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58話

last update Petsa ng paglalathala: 2026-10-15 11:04:29

 画面の向こうで困惑を露わにする湊だったが、背後から「出番五分前でーす!」とスタッフの大きな声がかかった。

「くそっ……先輩、出番なんで一回切ります! また後で連絡しますから!」

 戸惑いを残したまま、ぷつりと通話が切れた。

 暗転した携帯の液晶画面に、血の気の引いた自分の顔が映り込む。

(どうして……どうして、莉子さんが私の曲を披露していたの?)

 幾重にも重なる疑問が頭を駆け巡り、脳が処理しきれずに激しい眩暈を覚える。見かねた黒木が、そっと雪乃の肩を支えてベッドの縁に腰掛けさせた。

(私のパソコンを、誰かが触った……?)

 記憶の糸を必死に手繰り寄せる。そういえば別荘で、ちゃんと蓋を閉めたはずなのに開いていた。あの時だろうか。でも、あんなにも早く歌詞を乗せて、生放送で披露できるものなのだろうか。

 あるいは別荘より前――この屋敷で、自分のパソコンに触れられる人物は――ぐるぐると過熱してい
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    『――はい』 雪乃はまっすぐ湊を見つめ返し、深く頷いた。「よし!」 画面の向こうで湊がパッと弾けるような笑顔を見せる。「チャンネルは登録者と再生数が増えれば、収益にもなりますから。これから忙しくなりますよ! チャンネル開設に、曲作り、俺のソロ曲! あ、俺今日オフなので先輩が落ち着いたら後で連絡ください。電子透かしの方法を説明するんで、パソコン繋げて画面共有しましょう」『本当は今夜、湊の事務所の社長に曲を披露する予定だったんだよね……』「あ、それは代わりに彗を行かせることにしました! あいつ、この秋にソロ活動をするので、その時の曲を披露する、って名目ですので心配しないで下さい!」『そうなんだ……彗はソロ活動をするんだ』 ふと……大きなお世話かもしれないが雪乃の胸に心配が過る。彗は、今夜、社長と喋ることができるのだろうか……? 雪乃の表情から心配を察したのか、湊は笑った。「曲を歌わせておけば大丈夫です!」 湊はハッと我に返ったように苦笑いした。「って、朝早くに電話すみませんでした! また、あとで!」 ぶつりと通話が切れる。雪乃は携帯を胸に抱き締めた。 さっそく曲を作ろうと思い部屋を出ると、廊下に立っていた黒木が静かに声をかけてくる。「奥様、まずは朝食です」 雪乃は小さく頷いた。「朝食のあとは病院です」 雪乃は自分の右手に視線を落とし、それから黒木を見上げた。『痛みは引きました』「まだ腫れています。診てもらうべきです」 早く曲を作りたい――そう思って口を開けかけるも、黒木の静かな圧に押されて素直に頷いた。 黒木がタオルに包んだ保冷剤を差し出す。雪乃はそれを受け取り、腫れた右手に当てた。 人に心配され慣れていないせいで、黒木から心配されると妙に擽ったい。「……良かったですね」 ポツリと漏れた黒木の呟きに、雪乃

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      画面の向こうで、湊は膝の上の拳を、白くなるほど握り締めていた。「莉子に、です」 雪乃は顔を上げる。「音楽で飯を食っている人間が、他人の曲を自分の名前で歌った。この仕事で一番やっちゃいけないことを、一番堂々とやったんです。しかも昨日、そのまま俺に『年末のトリを譲ってくれませんか』って言ってきたんですよ。許せません」 湊の声は低く、荒げてはいなかった。(責められるのは、私のはずなのに) 雪乃は膝の上で、左手を握り直した。「それから、桐生社長にもです」 柊也の名に、左手がぴくりと動いた。「あの人は、この業界で何人ものミュージシャンを預かる側の人間でしょう。莉子が誰かの曲に手を出しかけたら、本来は止める立場のはずです。それなのに、自分の手で持ち出して、渡した」 湊は短く息を吐いた。「曲が似てしまうことは、この仕事をしていればあります。俺だって、どこかで聴いた曲に似てると言われたことは何度もある。でも、データごと持っていって別の人間の名前で出すのは、それとは全然違います」 そこで湊は、言いにくそうに目を逸らした。「それに、悔しいけど、あの曲はいい曲でした。売れると思った。先輩の曲なんだから、当たり前なんです。それが他人の名前で売れていくのが、一番腹が立つ」『私が、不用心だったから』「そこじゃないんです」 湊は首を横に振った。「そりゃあ、用心してほしかったとは思います。でも、それより盗んだ側が悪いに決まってる。先輩に腹は立ちません」 ほんの一瞬、湊の声が掠れた。「俺が怒ってるのは、先輩が『もう曲を作るのをやめます』って言ったことです。さっき頭を下げた時の顔、『これで終わりだ』って顔でした」 雪乃は息を呑んだ。 顔に出ていたのだ。湊の目は、少しも逸れない。「俺は、先輩の曲が欲しくて頼んだんです。……まだ、歌いたいんですよ。今回の三曲だけじゃなくて、この先、先輩が作る曲も」 湊は一度口を閉じたが、すぐにまた話し始めた。「なのに、もう作らないなんて言わ

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     雪乃の喉から、ひゅっと小さく息が漏れた。『だ……から、曲を盗んだの?』「盗んだわけじゃない。雪乃にはできないことを、俺が代わりにしてあげただけだ」(してあげた……?)「世に出してあげたんだよ」 そう言って微笑む柊也。掴まれた手首に、じわじわと痛みが増していく。 かつては、この人を愛していたはずだった。 でも、こんな彼のどこが好きだったのだろう。 彼は変わってしまったのだろうか。それとも、最初からこうだったのだろうか――。 必死に声帯を震わせて声を絞り出そうとするものの、喉からは虚しく掠れた息漏れしか出てこない。昔は当たり前に話せたはずなのに。目の前で笑うこの男に、溢れ出る不条理を言葉にして言い返したいのに。『……どうして、莉子さんなの?』「どうして莉子なのかって? 幼馴染だし、最近スランプ気味だったから心配でさ」 柊也は何でもないことのようにさらりと言ってのけた。妻の音楽と権利を平気で踏みにじり、莉子のために差し出した理由が「幼馴染のスランプへの心配」――あまりにも身勝手で、雪乃は眩暈を覚えた。「雪乃だって、莉子に助けられてきたじゃないか」(いつ?) 雪乃は虚ろな目で柊也を見上げる。「彼女の音楽に慰められてきただろ?」 柊也の視線が、雪乃の背後にある十個のオルゴールに向けられる。 結婚記念日と誕生日に柊也が贈ってきたそれらの旋律は、莉子がアメリカで作曲したものだった。 雪乃はそれを知らず、柊也が自分のために選んでくれた曲だと思い込んでいた。 だが、莉子のデビュー曲を聴いた時、自分の勘違いだと知った。 柊也は雪乃のためではなく、莉子の曲をオルゴールにして飾っていただけだった。「恩返しだと思えばいい」 どこまでも自分を正当化する口ぶりに、雪乃は突き刺すような激しい胃の痛みを覚え、強い吐き気がこみ上げてきた。 怒りに任せて、雪乃は彼の手を振り払った。あれほど強く握られてい

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     ※  画面が暗くなり、湊たちの姿が消えた。 雪乃は静かに画面を見つめながら、湊が言っていたチャンネル開設のことを思い返す。動画共有サイトで自分のチャンネルを持つ――今まで考えたこともなかった提案だったが、ネットを通じて自分の曲を聴いてもらえるかもしれないと思うと、初めてピアノを触った幼少期を思い出した。自分の指が音を奏でた時のあのワクワク感が、今彼女の胸に蘇ってきている。後でチャンネルの作り方や仕組みについて調べてみよう、と雪乃は思う。 その前に、と少しだけ曲の続きをいじりたくなり、デスクトップ上のDAWソフトのアイコンへマウスカーソルを動かした。 しかしソフトが立ち上がるより早く、横からすっと黒木の太い腕が伸びてきた。 パタン、と小さな音を立てて、ノートパソコンの蓋が閉じられる。 雪乃は驚いてハッと顔を上げ、背後に立つ黒木を見上げた。 黒木は眉間に薄く皺を寄せたまま、静かに首を横に振った。「夕食がまだです」 雪乃はすかさず口元を素早く動かす。『これが終わったら食べます』「それはいつになるんですか。食事が先です」 低くブレのない声で諭された。 これ以上食い下がっても、この頑固な黒木が折れてくれないことはよく分かっていた。 雪乃は諦めたように小さく息を吐くと、彼の言葉に従って大人しく立ち上がった。 別荘から屋敷に帰ってきてからというもの、黒木の態度の棘がなくなり、どこか丸くなったように感じる。けれど代わりに、まるで保護者のようになった気がしていた。だがそれは決して不快なものではなく、胸の奥を擽られるような、心地いい温かさがあった。 声を出さないまま、雪乃はクスクスと笑う。 それを見下ろして、黒木は目を細め、口元に微かな笑みを浮かべたものの――雪乃が自分を見上げたタイミングで笑みを殺し、いつもの鉄仮面へと戻った。 雪乃はキッチンに移動し、食事を温める。 あらかじめ出来上がっている料理を電子レンジで温めるだけで完成するワンプレートの食事だ。カップラーメンや出前よりも栄養バランスが考慮されているらしく、

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