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第4話
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互いの身代わり 第10話
雫は痛みに涙を流していたが、一輝の目には一片の憐れみもなかった。あの日、彼が机を蹴り倒したあとに私を見たときのあの表情と同じだった。雫は慌てて、一輝に手を離してほしいと乞うた。だが一輝は微動だにせず、彼女をじっと見つめ続けた。突然、雫は不気味に笑った。一輝は思わず彼女を放した。雫は荒い息を整えながら、冷たく笑って口を開いた。「一輝、あなたって本当に滑稽ね。希美がいる時は大事にしなかったくせに、今さら何を気取って深情ぶってるの？思い出せるの？あなたが初めて出会った頃の希美ってどんな子だったか。あなたが丁寧に、彼女自身の個性を全部消して、あなたの理想の女、つまり私の姿に仕立て上げたんじゃない」雫の言葉は、まるで一輝が一番触れられたくない秘密を暴くようだった。一輝は思わず雫の頬を叩き、黙らせようとした。だが、雫が素直に従うはずもない。「一輝、あなたって本当に哀れね。そばにいる人を大事にしなかったくせに、今になって全部私のせいにするの？まあ、希美は死んだんだし、これでようやく私たちは仲良く一緒に過ごせるってわけ？」彼女は一輝に近づき、抱きつこうとしたが、一輝は容赦なく彼女を突き放した。一輝は冷酷な目で雫を見下ろした。「雫、それなら、お前も希美のところへ行け」雫は恐怖で青ざめ、逃げようとしたが、一輝はしっかりと彼女の腕をつかんだ。一輝は雫を引きずるようにして病院へ連れて行き、腎臓移植手術の予約を取り消した。医者は書類を書きながら、ついでに注意事項を述べた。「南川さんはきちんと養生していれば、今すぐ腎臓を移植する必要はありませんよ」その言葉に一輝は雷に打たれたように目を見開いた。「先生、すぐに手術が必要だって、そちらが言っていたんじゃないんですか？」「彼女さん自身が移植を希望されたのですよ」一輝は雫が初めて自分のところに来た日のことを思い出した。彼女はボロボロのバッグを背負って、必死に抱きついてきて、「もうすぐ死ぬ、誰も助けてくれない」と泣きついた、あの日。ずっと嘘をついていたのか。一輝は雫を私のアトリエへ連れて行き、ベッドに縛りつけ、道具を手に彼女の腕に無数の線を刻み続けた。そのあと、彼は雫に私が昔着ていた服を着せ、長い髪を切り落とした。その時の雫は、一輝が初めて私を見たときの
互いの身代わり 第9話
でも彼は忘れていた。私の「聞き分けの良さ」は、彼を完全に信じていることが前提だったのだと。【2024.12.1薬を受け取りに病院へ行ったついでに、ふと一輝に会いたくなった。雫の病状が悪化して、彼は何日も家に帰れていない。病室の前に現れた私を見ると、一輝はすぐに私を外へ連れ出した。彼の最初の一言は、どうして病院に来たのかと責め立てた。自分を信じていないのか、もう手一杯なんだ、と。けれど、私の手にある薬に気づいた途端、「どこか具合が悪いのか」と焦ったように尋ねてきた。その瞬間、目の前の男が少しだけ知らない人に見えた。一輝は、私の困った顔を見るのが耐えられないのだろう。彼は私を抱きしめながら、「希美、頼むから聞き分けてくれ。俺には君と雫しか家族がいないんだ。今は余計なことしないでくれ」と言った。私はまた心が折れてしまい、こっそり検査を受けに行った。雫に腎臓を提供できないか確かめるために】一輝は完全に限界だった。自分の服を掴んで、声を上げて泣き崩れた。涙がスマホに落ちて、画面が何度も点滅する。【2024.12.31一輝は、私と一緒に年越しをするとさっき言っていた。彼はとても嬉しそうだった。雫に腎臓の提供者が見つかったのだと分かった。帰ってきた一輝は、私に白いワンピースをくれた。そのワンピースは、私がスマホで何度も見ていたもので、一輝はそれに気づいていた。けれど着替えてみると、「似合わない、また別のを買う」と言われた。私は彼の表情の異変に気づけず、「可愛いと思うけど」と小さく返しただけだった。すると一輝は「君、太ったんじゃないか。あんまり似合わない」と言った。私は自分の痩せ細った手首を見下ろした。どこが太ったというのか】一輝はようやく思い出した。そのタイプのワンピースが好きなのは、いつだって雫だったことを。そして彼はそれを持ち帰り、そのまま雫に渡した。「希美、戻ってきてくれ。そのワンピース、返してもらってくるから……頼むよ」一輝は声を枯らして叫んだ。【2025.1.20雫は、私が無理やり彼女にタトゥーを入れたと嘘をつき、一輝でさえ、私を信じなかった。病室で雫は、私なんてただの「身代わり」だと言い放った。私は、一輝が雫の姿に合わせて作り上げたただの影。そう言って、雫は自分の胸のタ
互いの身代わり 第8話
一輝が病院で目を覚ましたとき、隣には雫がうつ伏せで眠っているだけだった。彼は周囲をくまなく見渡したが、私の姿はなかった。一輝は、誰にも気づかれないように病院を抜け出し、家へと戻った。家に入るなり、彼は室内のものを片っ端からひっくり返し、私を探し出そうとした。けれど、どれだけ探しても、私の痕跡は一つも見つからなかった。彼はふと思い出したように、私のスマホを開き、何か手がかりがないか探した。そこで「恋愛日記」というタイトルのメモを見つけた。【2023.5.7一輝は、私のしつこいアプローチの末、とうとう私の彼氏になった。彼は、今の私が好きだと言ってくれた。ただ「時々騒がしすぎるけど」と笑っていた。鏡の前で自分をよく見ると、昔とはまるで違う雰囲気になっていて、確かに前より可愛くなった気がした。私は静かな美人になると決めた】【2023.6.3うっかり風邪をひいてしまい、一輝が看病に来てくれた。彼の作るご飯はすごく美味しい。彼は「これからずっと飯を作ってやる。君をふくふくと太らせてやる」と、優しく私の腰を抱き寄せながら言った】どの文章にも、二人の幸せな日々が綴られていた。【2024.5.20私は家で一切の準備を整え、一輝の帰宅を待っていた。恋愛一周年の記念日を遅れて祝うために。好きなヒマワリを注文し、彼の好きなスニーカーを買った。一輝は「五時に仕事が終わる」と言っていたのに、七時になっても電話に出なかった。不安で胸が締めつけられながら待っていたら、夜八時にやっと連絡が来た。人のいない病室の写真が一枚。「妹の雫が病気で、今病院にいる。残りは帰ったら話す」一年付き合って、彼が孤児院で育ったことは知っていた。妹なんて一度も聞いたことがない。写真を拡大したとき、病室の右端に置かれたバラの花束とアクセサリーの箱、そして長い髪の人影が、机の反射にぼんやり映っていた。十二時まで待ったが、一輝は帰ってこなかった。私は机に伏していつの間にか眠り、目を開けたときにはすでに深夜三時だった。冷めきった食事を片付け、溶けてしまったケーキを捨て、すべてを片してから部屋へ戻り、ベッドに入った。眠りの中で、私は一輝のキスで目を覚ました。雫とは誰なのかと尋ねると、「血のつながった妹で、重い病気で腎臓移
互いの身代わり 第7話
メッセージを送ってからかなり時間が経っているのに、ずっと既読がつかなかった。自分がブロックされるなんて、一輝は信じられなかった。彼は過去のチャットを遡り、私が最後に送ったメッセージを見つけた。【一輝、私たち別れましょう】そのとき彼は雫を寝かしつけていた。雫は病気になってから、一人では眠れなくなっていた。彼は私からのメッセージを、都合よく見なかったことにした。さらに遡ると、私たちの会話はどれも雫のことばかりだった。雫が怖がっている、雫の容体が悪い、雫が外に出たがっている……そんな話ばかり。一輝は動揺しながらスマホをしまい、私を探しに向かった。一輝が会場に着いたとき、友人たちは既に去った。後片付けをするスタッフだけが残っていた。周囲を見回しても、私の姿はなかった。しかし中央のスクリーンを見た瞬間、彼はその場で固まった。画面の中には、やつれた表情の私が座っていた。頭には、かろうじて数本の髪が残っているだけだった。「来てくれてありがとう。楽しく食べて、泣かないでね。私は、ただお母さんに会いに行くだけ。短い私の人生に、みんながいてくれてありがとう」一輝は雷に打たれたようになり、その場で膝が崩れ落ちそうになった。必死に感情を抑えながら、一歩一歩スクリーンの前へと進んでいった。すると、隅の方で百恵が私の遺影を抱えてぼんやり座っているのが見えた。その顔には、何の表情も浮かんでいなかった。一輝は、抑えきれない感情のはけ口を見つけたように、百恵へ駆け寄り、彼女が抱えていた遺影を乱暴に奪い取って床に叩きつけた。額縁が割れ、ガラスの破片が床に散った。一輝は叫んだ。「希美はどこだ！こんな茶番、何が面白いんだ！」ようやく百恵は反応し、床に散った遺影を拾い上げた。その時、一輝は初めてはっきりと見た。写真に写っている服を、彼はあの日、写真館で目にしていたのだ。しかし百恵は説明させる間も与えず、拳を振るって一輝の顔を殴りつけた。彼の頬には切り傷が走った。百恵の拳にはガラスの破片がついていたのだ。一輝は正気を取り戻し、百恵の手首をつかんで「女には手を上げない」と言ったが、百恵は聞く耳を持たず、再び攻撃した。格闘技を習っている百恵に、男の一輝でさえ敵わなかった。最終的に、二人とも警察に連れて行かれ
互いの身代わり 第6話
みんなは暗黙のうちに、私と一輝はいずれ結婚すると信じていて、誰一人として疑う者はいなかった。一輝は席に着くと、今日は誰の結婚式なのかと尋ねた。「今日って、あなたの結婚式じゃないの？この前のゲームで、希美にいつ結婚するのかと聞いたとき、あなたが席を外した後、希美が自分で言ったのよ」一輝はその時のことを思い返すように目を伏せた。あのとき、みんなが彼の返答を待つ中、彼はちょうどドナーが提供を取り消したという知らせを受け取っていた。私が皆に何を言ったのか、彼にはわからなかった。私に電話して確かめようとしたが、まったく繋がらなかった。雫が彼の腕をそっと揺らした。「鈴木さんは、あの日、あなたが私のウエディングドレス選びに付き合ってくれたこと、まだ怒ってるの？」その言葉に、周りの友人たちは一斉に探るような視線を向けてきた。雫はずっと大切に守られてきた存在で、他の友人たちは彼女を見たこともなかった。「俺の妹だよ、誤解しないでほしい」人混みの中から、突如として不協和音のような声が響いた。「あなた、一人っ子だろ？妹がいるなんて、いったいどういうことだ？」一輝の顔色がみるみる青ざめ、どこか焦ったように椅子を押しのけて立ち上がると、慌てて外へ向かった。二歩ほど進んでから、雫を置いてきてしまったことに気づいた。百恵が会場に入ってきたとき、二人はすでに姿を消していた。百恵が配達員から預かった遺影を掲げて入ってきた瞬間、会場は一気に静まり返った。不謹慎だと百恵を叱る者もいたが、彼女はUSBメモリをスクリーンに映すよう手配した。悲しい雰囲気にするつもりはなく、ただ旧友の集まりとして見てほしかった。場からもれた嗚咽声は、やはり私の思惑に背くものだった。唯一、百恵だけが平然としていて、いつも通り食べ、飲んでいた。きっと私が本当のことを話さなかったことを恨んで、怒っているのだとわかっていた。……一輝は怒りを抱えたまま家に戻ったが、出迎えたのは静寂だけだった。家の中がどこか寂しい。そんな違和感が胸をよぎった。寝室のドアを開けると、中は整然としていた。クローゼットも空っぽだった。そこでようやく、家から私の痕跡がすべて消えていることに気づいた。私は自分のものをすべて処分していたのだ。ただ
互いの身代わり 第5話
一輝はどこか慌てた様子だった。私がまったく気にしていないとは思ってもいなかったのだろう。私が背を向けた瞬間、一輝がまた私を呼び止めた。眉をひそめて、じっと私を見つめながら、「希美、その髪……その格好は」「ウィッグよ。じゃあ、行くね」鏡に映った自分を横目で見た。本当は一輝と出会う前から、私はずっとこのスタイルだった。中性的な雰囲気が好きで、ひまわりが好きで、太陽に向かって咲くみたいに生きたかった。少しでも長く、生きていたかった。でも、もうすぐ私は母親と同じ年齢になる。それも悪くない。物心ついた頃から薬と注射の日々。私はわかっていた。母親と同じように、二十五歳までは生きられないのだと。だから、私はタトゥーが大好きだった。タトゥーを通して、本当の自分を刻みつけられる気がしたから。だけど、一輝に出会ってしまった。時間を貪るようになってしまった。もっと生きたいと、欲張るようになってしまった。写真館の入口に立ちながら、私は雫が一輝に寄り添う姿を見ていた。私は百恵にメッセージを送り、友達に声をかけるよう頼んだ。もうレストランも予約してある。明後日、先にみんなを迎えてほしいと。【希美、あなた頭おかしいの？なんで一輝なんかと結婚しようとするの？】文字から百恵の怒りが伝わってくる。【違うよ。一輝じゃない。別の人】【なら一輝も呼んでやりなよ。そのクズに見せつけてやれば？】【好きにしていいよ】私はレストランを少し華やかに飾ってもらった。結婚式と同じ仕様で。スタッフは不思議そうな顔をした。「結婚式……ですか？それとも……葬式？」という目で。葬式だ。でも、みんなには明るく過ごしてほしい。久しぶりに集まって、笑ってほしい。……明日は手術の日。唐突に、一輝に会いたくなった。私は彼が初めて撮ってくれた写真を手に取った。あれは、私たちが初めて会った日のものだ。タトゥーを習い始めたばかりで、なんでも新鮮で、自分の身体で試したいけれど、勇気が出なかった。医者には「傷を増やすのはダメ」と言われていた。だから、どれほど好きでも、自分にタトゥーを入れたことは一度もない。だから、ネットで「タトゥーを入れたい人の募集」を探した。そして、一輝が来た。私は彼で練習するつもりだったの
