LOGINクラスの他のみんなが、ヒーローの良樹に駆け寄っていく。
「ほら、志保! アタシたちも行くよ!」 美咲に促され もちろん自分もその輪に加わりたくて志保は一歩踏み出した。だが一瞬その足が止まる。 (渡辺さん……) みんなからもみくちゃにされている良樹に、自分よりも早く、もうすでに駆け寄っている渡辺の姿があった。「川島くん、すごかったね! カッコよかった!」
「……おう。ありがとな」 「ホントにスポーツ万能なんだね! すごいなぁ」渡辺にそう褒められた良樹は、思わず口元を緩めてニヤけてしまう。
そんな彼の元に、少し遅れて志保と美咲がやってきた。「……よしくん、おめでとう」
そう言って祝福する志保だが、その声には少し元気がない。だが、良樹はそんな些細なことには気づきもしなかった。
「サンキュー! 志保も見てたのか。どうだった?」
「うん。カッコよかったよ。やっぱり、よしくんはスゴイね」 「そっか、はは、なんか照れるな」 「あ、私、自分のバレーの試合があるから、もう行かなくちゃ」 「お、そうか、頑張れよ。オマエも優勝できるといいな」 「うん、ありがとう」志保と美咲が体育館へ向かうと、渡辺が話かけてきた。
打席に再び立った良樹はマウンド上の市原を睨みつけ「よっしゃ! 来い!」と叫んだ。 球種もコースも関係ない。来た球を迷わず打ち抜くだけだ。 バットの芯に当たればホームランだって可能、良樹はそう自信を持っていた。 市原の投じた4球目はこの試合で1番速かった。 だがそれを良樹は上手くバットで捉えた。衝撃が両手から全身へと伝わる。 そのままバットを思い切り力強く振り抜いた。文字通りのフルスイングだ。 快音を残した打球は、高く高くレフト側の宙に舞い上がった。まるで真っ青な空を切り裂くように。 一斉に観客たちの歓声が湧き上がる。 打球はそのままグングンと伸びて、体育館の屋根を越えていった。ホームランだ。 「よっしゃあ!!!!」 良樹は固く握りしめた右拳を高々と空に突き上げた。その瞬間、観客たちがドッと沸いた。 「やったぁ! よしくん、すごーい!」 「川島ぁ! カッコイイよ!」 志保と江藤は、手を取り合いながらキャアキャア喜んだ。 良樹はダイヤモンドをゆっくりと一周する。観客の声援と拍手が気持ち良い。こんな高揚感は生まれて初めてかもしれない。 (いや、これメチャクチャ気持ち良いな) 飛び上がって喜んでいる志保の姿が見えた。 いつもと違って、今日はなんでそんなに喜んでいるかよくわかる。 マウンドをチラッと見ると、市原はポカーンと呆気に取られたまま体育館の方を見つめていた。打球をあそこまで飛ばされたことに相当驚いているようだ。 ホームベースを踏んだ次の瞬間、クラスメートからの手荒い祝福が良樹を襲う。 「やったじゃん、さすが川島!! スゲーよ!!」 「やったな川島!! やったやった!!」 「川島くん!! すごいよ!! おめでとー!!」 誰も彼もが良樹の背中から頭からバシバシ叩く。 だが、その痛みは全然イヤじゃなかった。みんなが心から喜んでいることが、心から祝
「よしくーん! 頑張ってー!」 背中越しに志保の声援が聞こえた。 「川島ぁ! ここで打たなかったらブッとばすからね!」 美咲の応援? も聞こえる。マウンドには市原が立っていた。 「絶対打たせないから!」 市原が大きな声でそう言った。相当気合が入ってるようだ。 (アイツ、目がマジモードじゃんかよ) 良樹は負けじと大声で言い返して、自分に気合を入れた。 「いや、絶対打つから! 宇宙の果てまで飛ばしてやるぜ!」 良樹たちの中学校は、春と秋に球技大会をする。 男子の競技はソフトボール・サッカー・バレー・バスケットで、女子の方はサッカーが軟式テニスに替わる。これを学年ごと、つまり3日間にわたってやるという一大イベントだ。 ちなみに部活でやってる競技には出られない。 「なんか男子のソフトボールが面白いことになってるみたいだぞ」 生徒たちが続々とグラウンドに集まってくる。その試合は、良樹と市原が直接対決している決勝戦だ。 試合は2転3転する接戦で、1点差で市原のA組リードのまま最終回の裏になった。 ツーアウトでランナーは2塁。ここでヒットが出れば最低でも同点、もしホームランなら逆転サヨナラ勝ちという場面で良樹に打席が回ってきた。 (これはもう、サヨナラ勝ちを決めてヒーローになれって言ってるようなもんだよな) 彼は打つ気マンマン、ヒーローになる気マンマンで打席へと向かう。 良樹のスポーツ万能っぷりを知らない者はクラスにいない。当然期待度マックスの声援が良樹の背中越しに聞こえる。 その中でも志保の声は、ハッキリと彼の耳に届いていた。 (アイツの声って不思議と聞こえるんだよな。なんでだろ) だが今日は、珍しく志保以外の女の子の声援も聞こえる。これが黄色
良樹たちの中学校には給食がない。そして屋上がいつも開放されているので、彼ら4人はだいたい毎日一緒に屋上でお弁当を食べている。 「そういえば川島さ、最近渡辺さんと仲良いんだって?」市原が、ふいにそう話しかけた。「いや、何の話だよ」「知らないの? 川島が浮気してるって、最近噂の的だよ?」 良樹は、はぁ、と大きくため息をついた。 その手の話は、小学生の時に志保と一緒に通学するようになり、やがて一緒の家で暮らしているとバレてからは格好の標的にされた。 もう今更いちいち反応するのも疲れる。 「俺は志保以外の女の子と話すだけで、なんでいちいち浮気とか言われんのかね」「まあまあ。で? 渡辺さんと仲が良いって、ホントなの?」「席が隣りなら、誰だってなんか話すだろ。別に普通じゃねーの?」「普通なのかなぁ? 結構楽しそうに話してるって聞くけど」 市原は、黙って良樹を見つめていた。 その瞳には、いつものような、からかうような光は全くなかった。 「で? 川島は渡辺さんのこと、どう思ってんの?」 あまりにもまっすぐな質問に、志保は思わず息を呑んだ。 自分が一番聞きたいこと。でも、絶対に聞けないこと。それを市原が、いとも簡単に口にしてしまった。 良樹は、まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、少しだけ面食らった顔をした後で、頭をガシガシと掻きながら答えた。 「どうって……別にどうもこうもねえよ。アイツ、見た目と違って話すと面白いし……色々噂はあるみたいだけどさ、悪いヤツじゃないと思うんだよ、俺はさ」 ―― 悪いヤツじゃない。 その言葉が、志保の胸に重くのしかかる。 良樹は否定、してくれなかった。ただのクラスメイトだと、笑い飛ばしてはくれなかった。 「ふーん……」 市原は良樹の答えを聞いて、何かを納得したように短くそう呟くと、それ以上は何も言わなかった。 「何よ市原。川島が渡辺さんと話してるのが、そんなに気になるわけ?」 美咲がそう問いかける。 「別にそんなんじゃないけどさ……ただ、ちょっと気になっただけだよ」 そう言って笑う市原の横顔は、いつものようなカラッとした笑顔ではなく、ほんの少しだけ寂しそうに見えた。 2人きりの帰り道、先に口を開いたのは良樹だった。 「昼間市原が言って
夕食を終え、居間で『8時だョ!全員集合』を見ながら皆がそれぞれくつろいでいると、薫子がなにやら持って居間に入ってきた。「母さん、何それ」「これね、昔の写真なんだけど、押し入れの中を整理していたら出てきたのよ。あんまり懐かしいもんだから、みんなにも見せようと思って」 それは色褪せている3枚の写真だった。3枚すべてに志保の知らない犬が写っている。 その犬と良樹が戯れているモノ、志保のいない川島家の全員とのモノ、そして子供たちと犬が遊んでいるモノ。「うわっ! 懐かしいな! タローじゃん、これ!」 良樹が思わず歓喜の声をあげる。「この犬は?」「これはね、タローっていって、ウチの隣りに住んでいたご家族の飼い犬なの。良樹がまだ小学校に入る前の頃の写真ね」 それは志保が川島家に来る何年も前に撮られたものだという。「あー、ホントだ! タローだ!」「タローかぁ、久しぶりに見たなぁ。すっかり忘れてたわ」 川島家の誰もが、このタローという名の犬の思い出を楽しそうに語る。「俺が帰ってくると、もうずっと前から気づいてるらしくて大騒ぎでなぁ」「なんか犬って、そういうのわかるらしいよ」「瑞樹は怖がってたじゃねーか」「だって、あの頃ってまだ幼稚園にも行ってない頃だもん。今なら大丈夫だけど、タローってグイグイくるから」「あれはタローの愛情表現なんだろうけど、まああの頃の瑞樹にゃわからんよな」「たしか、俺が小学校へ入る年に引っ越しちゃったんだよな」「そうね。異動で引っ越してしまったのよね。私もタローを可愛がってたから、寂しかったわ」「母さん、散歩に連れてったりしてたもんな」「人懐っこくて可愛いコだったよなぁ……」「誰かタローに噛まれたことなかったっけ?」「あ、それ、俺だわ」「あのタローに噛まれるって、いったい何をしたのよ」 楽しそうな笑い声。 みんなが昔話に花を咲かせて盛り上がっている。 志保も笑顔で頷いていた。 だが彼女は「そうなんだ」とか「へぇ」などと相槌を打つことしかできない。「志保ちゃんは、犬、好き?」 不意に薫子が、輪に入れていない志保に気づいたのか、優しくそう問いかけた。「あ、はい。好き、です」「そう。よかったわ。もしまたこの辺りに引っ越してくることがあったら、志保ちゃんもタローに会わせてあげたたいわねぇ」
「よお、川島! 槇原さん! おはよう!」 通学路の途中で、後ろから爽やかで明るい声が聞こえた。良樹の親友、市原慎司だ。 「何の話してたの? なんか成績がどうとか聞こえたけど」「ああ、それが聞いてくれよ市原。志保のヤツがさぁ、高校も一緒のとこに行こうとか言うんだぜ? 無茶だと思わねえ?」「だって、高校も一緒だったら楽しいじゃない」 市原は、少し困ったように笑って志保を見た。 「……槇原さん、それは、さすがにレベルが高すぎるんじゃないかな、川島に勉強させるのは、ゴリラに水泳をさせるようなもんだよ?」「なんだ、そりゃ」「でも、まだ2年生の1学期だし、今から真剣に勉強すれば絶対間に合うと思うの。よしくん、頭は悪くないんだから」 志保の真剣さに市原は苦笑いを浮かべる。「志保ぉ、おはよう。みんなも、おはよう」 そのタイミングで救いの神のように現れたのは、志保の親友、江藤美咲だった。「おっす」「おはよー」「おはよう、美咲ちゃん」「なんか朝から盛り上がってるみたいだけど、何の話してるの?」「いやね、槇原さんが川島に、同じ高校に行こうって言ったらしくてさ」「あー」「オマエ、あーってなんだよ。朝から失礼なヤツだな」「だって川島と志保じゃ、成績が違い過ぎてさぁ……」「うるせえなぁ。んなことオマエに言われなくたって、わかってるっつーの」「だから、大丈夫だよ。よしくんは、絶対やればできるよ」「ムリ、ムリ。ムリだって、志保。川島に勉強させるなんて、あきらめた方がいいよ、絶対」 志保は唇を噛んだ。 どうして誰も「良樹は頑張ればできる」って言ってくれないんだろう。 (よしくんは、絶対やればできるのに……) 本音を言えば、志保は良樹に何か言ってほしかった。「俺、頑張るから」と、そのたった一言でいいのに。 けれど彼は、困ったような顔で彼女の願いを拒否し続けるだけ。 その態度が、市原たちのどんな言葉よりも、冷たく志保の胸に突き刺さる。 ――私のこの願いは、よしくんにも、誰にも届かないのかなぁ……。 4人は市原慎司だけが別のクラスだ。 志保の席は窓際の一番前。良樹の席は真ん中の列の後ろの方で、志保の席からは少しばかり遠い。 自分の席にバッグを置きながら、志保は何気なく良樹の方に視線を送った。 (
「志保ちゃんがテストの点数が悪いなんて珍しいな。良樹ならともかく」「父さん、うるさいし!」「だいたい志保ねえの悪い点数が、良にいの最高点数だもんね~」「うっせぇよ」 みんなのやり取りを笑顔で聞きながら、志保はそっとテーブルの下にある自分の手のひらを見つめる。 ――この身体に、この人たちと同じ血は流れていない。 その事実だけが、この部屋の温かい空気の中で、指先だけを冷たくさせた。 「志保ちゃん、どうかした?」 薫子が、輪から外れた彼女に気づいて、優しく微笑みかける。 「……ううん、なんでもないです」 胸の奥の小さな痛みを、志保は無理やり笑顔で飲み込む。 (もう、失いたくない……) この場所が、この幸せが永遠に続きますようにと、志保はただそれだけを願っている。 そう、心から願っているはずなのに。 それなのにそんな彼女の心の奥底で、もう一人の自分がいつも囁いている。 こんなに完璧な幸せが、ずっと続くわけないよ……と。 その日の朝も、いつもの朝と何ひとつ変わりはない。2人が何度も繰り返してきた毎朝の風景。今日もそれの繰り返しだ。 「よしくーん。おはよー。もう朝ごはん出来るよ。起きて一緒に食べよ?」 志保がそう声をかけても、良樹は簡単に起きず、なかなか布団から出ようとはしない。 「あぁ? もうそんな時間か?」 布団に潜ったまま、眠そうな声で良樹が言う。 (きっとまた漫画を読んで夜更かししたのね) もうホントに手がかかるんだから、と思いながら志保は布団ごと良樹を揺さぶって起こし続ける。 「また昨夜も夜更かししてたんでしょ。睡眠不足は身体に良くないんだよ? 早く起きないと、よしくんの分の卵焼き、私が食べちゃうからね!」「ま、待て! それはダメだ!」 良樹は慌てて、弾かれるように勢いよく起き上がった。彼は母の作る卵焼きが大好物なのだ。「もう、食いしん坊なんだから」 志保はわざと呆れたようにそう言い、くしゃくしゃの寝ぐせ頭を見て思わず口元を緩めた。 (毎朝こうなんだから、ホント困っちゃう) こうして良樹を起こして、それから彼女のいつも通りの朝が始まる。 通う中学校までの道のりを、良樹と志保はいつも2人で歩いて行く。 中学校までは歩いてだいたい30分くらいかか







