ログイン絵里は一晩中、裕也に執拗に求められていたせいで、目覚めた瞬間から腰がだるくて痛い。歩くだけで、体の奥がズン……と響くほど疼いた。この男、どれだけ体力あるのよ。そう思うくせに、昨夜の甘い熱がふっと蘇ると、絵里は唇をきゅっと結んで笑ってしまう。頬には、じわりと紅が差した。クローゼットで着替えを済ませ、ドアへ向かって階下に降りようとしたところで、背後から裕也に抱きすくめられる。「最近ずっと忙しいよな。また出かけんの?」耳たぶのすぐ近くで囁かれた声。熱い息が首筋をくすぐり、じりと肌を灼いた。ぞわぞわ、くすぐったい。絵里は「ふふっ」と堪えきれず笑い、肩をすくめて顔をそむける。「もうすぐ誕生日でしょ。そのタイミングで、私たちの結婚のことも公表するの。じいちゃんには私からちゃんと話す。それに、おじさんたちにも一人ずつ連絡しないとね」背中を裕也の胸に預ける。もうすぐ公になるそう思うだけで、胸の奥がふわりと浮き立った。「……だから忙しくて、俺のことは構ってくれないってわけだ」裕也は耳元に頬をすり寄せてくる。ねっとりと甘く、狙いが露骨で腹立たしいほど。絵里はまた笑って、わざと意地悪く言った。「そんなふうにくっついてたら、誰かに見られたら笑われるよ?」腰を抱く腕がぎゅっと強まる。絵里の髪から漂う淡い香りを吸い込みながら、裕也は気だるげに言った。「男が自分の嫁にべったりしないなら、外に女がいるってことだろ」「じゃあ裕也は、外に女いないってこと?」絵里が眉を上げると、裕也は鼻で笑った。「俺は『夫の鑑』だからな。そんな不届きな真似はしないさ」「うわ、うちの裕也すごーいね……」「だろ?じゃあ、ご褒美くれよ」裕也は絵里の首筋に唇を落とし、すりすりと甘く擦ってくる。くすぐったさと熱で、絵里の喉から「きゃっ」と笑い声が漏れた。熱い息がさらに近くなる。呼吸が重くなったのが、背中越しにはっきりわかる。まずい。昨夜みたいにまた……絵里は慌てて裕也の手をどけた。「ダーメ、今日の分は終わり」二歩、警戒するように下がりながらドアノブに手をかけ、ガチャリと開けて外へ飛び出す。と、廊下に出たところで引き返し、ひょいっと顔だけ覗かせた。「調子乗ってたら、足腰立たなくなるよ?」「へえ。じゃあ試してみろよ
賢治の言葉で、絵里は鼻の奥がつんとし、目元がじわりと潤む。彼女は賢治を見つめ、まっすぐな瞳で言い切った。「私、和也との婚約期間中、その誓いに背くようなことは一度もしていないです。和也がこの縁談を軽んじるのなら、仕方ありません。我が水原家が藤原家とのご縁を望んでいる今、裕也も私も独身だし、結婚に問題はありませんわ」裕也は伏し目がちに彼女を見下ろした。漆黒の瞳に浮かぶのは、甘やかな慈しみ。だが次の瞬間、彼が一同へ視線を走らせると、その温度は消えた。「絵里に求婚したのは俺だ。両家のお爺さんも了承している。まだ文句があるのか」鋭く、強く、容赦のない声。そこまで言われて、誰が口を挟めるというのか。「なんだ、誤解だったのか。そうなると、和也のほうが不義理だな」「裕也は落ち着いてるし、絵里ともお似合いだ。いいじゃないか」「みんな賛成だ。裕也、いつ公表する?盛大に式を挙げよう」「そうそう。藤原家も久々に賑やかになる。派手にやらなきゃな」好き勝手に言葉が飛び交う。雪枝と和也がどれだけ腹の中で煮えくり返っていても、表には出せない。「三日後、俺の誕生日パーティーに婚約を公表する。その場で、絵里との結婚を皆さんに見届けてもらいたい」と裕也は落ち着き払って告げた。賢治が頷く。「日取りは吉日を慎重に選べ。格式高い式にするんだ。藤原家が絵里を迎えられた幸運を、誰の目にも明らかなようにな」その言葉は、絵里に十分すぎるほどの面子と安心感を与えた。洋二がすぐさま応じる。「分かった、すぐに日取りを選ばせる。必ず盛大に」「ありがとう」「ありがとう」絵里と裕也の声が、ほとんど同時に重なった。絵里は顔を上げ、裕也に微笑む。守られている温かさが、胸いっぱいに広がっていた。さっきまでの嘲るような顔は消え、祝福の言葉が口々に寄せられた。雪枝は顔色が悪くなり、今にもその場に崩れ落ちそうだった。和也の動揺は、それ以上だった。血の気の引いた顔。糸の切れた人形のように、身体から力が抜けている。裕也の隣で、明るく艶やかに笑う絵里を見た瞬間、胸の奥が刃物でえぐられたように痛んだ。天が落ちたみたいだった。終わった。全部、終わった。その夜、絵里はたくさんの贈り物を受け取った。冷たかった雪枝のことなど、もはや気
だが、絵里が口を開くより早く、裕也は冷えた声で嗤った。「お前の女?入籍の日に血のつながらない妹のために、絵里との約束をすっぽかさしたのは誰?バカなのか……それとも脳みそが入ってないのか」和也は後ろめたさに喉を詰まらせ、言葉を失った。雪枝が焦ったように声を張る。「だとしても、二人が付き合ってたのは事実でしょう?それなのに、よくそんな真似ができるわね。外に漏れたら、藤原家の顔が立たないじゃない!」絵里は今日の場が、すんなり収まるはずがないと察していた。「もう正式に婚約解消しただろう。俺は堂々と絵里と結婚した。それのどこが問題だ?」裕也の気配はひやりと刺さる。刃のような視線が一人ひとりを薙いだ。「まだ何か言うやつ、いるか?」藤原家の傍系は、みな藤原グループに食わせてもらっている。その藤原グループを握るのが裕也だ。この数年、G市の首位を揺るがせなかったのも彼の手腕。稼がせてもらっている以上、逆らえるはずがない。「婚約解消してるなら、確かに問題はないな」「そうそう。和也、お前だって前に寧々と変な噂を立てられただろ。あのときメディアが載せなかったのは幸いだった。載せたら藤原家が本当に恥をかくからだ」一気に同調の声が広がる。雪枝は、手のひら返しの顔ぶれに歯噛みした。ふと何かに思い至り、洋二を睨み据える。「……あなた、最初から知ってたの?」和也も青ざめた顔で洋二を見る。「父さん、本当なのか?」二人の詰め寄り方は、まるで自分たちだけが理不尽な目に遭ったと言わんばかりだ。賢治は黙って座ったままだったが、次の瞬間――ドンッ!杖を床に強く打ちつけ、怒気を孕んだ声を落とした。「裕也と絵里が結婚する。それのどこが悪い」「爺さん……」和也は言葉が継げない。そもそも発端は、自分の落ち度だった。入籍の日に寧々を優先しなければ、今日など来なかった。だが雪枝は引かなかった。「お義父さん、絵里は元々和也の恋人で、婚約者だったのよ?それが今度は裕也と結婚だなんて、筋が通らないじゃない!どうしてそんなことに賛成できるんですか!」「雪枝!」洋二が冷えた顔で一喝する。しかし雪枝は怒りに任せて食い下がった。「事実でしょう!こんなの、和也が可哀想よ!お義父さんも洋二も、裕也が優秀なの
ざわっ――と、場内がどよめいた。「……あれって、絵里じゃない?」「う、うん。水原絵里だ」「じゃあ……裕也が結婚した相手って、絵里なのか!?」嘘でしょ。一気に騒然となり、ホール中にひそひそ声が広がっていく。賢治だけは顔を引き締めたまま、微動だにしない。雪枝は入口に並ぶ裕也と絵里を見て、みるみる血の気を失った。一方、絵里は周囲の反応を眺めても、驚いた様子すらない。「怖いか?」裕也が低い声で聞き、首をひねて彼女を見る。絵里は顔を向け、深く探るようなその眼差しを受け止めて、くすりと笑って首を振った。「全然~」怖いなら、最初から結婚なんて受け入れていない。あえて「隠して」入籍したのは、正式に和也との婚約を清算するため。そして、和也と寧々の、兄妹という名に隠した歪な距離を、皆の目の前に突きつけるためだ。自分は何も間違っていない。なら、何を恐れる必要があるの?裕也は薄い唇を満足げに吊り上げ、低く、力強く言った。「安心しろ。俺に任せておけ」「うん」絵里はきっぱりとうなずく。裕也を信じている。無数の視線を浴びながら、絵里はそっと裕也の腕に自分の腕を絡めた。胸を張り、一歩、また一歩。堂々と人だかりの中心へ歩み出る。興奮した誰かが堪えきれずに叫んだ。「裕也、まさか……絵里と結婚したって言うんじゃないだろうな!?」「いや、絵里なわけないよね?」「裕也、早く言って……!」雪枝はようやく声を取り戻し、震えを押し殺すように言った。「きっと何かの誤解よ。みんな落ち着いて。裕也が説明してくれるわ」だが、その鋭い視線は絵里へと突き刺さる。刃のような、露骨な威嚇。「絵里。まさか、あなたが裕也と結婚した、なんてことないわよね?こんなに人がいるのよ。変な誤解を招く真似はやめなさい」言い捨てるように続ける。「それにあなた、元々は和也の『婚約者』だった身でしょう?」「お義母さん」絵里は微笑んだ。澄んだ瞳のまま、ぶれない声で。「私と和也は、もうとっくに婚約を解消しています。今さら何の関係もありません」少しだけ間を置き、言い切る。「それに、そもそもあのときはただの婚約でした。肩書きが付いていただけで、私と彼は恋人らしいことを何一つもしていませんでしたもの」今
寝室の外で、聞き慣れた着信音が唐突に鳴り響いた。続いて、裕也が扉を開けて入ってくる。しわひとつないスーツ。すらりと伸びた体躯。あの顔は、いつ見ても胸が高鳴るほどだ。「おかえり」絵里は小走りで迎えに出た。酒の匂いはしない。代わりに鼻先をかすめたのは、ほのかなレディース香水。どこかで嗅いだことがある気もする。「こんな時間まで起きて……俺を待ってたのか?」裕也は身をかがめ、彼女の紅い唇にちゅ、と軽く口づける。近づいた途端、香りは濃くなり、ますます覚えがあるのに、どこで嗅いだのか、思い出せない。「……浮気したの?」絵里が眉を寄せると、裕也は心外だと言わんばかりの顔をした。「わざと探りを入れてきたな?勘だけで浮気認定か」絵里は表情を冷やしたまま、言い切る。「しらばっくれないで。わかるの。女の香水の匂いがはっきりと残っているわ」裕也の瞳は一切揺れない。むしろ感心したように、ふっと目を細めた。「よく気づいたな。夜の付き合いで、確かに女が寄ってきた。だが受けてない。指一本、近づけてないから」絵里の視線が数秒、裕也の顔を探る。この人は、くだらない嘘をつかない。そう確信すると、彼女は思わず笑い出す。「別に責めてないわよ。付き合いで疲れたでしょ。早くお風呂入って休んで」裕也は少し微笑んだ。「いい子だな。絵里は、よく見てる」「大げさね」絵里は背中を押すように促した。裕也は頷き、ふと思い出したように声を柔らげる。「そうだ。明後日、本邸に戻って食事がある。ついでに……俺たちのことをきちんと話そう」絵里は驚かない。公にする場の前に、藤原家の人間と正式に顔を合わせるべきだ。問題はない。絵里は素直に答えた。「うん、わかった」裕也は穏やかな目をして、彼女の額にそっとキスを落とす。それから踵を返して、バスルームへ入っていった。扉が閉まった、その瞬間。さっきまでの温和さは、裕也の瞳から消えた。深い闇。鋭利な冷たさ。獲物を見据える目。……二日後。絵里は裕也と並んで、藤原家の本邸へ向かった。広いホールには、すでに藤原家の人間が揃っている。分家筋の叔父たちまで呼びつけられ、席は妙な熱気に包まれている。裕也が結婚した相手が、いったい誰なのか。誰もが、そ
絵里はおとなしく、こくりとうなずいた。小さな声で、「……うん」と言った。奈央は、まるで別人みたいに素直になった彼女を見て、胸の奥がきゅっと酸っぱくなる。中へ入ると、奈央は絵里の手を引いてリビングのソファに座らせ、あれこれと気遣った。「お腹すいてない?もうすぐご飯よ。この数年、つらい思いばっかりだったでしょ……ごめんね、ちゃんと守ってあげられなかった……それに、SNS、あれどういうこと?和也とは別れたんじゃなかったの?なのに結婚って……」「……」矢継ぎ早の質問に、絵里はどれから答えればいいのか分からなくなる。そこへ執事が数人の使用人を連れて、紙袋を抱えたまま入ってきた。手には贈り物が山ほどある。文紀は険しい顔で言った。「来るだけでいいのに、なんでこんなに買ってくるんだ。次からはなしだぞ」そう言ってソファに腰を下ろすと、すぐ奈央に視線を投げる。何か聞き出せたかって聞くように。奈央は肩をすくめ、首を横に振った。絵里にも分かった。二人には、聞きたいことがある。文紀も奈央も、根は明るくて面倒見のいい人だ。けれど、和也と付き合っていたあの数年間。絵里はSNSに投稿するたび、親族のグループだけを選んで非公開にしていた。自分がどれほど我慢しているか、どれほど和也に傷つけられているか。身内に見られたくなかったのだ。「……確かに結婚したの」絵里は先に白状することにして、二人へ微笑みかけた。文紀と奈央は息をのむ。互いに顔を見合わせ、その表情は複雑に揺れた。呆れと、心配と、悲しさ。文紀はため息をつく。「……そうか。まあ、結婚したならしたでいい。お前、和也のこと好きだったしな……」奈央も口元をこわばらせながら言った。「そうよ、絵里。幸せなら、私たちは応援する。でも、あの子があなたを泣かせたら……その時は文紀に、きっちり痛い目を見せてもらうわね」温かさが胸にしみて、絵里は慌てて誤解を解いた。「和也じゃないの。裕也よ」「うん、裕也……」文紀は途中で言葉を止めた。信じられないものを見る目で、絵里を見つめる。「……今、誰だって?」奈央は完全に固まり、声も出ない。絵里は事情をかいつまんで説明し、最後に視線を落として申し訳なさそうに言った。「事前にお話しできなくて……私の配慮が







