はひどく重く、同時にあまりにも脆く響いた。セレーネは押し黙り、まるで自分の体がその言葉を信じてもいいのか確信が持てないかのように、一瞬息を止めた。これまでに何度も聞かされてきた約束。しかし、今回は違った。絶対的な確信もなく、全てがうまくいくという保証もどこにもない。あるのは、ただ共にいることだけだ。セレーネは声を震わせ、「この道がどこへ続いているのかすら、あなたには分からないじゃない」と告げる。ディリアンはゆっくりと頷き、セレーネの視線と高さを合わせるように少し顔を伏せて答えた。「分かっている。それでも、俺はこの道を選ぶ」セレーネの口元が微かに震える。笑いたかったし、泣きたかったし、怒りたかった。だが、実際にこみ上げてきたのは、何も感じられなくなるほど深く、重い疲労感だけだった。「怖い」彼女は、正直に吐露する。ディリアンはそれを否定しなかった。俺がお前を守るとも、お前は絶対に助かるとも言わない。そんなささやかな嘘が、二人をさらに傷つけるだけだと分かっていたからだ。「俺もだ」と彼は答える。その誠実さが、セレーネの胸を締め付けた。彼女は目を閉じ、瞼の裏に熱を感じながら、これまで腹部をきつく押さえつけていた手の力をゆっくりと緩めた。自分を内側から傷つけようとする何かを必死に押さえ込んでいるという感覚が消えたのは、これが初めてだった。セレーネは囁く。「もし私が落ちたら、あなたも一緒に、落ちることになるのよ」ディリアンは手を伸ばし、セレーネの手に選択権を与えるかのように、数センチ手前でピタリと止めた。「ああ」彼は一切の躊躇なく答える。「もしお前が落ちるなら、俺も一緒に落ちる」セレーネは目を開けた。彼女はその手を長く見つめる。まるでその手が、底知れぬ奈落であると同時に、唯一の命綱であるかのように。そして、ほとんど目に見えないほどのささやかな動きで、その手を握り返した。弱々しく、頼りない握り方だったが、そこには確かな存在感があった。セレーネは、すでに深い眠りに落ちていた。眉間に微かな不安の影を残しながらも、その呼吸は規則正しく、数時間前よりはずっと穏やかな顔つきになっている。ディリアンは身じろぎ一つせずにベッドの傍らに長く立ち尽くし、一つでも呼吸を間違えれば彼女を起こしてしまうのではないか
「あなた……」セレーネはひどく掠れた声で口を開く。「嘘をついているわけじゃないわよね?」ディリアンはゆっくりと頷いて答えた。「俺自身、もう何が正しいのか分からなくなってしまったんだ」彼は少しの間うつむき、そして再びセレーネへと視線を戻す。「ただ一つ分かるのは……お前を失いたくないということだけだ。どんな手段を使ってでもな」セレーネは短く笑い声を漏らしたが、それは全く音を伴わない笑いだった。「何が一番恐ろしいか、分かる?」彼女は微かな声で呟く。「この妊娠自体が怖いわけじゃないのよ」ディリアンは言葉を挟まなかった。セレーネは言葉を重ねる。「一番恐ろしいのは自分の体が自分の意志に従ってくれるのか……それとも、また私を裏切るのかが、全く分からないという事実なの」彼女の目尻に涙が滲んだが、決して零れ落ちることはなかった。彼女は弱々しい声で吐露する。「もしこの子を堕ろせば、何か恐ろしいことが起きるんじゃないかって怖い。でも、堕ろさなかったとしても……やっぱり私は怖いのよ」ディリアンは、自分の胸が内側から鷲掴みにされるのを感じていた。全て上手くいく、そう言ってやりたかった。しかし彼には、嘘をつく勇気がなかった。「今すぐ何かを決断する必要はない」彼はようやく折れるように告げる。「俺はただ……お前がどうしたいのかを知りたいだけだ」セレーネは目を閉じた。数秒の沈黙が流れ、やがて彼女は再び目を開く。「生きたいわ」彼女は一切の誤魔化しなく白状する。「ただそれだけよ。でも、どの道を選べばそこに辿り着けるのかが、私には分からないの」ディリアンはゆっくりと手を伸ばし、セレーネの手から数インチだけ離れた空中でそれを止め、選択権を彼女に委ねた。「お前がどの道を選ぼうと、俺も一緒に歩く」彼は静かに誓いを立てる。「お前が、一人で歩かずに済むのなら」セレーネはその手を長く見つめた。彼女はディリアンを見つめる。単なる答えを求めるには、あまりにも長すぎる時間だった。彼女の瞳の中で何かがひび割れている。それは怒りでも憎悪でもなく、希望によって何度も深く傷つけられてきた人間特有の警戒心だった。手は依然として腹部の上に置かれ、指をきつく絡ませている。まるで、その内側にあるものが
ディリアンは、その恐怖を否定しなかった。だがモルウェンナの前では、仮面を被ることを選んだ。「俺はそれほど気にしていない」彼はようやく口を開いたが、その声は平坦で、氷のように冷ややかだった。「病人は治るか、治らないかだ。それが人生というものだろう」モルウェンナはゆっくりと顔を向けた。彼女は少し眉を上げ、まるで何か興味深い話でも聞いたかのような表情を作る。その言葉に説得力があったからではない。それが嘘であると、彼女には分かっていたからだ。「あら?」彼女は軽やかに問い返す。「とてもそうには見えないけれど?」ディリアンは答えない。ただ顎のラインを硬く引き結んだ。モルウェンナは背もたれに体を預け、すっかり冷めてしまったティーカップの縁を指先でなぞる。彼女はまるで些細な出来事を語るように、気楽な調子で言葉を紡ぐ。「妊娠というのはある人々にとっては、素晴らしい出来事だわ」ディリアンは彼女を真っ直ぐに見据える。モルウェンナは伏し目がちに、睫毛の隙間からディリアンを盗み見た。「けれど、別の人々にとっては……遥かに厄介な事態の始まりになることもあるわね」ディリアンが鋭く顔を向ける。「どういう意味だ?」彼は即座に問い質した。モルウェンナの口元に薄い笑みが浮かぶが、その目は全く笑っていなかった。「どんな奇跡にも、必ず代償が伴うと言っただけよ」彼女は立ち上がり、窓の方へと歩み寄り、先ほどディリアンが立っていた場所に収まった。彼女の視線は窓の外へと向けられ、壮麗でありながらも静寂に包まれた主城を捉えている。彼女は声を落として言葉を重ねる。「一度は命を拒絶した体がそうやすやすと、再び命を受け入れるはずがないわ」その言葉は、鋭い針のように突き刺さった。ディリアンの胸に強い痛みが走る。それは論理ではなく、純粋な本能によるものだった。彼はこれ以上の説明を求めようとはせず、モルウェンナに言葉を続けさせる隙すら与えなかった。もうたくさんだ。ディリアンは唐突に振り返り、断固たる足取りで歩き出しながら宣告する。「執務室に戻る」モルウェンナは顔を向け、少しだけ驚いたような――あるいは驚いたふりを見せた。ディリアンは続け、その声には再び硬い鍵がかけられていた。「仕事がある。お前は休んでいろ」
息の詰まるような静寂が、部屋を飲み込んだ。誰もそれを否定せず、ディリアンでさえも反論する言葉を持たなかった。セレーネにとってこの妊娠は奇跡などではなく、決して癒えることのなかったトラウマへと続く扉が、再び開かれたことを意味しているのだから。何の変化もないまま、日々が過ぎていく。セレーネは一歩も部屋を出なかった。彼女はほとんどの時間をベッドの上に座って過ごし、背筋を真っ直ぐに伸ばしてはいるもののひどく硬直しており、まるでその体が動かし方を忘れた空っぽの抜け殻であるかのように見えた。手は決して腹部から離れることはなく、それは希望に満ちた母親の撫で方などではなく、その内側にあるものが動かないように、育たないように、いっそ存在しないようにと、必死に押さえつけているかのようだった。彼女は一言も発さない時もあれば、音もなく唇だけを動かしている時もある。虚ろな目でただ一点を見つめ続けていることもあり、食事を運んできたデイジーは、セレーネが自分の存在にすら気づいていないのではないかと恐れ、思わず息を潜めなければならないほどだった。ディリアンは、その全てを黙って見つめていた。そして彼の生涯において初めて、自分はどうすべきなのか全く分からなくなっていた。彼の脳裏に最もこびりついて離れないのはセレーネの沈黙ではなく、病院で見せたあの異常な反応の記憶だった。彼女の絶叫。自身の体を掻き毟る姿。そして、まともな思考力を持った人間のものとは思えない、血塗られた過去に囚われたままの眼差しで、医者に処置を止めさせようと叫び喚いたあの姿。あの日、彼は彼女を抱きしめようとした。だが、セレーネは彼に襲いかからんばかりの反応を見せた。腕力で抵抗したのではない。呼吸を詰まらせ、体を激しく震わせ、今にも溺れ死にそうな人間の上げる絶望的な悲鳴のような叫び声を伴った、純粋なパニックによるものだった。「あんな思い、もう二度とごめんよ!!」と彼女はあの時、半ばヒステリックに叫んでいた。「もう二度と、死にたくないのよ!」その「もう二度と」という言葉が、ディリアンの頭から決して離れようとはしなかった。だからこそ彼はついに、サイラー、ビョルン、デイジー、そしてモナの四人を呼び出したのだ。彼らはディリアンの執務室に集まっていた。普段なら命令や決断が下される
ディリアンの世界が止まったかのようだった。メーガンは言葉を継ぐ。「以前の診断は、当時の極めて危険な状態に基づいて下された結論です。しかし実際には、未だ機能している組織が残されていました。極めて稀で、ほぼ起こり得ないことです。ですが……それが現実なのです」静寂。ディリアンは足元の床が消え去ってしまったかのように、その場に硬直した。これまでずっと、彼はある苦い確信を抱えて生きてきたのだ。セレーネは決して取り戻せないものを失ってしまったのだと。子供たちの命を繋ぐために、彼女の体はあまりにも大きな代償を支払ったのだと。そして今……その確信が崩れ去った。「……危険なのか?」やがて彼は、掠れた声で問い質す。メーガンは誤魔化さなかった。「非常にリスクの高い妊娠です。極めて危険と言わざるを得ません。ですが、厳密な管理下であれば、決して乗り越えられないわけではありません」ディリアンは静かに目を閉じる。彼が感じていたのは怒りではない。ぞっとするほどの、恐ろしい事実への直面だった。そして今、事の次第を説明され、自分が妊娠しているという事実を告げられたセレーネは、その場に縫い付けられたように固まっていた。ディリアンを含むその場の全員が、彼女の反応を待ち受けている。「嘘……」彼女は音にならない声で、微かに呟く。何かを探し求めるように彼女の手が動き、その指先が病院のシーツに触れた瞬間、忌まわしい記憶が容赦なく脳裏に蘇ってきた。夥しい量の血、絶望的な悲鳴、そして内側から引き裂かれるような自身の肉体の痛み。「セレーネ」その声に、彼女はビクッと肩を震わせる。ベッドの傍らに立つディリアンの顔は強張り、その暗い瞳には隠しきれない焦燥感が渦巻いている。二人の視線が交差した瞬間、セレーネは即座に悟った――何かが起きたのだと。「あなたたちがさっき私に言ったこと……」彼女は掠れた声で紡ぐ。「そんなの、嘘よ」ディリアンは口を開きかけたが、すぐに閉ざした。彼女を傷つけずにどう切り出せばいいのか、分からなかったのだ。メーガンが一歩歩み寄り、優しく呼びかける。「公爵夫人――」「やめて」セレーネが鋭く遮った。その声は震えながらも高く、そして激しい。「そう呼ばないで。私を馬鹿にするような話し方をしないで」シー
デイジーが手で口を覆い、恐怖に目を丸くする。リーガンは安堵の息を漏らした。そしてディリアンは、まだ微睡みの中にいる青白い顔のセレーネへと視線を移し、その場に縫い付けられたように立ち尽くす。彼の全身が瞬時に硬直した。メーガンが今しがた放った言葉に呼吸の自由を奪われ、部屋の空気が圧縮されたかのように感じられる。ベッドの傍らに立ち、セレーネの蒼白な顔を見つめていた彼は、やがて眼前の医師へと鋭い視線を突き刺した。「何だと?」静寂を切り裂き、彼は声を荒げる。「ふざけるな。今は冗談を言っている場合じゃないぞ」その響きは単なる怒りではない。その裏側で何かが砕け散る音がした。早すぎる本能的な否定だった。メーガンは少しの間、沈黙した。患者の家族の激しい反応には慣れていたが、今回の自分の言葉が、単なる感情よりもずっと深い何かを刺激してしまったのだと感じ取っていた。彼女は少し肩を張り、怯むことなくディリアンを見据える。「冗談などではございません、公爵閣下」彼女は声を落とし、しかし絶対の確信を持って宣告する。「私は決して、患者の容態でふざけたりは致しません。公爵夫人は……間違いなく、身籠っておられます」ディリアンの顔が瞬時に凍りつく。その瞬間、時間が停止したかのように思えた。扉の近くに立つデイジーでさえ、反射的に息を止める。ダグニーとディヴリオは互いの手をきつく握り締め、彼らでさえも何かとてつもなく恐ろしいことが起きているのだと察知していた。「ありえない」ディリアンは刃のように鋭く、冷酷な声で吐き捨てる。「子宮がないあいつが、どうやって妊娠できるというんだ?」その言葉は重い鉛のように落下し、容赦なく部屋の空気を打ち据えた。メーガンは言葉を失った。怒りからではなく、純粋な衝撃に目を丸くし、ほんの一瞬、呼吸の仕方さえ忘れてしまったかのようだった。彼女は自分の耳を疑うように、ディリアンの顔を直視する。「……どういう、意味でしょうか?」彼女は未だ信じられないというように問い返した。ディリアンは苛立った様子で、厳しく説明する。「セレーネが言っていた。あいつの子宮は壊れ、北部の医者に摘出されたと。あいつに子宮はない」「……公爵閣下」メーガンはようやく口を開き、微かな震えを帯びながらも専門家としての冷静さを保
イラルドが去ったあと、セレーネは書類を一つひとつ丁寧に確認した。城を出る日、迷わないために――すべてを理解しておく必要があった。気づけば、外は夕暮れ色に染まっている。控えめなノック音。「奥様。エレアノーラ様と、オデット様が到着されました」イラルドの声に、セレーネはすぐ立ち上がった。「わかりました」玄関へ向かい、丁寧に二人を迎える。応接室へ案内しながら、セレーネはいつも通り背筋を伸ばしていた。義母のオデットは、部屋に入るなり視線を巡らせる。調度品、床、カーテンの皺。ほんの些細な乱れも見逃さない人だ。だからこそ、セレーネは城を常に完璧に保ってきた。
その朝、セレーネは違和感を覚えていた。朝食の席に、ディリアンがいる。しかも、同じ卓に腰を下ろしている。それは、ほとんどあり得ない光景だった。彼が屋敷にいる日でさえ、朝は執務室か自室に籠もるのが常だった。セレーネも、もう近づこうとはしない。どんな言葉も、どんな気遣いも。彼にとっては「邪魔」でしかないと、知ってしまったから。心の傷が、彼女の足を止めていた。「お祖母さんと母上が、後で来る」食器を置き、ディリアンが言う。セレーネは一瞬だけ彼を見た。「わたくしが、まだ療養中だとお伝えしましたか?」「だからこそ、見舞いに来る」淡々とした答え。セレ
その朝、空気は凍えるほど冷たかった。いつも通り、セレーネはディリアンの姿を見なかった。もはや慣れきっている。夫が屋敷に戻らないことなど、今に始まった話ではない。かつては、城の執務が忙しいのだと自分に言い聞かせていた。だが真実を知ってしまった今、胸に残るのは嫌悪だけだった。心の傷はまだ癒えていない。それでもセレーネは、時間が自分を強くしてくれると、必死に信じようとしていた。しかし、その朝は違った。突然、公爵邸に父、モロー伯爵が現れたのだ。「ヴィヴィエンヌに、いったい何を言った?」低く、重たい声。逃げ場のない問いかけだった。「何を?あの娘が、何か
食堂の空気が凍りついた。セレーネの言葉は氷のように落ち、ヴィヴィエンヌの顔色を奪い、ディリアンを立ち尽くさせる。まるで、初めて彼女を知ったかのように。「これは、お前らしくないな」ディリアンが低く呟く。セレーネは薄く微笑んだ。「わたくしのほうこそ、驚いておりますわ。ようやく、あなたがわたくしを見てくださったのですから」「その言い方、恥ずかしくないの?」ヴィヴィエンヌが堪えきれずに割り込む。セレーネの視線は平坦だった。「お二人に合わせているだけですわ。それで動揺なさるのは、なぜでしょう?」ヴィヴィエンヌは顔を引きつらせ、勢いよく立ち上がる。そのまま足







