ログイン「......あんた、まさか......私と――」白露の声は震えた。息も荒い。竜也は表情を崩さない。首をわずかに傾け、底に欲を隠したような、ねっとりとした視線で彼女を見る。白露は悟る。――今夜、何かを差し出さなきゃ、この薬は手に入らない。だが、構わない。男とベッドに入るくらい、慣れている。この医者は若いし、顔立ちもモデルに引けを取らない。損じゃない。「わかった。男なんて、結局ほしいのはそれでしょ......」白露の頬に赤みがさす。指がひとつ、またひとつとドレスのボタンを外す。布が滑り落ちる。深いワインレッドのレースだけが肌に残った。「これで、いいでしょ。じゃあ――」「白露さん。何をしてるんです?」竜也は鼻で笑った。目は冷たい。「頭の中、男とすることしか入ってないんですか。いつ、私が『そうしたい』って言いました?」雷に打たれたみたいに、白露の全身が強ばる。羞恥で顔が赤くなる。真っ赤を通り越して、どす黒い赤。「......からかったの?」「勘違いですよ」竜也は肩をすくめるだけ。白露は怒りに震え、床のドレスへ手を伸ばす。その背に、低い声が落ちた。「欲しいなら――跪いて、頼みなさい。『ください』って、私に」白露は服を着ることも忘れ、唇を震わせる。「......今、なんて?」「どの言葉が聞き取りにくかったんです?繰り返す必要はないでしょう」竜也は指で床を示す。「これは唯一のチャンスですよ。あなたは、母親が禁断症状で苦しむのを黙って見ていられます?」竜也は薄く笑って、刃をひねる。「宮沢夫人、長くはもたないでしょうね」......同じ頃。桜子はパックを顔に貼ったまま、書斎で椅子に腰掛けていた。パソコンの画面には、病院内部の映像。二人のやり取りが、すべて映っている。白露が入室するなり、あっという間に服を脱ぎ始めたとき――桜子のパックは取れかけた。さらに竜也が『ひと手間』加えた瞬間、パックは完全にひび割れる。眉間にしわ。目の底に影が落ちる。そして、次の瞬間――胸のすく光景。白露は上半身をさらしたまま、震える膝を折った。床に両手をつき、竜也の前に跪く。誇り高き宮沢家の三女――白露お嬢様が、だ。もち
白露はスポーツカーの中で、長いこと深呼吸を繰り返した。心を決めるまで、時間がかかった。――誰も連れて来ない。この件は秘密だ。知る人間が増えれば、危険も増える。そっとドアを押す。開いた。病院はがらんとしている。まるで、彼女だけを待っているみたいに。その時、携帯が震えた。表示は――竜也の番号。さっき登録したばかりだ。「もしもし」白露は平静を装い、周囲を警戒しながら出た。「白露さん。二階のオフィスで待っています。来てください」それだけ言うと、通話は切れた。余計な言葉は一つもない。白露は歯を食いしばる。階段を上がり、ドアの前に立つ。押し開けた。白衣の竜也が、ソファに腰をかけて微笑んでいた。その顔を見た瞬間、白露の瞳孔が僅かにすぼむ。――どうりで、秦がのめり込むわけだ。細面で、整っていて、物腰も柔らかい。見た目だけなら、悪くない。「早かったですね。もう少しお待たせするかと思っていました」竜也は落ち着いた笑みのまま言う。「無駄話はやめよう、先生」白露は息を整え、冷たく切り出す。「私が何を取りに来たか、わかっているよね」「宮沢夫人は、お変わりありませんか?」竜也は答えず、勝手に笑みを深めた。「しばらくお会いしていないので、寂しくて。正直、恋しいくらいです」「黙りなさい!」白露の目がかっと赤くなる。「私の母は盛京でも一、二を争う名家の女主人。あなたごときが、口にしていい人じゃない!」竜也は肩をすくめる。「私は最初から、何も狙っていませんよ。始めからずっと――積極的だったのは、宮沢夫人のほうです」「やめて!それ以上、言わないで!」白露は大きく後ずさる。胸の底から吐き気が込み上げた。「物を。早く」「白露さんは名家のお嬢さんです。甘やかされて育ったとしても、頼みごとには礼儀が要ります。少しくらい、言葉を選んでは?」竜也は笑うとも笑わぬともつかない顔で言った。白露は歯の根を噛み合わせ、声を硬くする。「先生。母と『親しい仲』だったのなら――母が求めている物を、すぐに出してください。せめて、その縁に免じて」竜也は何も言わない。ゆっくりと、医療用のステンレスケースを取り出し、軽く振ってみせた。「薬剤は、ここにすべてあります」白
この感じだと、秦はまだ終わらせるわけにはいかない。今ここで潰れたら、宮沢家での自分の足場が消える。将来の駒を誰が用意してくれるっていうの。一方そのころ。竜也は病院の自室で荷物をまとめていた。しばらく盛京を離れるつもりで、準備はほぼ終わっていた。その時、机の上の携帯が鳴る。画面の名を見て、竜也はぱっと顔を明るくした。すぐに出る。「桜子様」「竜也先生、まだ盛京にいますか?」「います。まだ空港には向かっていません。ご用件を......」桜子は一拍置き、低く告げた。「今夜は行かないでください。便は私が取り直します」「何かあったんですね?」竜也の目に心配が宿る。「もし指示があるなら、私は残ります」本音を言えば、彼も去りたくなかった。厄介ごとは怖くない。ただ、彼女の力になれないことが怖い。「もうすぐ白露が、あなたの病院に着きます。突然あなたを訪ねるのは、秦の件に決まってます」今、桜子は盛京の別荘で、隼人の衣服を整えていた。仕草は小さな良妻。けれど、口から出る声は鋭い。「秦は光景に禁足されました。許可なしでは潮見の邸から出られないんです。この数日、注射は打てないはずです。いまごろ、相当きついでしょうね」竜也は日付を頭の中で弾く。「確かにそうです。予定では一昨日に来るはずでした。すでに二日遅れました。禁断症状、出ているでしょう」「だから白露は薬を取りに来ました」桜子は小さく鼻歌を口ずさみ、隼人のバスローブをクローゼットへ滑らせる。「来たら――渡してください。全部、秦に、好きなだけ打たせて」「なぜです?」竜也は首を傾げる。「苦しめるなら、断てばいいんです。毎日痛みの中で転がせばいいんです。なのに、なぜ渡すのですか?」「私は大仏じゃないんですよ。禁断から助けてやる義理はないんです」桜子は柔らかな布を指でなで、目尻に淡い光を落とす。唇だけが冷たく笑った。「堕ちたいなら、最後まで付き合ってあげます。それに――ああいう物は、使えば使うほど『効く』のでしょう?」竜也は、はっと息を呑む。そうだ。ここで断てば、結果的に更生を手伝うことになる。異変に気づいた宮沢家が厳重に囲い、秘密裏に国外へ送るかもしれない。そうなれば、今まで敷いた布石は無に帰す
深夜。白露は弁当箱を提げ、扉をとんとんと叩いた。「一日中、何も食べてない。そんなの、体がもたないよ。お母さんの好きなもの、入れてきた。開けて。ねえ、お母さん」......返事がない。部屋の中は、しんと静まり返っている。白露は不安になり、ドアノブを回した。鍵は――かかっていなかった。胸の奥で、怒りがはじける。宮沢家の使用人たち。風向き次第で態度を変える、あの計算高い目つき。光景が秦と離婚するって噂は、もう屋敷中に広まっている。権勢が落ちた母を、露骨にぞんざいに扱い始めたのだ。「食事をお持ちしましたが、お開けにならないので――」嘘。鍵なんて最初からかかってない。どうせ、食事を持ってきて放っていったんだ。白露はそろりと中へ。闇が濃い。冷気が肌を刺す。思わず身をすくめた。その時――寝室の方から、うめき声が聞こえた。胸がざわつく。白露は走った。扉を開けた瞬間、手の弁当箱が床に落ちる。声が喉で詰まった。秦が、火であぶられた芋虫みたいにもがいていた。髪は乱れ、顔は闇の中で真っ白。骨だけになったみたいに、ぞっとする白さ。「つらい......つらいの......つらくて、死にそう!」秦は歯を鳴らし、全身を震わせる。白露の背筋が凍り、背中が扉に貼りつく。「お母さん......ど、どうしたの?」実の母なのに。今は、幽霊に遭ったみたいに怖い。「白露......お母さん、もうだめ......死んじゃう......」秦はベッドから転げ落ち、犬みたいに這って白露の足元へ。スカートの裾を必死に掴む。「もう誰も助けてくれない......あなたしか、いないの......助けて」「ど、どうやって?」白露の声が震える。「黒滝医師のところへ行って。薬を持ってきて。自分で、注射するから」薬の名が出た瞬間、濁った瞳にぎらりと光が戻る。充血した目が大きく見開かれた。「その薬さえあれば......全部、良くなる。なかったら......生き地獄よ。生きてるほうが、つらい」「お母さん!それ、ほとんど中毒者だよ!もう打っちゃだめ!章って医者、お母さんを壊してるだけ!」白露は泣きそうに叫ぶ。どれだけ鈍くても、母の言う『薬』が何かくらい、わかっている。この姿を誰かに見られたら――
「光景にできると思うか?無理だ。あの人は骨の髄まで自分本位。母を愛したことなんて一度もない。愛してるのは自分だけ。......俺だって桜子の許しに値しない。あいつなら、なおさらだ」優希は小さくため息をつく。胸の奥が重い。その時、携帯が鳴った。重たい空気が少しだけ切れる。「状況は?」優希がスピーカーにして急いで尋ねる。「優希様、ちょっと厄介です!」高原の尾行を任せている部下の声は、焦りで荒れていた。「宮沢社長の読みどおりでした。高原にはT国で手引きする現地組織がいます!あいつらは悪名高い武装勢力で、T国の役人や財界ともツルんでます。麻薬、武器の密輸、殺人、強盗......やらない悪事がない。長年で根が張りすぎて、政府も王室も手を出せない状態です!」隼人と優希は目を合わせた。顔が同時に険しくなる。厄介だとは思っていた。だが、ここまでとは。「今、あの畜生はどこに潜ってる?まさか見失ってねぇだろうな!」優希が歯ぎしりする。「南島の近海まで追いました。高原がクルーザーに乗り込むのを確認。こちらは二隊で挟み撃ちにして、交戦に。......ですが、すぐに南島から増援が出てきました。全員が場慣れした動きで、射撃が正確。重火器も所持。こちらは大きな被害が出ました。二人は重傷のまま......助けられませんでした」優希の目が大きく見開く。拳が白くなるほど握り締められる。長年育ててきた手練だ。部下である前に、人だ。命が落ちた――平然でいられるわけがない。「高原は、南島に上がったんだな?」隼人の声は低く、冷たい。刃のように。「確実です。いったん戻った後、夜に再接近しました。双眼鏡で確認しました。高原の船は南島の岸に係留です。周囲は人の住める島はありません。やつはそこにいます」「......わかった。ここまでよくやってくれた」隼人の声音は柔らかい。どこか申し訳なさも滲む。「戻ったら、優希の名で礼をする。ここからは俺が行く」「な、何をおっしゃるんです!あいつらは人を殺すのが日常です!俺たちだって修羅場をくぐってきましたが、歯が立たないんです。あなたが行くなんて――」「普通のヤクザじゃない。傭兵上がりが多い。高原と同じ穴のむじなだ。......お前たちでは分が悪い」「隼人、お前も無茶はする
優希は口をぽかんと開けたまま、しばらく閉じられなかった。「おい隼人。お前さ、自覚ある?ちょっとマゾ気質っていうか、完全に『尻に敷かれる夫』の素質あるぞ。このままだと、そのうちカード全部、桜子に預けることになる。外で遊ぶ時は、毎回俺が払う流れか?」「......今までも、払ってたのはお前じゃなかったか?」隼人は平然と返す。「......」事実、反論できない。隼人は極端にインドアだ。仕事、筋トレ、ボクシング。娯楽はほぼゼロ。子どもの頃からだいたい、優希がドライバーとボディガードを引き連れて宮沢家まで迎えに行き、無理やり外へ連れ出してきた。自分から遊びに行こうと言うことは、ほとんどなかった。だが、それでいい。優希は苦じゃない。父を早くに亡くしたが、家族の愛情は十分にもらってきた。対して隼人は――何でも持っているようで、何も持っていない顔をする。だからせめて、短い時間でも楽しくさせたい。陰の中に閉じ込めたくない。「優希。俺、桜子に管理されるの、わりと好きなんだ」隼人は目を細める。薄い唇に、柔らかな笑みが乗る。「つまり、桜子は俺を気にしてくれてる。心に俺がいる。いっそ手錠で二十四時間つないでくれてもいい。毎日くっついていられるから。桜子のためなら、自由を差し出してもいい」「待て待て。やめろ。言い方が完全にやべぇ。鳥肌立つわ」優希は腕をさすり、ぶるぶる震える。「お前は縛られるのが嫌いだろ。天性の反骨。だからわからないんだ」隼人はふっと笑い、からかうように続ける。「お前が初露を選んだのは正解だ。あの子は優しくて、気が弱い。お前を縛れないし、縛ろうともしない。他の女だったら、とっくにお前を持て余してる」「チッ......でもさ、俺のこと好きになる女は雑草並みに生えるんだわ。一年で十回は刈れる」優希がむくれる。「――誇らしいのか?」隼人の黒い瞳が、冷たく横目で射る。優希は息を呑み、即座に伏せ目。「いえ......誇らしくないです。お兄様、すみません」「忠告しとく。初露に不誠実なことをしたら、一ミリでも傷つけたら――俺も、桜子も、容赦しない」優希はすぐに三本指を立てる。「誓う。俺は一生、初露を大事にする。女は彼女だけ。愛するのも彼女だけ。破ったら、落雷で死