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第48話

Author: 青山米子
言吾の顔が瞬く間に青白くなった。

彼もようやく思い出したのだ——ナッツを好むのは優花だということを。

志麻さんは言葉を失っていた。

パンの材料を準備する際、彼女は言吾にナッツを入れすぎだと注意していた。奥様が食事をされる様子を見ていても、ナッツ類を口にするのを一度も見たことがない、きっとお嫌いなのでしょうと。

それなのに言吾は断固として「妻はナッツが一番好きなんだ」と主張した。

あまりに確信に満ちた様子だったため、志麻さんは一葉が本当にナッツ好きなのだと思い込み、今後はナッツを使った新しいレシピを考えようとさえしていた。

ところが……

奥様はナッツアレルギー、それも重篤な。

こ……これは……

夫でありながら妻のアレルギーを知らないどころか、妻の好物だと勘違いしている。

奥様ご本人はもちろん、使用人の自分でさえ心が冷え切ってしまう。

ご主人は本当に……

志麻さんは言吾を見つめ、同情すべきか、それとも自業自得だと思うべきか判断がつかなかった。

一葉はゆっくりとお粥を飲み干すと、言吾に視線を向けた。「ごちそうさま。部屋に戻るわ」

……

言吾があの朝立ち去ってから、顔を見せることはなかった。恥ずかしさのあまり姿を現せないのか、それとも別の理由があるのか——一葉にはどうでもよかった。

だが、彼の求愛は止まなかった。

毎日のように届く贈り物。それらは以前とは違い、一葉の好みを完璧に捉えていた。嫌いなものは一つもなく、むしろ心の奥底に響くものばかり。断ろうにも断れないほど巧妙に選ばれていた。

けれど、それがどうだというのか。

一葉の心に愛はもうない。どれほど贈り物を積み重ねても、失われた感情が戻ることはない。

断る理由がないなら受け取ればいい——そう割り切って、一葉はすべてを受け取った。心の痛みなど微塵もなく。

これまで彼のために尽くし続けた日々を思えば、償いを受けるのは当然だった。

千陽は心配そうに一葉を見つめていた。

「一葉、まさか彼が頭を下げて、こんなにプレゼントを贈ってくるからって、許しちゃうつもりじゃないでしょうね?」千陽の声が震えた。

「いい、一葉。もしあなたがまた彼を許して、やり直そうなんて考えたら——私たち、本当に縁を切るから。今度こそ、何があっても二度と許さない!」

自分を失い、人生を台無しにしていた頃の一葉に戻
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