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─6─静かな冬に

Author: 内藤晴人
last update Last Updated: 2025-03-21 20:30:00
冬はあっという間に訪れた。

暖炉には赤々と炎がたかれ、ほの暗い室内を柔らかく照らし出す。

その暖かい光の中で、彼は相変わらず本を写すという作業を続けていた。

その作業に一体どんな意味があるのか、ボクにはまったく解らない。

一心不乱に作業を続ける彼を、丸まりながら見つめる日々が過ぎていった。

そんなある夜、彼はいつもよりかなり早くその作業を切り上げると、頬杖をつきながらボクに言った。

「今日は『年越しの祭』だ。孤児院……猊下からお誘いを受けているんだけど、来るか? あまり気は進まないけれど……」

それって、逆にすっぽかす方がまずいんじゃないの?

寝台から飛び下りると、ボクは彼の足元で鳴いた。

諦めた、とでも言うように小さく吐息をつくと、彼は静かに立ち上がると、大きく伸びをした。

防寒用のマントを神官の長衣の上から着込むと、彼はボクを促して外にでた。

はりつめたような冬の外気に身震いするボクを、彼は問答無用で抱き上げた。

「降って来たら雪だろうな」

呟く彼の胸元で、ボクは注意深く周囲を見回した。

どこの部屋にも明るい光が灯っている。

みんな、静かにお祝いしているんだろうな。

そんなことを考えるボクの頭上を、彼の声が通過していった。

最後に家族で過ごしたのは、いつだったかな、と。

そのうち、家族で過ごした時間よりも一人の時の方が長くなる。

そう言う彼の表情は、夜目がきくボクにもはっきりとは見えなかった。

やがて、目の前には石造りの建物が現れた。

無言で彼が扉を叩くと、音もなく開かれた。

「まあ、ずいぶんと他人行儀じゃない。早くお入りなさいな」

優しい微笑みを浮かべながらボクらを迎え入れた『導師さま』に向かって決まり悪そうに一礼すると、彼はボクを床におろした。

同時に子ども達の歓声が聞こえてくる。

「たまにはこちらにも顔を出しなさい。……ここも貴方の『家』なんだから」

後ろ手で扉を閉めながら、彼はつまらなさそうにうなずく。

「猊下も首を長くしてお待ちよ。貴方と来たら、出陣の時も帰還の時も、挨拶一つしなかったそうじゃない?」

……かなり、まずいんじゃないの?

見上げるボクを完全に無視すると、彼は大股に歩き出す。

あわてて後を追おうとするボクに、導師さまは笑顔を浮かべな
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