LOGIN群れから価値を否定されたリュシエナは、敵国で初めて一人の人間として扱われる。だが、彼女を苦しめてきた「無能」という評価には、群れと月神殿が隠した秘密があった。冷酷な黒狼王との関係、妹との対立、偽りの番を巡る陰謀を通し、リュシエナは誰かに選ばれるためではなく、自らの意志で立つルナへ変わっていく。
View More獣魂
月なし
運命の番
契りの番
ルナ
銀首輪《月環》
銀嶺狼群《ルーメル》
黒曜狼国《ヴァルグラッド》
二十歳/身長165センチ。
銀嶺狼群のルナ候補として育てられた女性。淡い灰金色の長髪と、霧がかった月灰色の瞳を持つ。十八歳を過ぎても狼へ変身できず、群れでは「月なし」「飾りのルナ」と蔑まれている。
大人しく従順に見えるが、本来は観察力が鋭く、理不尽を正確に記憶している。薬草、備蓄管理、古い群れの記録に詳しい。誰かを見捨てることができない一方、自分が傷つくことにはひどく無頓着。
感情を荒らげるより、静かな言葉で相手の矛盾を突くタイプ。長年の冷遇から謝る癖が染みついている。
二十八歳/身長192センチ。
黒曜狼国を統べる黒狼王。夜色の髪、暗い金色の瞳、左の眉から頬へ伸びる薄い傷を持つ。狼の姿は通常のアルファを遥かに上回る巨躯の黒狼。
敵対者には一切の容赦を見せず、全群れから「月を喰らう王」と恐れられている。声を荒らげることはほとんどなく、短い命令だけで周囲を従わせる。
情ではなく責任を基準に動く現実主義者。所有欲は強いが、相手の同意を奪う行為を嫌悪する。リュシエナを弱者として庇うのではなく、本人が選択できる立場へ戻そうとする。
二十四歳。銀嶺狼群の新アルファで、リュシエナの元婚約者。誇り高い銀狼。強さと血統こそが統治者の価値だと信じている。
十八歳。リュシエナの異母妹。淡い金桃色の髪を持つ華やかな少女。希少な白狼へ変身でき、幼い頃から姉と比較されてきた。
四十八歳。姉妹の父親で群れの財務長。家門の立場を守ることを最優先し、娘にも利益を求める。
四十二歳。リュシエナの継母でミレシアの実母。穏やかな口調を崩さず、家庭内の序列を巧みに支配している。
三十一歳。黒曜狼国のベータ。寡黙で実務能力が高い。ヴァルゼインへ絶対の忠誠を誓う一方、敵国出身のリュシエナを当初は警戒する。
二十六歳。黒曜城の治療師。薬学と獣魂治療に長ける。身分に関係なく患者を叱り飛ばす女性。
二十五歳。黒曜狼国の国境部隊長。赤褐色の髪を短く切った女戦士。憐れみだけで保護される者を嫌う。
十九歳。フェルディス家に仕える侍女。群れの中で数少ない、リュシエナを名前で呼ぶ人物。
黒森の旧祭壇でヴァルゼインと別れた翌夜、レグナードは王都から北西へ二日ほど離れた古い狩猟館にいた。グレイヴァルが生きていた頃には王族の冬狩りに使われていた建物だが、反乱後に王家の所有記録から外され、今では街道図にも載っていない。暖炉には火が入っているものの、長年使われていなかった石壁には湿った冷気が染みつき、窓の外では細かな雪が森を白く埋めていた。レグナードは卓上へ広げた黒曜王国の地図を眺めながら、旧祭壇で見た銀狼の女の言葉を思い返していた。《私は連れてこられたのではありません。自分で来ました》あの一言だけが、妙に耳へ残っている。王の運命の番として守られ、黒曜城へ囲われている女だと思っていたが、実際のリュシエナは想像より扱いにくかった。ヴァルゼインの後ろへ隠れず、前へ出て庇わせることもせず、同じ位置へ立った。番拒みの薬まで飲み、それでも一緒に旧祭壇へ来たという話が嘘でなければ、月神殿から教えられてきた《銀狼と黒狼》の形とも少し違っている。扉が三度叩かれた。「入れ」現れたのは、白い祭服の上へ旅用の外套を羽織った男だった。年齢は四十を少し越えたほどで、月神殿の高位神官に共通する銀糸の帯を腰へ巻いている。名はセルディオ。月祠長オルディスの側近であり、レグナードが少年だった頃から何度も月神殿の意思を伝えてきた男でもあった。「レグナード殿下」その呼び方に、レグナードは片眉を上げた。「まだ殿下か。お前たちの話では、俺はいずれ王になるはずだっただろう」「王位を取り戻されるまでは、殿下でございます」「便利な言葉だな」セルディオは皮肉へ反応せず、卓上へ細長い箱を置いた。封は月神殿の白蝋で閉じられている。レグナードはすぐには触れず、椅子へ深く腰掛けたまま相手を見た。幼い頃から、こうだった。父グレイヴァルは正統な黒狼王になるはずだった。ガルディオンに奪われた。反乱ではなく、王位を取り戻す戦いだった。父を殺した王家は簒奪者であり、その血を継ぐヴァルゼインから王冠を奪い返すことこそ、息子であるレグナードの使命だ。物心がついた頃から。何度も。何度も。そう教えられた。母と逃げた村から村へ移り、名前を変えるたび、レグナードは自分が何者なのか分からなくなった。それでも夜になれば、母は首から外した幼児用の銀首輪を見せ、「これはあなたが王家の子だった証よ」と言った。
月祠長オルディス・メルカーンが黒曜王都へ入ったという報告を受け、ヴァルゼインとリュシエナは予定より早く城へ戻ることになった。先ほどまで市場の甘い焼き菓子や、子どもから渡された雪の狼について笑っていた空気は消え、少し先では護衛が周囲を警戒しながら道を開いている。それでも二人の歩幅だけは急ぎすぎず、城下から王宮へ続く坂道を並んで上っていた。オルディスが何のために来たのか、銀狼の封印についてどこまで認めるつもりなのか、考え始めれば聞きたいことはいくらでもある。それなのにリュシエナの胸には、先ほど川辺で過ごした静かな時間の余韻がまだ残っていた。ヴァルゼインも、すぐには政務の話をしなかった。王都へ入った月神殿一行については先行した伝令とセイグが情報を集めており、城へ戻るまでにできることは少ない。普段ならその短い時間すら使って警備配置や面会順を考え始めそうな男が、今日は何度か口を開きかけては閉じていた。共鳴を通して黒狼の気配が僅かに揺れるのを感じても、リュシエナはそこから答えを読み取ろうとはしなかった。七日間、獣魂に頼らず相手を見ることを覚えたからこそ、今もヴァルゼイン自身が言葉にするまで待ちたいと思えた。王宮の外壁が見え始めた頃、ヴァルゼインが不意に足を緩めた。「リュシエナ」「はい」呼ばれて横を見ると、暗い金色の瞳がまっすぐこちらへ向けられていた。戦況を確認する時とも、監査の判断を求める時とも違う視線だった。何かを決めさせるような圧力はない。それでも、これから尋ねられることが軽い話ではないのだと分かり、リュシエナも自然に歩みを少し緩めた。「俺をどう思っている」あまりにも直接的だった。リュシエナは言葉を失った。「……急ですね」「そうだな」「何か理由があるのですか」「ある」ヴァルゼインはそこで一度前を向いた。雪を踏む靴音が二人分、一定の間隔で続く。少し離れた護衛たちは会話が聞こえない距離を保っており、城門までの道には他の通行人もいなかった。「昨日、お前が俺とまた城下へ来たいと言った」「言いました」「今日も、会えば嬉しいと思った」リュシエナが目を瞬く。「それは……共鳴で分かったのですか」「違う」即答だった。「顔を見た」胸の奥が少し熱くなる。「俺も、同じだった」ヴァルゼインは淡々と続ける。「それで、自分が何を望んでいるのかを考えた」
ヴァルゼインに休日がないことへ気づいたのは、リュシエナが王宮の冬季薬糧配給記録と、王付き厨房の食材使用記録を照合していた時だった。本来なら、王の食事そのものを監査する必要はない。けれど冬至祭の暗殺未遂以降、王へ出される食材と薬については、異常な増減がないかだけ定期的に確認することになっていた。その途中、厨房側の帳簿へ残された食事の受領時刻が不自然に偏っていることへ気づいた。朝食が昼近くまで手つかずの日、昼食と夕食をまとめて取った日、夜半に冷えた食事だけを運ばせた日が、あまりにも多い。「これ、いつからですか」リュシエナが帳簿を持ったまま尋ねると、厨房を預かる老女は困ったように眉を下げた。「陛下が即位されてから、ずっとあんなものですよ。食べることを忘れる、寝ることを忘れる、休むよう申し上げれば仕事が残っていると仰る。先代の頃から仕えておりますが、あれほど扱いにくい王様も珍しいです」即位してから。十八歳で王位を継いだ。ヴァルゼインは現在二十八歳だから、十年。リュシエナは帳簿を閉じた。その日の午後、王の執務予定表まで確認して、さらに眉間へ皺を寄せることになった。評議会、軍務報告、司法裁可、各領からの請願、外交書簡、夜間の警備確認。その間に訓練と食事を無理に挟み、深夜にも翌日の資料へ目を通す。休息として記載された日はあるものの、その欄には決まって別の仕事が書き足されていた。完全に政務から離れた日は、少なくとも過去一年間には一日もない。リュシエナは予定表を抱えて、そのまま王の執務室へ向かった。「休んでください」開口一番そう言われ、ヴァルゼインは書類から顔を上げた。「何だ」「休んでください」「聞こえている」「では休んでください」ヴァルゼインは一度、目の前の書類へ視線を落とした。「必要ない」「必要です」「監査官の権限外だ」予想していた答えだった。リュシエナは持ってきた帳簿を机へ置いた。「では、薬糧監査官として申し上げます」ヴァルゼインの眉が僅かに動く。「睡眠不足と不規則な食事による判断能力低下は、王宮全体の運営上の危険です。陛下が判断を誤れば、薬糧配給にも影響します」「無理がある」「ありません」「ある」「ネルーヴァ様にも確認しました」そこで初めて、ヴァルゼインが完全に筆を止めた。扉の近くで資料を整理していたセイグが、
共鳴が戻った翌朝、リュシエナは目を覚ますより先に、遠くにいる黒狼の気配を感じ取った。西棟のさらに奥、王の私室ではなく執務区画の方角に、低く安定した熱がある。七日間、それがなくても一日を過ごせることを知ったはずなのに、戻った気配を見つけただけで胸の奥の銀狼が嬉しそうに身を起こした。リュシエナ自身も、少しだけ口元が緩むのを止めなかった。以前なら、この反応が自分のものなのか獣魂のものなのかを考えるだけで不安になった。けれど番拒みの薬が効いていた七日間、銀狼が静かでもヴァルゼインのことを考え、会えば嬉しくなり、彼の言葉を聞きたいと思った。その事実はもう消えない。共鳴が戻った今、二つの気持ちが同じ方向を向いているからといって、それを疑い続ける必要はないのだと少しずつ分かり始めていた。午前の仕事を終えた頃、王付きの侍従が短い書面を持ってきた。内容は面会の申し入れで、場所はネルーヴァの治療室に隣接する小応接室と指定されている。文末には《身体と獣魂に関する話をしたい。ネルーヴァにも同席を頼んだ》とあり、リュシエナは何を話すつもりなのかおおよその見当がついた。指定された時刻に応接室へ入ると、ヴァルゼインはすでに窓側の椅子へ座っていた。ネルーヴァは卓上へ三冊の古い記録を並べ、いつものように面倒そうな顔をしている。共鳴が戻ったせいで、部屋へ入った瞬間に黒狼が銀狼へ意識を向けたことまで分かったが、ヴァルゼイン本人は立ち上がらず、リュシエナが自分で席を選ぶのを待った。「話とは何でしょう」向かいへ座って尋ねると、ヴァルゼインは遠回しにせず答えた。「番契を結ぶつもりはあるか」リュシエナはすぐには答えなかった。黒狼がその言葉へ強く反応し、胸の奥の銀狼も一瞬で身を乗り出したのが分かる。互いの獣魂だけなら、答えは最初から決まっているのだろう。近づきたい、結びたい、相手を自分の番として確かな形へしたいという欲求が、共鳴を通して鮮明に伝わってくる。それでもヴァルゼインは、何も促さなかった。「これは求婚ですか」「違う」「王命でも?」「違う」「番だから当然に結ぶものだと?」「それも違う」そこでリュシエナはようやく息を吐いた。聞かれているのは承諾だけではない。拒否も、保留も含めて、自分で答えを出すための確認なのだと分かった。「結んだら、何が変わりますか」ヴァルゼインの視線がネル