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第327話

Author: 十一
凛は笑いながらからかった。「待ってください。お客様を台所に入れるなんてことはないでしょう?」

「お客様が、喜んでやると言ってる」

手伝いが一人増えたおかげで、料理を準備するスピードがぐんと上がった。

すべての準備が整い、凛はスズキをネギと生姜の入った水から引き上げ、皿に移した。キッチンペーパーで水を拭き取ると、鮮度を保つために、表に食用オイルを薄く塗った。

陽一はやることがなくなって、ただ傍らで見ているだけだった。「手伝おうか?」

「上の蒸し器を取っていただけますか?」

「いいよ」

背の高い陽一にとっては、簡単に手が届く位置だったが、不便なのは、蒸し器は凛の真上に吊るされているのだ。

つまり、陽一が蒸し器を取ろうとすれば、彼女の背後に立たなければならないということだ。

手を伸ばせば、まるで女を腕の中に包み込むようだった。

幸い、取り出すのも置くのも一瞬のことで、どれだけ近づいても、気まずく感じたことはなかった。

「いただきます」凛は彼に手を差し伸べた。

陽一は蒸し器を渡した。

受け渡す瞬間、二人の指が偶然に触れ合った。

男の息が一瞬止まった。

しかし、凛は気にも留めず、蒸し器を受け取ると鍋にセットし、魚の蒸し始めた。

「ゴホン!他に手伝えることはある?」陽一は手を引っ込め、咳払いをして尋ねた。

凛は台所の食器類に目をやった。「うーん……材料はもう揃ってるし、調味料も全部準備できましたね。先に外に出で待ってください。あとは私に任せて」

古い階段式の集合住宅で、しかも小さい間取りだったから、キッチンは狭かった。男が出て行くと、たちまち広くなったような気がした。

凛の気のせいか、空気の熱さも少し和らいだように感じた。

二十分後——

凛はガスを止め、エプロンを外して、料理を食卓に運んだ。

陽一もただ待っていたではなく、すでに鍋敷きと箸を並べ終えていた。

「キッチンにスープがもう一皿残っているよね?持ってくる」凛が口を開く前に、彼はもうキッチンに向かっていた。

案の定、一皿のきのこスープがまだ運ばれていなかった。

凛は男の後ろ姿を一瞥し、冷蔵庫に視線を移すと、少し考えてから中からビール2缶を取り出した。

振り返った途端、男の静かな視線にぶつかった。

なぜか少し後ろめたい気持ちになった。

「あの……一昨日すみれが遊びに来て
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