LOGIN男子高校生の敏貴は父親とうまくいってない。 育ててくれてることには感謝こそしているが、父親の容姿、声、そして「ママ」という1人称が気持ち悪くて仕方ない
View More「敏貴、どこ行ってたの? 遅くなるならママに連絡してって、あれほど……」
「うっせーんだよ、カマ野郎!」 敏貴は父である雅紀に、暴言とクッションを投げつけ、2階にある自室に行く。 「どうして……」 雅紀は涙をこらえ、階段を見上げる。 「敏貴……」 小声で名前を呼んでも、返事などはない。もしあったとしても、暴言か大きな物音だろう。 雅紀はリビングに行き、カレンダーを見た。今日は月曜日。 「良かった、今日が月曜日で……」 ”火”の文字に触れる指は、震えていた。 翌朝、雅紀は長い髪をポニーテールにし、着替えてピンクのエプロンを着用すると、台所に立つ。 女性用エプロンは、雅紀には少々小さいが、これは敏貴が小学生の頃、貯めていたお小遣いで買い、プレゼントしてくれたものだ。 ところどころほつれてきているが、捨てることも、他のエプロンに変えることもできない。 「さてと、今日も愛情と栄養満点のごはん、作りますか!」 両頬を軽く叩いて気合を入れると、野菜も肉もたっぷり使って、朝食と弁当を作る。 同時にヤカンでお湯を沸かす。 ちょうど朝食が完成し、テーブルに並べ終えると、敏貴がのそのそと座る。 「おはよう、敏貴。洗顔とうがいはした? 寝起きの口内は雑菌だらけだから、ちゃんとうがいしてね」 「うぜーよ」 鋭い目つきと言葉が、雅紀の心に刺さる。 (きっと反抗期だから仕方ないの) 雅紀は自分にそう言い聞かせ、笑顔を作る。 「病気になられたら困るから言ってるの。それと、おはようは? 挨拶は基本でしょ」 「あーはいはいおはよ」 舌打ちと投げやりな挨拶にうんざりするが、無視されるよりはマシだ。 「ママ、今日は遅くなるから、これで食べてきて」 雅紀は2000円をテーブルに置くと、台所に戻って弁当を詰める。 ルイボスティーのパックとお湯を水筒の半分に入れ、お弁当を保冷バッグに入れ終わるタイミングで、氷を入れる。 「はい、お弁当と水筒。今日も暑いから気をつけてね」 返事はない。その代わりに冷たい視線が突き刺さる。 「あのさ……」 うんざりしてますと言わんばかりの口調だ。 「なぁに?」 気づかないフリをして、にこにこ返す。 「いつまでそんなボロいエプロンつけてんの? 新しいの買えば?」 「これはママの宝物なんだ。敏貴が小学生の頃、買ってくれて……」 バンッ! 雅紀の言葉は、敏貴がテーブルを叩く音で遮られた。 「いつまで昔に縋ってんだよ! そういうの、キモいしダサいから!」 敏貴は弁当と水筒を乱雑にカバンに押し込むと、出ていってしまった。「はぁ……。気づかないうちに、気負ってたのかもなぁ……。敏貴、しばらく俺のこと女って思い込んでたし」 「仕方ないだろ、髪長いし……。声だって、女みたいな声だし」 「変声期来なかったからなー……。この声も、酒で潰しまくってこうなったけど、正直、ちょっと高めの声出す方が楽」 雅紀は喉をさすり、苦笑する。 「なんだよ、それ……」 「はは、なんだろうねぇ……。俺にも分かんね」 「そうかよ」 投げやりな返答をしながらも、敏貴は安堵していた。心の中にあったドス黒い泥水を出し切ったような気持ちだ。 「話したいことは他にも色々あるけど、ずっとここにいるわけにもいかないし、帰るか。法明に声かけてくるから、待ってて」 「あ、じゃあこれ返しといて」 雅紀に借りていた充電器を手渡す。 「電話に出なかったのは、そういうことか……」 雅紀は安堵の笑みを浮かべると、2階にいる法明の元へ行った。 帰宅後、雅紀はルイボスティーを出す。 「ありがと」 ルイボスティーをひと口飲み、法明から聞いた話を思い出す。自分のためにルイボスティーを用意してくれていると。 「あの、さ……」 「ん?」 「ルイボスティー、俺のためって、本当?」 雅紀は一瞬キョトンとし、恥ずかしそうに笑った。 「おしゃべりだな、法明は。そうだよ。女の子に色々聞いてさ」 「女の子?」 「ホストやってたって言ったろ。その時に色々聞いたってだけ」「あぁ……」「色々聞きたいことはあるんだろうけど、明日にしよう。ちょうど土曜だし、バイトも休みだろ?」「分かった」「今日は外食でいい? なんか、作る元気ないや」「うん……」「少しゆっくりしたら、行こっか」 その日、ふたりは夕飯も風呂も、外で済ませた。隠し続けていた過去と向き合ったふたりには、それが精一杯だった。 翌朝、ふたりは朝食を終えると、いつも通りルイボスティーを淹れ、パティスリーブーシェの焼き菓子を出して、話を始めた。「何から話そう……とりあえず、全部でいい?」「適当だなー……。ま、いいけど。昨日聞いた話、全部理解できたってわけじゃないし」「あはは、だよな。んじゃ、話しますか。そうだなぁ……。あれは俺が16の頃だった……」
「別に、トランスジェンダーとかじゃないんだけどさ、嬉しかったんだよ。ママって呼ばれるの」 「なんで?」 「ほら、あーし女顔だし、華奢だし、自分の容姿がコンプレックスだった。だから、無理やり男らしく振る舞ってたけど、疲れててさ。ママって呼ばれた時、無理に男らしくしなくていいやって思えたの」 返す言葉が見つからず、敏貴は黙って耳を傾ける。まだ話していいと悟った雅紀は、口を開く。 「小学生の頃、ピンクのエプロンくれたじゃない? それに、『世界一可愛いママが大好き』って言われて、舞い上がっちゃってたのかもねぇ。高校生のあんたからしちゃ、男のママなんて嫌よね」 「うん、まぁ……」 「あはは、ストレートなアンサーありがとう。ママ辞めて、父親になっても、いい?」 「もちろん。ていうか、俺のせいで、なんかごめん……?」 覚えていないとはいえ、自分で雅紀をママにしておいて、散々罵っていた罪悪感と、脳が処理しきれていないせいで、疑問符つきの謝罪になってしまった。 「いいんだよ、気にすんな。俺も楽しかったし」 いつもより低い声と、1人称の変化に目を見開く。女顔は相変わらずだが、一気に男性らしくなった雅紀に、少し戸惑う。 「それ、地声?」 「うん、地声。あーけど、無理してあの声出してたわけじゃないから、謝んなよ?」 「お、おう……。そうだ、ひとつ、聞きたいんだけどさ……」 「ん?」 「火曜日さ……。何してんの?」 敏貴の問に、雅紀は数秒ぽかんとしたあと、大声で笑い転げた。「な、何がおかしいんだよ!」「あはは、ごめん。そういえばあんた、香水くせーって言ってたもんな。あはは! 香水って!」「わ、笑ってないで、何してんのか言えよ! 女がいたって、俺は……別に……」 言い淀むと、雅紀の指先が敏貴の額をつついた。「ばぁか、女なんていないよ」「え、嘘!?」「ここ、火曜日が定休日でしょ? だから、法明にストレス解消に付き合ってもらってたんだよ。煙草バカスカ吸いながら愚痴って、カラオケ行って、ってのがいつもの流れ。敏貴が香水って思ってたのは、匂い消しのスプレーの匂いだよ」「匂い消し……」「そ。子供に煙草の匂い嗅がせたくないからさ」「はは……なんだ……」 力が抜け、笑いがこみ上げてくる。笑っているのに、安堵の涙が零れて、情緒
「んーと、どこから話そう……。というか、法明からどこまで聞いた?」 「あんたが、施設育ちってことと、俺はその施設の女の子ってこと。あと、父親があんたじゃないかもって」 「そっか……。あーしね、敏貴があーしの子じゃなくてもいいって思って引き取ったの」 「なんで? 自分の子じゃなきゃ、嫌だと思うけど」 「普通はそう思うのかもね。けど、ひとりで寂しかったし、何より、頼られて嬉しかった」 「頼られて……?」 「あ、アルバムあるじゃん」 雅紀はアルバムをめくり、1枚の写真を指差した。そこには若い清楚系の女性と雅紀が写っている。 「この人が、敏貴のお母さん。女々しいって言われるかもだけど、遊びって分かってても、施設を出て会わなくなっても、弥子ちゃんが……敏貴のお母さんのことが、忘れらんなかった」 愛おしそうな眼差しで、写真の女性を指先で撫でる。 「母親の代わりに引き取ったってことか?」 「違う違う。家族ってものに憧れあってさ、それが1番の理由。それと、弥子ちゃんが頼ってくれたのが嬉しかったんだよ。きっと、利用してたんだろうけど」 雅紀は苦笑する。敏貴にはその顔が寂しそうに見えて、胸が締め付けられた。 「戸籍のこと、ホントごめん。本当はすぐにDNA鑑定して、はっきりさせればよかったんだけど、バカだから思いつかなくて。後から法明に言われてはいたんだけど、慣れない仕事と子育てで、それどころじゃなくて……」「法明さんから聞いたけど、ハタチの頃にいきなり俺を押し付けられたんじゃ、仕方ないって、今は思う……」「ありがとう、そう言ってもらえると、少し救われる……」 雅紀は安堵したように微笑み、ルイボスティーを半分飲み干し、息を吐く。「それはいいんだけどさ、なんでママなわけ? パパとか父さんじゃなく」「え? あぁ……。泣かれちゃったから……」 雅紀は再びアルバムをめくる。開かれたページの写真に写る雅紀は、ピアスがたくさんついていて、V系バンドのようにセットした髪は金髪で、どことなく厳つさがある。「当時、ホストやっててさ、こんな見た目だったから、怖かったんだろうね。で、法明があーしに、罰ゲームの女装用のウィッグを被せたら泣きやんで……。 それに、マサって呼ばせようとしてるのに、ママ、ママっていうから、もうママでいいかなって」「いや、そこは粘れよ
「マサ、こっちに向かってるって」 「そうですか……。すんません、充電器借りていいっすか? 充電切れてて」 「取りに行くのめんどいし、モバイルバッテリーでいい?」 法明はポケットからモバイルバッテリーを出し、敏貴の前に置いた。 「あざっす」 モバイルバッテリーを差し込み、テーブルの隅に置く。 「そう言えば、なんであいつについて、あんなに詳しいんすか? もしかして、法明さんも、施設育ちとか?」 「いや、俺は一般仮定で何不自由なく暮らしたよ。この店も、父親から譲り受けたものだしな。マサとは腐れ縁ってもあるけど、あいつ、嘘も隠し事も出来ないんだよ。良く言えば真っ直ぐ。悪く言えば猪突猛進。ことあるごとに、俺に相談しに来てたから、知ってるってだけ」 「確かに……。あ、けど……」 「けど?」 「いえ……」 毎週火曜日に出かけていることについて聞こうとしたが、雅紀本人に聞こうと思い、口を噤んだ。小さな沈黙と気まずさが訪れる。 「そーだ、写真見る? マサが若い頃の」 「え? あぁ、見たい!」 「ちょい待ち」 法明は席を外す。きっとアルバムを取りに、自宅スペースである2階に行ったのだろう。 「充電器はめんどくて、アルバムはめんどくないのか……」 ふと思い出し、スマホを見る。充電3%。モバイルバッテリー自体、あまり残ってなかったようで、空になっていた。 「お待たせ。ついでに充電器も取ってきた。モバイルバッテリー、あんまないっしょ」 法明は充電器を手渡し、アルバムを開いて見せてくれた。まだ学生と思われる法明と雅紀が、桜の下で話をしている。 「髪、短い……」「マサが髪を伸ばしたのは、お前が来てからだからな」「なんでまた……」「お前が……」「敏貴!」 ドアが開き、息を切らせ、汗だくの雅紀が店内に駆け込む。険しい顔は敏貴を見た途端、安堵に変わった。「敏貴……! ごめん、ごめんね……」 雅紀は痛いくらいに敏貴を抱きしめる。いつもなら嫌悪で突き飛ばすが、汗の匂いも、強過ぎる包容も心地良い。「いや、俺こそ……」 「とりあえず、座れよ」 法明に言われ、雅紀は敏貴の隣に座る。「じゃ、あとはふたりで。帰る時に声かけてくれよ」法明はテーブルに雅紀の分のスワンシューとグラスを置くと、2階に行った。