黒猫のイレイラ

黒猫のイレイラ

last updateLast Updated : 2025-12-30
By:  月咲やまなUpdated just now
Language: Japanese
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箱庭の様な世界に突如召喚されてしまったイレイラ。自分を召喚した、羊の角を持った獣人みたいな神子・カイルに「君の前世は僕の猫だったんだ」といきなり言われても意味がわからない。 『猫』発言のせいで彼は『飼い主』だったのかと思ったら、まさかの『夫』であった事が発覚。距離感ゼロで愛情を注がれ戸惑うも嬉しい乙女心と、少しずつ知っていく過去の自分。——あれ?もしかして、異世界での生活も悪くないかも。 【全48話】 【イラスト・くない瓜様】

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Chapter 1

【プロローグ】始まりの魔法陣

『輪廻の輪』

 遊び好きの神々が戯れに作った箱庭の様なこの世界に住まう人々は、その箱庭の中で転生を繰り返す運命に囚われている。『囚われている』とは言っても、彼等にはその自覚はなく、広過ぎるとも言える恵豊かな世界の中で生まれ変わりを繰り返している事実を不幸だと感じる事も無かった。たまに前世の記憶を持った子供が生まれ、『転生』というものが確かに存在しているんだなと認識している程度のものだ。

 その輪廻の輪から外れた存在が、一握りいる。

 ごく稀に、箱庭を作りし神が人間を愛し、子をなす事があった。その間に生まれた子供、神子みこと呼ばれる彼等は輪廻の輪に囚われる事が無く、二十歳程度の外見まで成長してからは歳もとらず、死する事なく、神々の様に永遠に生き続けるらしい。

 その神子のうちが一人。『カイル』と名付けられた男は、内から溢れ出る嬉しさと期待を隠す事なく、整った顔をニヤニヤと崩しながら薄暗いホールの中で床に這いつくばって、手にした白いチョークを使ってガリガリと文字や図形を綴っている。

 父神から譲り受けた羊の様な大きな巻き角に、首にかかる長さのサラッとした黒髪が触れる。黒曜石にも似た瞳は隠しきれない嬉しさに溢れ、目元が少し赤みを帯びているのは、これから起こる事への期待によるものだった。

「……よし、出来た!なかなかの仕上がりなんじゃないか?久しぶりにしては」

 満足気に頷き、一人呟く。 間違えない様にと時間をたっぷりかけて描いた魔法陣を眺めながら、カイルは笑みを浮かべた。

 神々が今よりもこの世界に干渉していた時代に書かれた古代魔術の本に載っていた魔法陣に、二十日かけて組んだオリジナルの術式を織り交ぜた円形のそれは、手描きとは思えない仕上がりで大理石の床を美しく飾っている。

 五十人程度を簡単に受け入れられそうな広さをしたこの部屋の中はとても簡素で、窓が少ない為、昼間でも薄暗い。休憩用にと用意してある二人掛けのソファーと小さなサイドテーブルが隅の方にある以外には何も置いていない。此処はカイルが室内で魔法を使う時の為に用意された部屋なので、装飾や家具の類はかえって邪魔だったからだ。ドーム型をした天井は三階分を吹き抜けてあるのでとても高く、多少失敗したとしても部屋を破壊する事の少ない造りになっている。もちろん部屋全体に防護魔法を掛けてあるので破壊してしまう心配は無いのだが、念には念を、といった所だ。

 鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気のまま、カイルは自室から持ってきた魔法具を順番に、間違える事無く術式が描かれた辺りに置いていく。

 手鏡にも似たそれは、魔法陣に重なると、淡い光を放ち始めた。

 一つ、二つと……全部で七つの魔法具を慎重に置いていく。多少置き場に誤差があっても正直問題は無いのだが、カイルはこれからおこなおうとしている儀式が彼にとってとても大事だったので準備自体が楽しみでしょうがない。

「……完成だ」

 感無量といった表情でカイルが頷く。

 チョークを使うせいで消えやすい魔法陣を誤って踏みつけて消してしまうことのない様慎重に避けながら、中から出る。

 六芒星を中心とし、その周囲を囲む円の中には古代文字で複雑な術式が描かれている。しっかりと計算され、精密に組まれた術式にはそれぞれ様々な効果が組み込まれている。その殆どが、これから呼び出す存在が、この世界で困る事の無いようにとの願いを込めたものだ。

 魔法具が置かれた事により、魔法陣は淡く光を帯びてそれ自体が芸術品の様な美しさを誇っていた。

 腰に手を当て、誇らしげな顔のまま無駄に何度も頷く。

 以前この魔法陣と似たものを描いた事がつい最近の出来事の様に思い出せたが、もう九年も前になる。その時には織り交ぜなかった術式が今回はある為、瓜二つだとは言えなかったが、それでも懐かしさを感じた。

 退屈な気持ちを抱え、やりたい事をやり尽くし、生き甲斐も無くなりダラダラと続く長い生に苛立ちを感じ、『癒しが欲しい』とやさぐれた気持ちでこの場に立っていた過去を思い出し、切なさを帯びた笑みがフッと溢れる。

「——さあ、帰っておいで。僕のイレイラ」

 小声で呟き、魔力を魔法陣へ向けて送ると、カイルの髪がフワッと軽く浮いた。

 聴き取り不能な音がカイルの口から紡がれ始める。その美しい音色を持つ音に呼応して、魔法陣は七色に光り出し、小さな光を無数に散らす。すると 魔法具はガタガタと震え始め、今にも割れてしまうのではと心配になる程に鳴った。

 六芒星の中心に周囲以上の光源が現れる。 ソレを目視すると、カイルは抑えきれない喜びを表情に浮かべながら音を紡ぎ続けた。

 両手を伸ばし、強い光源の方へ『ここへおいで』と言うように差し出す。 早く触れたい、抱きしめたい。そんな気持ちが抑えきれない。

「——召喚!」

 カイルが叫んだ瞬間、魔法陣の光は最高潮に達し、弾けて消えた。

 床に描かれていたはずの魔法陣は跡形も無く消え、魔法具は砕けて元の姿を失っている。

霧の様な白いモヤだけが魔法陣のあった場所から発せられ、濃度の濃い中心には大きな塊が一つ。

 カイルはそれを見て思考が止まるのを感じた。

 術は成功した。人では本来操る事の出来ぬ程の有り余る魔力が、己の内側から半分も消えているのが何よりの証拠だ。

 モヤが薄れ、大きな塊が姿を現わす。

「…… え?」

 カイルは呟くと、眉をひそめた。 全ては、彼にとって予想外の事が起きたからだった。

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【第1話】『初めての出逢い』という名の、再会
「……いたっ」 学校からの帰り道、桜塚イレイラは頭を軽く抑えた。小さな花柄が入った膝丈のスカートが風も無いのに不意に舞い、それを押さえながら足を止める。日本人離れした名を持つクセに、黒髪に黒目をした彼女は突然襲ってきた痛みを散らす様に頭を軽く降った。 肌の白さとスタイルだけはイギリス生まれの母から譲り受けていたが、イレイラはパッと見誰がどう見ても『日本人』といった姿をしていたので周囲からからかわれる事が多い。 姿と生まれや名前が一致していないというのは案外厄介だ。 日本文化が好きだという理由で留学し、純日本人だった父と結婚までした母からは英語を教えて貰う事無く育ち、ろくに英語を話す事が出来ないという事も問題に拍車をかけた。 こんな名前であり、ハーフである事を理由に『英語を教えてくれ』と周囲に請われては、ガッカリされる。話だけを聞いてハーフの長身美人を期待され、平均的な顔と一五七センチの身長や容姿を見てガッカリされる。背は低いのに顔は小さく八頭身のせいで、『だまし絵かよ』と言われた事もあった。 ——そんな事を繰り返してきたせいか、彼女は人付き合いが少し……多分、すこーし苦手なまま成長してしまった。「参ったなぁ、バイト行けるかな」 先週始めたばかりの、鳥カフェが併設された書店でのアルバイトのシフトを思うと溜息がこぼれる。『体調不良だから』と変わってくれそうな知り合いはまだいない。正直この先も出来るかどうかは怪しかったが、それは今は考えない事にした。 両親は去年揃って事故により他界していてもうおらず、一人っ子だったから家に帰っても誰も居ない。困った事があっても、頼れる相手はもう、親戚を含めて誰もいなかった。 十九才にして天涯孤独。 それでも寂しいとあまり感じなかったのは『人付き合いは苦手だ』という気持ちがあったからだろう。『親友』と呼べる存在は残念ながらいなかったが、学校での話し相手は困らない程度にはいた。両親の保険金もあったから金銭面での心配が無かったのも不安要素を消す一因だったかもしれない。 でも体調不良の時にだけは、どうしても寂しさを感じてしまうのを避けられない。辛くても、キツくても、全て自分でやらなければいけないから。 家にあるはずの薬の在庫を思い出しながら、『……まずは帰宅。薬飲んで、あとの事はそれから考えよう』と、一歩
last updateLast Updated : 2025-11-14
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【第2話】『初めての出逢い』という名の、再会
 カイルは消えた魔法陣の中心を凝視し、モヤが完全に消えるまで立ち尽くしていた。 術は成功した。確信がある。“神子”である自分があれだけ慎重に慎重を重ねておこなったのだ、失敗するはずがない。 ——なのに、だ。 とても小さな、簡単に抱き上げることの出来る“彼女”を呼んだはずなのに、予定よりも随分と大きな塊が部屋の中央に転がっている様に見える。どう見ても、目を擦ったり、瞬きをしてみても、身体を丸めて倒れる物体は気を失った“人間”だった。 何度瞼を閉じて頭を振り、塊を見返してもその事実は変わらない。「……まずは、確認しよう」 カイルは呟き、塊の側へ行って膝をつき、そして床に倒れている人間を仰向けにして彼が顔を覗き込んだ。低めの鼻筋に小さく薄い唇。シンプルだが、文句無く可愛い顔を前にして、カイルの口元が少し緩んだ。 身体を軽く揺すっても、意識が戻る気配は無い。 腰までの長いストレートの黒髪が青白い頰にかかっている。その髪をカイルは、彼女の頰を撫でながら除けると、スッと目を細めた。 心がざわつくのを感じる。 少しの間すらも離れ難く、逢いたくて仕方がなかった“彼女”への気持ちが、目の前の存在に向かっていく感覚がカイルを襲い、心臓が徐々に強く脈を打ち始める。(……あぁ、この女性は『イレイラ』だ。間違いない) そうは思ったが、何か確信が欲しかった。想い描いていた姿と大幅に違ったから、気持ちでは『呼び出した相手に相違無い』とはわかっていても、頭では理解出来なかった。 カイルが召喚しようとした『イレイラ』という存在は、“黒猫”だったからだ。 “黒猫”の“イレイラ”。少し前に寿命で亡くなったイレイラの生まれ変わりを探す為、カイルは先程召喚魔法を使ったのだった。 二度、三度と深呼吸をする。そしてカイルは目の前の女性に手を伸ばすと、着ている服を少し裂き、左胸側をゆっくりと捲った。ふっくらとした膨らみが目に入り、呼吸が少し乱れる。「……っ。お、大きいな。背は低いのに……」 無意識のまま本音を呟き、カイルは唾を飲み込んだ。透ける様な白い肌が徐々に視界を占有していく。胸先の尖りまでもが見えそうになったギリギリの辺りで、服を除ける動作がピタっと止まった。「……あった!イレイラだ、やっぱり。間違いない!」 大声で叫び、カイルは両の手をグッと握り、天を仰いで喜んだ。白
last updateLast Updated : 2025-11-14
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【第3話】『初めての出逢い』という名の、再会(桜塚イレイラ・談)
 フッと意識が戻るのを感じる。瞼が重くてまだ開くには億劫だったが、自分がベッドの上にいる事はわかった。なので、此処は病院なのかもしれない。 道路の真ん中で倒れた事をすぐに思い出す。きっと親切で救急車を呼んでくれた人がいて、ここに搬送されたのだろう。死んでいなかった事実に対しての安堵と、残念だなという相反する感情が心にわき、目元が険しく歪んだ。——その瞬間、眉間のシワをゆるゆると指で撫でられた。「ねぇ、どんな夢を見てる?険しい顔してるけど」 優しい声色の低い声が耳を擽る。『誰の声だろう?』と、私は不思議に思った。(通報してくれた人が付き添ってくれているのだろうか?だとしたら、きちんとお礼を言わなければ失礼だ) ゆっくりと重い瞼を開き、声のした方に顔を向ける。部屋の様子が薄っすらと目に入るが、予想と全然違うからか、見慣れないせいか、何故か頭が上手く処理出来ない。でも、ベッド脇に腰掛けて私を見下ろす男性の姿はなんとなく認識出来た。(……助けてくれた人、かな?) 座ってはいても分かる程大きな身体が視界を埋める。白いシャツに黒いトラウザーズを穿き、胸元のボタンを数個開けたラフな格好をした男性が、とても嬉しそうな顔で私を見ている。 黒くてサラサラとした髪は首の辺りまでと男性にしては少し長い。瞳は黒曜石かと思う程美しく煌めき、自分と同じ色だとはとても思えなかった。白い肌が透ける様に美しく、整った顔立ちは物語の主人公かと思う程だ。『あ、これ夢だ』と反射的に考えても無理は無いくらい、目の前の存在はこの世の者ではなかった。 頭から生える羊みたいな両角がより一層、『これは現実ではない』と告げている気がした。(どうしたら目が覚めるんだろう?) 目を開ければ、夢から醒めるものじゃないんだろうか? 虚ろな瞳のまま、現実味の無い相手を見続けていると、整った顔にフッと笑みが浮かんだ。「寝ぼけてるのかい?相変わらず可愛い、黒い瞳をしてるね。まだ眠い?もっと眠っていてもいいんだよ。僕のイレイラ……」 随分と、愛おしさの篭った声色だ。私の頭を撫でる手はとても優しく温かい。自然と目を閉じて、されるがままになってしまう。 一瞬この感触を知ってる様な気がしたが、そんな訳がないと心の中で頭を横に振った。 頭を撫でていた彼の手が私の耳に触れる。形を確かめる様にゆるゆるとさわられると
last updateLast Updated : 2025-11-14
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【第4話】『初めての出逢い』という名の、再会(桜塚イレイラ・談)
 ベルベットで作られたであろう高級そうな刺繍まで施された赤い天蓋。それを支える柱が伸びる先はこれまた上質なベッドへと繋がり、広いであろう部屋の中で簡易的な個室を作っている。角付きの男が座る方だけが開かれ、彼の背後に見える室内は簡素化されてはいるものの、『ヨーロッパ王宮の室内かよ!』と誰もがツッコミを入れたくなる設えだった。 派手では無いが、触れるのが怖くなるくらい高級感を醸し出すベッドサイドテーブルがあり、上には赤い薔薇が飾られて水差しとガラスのコップが置いてある。 壁には、写真かと一瞬勘違いしてしまう程の腕前で描かれた風景画が何枚も飾られていて、外出せずとも外の雰囲気を教えてくれた。(病室なんかじゃないな、此処は) 部屋の雰囲気だけで、そう確信出来た。「此処は何処で、貴方は……えっと、誰ですか?」 慌てて身体を起こし、震える手で指をさす先には、やっとまともに認識出来た羊の様な大きな巻き角がある。『コスプレ?』とも考えたが、こんな手の込んだ室内でわざわざ素知らぬ他人の私相手にコスプレ姿を披露する必要は無いから、それは違うとその可能性は即座に捨てた。 でも、本当に素知らぬ他人なのだろうか?目の前の男性は、さっきから私を知っているかの様に話し掛けてくる。でも、こんな容姿の人を知ってる訳がないし……そもそも——(デカイし、頭に角あるし!知らないし!こんな、こんな美丈夫!) ぐだぐだと頭を悩ます私を見て柔かに微笑み、彼が口を開く。「ここは『神々の作りし箱庭』だ。一々『神々ー』なんて大層な名前で呼ぶのは面倒だし仰々しいから、皆には『アルシェナ』と呼ばれる事の多い世界だ。最初に生まれた人間から取った名前らしいよ」「はぁ……」 話を聞き、間抜けな返事が口から出た。(ヤバイこの人、厨二病だ) さっきは違うと思ったけど、やっぱりきっと、この角もコスプレだ。よく出来てるけど。似合ってるけど。「僕の名前は……『カイル』。覚えてない?」 『カイル』と名乗った男性が、切なそうな顔を私に向けた。当然、私は全力で頭を横に振る。「そう、か。残念……」 ふぅと息を吐くと、カイルは指差しをしたままだった私の手を握り、「——やっぱり、無理があったのかなぁ」とぼやきながらも、愛おしげに手を撫でてきた。 そして思慮深げに瞼を閉じる。長い睫毛が切なさをも訴えながら伏せらている
last updateLast Updated : 2025-11-15
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【第5話】『初めての出逢い』という名の、再会(桜塚イレイラ・談)
 多分この人二メートルあるよ、いるんだねーこんな人本当に。そりゃ角付きコスプレも似合う訳ですよ。—— なんて一人でうんうんと納得していると、上からクスッと笑う音が聞こえた。「どう見たって現実逃避した事考えてる顔してる子を放して、逃す程バカじゃないからね。諦めて?」 現実逃避って、当然だろう。夢の延長かドッキリか。もう二択でしょと、息を吐く。「懐かしいなぁ、前もそんな顔してたもん」「……前?」(何の事だろう?) 不思議に思い、カイルの方へ顔を向け、下から彼を覗き見る。目が合った瞬間、カイルは嬉しそうに笑って「可愛い!」を連呼し始めた。髪に頬擦りし、温かな掌が私の頰を撫でた。「あぁ!ずっと夢見てた姿が見られて本当に嬉しいよ!何度頼んでも拒否されたからね、結局見られなかったからね。——あ、もしかしてこうなるってわかっていてあの時は焦らしてた?うわぁ、だとしたら焦らし上手だな、ホント。そんな事しなくても、僕には君だけなのに!」と早口で捲し立て、彼は頬まで染めている。(だから、何の事だ一体!) 本当に全然訳がわからない。碌な説明もしてくれないし、埒のあかないカイルの発言に段々疲れてきた。 甘い声をあげて喜ばれても少ししか嬉しくない。意味がわかるならきっと嬉しいであろう『可愛い』の言葉も、価値が薄れる。 ひたすらに、ただひたすらにあちこちを温かい手で撫でられる。腕、肩、背中と撫でる手が正直心地いいのはきっと、いやらしさが微塵の混じっていないからだ。プロの方にマッサージされている感じに近い。 これはきっと抵抗しても無駄だと思い、黙って身を任せる事にする。きっといつか飽きるだろう。 でもこれ…… いったい、いつまで続くんだろう?       ◇「……どこから話そうかなぁ」 散々長時間私を撫でて満足したのか、カイルは少し遠くに視線を向け、私の身体をあやすようにゆっくりと揺らし始めた。子供を宥める時の様な動きが不思議と心地いい。『もしかすると、こうやって彼の腕の中に居るのは当たり前の事なのかも』と勘違いしかねない程、しっくりくる。「“イレイラ”。君の名前は僕がつけたんだ。ここに始めて来た時にね」(名付けた?何を言う、私の名付けは両親だ。始めて来たって、今がそうだ。ホント意味がわからない) そう突っ込もうとして止めた。やっと状況を説明してく
last updateLast Updated : 2025-11-16
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【第6話】黒い瞳の子猫・①《回想》(カイル・談)
 ——九年前の同日。 僕はさっきまで居た部屋と同じ部屋の中で、大理石の床に白いチョークで魔法陣を描いていた。今日みたいなワクワク感は微塵もない。退屈で退屈で、日々の鬱憤をぶつけるかの様に書き殴っていた為、何度もチョークが折れる。舌打ちし、新しいチョークを腰に付けた道具入れのポーチから取り出すと、再び魔法陣を黙々と書きはじめた。 魔法陣の書き方は完璧に覚えている。もちろん、呪文も。 入手の難しい召喚用魔法具も、必要数である七つ全てを、既存品で世界中から集めるのは持ち主との交渉や遺跡の発掘などをせねばならずかなり大変そうだったので、何年も掛かったが材料から揃えて自分で作ってみた。貴重な材料ばかりではあったが、手に入らない程の物じゃ無い。作り方自体は“神子”である僕達の手にかかれば難しいって程ではないので、無駄に何個も何個も、手持ちの材料が無くなるまで作った。時間だけは無限にあるから、いい暇潰しになった。 こんな面倒くさい方法にしているのはきっと、古代魔法を創り出した神々が暇潰しも兼ねて生んだ魔法だったからなんじゃないかと、魔法陣を書きながらふと思った。無限に続く生に辛さを感じるのは、きっと僕達“神子”だけではないはずだ。それはきっと、父達も……。 強く望めば死ねるだけ、創造の神々の一人でもある父よりはまだマシかもしれないが、それを選ぶのは流石に怖い。この箱庭世界の中で繰り返し生まれ変わる『輪廻の輪』から外れた存在である自分達“神子”の魂は、死ねば消えて完全に無くなる事を本能的に知っていたからだ。「こんなもんかな」 ぽつりと呟き、立ち上がる。作業部屋から持って来た七つの魔法具を魔法陣の上に並べると、それらは淡い光を放ち、その綺麗な情景に少しだけ心が動いた。 久しぶりの感覚にほっとする。(……まだ自分の心は、死んでいない) それがちょっと嬉しかった。「僕が居ないと困る存在がいいな」 要望を口にし、異世界から他者を召喚出来るというちょっと胡散臭い魔法を発動させる魔法陣へ、魔力を注ぐ。「……んで、うるさく無い奴」 言葉にしたからってそれが叶う仕様では無かった筈だが、言うだけなら別にいいだろう。 魔力を魔法陣に注ぎながら、父神達の言葉で作られた呪文を口にする。純なる人間では発音も、上手に聴き取る事も困難なその音は、いつ聴いても自分から発せられた音だと
last updateLast Updated : 2025-11-17
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【第7話】黒い瞳の子猫・②《回想》(カイル・談)
「……ニャァ」「——⁈」 か細く、酷く弱った声が聞こえた気がした。視線をモヤのまだ濃い方に慌てて向けるが、やっぱりそこに何かが居る様子は無い。誰も、居ないと思う。召喚魔法は失敗した……はず、だ。——だが、確認は大事だな、うん。 一度頷き、眉をひそめながらゆっくりとモヤの中へと進む。徐々にそれらは晴れていき、魔法陣が消え去った後の床が姿を現し始めた。 再び、「ニャァァ……」とも「ミャァ…… 」とも取れる小さな掠れ声が聞こえ、慌ててそちらに顔を向けると、やっと声の主を目視出来た。「……猫だ」 そこには、真っ黒な姿をした、痩せ細っていて発育不良としか思えないくらい小さな子猫が震えながら横たわっていた。意識はあるのか、こちらに何かを訴えるように瞳を力無く向けてくる。 潤んだような黒い瞳と目が合い、過剰に小さな身体が、庇護欲を無条件に刺激する。 ギュッと心臓を鷲掴みにされるような衝撃を受けた瞬間、僕はその場に駆け寄り、床に膝をついた。そして子猫を片手でそっと抱き上げて、腰に付けていたポーチから出したハンカチでその子を包む。「可愛いな、お前は」 自分の顔が無表情を保っていられない。存在も忘れそうだった表情筋が勝手に動く。同時に、失いかけていた感情が一気に命を吹き返し、再び芽吹くのを感じる。「名前はあるのか?言葉が通じる様に術式は組んでいたけど、そもそもお前……言葉なんて覚えてそうにないよなぁ」 話し掛けても返ってくる音には意味がない。きっとこの子は産まれたばかりで、言葉をまだ理解していないのだろう。そもそも異世界の生き物が言葉を操っているのかもわからなかったが、僕はそう結論付けた。「……ニャァ」とだけ鳴く声が、何となく、『死にたく無いから助けてくれ』と訴えている気がする。「大丈夫、安心していい、死なせたりはしないからな。——っても、わからないか」 片方の手の中に収まってしまうくらい小さな身体に右手をかざし、回復魔法を流し込む。簡単な魔法なら呪文など無くとも容易く使える。召喚魔法を使ったばかりではあったが、これくらいは全く支障は無かった。 プルプルと震えていた身体が、徐々に温かさを増して、震えが止まった。途端、緊張の糸が切れたのか、はたまた安心したのか。ゆるゆると子猫が瞼を閉じる。僕の指に二、三度頬擦りしたと思ったら、子猫は手の中でスヤスヤと眠り
last updateLast Updated : 2025-11-18
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【第8話】黒い瞳の子猫③《回想》(カイル・談)
 あれからセナはすぐに子猫の部屋を用意するべく準備を始めてくれた。 何が召喚されるか不明ではあったが、召喚者に今後の生活を送ってもらう為に用意していた部屋は人間仕様にしていた。楽なのでそうであって欲しい気持ちが少なからずあったのと、僕の部屋の側にすぐにでも用意出来るのがそれだけだったからというのもある。体格の違いすぎる者や水中生物とかだったら、それはそれで改めて考えるしかないと割り切り、準備させていた。 初対面の召喚者が僕に敵対しない保証は無かったが、それでも僕は近くに部屋を用意させたかった。一緒に居て僕を癒してくれる存在が欲しくって召喚魔法を使ったのだから、当然だろう。 “神子”である僕に、執事の様にして仕えてくれる神官のセナや身の回りの世話の一切を担ってくれている使用人達も、『僕の側に居てくれる存在』ではあるが、僕が今欲しかったのはそういった者じゃ無かった。彼等は皆優しいし仕事も丁寧だが、僕とは主従関係がどうしても存在する。どんなに僕が気軽に接して欲しくても、土台無理な話だ。 お互いの、時間の流れの差が関係を深める事への難しさにも影響していた。 使用人達は三十年程度でどんどん面子が入れ替わっていくので、その度に寂しさが僕の心を抉っていくのだ。神官職に就いてくれる者だけは前世の記憶持ちなので、神官とだけは少しだけ接しやすいのが救いだが。 新たな“神子”が生まれ、神官として仕える様にと“神子”の親神に選ばれた者達は、それ以降高確率で『前世持ち』となって、前世の記憶を持ったまま生まれてくる。神官であった事を覚えている者は自己申告で主人の神殿まで来訪し、『前世持ち』だと認められれば再び神官に。記憶はあれども今世では嫌だと思えば、逃げても構わなかった。だからか、今の僕の側に居てくれている神官は“セナ”ただ一人だ。 他の者達はきっと、今回は珍しく記憶が無いか、今頃は前世の記憶が眠ったままになっている幼少期にあたっているのか、もしくは記憶を持ったまま今の人生を謳歌しているのだろう。 神官として復帰してくれても、また別の機会にと思っていても、僕はどちらでも構わない。でもいつか、会わなかった人生ではどんな経験をしてきたのかを話してくれる為に、また僕の神官になってくれたらちょっと嬉しいなとは思っている。       ◇ ——熟睡する子猫を手の上で寝かせたままソフ
last updateLast Updated : 2025-11-19
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【第9話】黒い瞳の子猫④《回想》(イレイラ・談)
 ——あぁ、自分はこのまま消えるんだな。 自分の体なのに上手く動かせないし、私と同じ姿をした奴らは私を押しのけて、美味しそうな液体を私には分けてはくれない。母さんが大きくて温かい舌で私を舐めてくれるのは気持ちよかったが、段々と頭が痛くなってきた。『痛い痛い痛い……』 そう思うけど体が動かない。 周りが歪んで見える。 音も聞こえない。 もうダメだ、きっとここで終わるんだ。 やっと目を開けられる様になったばかりなのに、ヒドイなって思う。(死にたく、無いなぁ……) もう目を開けるのもツライ。 白いモヤがうっすらと目に入って、これで私は終わりなんだって事を知った気がした。       ◇ 真っ白い空間の中で温かいものに包まれた気がする。その途端、色々な事柄が私の中へと流れ込んできた。それらが体に吸い込まれると全てが明瞭になり、これが『知識』ってものなのだと何故か簡単に理解できた。 自分が『黒猫』である事。 死にそうで、かなりの重症である事。 今まで居た場所から引き離され、違う世界へ引っ張られて来たという事…… 色々な事柄を『羊の様な何かが教えてくれている』感はあったが、それが正確には何なのかはわからなかった。状況がわかっても、痛みは消えない。このままでは本当に死んでしまう。どうにかしないといけない。必死に考えても、考えた程度で覆せる様な状況ではないことまでわかってしまう。(誰か、助けて欲しい) 訴え掛ける気持ちで瞼を開けると、自分の体と同じくらい黒い色の髪をした人と目が合った。頭には羊みたいな角があって、とても大きい体をしたその人は、私を冷たい床から抱き上げるとハンカチで体を包んでくれた。 温かな体温にホッとする。生まれて初めて、私だけの居場所を得られたみたいな安心感に心まで包まれたみたいだ。「可愛いな、お前」 初めて『可愛い』って言われた、嬉しい。 こんなにガリガリの姿なのに。(そうか、私は可愛いのか) 否定の感情を持つよりも先に、彼の言葉がするりと心の中に入ってきて、私の中で自信が生まれる。「名前はあるのか?言葉が通じる様に術式は組んでいたけど、そもそもお前言葉なんて覚えてそうにないよなぁ」(わかる、わかるよ) でも声が出ない。弱っているからというよりは、そもそもこの体には彼と同じ系統の言葉を発する能力は備わっていな
last updateLast Updated : 2025-11-20
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