LOGIN結婚7年目の記念日、夫・司に5年間隠していた息子の存在を打ち明けようとした結衣。しかし、夫は帰らず、待っていたのは息子の急病の知らせだった。病院で彼女が目にしたのは、弟の婚約者と密会し、その妊娠を喜ぶ夫の姿。「お前を愛するつもりはない」と言われながらも、かつて自分を救ってくれた彼を信じ、尽くしてきた7年間は、残酷な裏切りによって終わりを告げた。「私、離婚する。もうあの人のところに戻らない」固く決意した結衣は、夫を欺きながら離婚の準備を始める。感情を殺し、完璧な妻を演じる彼女の姿に、司はこれまで感じたことない焦燥感と執着を拗らせていくーー。
View More今日は結婚7年目の記念日。
結衣は今日こそ夫である司に5年間ずっと内緒にしていた『あのこと』を打ち明けようと決めていた。 一日せわしなく動いている彼女だが、疲れは思ったよりも体に感じてはいなかった。 キッチンに立ち、司の好む豪華なディナーをせっせと作る。 時折鏡の前に向かい、結衣は自分自身の姿を品定めするように何度も確認していた。 今日のために用意した司好みのワインレッドのカクテルドレス。普段の結衣なら自分では選ばないようなものだ。 髪も朝早くから美容院に行って、綺麗にセットしてもらっている。 鏡の中の女性は、小ぶりな整った顔立ちに清楚感のある丁寧な薄化粧を施している。 うっすらと浮かんでいる目元の隈から疲労感が伝わるものの、いつもよりはマシなものだった。 しかし、今まで経験した苦労から得られた滲み出る色気と、気品の高さが今の結衣には漂っていた。 「……司さん、喜んでくれるかな」 ポツリと零された言葉には、大きな不安と少しの期待が詰まっていた。 結衣は、最後の仕上げに香水を手首に吹き付ける。 本当は、むせかえるようなバラの匂いの香水は苦手だった。けれど、数少ない帰宅を果たす際、司からはいつもこの香りが漂っていた。 苦手なこの香りを纏う自分は司の物だという実感が湧くものだった。 冷徹な夫でも、記念日くらいは早く自分のために帰ってきてくれるはずだと、結衣は少しだけ期待していた。 オーブンから完成を告げる音が響く。 オーブンから取り出し、出来上がった料理を、今日のために用意したテーブルクロスを引いた机に並べていく。 どれも結衣の自信作だ。 後は、あのことを打ち明ければ……。 司に見せるため用意した封筒を眺め、結衣は少しだけ緊張した表情を浮かべた。 封筒の中から1枚の写真を取り出す。 そこには満面の笑みを浮かべ、元気にポーズを決める男の子が写っていた。 顔立ちが司とそっくりで、目元が結衣に似ている可愛らしい男の子。 私との間に5歳の子供がいることは、司はまだ知らない。 「お前を愛するつもりはない」 7年前の結婚式の日、司から放たれた言葉。 結衣は酷くショックを受けたものの、頭の片隅では今も鮮明に覚えていた。 彼女の親はとても裕福な家庭だった。 しかし、父親の事業が失敗し、多額な借金を作ってしまう。 借金取りの男に「娘を売ってくれれば、借金をチャラにしてやる」と言われ、彼女は信じていた両親に売られたのだ。 「私たちを助けるためだと思って許してくれ……!」 両親に言われた言葉は今でも信じられない物だった。 連れて行かれそうになり、思わず逃げ出した結衣。 後ろから追いかけてくる足音と怒声。 必死に助けを求めても、周りの人は誰一人として助けようとはしてくれなかった。 借金取りの男たちに追い詰められ、絶望の淵にたっていた。 ――あの時、彼女の前に現れ、救ってくれたのは司だった。 真っ黒な高級車から降りて、結衣の前に立ち、冷たい表情で司は手を差し出す。 「このまま彼奴らの言いなりになるか、俺に付いてくるか、選べ」 吐き捨てるような言い方ではあったが、その時の冷淡な瞳に映っていたのは、結衣の姿だけだった。 絶望の中でもっと闇の深くに墜ちるところだった彼女を、彼のその言葉と差し伸べられた手に救われた。 颯爽と目の前に現れ、救ってくれた司に恋をした。 だからこそ、結衣は司から離れることが出来ずにいる。 別に彼に深く愛されなくてもいい。自分が彼を深く愛せれば。 せめて普通の夫婦のようにいられれば、それだけで結衣は十分だった。 過去の思い出に耽っている間に、どんどん料理が冷めていた。 結衣の期待する気持ちも、料理のように冷え切ってきている。 どれだけ待っても司は現れなかった。 記念日だからと期待していた分、心には激しい虚しさが広がっていく。 分かりきっていたはずなのに、なぜ今日に限って期待してしまったのだろうと、気恥ずかしくなり、彼女は冷め切ったディナーを片付け始めた。 ――でも、子供のことも……。 机に置いていた写真を手に取り、愛おしそうに見つめ、結衣の唇から小さく苦笑がこぼれ落ちた。 司に対しての期待はどうしても消えきれないようだ。 やっぱりまだ……。 すると、スマホにけたたましく着信を知らせる音が鳴り響いた。 司からかもしれない。 そう思い、心を軽く弾ませながら通話に出る。 『もしもし、総合病院の緊急外来です。水原奏太くんの保護者の方でしょうか?』 緊急外来からの電話に、彼女は嫌な予感が脳裏を過った。 『奏太くんが先ほど、激しい呼吸困難で意識を失い、救急車で搬送されました。現在集中治療室で――』 その先の言葉は、結衣の耳にはもう届いてなかった。 スマホの向こうから降ってきた絶望に、彼女の顔から血の気がみるみるうちに引いていく。 結衣は手元にあった封筒を咄嗟に掴み、バックに押し込むと、すぐさま駆け出した。香織はどうにかして、結衣から司の心を取り戻すために、彼女のような「献身的な妻」を演じることを決めた。「お姉様には敵わないのは分かってます……。でも、一生懸命頑張ります! だから、私にチャンスを下さい、司さん……」 健気に自分に縋ってくる香織の姿を思わず、あの頃の結衣と重ねてしまい、司は「好きにすればいい」と答えた。 彼の言葉に、香織は内心結衣に対する嫉妬心でいっぱいだった。 以前の彼はこんな風に冷たくなかった。もっと愛おしい瞳で私を見つめ、妊娠したときには嬉しそうにお腹を撫でてくれていた。 それが今は自分と居ても上の空。どんなに話しかけても適当な返事しかしてくれなくなっている。 理由は分かっていた。司の妻である結衣のせいだ。 司はまだ自分の感情に気付いてはいないようだが、自覚されては困る。そうなってしまったら、今度こそ私の居場所がなくなってしまう。 だが、香織にはお腹の子という最大の切り札がある。正直子供は好きじゃない。しかし、神谷家の跡取りを孕んでいる自分は大事な存在に変わりは無いはずだ。 ――子供がいないお姉様より私の方が上よ! 香織は奥歯を噛みしめながら、やりたくない家事をこなす。 家事をする香織を見ながら、司は小さくため息をつく。 結衣と比べたら雑な掃除、下手な料理。香織が何をしても、すべて結衣と比べてしまっていた。 だが、健気に頑張る香織があの頃の結衣のようで、なぜか邪険に扱うことが出来なかった。「司さん、少しお腹が張ってきたので少し休みますね……。本当にすみません……」「いや、お腹の子が大事だからな。……あの時は心にも無いことを言ってしまって悪かったな、愛してるよ、香織」 司は香織に虚偽の愛を囁き、そっと抱きしめる。 香織は嬉しそうに司にもたれ掛かるが、心の中で悪態をついた。 ――気持ちがこもってないこと、気付かないとでも思っているのね……。 それでも、司の意識を自分に向け
あれから結衣達は律の別荘で穏やかに過ごしていた。 こんな穏やかな気持ちで過ごしたのは、いつ以来だろうか? 結衣はそんなことを思っていた。 遊んでいる奏太を微笑みながら見つめる結衣に、冴が急にニヤニヤとしながらこう話しかける。 「ねぇ、結衣。律さんの結衣を見る目が完全に恋する男だと思うんだけど!」 冴にそんなことを言われ、結衣は慌てる。 「な、何言ってるの! 律さんは私と利害一致してるから協力してくれてるだけよ!」 結衣は少し顔を赤らめながら必死に否定するが、そんな彼女の姿に冴はますますニヤニヤと笑うだけだった。 助けを求めるように、結衣は薫を見るも、彼も笑うだけで助けてはくれなかった。 「もう、二人して揶揄わないで!」 「何の話ですか?」 律が急に現れ、結衣はますます慌てる。 そんな結衣を知ってか知らずか、冴が律に尋ねる。 「ねぇ、律さんって結衣のことどう思ってるの?」 突拍子もない質問に、律は目を丸める。 しかしすぐに爽やかな笑みを浮かべる。 「……とても素敵な人だと思ってますよ」 律は結衣を真っ直ぐ見つめながらそう言う。そんな彼に結衣はとても照れてしまった。 律はいつも真っ直ぐ結衣を褒めてくれる。そんな彼に結衣は毎回ドギマギしてしまう。 ずっと尽くしていた司には、労るような言葉も、日本画修復師としての功績を褒めてくれることさえ無かった。 こんなに自分のことを認めてくれる存在が親友達以外でいるとは、思いもしなかった。 司が私を認めてくれないのは、自分の力不足だと思っていた。 だが、そうじゃなかったのだと改めて実感させられる。 「そろそろ朝食を食べましょうか」 律の言葉に、結衣達はテーブルへと着き、みんなで食事を楽しんだ。 その後、奏太を子供部屋に向かわせ、大人だけで今後の話を始める。 「しばらくは何かしらの行動を起こすのは危険です」 律が静かにそう告げる。まだまだ証拠が不十分であること、神谷家がもみ消しを始めていることなどが説明された。 「でも、これだけの証拠を一気にもみ消すことが出来るのか?」 薫が疑問をぶつける。 「神谷家には容易いことです。もっと確実にことを進めるためには慎重になるしかない」 律の言葉に薫が悔しそうに唇を噛む。 「ですが
司の言葉に香織はワナワナと震え出す。 ――あの女さえ居なければ……! そしたら私は今頃……! 司からの寵愛を受けていた香織には、こんな扱いをされることがとても耐えられなく、そして納得できなかった。 香織は司からの言葉が信じられなくて、放心してしまう。 ――ずっと愛していると伝えてくれていたのに……! あの言葉は全部嘘だったの? 香織は悔しさで涙をこぼす。ハラハラと涙をこぼす彼女を、司は冷え切った瞳で睨み付けた。 通話越しにそんなやり取りを聞いていた律は、ほくそ笑みながら司に話しかけた。「さよなら、兄さん。良い夜を」 それだけ告げると、律は通話を切る。そして大きく笑った。やっとあの鉄仮面を崩してやったと歓喜した。 司は放心している香織に「早く出て行け」と告げ、力が抜けている彼女を外へと追い出した。 ドアの外では香織がか細い声で司に縋るように「待って、司さん、開けて……」と声を上げている。 ――くそ、なんで俺がこんな目に遭わなければならないんだ! 司はギリギリと奥歯を噛みしめ、部下に電話をかける。「おい、頼んでおいた件は分かったのか」 苛立ちを滲ませた声色に部下は怯えながら、言葉を発した。「は、はい……。あの子供は神谷様と結衣さんのお子さんのようです」 その言葉に司は目を見開く。 ――なんだと、俺の子? 俺の子だと……! その時司は、前に無理矢理結衣を抱いたことを思い出す。あの時出来ていたのが写真の子供の正体だったとは……。 跡取りを孕んだのは、香織だけだと思い、大事にしていたがもうその必要はない。 元々跡取りを産んだ後に捨てる予定だった女だ。すでに跡取りがいる以上、もう香織に用はなかった。 ますます結衣を取り戻す理由が出来た。なんとしてでも、跡取りである子供と天才日本画修復の結衣をこの手に入れなければ……。 司は焦りに身を焦がす
不安そうに律を見つめる結衣。そんな結衣が安心するように、律は微笑みながら「問題ないですよ」と告げる。 司からの脅しに不安を感じていた結衣だったが、彼の言葉に少し安堵する。 なぜだか律の笑顔を見ていると、結衣は心の底が安心感に包まれる感覚があった。 なぜそんな感覚を感じるのかは、結衣には分からなかったが、彼といると本当の自分でいられるような気がしたのだ。 なんだか離れたくない様な気持ちになりながら、結衣は律に何か話そうと頭をひねる。 しかし、何も言葉が浮かばなくて、結衣はただただ無言で下を向くことしか出来なかった。 そんな結衣を見て、律は微笑みながら彼女にこう告げた。「そろそろ結衣さんを奏太君に返してあげなくちゃね。お母さんを取られて拗ねているかもしれない」 律はクスクスと笑いながら、結衣にそう言い、部屋へと送る。 部屋に戻る間も会話はほとんど無く、結衣は困ってしまう。 あっという間に部屋に着いてしまい、結衣は慌てたように律に声をかけた。「あの! 律さん、本当にありがとうございます」「……お礼を言われることなんて何もしてませんよ。それではおやすみなさい」 律が去って行く後ろ姿を見ながら、結衣は彼が言いかけた言葉のことを思い出す。 律は一体何を言うつもりだったのだろうか? しかし、そのうち話してくれるだろう。そう思い、結衣は奏太の元へ戻った。「奏太、お待たせ」「ママ、僕、もう眠いよぉ……」 眠そうな奏太に微笑みながら、結衣は奏太をパジャマに着替えさせ、一緒のベッドに入り込む。 隣で眠そうにしがみついてくる奏太がとても愛おしく感じながら、結衣は「早く寝ようね」と声をかける。 眠るのがおしいのか、奏太はイヤイヤと首を振る。そんな奏太がとても可愛らしかった。 奏太のお腹をトントンと一定のリズムで叩きながら、寝かしつけ、結衣は奏太の寝顔を見つめた。 ――今後