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内藤晴人
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Novels by 内藤晴人

名も無き星たちは今日も輝く

名も無き星たちは今日も輝く

──どんなに叫んでもこの声はあの人には届かないから、自分を閉ざしてしまおうと決めた── エトルリア大陸の二つの強国ルウツとエドナ。 双方の間では長年に渡り無為の争いが続いている。 その戦乱の世で、心身に消えることのない傷を負った孤独な青年と、彼を取り巻く人々が織りなす物語。 戦闘・流血シーンを含みます。 苦手な方はご注意ください。
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Chapter: ─8─ 暗い欲望
 篭の鳥の立場から脱したメアリではあったが、次第に宮殿とは比べ物にならない質素で不自由な生活に苛立ちを隠さぬようになっていった。  屋敷内を自由に歩けるようになったものの、外出することはかなわない。  用意される食事や衣類はそれなりに上質なものなのだが、やはり今までと比べるとかなり見劣りする。  自分に対して絶対の忠誠を誓ったゲッセン伯は、あれ以来目立った動きをしている様子は見られない。  このままでは、いつになったら皇帝の座へ返り咲けるのかわからない。  焦りにも似た感情は、日々大きくなっていく。  そんなある日、メアリは晩餐の席でゲッセン伯に向かいこう切り出した。 「そなたの私に対する変わらぬ忠義、嬉しく思っています。ですが……」  一度言葉を切って、メアリは伯爵をじっとみつめる。  その視線にやや怒りにも似た感情が含まれているのを見て取って、ゲッセン伯は緊張した面持ちで姿勢を正した。  それを確認して、メアリは意地の悪い微笑を浮かべつつ言葉を継いだ。 「一体、いつ私を然るべき場所へ戻してくれるのです?」  然るべき場所とは言うまでもなく玉座であり、皇宮である。  それを理解して、ゲッセン伯は色を失った額に浮き上がる冷や汗を拭いながらしどろもどろになって答えた。 「……ただ今、志を同じくする者と計画を進めているところでございます。ですが、事は慎重に進めねばなりませんので、同志の選定が……」  確かに見極めは大切であるから、この言には一理ある。  寝返られ計画が頓挫したら、元も子もない。  しかし……。 「それにしても、随分と時間がかかっているのではなくて?」  私はあとどれくらい待てばいいのです? そう問うメアリに、ゲッセン伯はしばし沈黙した後口を開いた。 「……実は、小賢しいことに両者共に身辺の警護を固めております。そればかりか、追手を差し向ける動きもあります。我らに対する警戒が緩むまで、今しばらく……」  あまりにも無策で平凡な返答に、メアリはわずかに形の良い眉根を寄せる。  目を閉じ息をつくと、諦めたような口調でつぶやいた。 「……わかりました。そなたがそう言うのでしたら、しばし待ちましょう。ですが……」  一転してメアリは無垢な少女のような笑みを浮かべてみせる
Last Updated: 2025-08-31
Chapter: ─7─ 為政者達の憂鬱
 ちょうどその頃、皇宮の一室では議論が行われていた。 出席者はミレダとフリッツ公イディオット、議題は次期皇帝の位にどちらが就くかである。 実のところ、なかなか後継者が決まらないという現状は、両者にとって困った事態を招いていた。 国内に二人が婚礼を上げた上で共同統治をしてはどうか、という空気が流れ始めたのである。「困りましたね。私は育ての父の言葉を信じたいのですが……」 言いながらイディオットは腕を組む。 先代のフリッツ公によると、彼は紛れもなく先帝の息子でミレダの異母兄に当たるという。 だが、真実を知る者はすでに皆この世を去っており、それを証明することはできない。 見えざるものの教義では従兄妹同士の結婚は禁じられていないので、民意が拡大し抑えきれなくなれば、最悪従わざるを得なくなるかもしれない。 イディオットの主張が正しければ、両者は見えざるものの意思に反することになってしまうのだ。「だから、とっとと従兄殿が即位すれば良いんだ」 父上が皇帝の証である印璽を託したのは、つまりはそういうことじゃないのか。 そう言いながら足を組み直し、卓に頬杖をつくミレダ。 赤茶色の巻き毛に青緑色の瞳。 よく似た容姿を持つ二人は、お互いの顔を見やりながら深々と吐息を漏らす。「ですが、継承権を持つのは殿下です。それを差し置いてその位に就く訳にはいきません」 それにしても、どうして殿下はそれほどまでに即位を拒まれるのですか。 イディオットからそう問われ、ミレダはわずかにうつむいた。「私は、その器じゃない。……人ひとり救えそうもない私に、国民すべての生命が背負えるはずがない」 予想外の答えだったのだろうか、イディオットは数度瞬く。 それを意に介すことなく、ミレダは更に続けた。「それに、即位するとなると、ルウツの血を残さなければならない。その……好きでも
Last Updated: 2025-08-30
Chapter: ─6─ 酒場にて
「……だからって、どうしてウチにつれてくるんだよ?」  言いながらロー・シグマは卓の上に手際よく料理と酒を並べる。  それが済むとユノーの隣にどっかりと腰を下ろし、目の前の杯に酒を注ぐと断りもなく飲み干した。  そんなシグマに、ユノーは申し訳なさそうに頭を下げる。 「すみません……。他に心当たりが無かったので……」 「そうじゃなくてさあ。泣く子も黙る朱の隊隊員が、エドナ駐在武官殿を接待するのに、こんな場末の酒場ってのはどうかと思うぜ?」  杯を卓に戻すなり、シグマはもっともなことを言う。  ここは、シグマが退役し始めた店……いわゆる大衆向けの酒場だった。  店主が言うとおり、異国の使者の接待にふさわしいかと言えば、はなはだ疑問である。  一方両者のやり取りを向かいの席で『見て』いたロンドベルトは、さも楽しくて仕方がないとでも言うように笑った。 「そうお気になさらず。堅苦しいのは苦手ですので」  その言葉を受けて、ユノーはロンドベルトに向き直ると、改めて頭を下げた。 「本当に申し訳ありません。お恥ずかしながら、父が他界してからずっとぎりぎりの生活だったので……」  言いながらユノーはロンドベルトの杯に酒を注ぐ。  真紅の液体に満たされたそれを口許に運んでから、ロンドベルトはおもむろに切り出した。 「失礼ですが、ロンダート卿のお父上は武人……騎士だったのでしょう? でしたらそれなりの恩給が出るのではありませんか?」  その言葉を受けて、ユノーは目を伏せ首を左右に振ると、ややためらった後で幼い頃に自分の家に起きたことをかいつまんで説明する。  神妙な面持ちで聞いていたロンドベルトは、その目をわずかに細め驚いたように告げた。 「では、貴方のお父上も『あの場所』におられたのですか。それは、何とも奇遇ですね」  その言葉に引っかかりを感じたユノーは思わず首をかしげ、おずおずと尋ねた。 「すみませんが、『あの場所』とおっしゃいましたが、一体……」  まるでそ
Last Updated: 2025-08-29
Chapter: ─5─ 来訪者
 皇都に奇妙な緊張感が流れている。 期待と不安、好意と憎悪など、相反する感情が渦巻いている。 そう、ついに長きに渡り戦闘状態にあったエドナから、全権大使一行が到着したのである。 とは言っても、国民感情は複雑だ。 全員が諸手をあげて和議に賛成しているわけではない。 どこに大使達に良からぬことを仕掛けようと考える輩がいるとも限らない。 そんな訳で当日皇都には厳戒令が出され、一般市民の外出は禁じられた。 一方の当の大使も、重騎兵に囲まれた馬車に乗って人気のない皇都に入った。 本当にこれで平和が訪れるのだろうか。 大使公邸へと向かう隊列を見ながら、ユノーはそんな思いにとらわれて深々とため息をついた。 宙に浮いてしまった皇帝の位。 姿を消した廃立されたメアリ。 国内が不安だらけなこの状況で、エドナから大使を迎え入れても大丈夫なのだろうか。 けれど、ユノーはそんな思考を無理矢理中断し頭から振り落とした。 貴族とはいえ最末端の下級騎士である自分が、国家の中枢で行われている政に疑問を覚えても仕方がないと思ったからだ。 そうこうしているうちに、今日の勤務も何事もなく終了した。 引き継ぎのあと、いつものように一人詰所を片付けていたユノーの耳に、何やら言い争うような声が飛び込んできた。 よもや、ミレダが抜け出してこちらに向かう途中見つかってしまったのだろうか。 そう思い、ユノーは片付けの手を止めて、不謹慎と理解しながらも思わず耳をそばだてる。 と、いらだったような声が段々と近づいてきた。「ですから、このような所に来られては困ります!」「一刻も早くお戻りください! 当方といたしましても、安全を保証致しかねます!」 おや、とユノーは首をかしげる。 声の主が近衛なのか朱の隊なのかは定かではないが、その声音がいささか乱暴だ。 言葉使いこそ丁寧なのだが、明らかにミレダに対するそれとは異なる。 一体、外で何が起きているのだろうか。 湧き上がってきた好奇
Last Updated: 2025-08-28
Chapter: ─4─ 晴天の霹靂
 詰所では引き継ぎと報告が行われている。  すべての報告が終わりようやく閉会の段という頃、前触れもなく扉は開いた。  室内に緊張が走ると同時に、その場にいる全員が一斉に立ち上がる。  入ってきたのは、珍しく二人の護衛を従えたミレダである。  一同の視線を一身に集めた彼女は、いつになく硬い表情を浮かべている。 「諸君ら、ご苦労」  発せられる声も、どこか硬い。  いや、ここは私的な場所ではないのだから、とのユノーの考えは、次の瞬間もろくも打ち砕かれた。 「……姉上が、姿を消した。残念ながら警備をしていた部隊には、生存者はいなかった」  どよめきが次第に大きくなる。  皆、不安げに顔を見合わせている。  だが、ミレダがすいと片手を上げると、再び水を打ったかのように静まり返る。  ユノーは息を詰めて、ミレダの言葉を待った。 「おそらくは統率された軍隊、あるいはそれと同等の能力を有する者の犯行だろう」  張り詰めた空気が痛い。  ユノーは背を汗が伝い落ちるのを感じた。 「今後、諸君らにも姉上の探索に当たってもらうことになるだろう。だが……」  ひと度ミレダは言葉を切り、目を伏せた。 「諸君らには、実戦の経験がない。つまりは、人を実際に殺めた経験がないということだ」  瞬間、ユノーは初めて人を斬ったときの事を思い出した。  両の手に、あの時の感覚が蘇る。 「……どうしたんだ? 真っ青な顔して」  隣に立つ同僚から声をかけられて、ユノーははっと我にかえる。  下手をすれば、そのまま意識を失っていただろう。  目礼で謝意を伝えると、ユノーは改めてミレダをみつめる。 「相手は人を殺すことをためらわない、一番厄介な相手だ。だが、ようやく実現した平和のためにも、必ず見つけ出さなければならない」  姿を消した女帝メアリは好戦派で、ルウツによる大陸統一を画策していたという。  当然のことながら、この平和な世を
Last Updated: 2025-08-27
Chapter: ─3─ 憶測
 あくまでもこれは伝聞ですから真偽の程は定かではなありませんが、と断ってからペドロは難しい表情を浮かべて腕を組む。  そして、やや目を伏せながら続けた。 「殿下の来訪以降、シエルは食事もとらなくなったそうです。以前は食堂には出て来ていたそうなんですが、本当に部屋へ引きこもったきりだとか」  このままでは、処分が下される前にシエルがどうにかなってしまうのではないか。  そう心底心配そうに言うペドロ。  ユノーはなるほど、とつぶやき同意を示した。 「正直、ロンダート卿なら会うと思っていたんですよ。ですが、ここまでシエルが頑固だったとは考えてもみませんでした」 「けれど、閣下は殿下のことを誰よりも大切に思っていたのではないですか? それが、どうして……」 「思うに、この国の現状を鑑みてのことでしょう」  ペドロの言うとおり、ルウツは今エドナとの和平にこぎつけたとはいえ、極めて不安定な情況にあった。  なぜなら、この国の根幹とも言える皇帝の位が未だ空位のままだからである。  皇位継承権を持つ唯一の人物であるミレダ、そしてその従兄で皇帝の証たる印璽を亡父から託されたフリッツ公。  両者は共に至尊の冠を戴くことを固辞し、それを譲り合っていた。  ミレダが先の出兵から戻れた暁には臣籍に下ると名言していたのを思い出し、ユノーは深々とため息をつく。  ひと度ミレダがこうと決めたら、それを曲げるとは考えにくい。  一方のフリッツ公の言い分はこうだ。  自分は一応皇帝の血をひいてはいるが父親の代から臣下。  正当な継承者がいる状況で自分がその位に就くのは、あまりにもおこがましい……。  互いに即位を拒否する両者に共通するのは、この国を導く皇帝という存在には自分はふさわしくない、という強い信念だった。  そして両者の周囲では、まことしやかに流れる希望論があった。  すなわち、両者の共同統治という形……ミレダとフリッツ公の婚姻を推す声である。  そんな世相もおそらくはシエルの耳に入っているのだろう。  ミレダへの別離宣言は
Last Updated: 2025-08-26
始まりの物語─青き瞳の巫女─

始まりの物語─青き瞳の巫女─

【本編完結済み】 ──わたくしは、神に捧げられた贄でございます……── 遥か昔。 まだヒトと神と呼ばれる存在が同じ世界に暮らしていた頃の物語。 闇をつかさどる神リグ・べヌスの元に供物として一人の女性アウロラが贈られてきた。 初めて見る神を前に怯える彼女の瞳は、ほとんどの住人が暗色の瞳を持つ闇の領域では稀な美しい青色をしていた。 自らの顔を異形と卑下するアウロラに、べヌスは今までにない感情の動きを覚えるのだが……。
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Chapter: 39 独白
 陛下から賜った短剣を首筋にあて一気に引こうとした瞬間、わたくしはまたしても恐ろしいものを見てしまいました。 そこは、まがいもなく闇の神殿で、石畳の上には二人の武人が倒れていました。 お一方は見事な金色の髪をしておられるところからみると、光の領域の方でしょう。 もうお一方は漆黒の髪に黒い甲冑をまとっておられるので、闇の領域にかかわる方なのだと思います。 そんなお二人に剣を向けていたのは、一人の少年でした。 長い黒髪に漆黒の瞳を持つその少年は、端正な顔に薄笑いを浮かべておりましたが、感情はまったく読み取ることはできません。 ですが、わたくしにはあることがわかりました。 無慈悲に剣を振り下ろそうとしている少年の『中』には、陛下がおられると。 けれど、少年は陛下でありながら陛下ではないのです。 疑問に思って目を凝らしてみると、陛下に隠れるようにして、少年の自我はこちらに背を向けて泣いているのです。 ……そう、陛下がどういう訳だがわかりませんが、この少年を取り込もうとしているのです。 なぜそんなことになってしまったのか。 どうして陛下はこの少年と一体化しようとしているのか。 わたくしには、その理由はまったくわかりません。 けれど、これだけはわかります。 石畳で倒れている二人の武人は、陛下に取り込まれようとしているこの少年に殺されてしまう、と。 このままではいけない。 陛下に、この少年に、罪を犯させてはならない。 なんとしても止めなければ。 けれど、わたくしの声は届きません。 当然です。わたくしはその場にいないのですから。 これは、闇が巫女であるわたくしに見せている光景なのです。 このまま時が流れたら起きるであろう未来の光景なのでしょう。「巫女殿! いけません!」 背後から、不意に声が聞こえると同時に、恐ろしい光景は消え失せました。 婀霧様がわたくしを気遣って、こちらに向かい駆けつけてくださったのです。 刹那、首筋が熱くなりました。 目の前が次第に暗くなっていき、足許がおぼつかなくなっていきました。「巫女殿、なんてことを!」 婀霧様は赤く濡れた床に膝をつき、わたくしを抱き起こしました。 自らのマントを引き裂くと、それをわたくしの首筋にあてて必死に止血しようとしてくださっているのがわかりました。 けれど、とめどもな
Last Updated: 2025-07-17
Chapter: 38 呪い
 婀霧とディーワ、両者の叫びがベヌスの耳に届いたかどうかはわからない。  けれど、真紅の沼に膝を付くべヌスは嗤っていた。  光を失いつつある漆黒の瞳をディーワに向け、呪いの言葉をつぶやく。 「以後、闇は安息をもたらすものにあらず。人々に恐怖をもたらすものとなろう。恨むなら自身を恨め、光神よ……」  言い終えると同時に、ベヌスの身体は崩れ落ちる。  赤い沼に倒れた身体は、程なくして黒い霧となり四方へと散っていった。 「……これは一体?」  驚きの声を上げる婀霧。  一方ディーワは、一部始終を見届けると重いため息をついた。 ──その身は滅びても、精神はこの世に遺すか。それほどまでに……──  私を恨んでも恨みきれぬ、という訳か。  そう吐き出すように言うと、ディーワは目を閉じ頭を揺らす。  ほぼ同時に、その輪郭は揺らめき消えていく。  水の結晶の効力が切れかけているのだ。 「待ってください、大主! 私達はどうすれば……?」  光神の全権代理人たるカイは、その任を放棄して去った。  その言葉が本心であるならば、戻ってくることはないだろう。 ──これ以上……流血は、無用。婀霧、そなたが……に代わって……──  途切れ途切れに聞こえてくる言葉を耳にした婀霧は、思わず大きな声を上げる。 「私が? 私に和議を結べと? それは……」  あまりにも荷が重い。  自分より相応しい者がいるのではないか。  そう固辞しようとした婀霧だったが、伝える前に光神の姿は光の粒となって霧散する。  同時に水の結晶は内包していた力を使い果たし、ひび割れれ粉々に砕け散った。  残された婀霧はしばし呆然と立ち尽くしていたが、すぐに我にかえり周囲に視線を巡らせた。  ブイオ攻略戦の折の犠牲者が納められた無数の棺。  和議を結ぶのであれば、彼らを家族の元へ返さなければ。  そして。  婀霧は、アウロラとベヌス、二人分の血を吸った短剣を拾い上げる。  未だベヌスの血で赤く染まっている刃をマントで拭うと、アウロラの棺のかたわらに膝を付く。  そして、改めて短剣をアウロラの手に握らせてやった。 「巫女殿、あなたの思いは、私が引き継ぎます。闇の領域と和議を結んで、この争いを終わらせます」  
Last Updated: 2025-06-30
Chapter: 37 懺悔
 べヌスの視線を受けてもなお、ディーワは何も語ろうとしない。 そんな『友人』に向かい、べヌスは絞り出すように言った。「そう、なのか? そなたは吾を亡きものにしたいほど、忌み嫌っていたのか?」──それは違う! ── ようやくディーワは声を上げる。 その目は珍しく鋭く輝き、アルタミラを名乗る少女を見据えている。──私をそそのかし戦を起こさせて、何が楽しい? ──「そそのかすですって? 私は一つの可能性を示しただけ。行動を起こしたのはあなたじゃない」 ばさり、という羽音と共に、アルタミラは翼を羽ばたかせる。 同時に身体は中空に浮かぶと、夕闇色の光を放つ。「待て! 話はまだ……」 咄嗟にべヌスは立ち上がり、アルタミラを捉えようとする。 だが、彼の手が少女に触れる前にその姿は混沌の中へと溶けていった。 唖然として何もない空間を見つめるべヌス。 その背に向かい、ディーワは静かに語りかけた。──……あの少女の口車に乗せられ、行動を起こしてしまったのは私の咎だ。どんなに謝罪しても足りぬことはわかっている。しかし……──「……そうだ。もう遅い」 けれど、その言葉に対しべヌスは振り返らなかった。 そのまま倒れ伏す婀霧に歩み寄ると、息があることを確認する。 そして、その身体を横たえながら静かな口調で告げた。「そなたの忠臣は無事。気を失っているだけだ」 ようやくべヌスはかつての友をかえりみた。 漆黒の瞳からは、いかなる感情も読み取ることはできなかった。──ベヌスよ、私は……──「言い訳ならば、聞きたくはない。吾の目の前にあるのは、現実だけだ」 その時、ベヌスの目か
Last Updated: 2025-06-30
Chapter: 36 対峙
 水の結晶は、カイの力に呼応するようにちかちかと瞬き始める。 そしてまばゆい光を放つと、それは光神エルト・ディーワの像を結んだ。 その姿を一瞥すると、カイは冷たくこう言い放った。「さっきも言ったとおりだ。俺はもうあんたの道具にはならない。自分でカタをつけてくれ」 言い終えると、カイは腰に履いていた剣を投げ捨てる。 唖然とする一同の視線を背に受けて、カイは振り返ることなく大広間を出ていった。 ディーワとべヌス、そしてやや離れた所に控える婀霧、三者の間にはしばし嫌な沈黙が流れる。 べヌスは現れたディーワの虚像とは目を合わせようとせず、冷たくなったアウロラを見つめるばかりである。 その様子に、婀霧は意を決したように息を飲むと、かすれる声で切り出した。「……最期の時、巫女殿はこうおっしゃいました。陛下にお仕えできて幸せだったと」 瞬間、べヌスの身体がぴくりと動いた。 ゆっくりと顔を上げると、漆黒の瞳を婀霧の方に巡らせる。「……まことか?」 無表情なべヌスの声に、婀霧はうなずく。「こうもおっしゃっていました。いつか必ず、あなたの元へ、と」 言い終えるやいなや、婀霧はうなだれ声を上げて泣き始める。「本当に、申しわけありません。私が……私がもう少し早く巫女殿の元に駆けつけていれば、こんなことには……」 けれど、べヌスは目を伏せゆっくりと頭を左右に振った。「そなたのせいではない。気に病むな。すべては……」 ひとたびべヌスは言葉を切った。 アウロラに視線を落とすと、べヌスは静かな声で告げた。「吾の咎だ。吾が……」 言うと同時に、一筋の涙がべヌスの頬を伝い落ちる。 武神べヌスの涙
Last Updated: 2025-06-30
Chapter: 35 再会
 昼間幾多の生命が散っていった平原を、月明かりが照らしている。 その中を、漆黒の駿馬が駆け抜ける。 乗り手は言うまでもなく闇の神にして王たるべヌスである。 彼が目指しているのは、ブイオの砦。 敵の手に落ちたその場所へ一人で行こうとする彼を、ノクトを始めとする重臣達は止めた。 確かに使者からもたらされた書状にも、一人で来いとは書いていない。 けれど、べヌスは頑として首を縦に振らなかった。 その理由は、アウロラにある。 彼女はただ一人光神の本陣で、諸将と対峙したのだ。 神であり王である自分が、一介の巫女である彼女にさせてしまったことをしない訳には行かない。 そんな矜持と後悔の念が、べヌスをとらえていたのである。 こういった理由で、彼は一人ブイオへ向かっていたのである。 やがて視線の先に、陥落した砦が浮かび上がって見えた。 かつては夜通し明かりが焚かれていたその砦も、今は黒い塊にしか見えない。 飛び降りると、べヌスは手近な杭に馬を繋ぐ。 そして、静まり返るかつての砦に向かい呼びかけた。「弟御、来たぞ。どこにいる?」 と、暗がりの中からぼんやりと明かりが近づいてくる。 思わず腰の剣に手をかけ身構えるべヌスの前に現れたのは、甲冑姿の女性だった。 あの人は、確か……。「わざわざのお出まし、感謝いたします。私は弟君の補佐役……」「……婀霧、だったか?」 その一言で、婀霧は凍りついたように立ち尽くす。 それほどまでに自分は恐ろしい顔と声をしていたのだろうか。 べヌスは取り繕うべく何か声をかけようとしたが、うまく言葉が出てこない。 小さく吐息をもらすべヌスを前に我に返ったのだろうか、婀霧はあわてて一礼する。「失礼いたしました。弟君がお待ちです。どうぞこちらにお越しください」
Last Updated: 2025-06-30
Chapter: 34 後悔
 胸騒ぎを感じて、カイは手綱を引いた。 一瞬闇の軍勢が迫っているのかと思ったが、これは敵意ではない。 儚げで悲しげで強い意志がその原因であることに気が付いて、カイは思わず周囲を見回す。 そのような存在は彼が知る限りただ一人、闇の巫女アウロラである。 だが、本陣に拘束したその人がこの戦場にいようはずがない。 その時だった。 かたわらを固める兵達が、上空を見上げている。 中にはある一点を指差している者もいた。 何事かとカイはそちらに視線を移す。と、遥か上空には使者の証である薄藍の布が、糸の切れた凧のように漂っている。 なぜこのような所に。 疑問に思いながらも、カイは風上に視線を巡らせる。 その方向にあるのは他でもない、陥落したブイオの砦だった。 胸騒ぎが、嫌な予感に変わる。 そこからとって返したい衝動に駆られたが、今は戦の真っ最中である。 総大将がそのようなこと、できようはずがない。 そのカイの苛立ちにも似た内心を悟ったのだろうか、脇を固める重臣達が口々に言った。「弟君、いかがでしょう。そろそろ退かれては……」「我々の力を知らしめるのには、もう充分なのではありませんか?」 一瞬ためらった後、だがカイは首を左右に振る。 相手が防御に徹しているのは、必ずしもこちらが圧しているからではない。 べヌスがあえて防戦に全兵力を傾けていることに、カイは気が付いていた。 その証拠に、派手に戦闘が行われている割には、双方の犠牲はさほど出ていない。 ここで退いてしまっては、自分にとっては最良の結果ではあるが、兄である光神は納得してくれないだろう。 さてどうするか。 カイが決断を下しかねていた、その時だった。彼方から、甲高い音が聞こえた気がして、カイは長い耳をぴくりと動かす。 神経を聴覚に集中し、研ぎ澄ませる。 途切れ途切れに聞こえてくるのは、伝
Last Updated: 2025-06-29
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