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内藤晴人
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Novels by 内藤晴人

名も無き星たちは今日も輝く

名も無き星たちは今日も輝く

──どんなに叫んでもこの声はあの人には届かないから、自分を閉ざしてしまおうと決めた── エトルリア大陸の二つの強国ルウツとエドナ。 双方の間では長年に渡り無為の争いが続いている。 その戦乱の世で、心身に消えることのない傷を負った孤独な青年と、彼を取り巻く人々が織りなす物語。 戦闘・流血シーンを含みます。 苦手な方はご注意ください。
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Chapter: ─14─ 問いかけ
重苦しい沈黙が、室内を支配する。 が、それをいち早く破ったのはシグマだった。 「場所がわかったんなら、すぐにみんなで……」 「敵が白の隊とわかった以上、迂闊に動くのは危険です。ここは綿密に計画を練るべきでしょう」 けれど、ペドロがそれを遮って冷静に常識的な意見を述べる。 たしかに、ルウツの正規部隊相手に無策で乗り込んでも、返り討ちにあい全滅しかねない。 ロンドベルト、そしてシモーネもうなずいて同意を示したのがよほど不服だったのだろう、怒気をはらんだ口調でシグマはさらに続ける。 「けど、一刻を争う事態なんだろ?」 苦悩の表情を浮かべると、ロンドベルトは再びうなずいた。 果たしてその瞳にはなにが映ったのだろう。 そう思いつつユノーは彫りの深いロンドベルトの顔をじっと見つめる。 その視線に気がついたのだろう、ロンドベルトはおもむろにユノーに向き直った。 「し、失礼しました、トーループ閣下。あの……」 ユノーの言わんとしていることを理解したのだろう、ロンドベルトは卓の上に肘をつき両手の指を組むと、その上に形の良いあごを乗せる。 それから目を閉じると、わずかに眉根を寄せながらささやくように言った。 「正直……あれは拷問などという生易しいものではありませんでした。生命が尽きる前に心が壊れてしまうやもしれません」 言い難い空気が、その場に流れる。 誰もがうつむき言葉を失う。 その沈黙を破ったのは、やはりシグマだった。 「なら、なおさら早く動かなきゃまずいだろ? 大将をこのまま見殺しにする気か?」 それに応じたのは、やはり冷静なペドロの声だった。 「ではお尋ねしますが、首尾よくシエルを救い出せたとして、どこに匿うのですか?」 「……そりゃ……そう、司祭館に……」 「それでは、猊下や他の神官を危険にさらすことになりかねません」 「なら……うちの空き部屋に……」 思いつきで答えるシグマに対し、ペドロは呆れたとでも言うように深々とため息をつく。 「白の隊が大挙してシエルを取り戻しに来たらどうするつもりです? あなた一人で何ができますか?」 眉一つ動かすことないペドロに対し、シグマはついに怒りをあらわにした。 「じゃあどうすればいいんだよ! 斥候隊長は大将を助けたくないのか?」 激高するシグマを
Last Updated: 2025-11-02
Chapter: ─13─ 闇の中
疑わしい貴族の屋敷を一つ一つ潰していくロンドベルトの額には、いつしか玉の汗が浮かんでいた。 その顔色も、目に見えて青ざめている。 しかし、未だその人を見つけることはできなかった。 「少し、休まれてはいかがですか?」 当初は疑惑の視線を向けていたシモーネが、以外にも一番始めにロンドベルトの体調を心配する声をかける。 同じく懐疑的な印象を抱いていたであろうシグマが杯に飲み物をついで、ロンドベルトに向かい差し出した。 「そうだよ、さっきからぶっ通しじゃねえか。……ひでえ顔色してるぜ?」 それらの言葉を受けたロンドベルトは、大きく息を吐き出すと額の汗を拭い、わずかに苦笑を浮かべた。 「情けないものですね。昔は無数の『草』の様子を見てもなんともなかったのですが」 言いながら杯を受け取ると、ロンドベルトは一気にその中身をあおった。 そして、再び息をつく。 「大口をたたいたにもかかわらず、お役に立てず申し訳ない限りです」 しかし一同は等しく首を左右に振った。 そして、シモーネは申し訳なさそうに目を伏せた。 「いいえ、もっと対象を絞り込んでいればいらぬ苦労をおかけしなくても済んだんですが……」 「公爵閣下も、今はお立場が以前とは違いますから。仕方がありませんよ」 遠慮がちにそう告げるペドロに同意を示すように、ユノーはうなずいた。 確かに愚昧公と呼ばれていた頃とは異なり、フリッツ公は今やこの国の皇帝になるかもしれない存在である。 当然、四六時中護衛に囲まれて、不自由な生活を強いられているらしい。 「……それにしても、他に手がかりになるような物は無いのでしょうか? それなりの数の軍勢をうごかせる、というだけでは……」 あまりにも抽象的で雲をつかむようだ、とロンドベルトは言う。 確かにそのとおりだった。 戦闘部隊を軍として統括し、国だけが動かすことができる権利を持つエドナとは異なり、ルウツでは大貴族が私兵とも言える配下の騎士団を持っている。 何か、決め手になるものは……。 そこまで考えが及んだとき、ユノーはあることを思い出す。 次の瞬間、こんな言葉が口をついて出ていた。 「申し訳ありませんが、あと一か所だけ見ていただくことは可能ですか?」 一同の視線が、ユノーに集中する。 一体何事かと言わ
Last Updated: 2025-10-30
Chapter: ─12─ 連合軍
「私も仲間に入れていただけませんか?」 そう言うロンドベルトの顔には、笑みはない。 どうやら今までの会話はすべて聞かれていたらしい。 やはり自分が尾行されていたのか、と肩を落とすユノーに向かい、ロンドベルトはあわてて言葉をかける。 「先程私が話したことは、すべて事実ですよ。宿舎の食事には本当に飽きましたので。私がここにいるのは、全くの偶然です」 そう慰められてもユノーの気持ちが晴れるはずもない。 うつむくユノーをよそに、ペドロは鋭くロンドベルトをにらみつける。 「では、その言葉を信じるとして……。どうしてあなたは、かつての敵であるシエルを助けようなどと思うのです?」 一同の視線を一身に受けて、ロンドベルトはわずかに苦笑を浮かべる。 そして、いつになく穏やかな口調で切り出した。 「そう、ですね。強いて言えば、借りを返したいといったところでしょうか」 聞けば、ランスグレンにおける最終決戦のおり、シエルは戦意を失ったロンドベルトをあえて撃たなかったという。 「不思議なことに、敵に情けをかけられても怒りはわきませんでした。ですが、恩義は返すべきだ。そう思いまして」 言い終えて、ロンドベルトはわずかに目を伏せる。 『黒衣の死神』と恐れられるその人らしからぬ表情に、一同は等しく絶句する。 それを意に介すことなく、ロンドベルトはさらに続けた。 「無論、立場が立場ですから、無理強いするつもりはありません。そして希望が通らなかったとしても、他言するつもりはありません。ですが、少なからずお力にはなれると思うのですが」 「それは一体、どういう……」 相変わらず厳しい表情を浮かべたままのペドロ。 その隣に立つユノーは思わずあっ、と声を上げた。 同時にシグマも何かを思い出したかのように、ぽんと手を一つ打つ。 そんな二人の様子に、ペドロとシモーネはわけがわからず首をかしげる。 予想通りの反応に含み笑いで応じてから、ロンドベルトは改めて自らの『瞳』に隠された事実を両者に説明した。 なおも疑いの眼差しを向けるペドロに対して、シモーネは興味深げにロンドベルトに尋ねる。 「では、将軍閣下は見えざる瞳であらゆるところを見ることができる、そうおっしゃるんですか?」 「少なくとも、昔は。今は多少カンが鈍っているかもしれません
Last Updated: 2025-10-26
Chapter: ─11─ 急展開
朱の隊は、朝からある話題で持ち切りだった。 なんでも昨日深夜に司祭館から救援要請があり、急ぎ当直の部隊が駆けつけてみたところ、当の司祭館は誰もそのようなことはしていないと言うのである。 その言葉の通り周辺は静まり返り別段変わった様子もなく、駆けつけた部隊は何かの間違いだったのだろうと考えて戻ってきた、ということだった。 「司祭館を騙ったいたずらか。誰だか知らんが罰当たりなことをするやつがいるな」 そう言う先輩隊員に、ユノーは曖昧な表情を浮かべてうなずいて返す。 だがその心の内には言葉になりきらない違和感がくすぶっていた。 それが一体何であるのか自分でも理解できぬまま彼が午前中の任務についていたときである。 かすかに名を呼ばれたような気がして、ユノーは立ち止まり周囲を見回す。 と、柱の影でペドロがこちらに向かい手招きをしていることに気が付いた。 その顔には、戦場さながらの緊張感が張り付いているようである。 一体何事かと疑問に思いつつ、ユノーがそちらへ歩み寄ると、彼が挨拶の言葉を口にするより早くペドロはこう切り出した。 「今夜、シグマの店に来ていただくことは可能ですか?」 訳がわからず、ユノーは思わず首を傾げる。 なぜなら、ペドロは他人を酒席に誘うような人柄ではないからだ。 それが一体どういう風邪の吹き回しだろう。 そんなユノーの内心の疑問に答えるように、ペドロは言葉を継いだ。 「詳しくは、シグマの店でお話します。ここではどこにどんな目が光っているかわかりませんから……」 いつものぼそぼそとした口調は、だが切羽詰まっているように思われた。 どうやら何かあったらしい。 しかも、相当に大変なことが。 「わかりました。今日は日勤なので、終わり次第伺います」 そのユノーの返答に、ペドロは目に見えてほっとしたような表情を浮かべる。 が、それをすぐにおさめると、こう続ける。 「ありがとうございます。この件は、くれぐれも他言無用でお願いします。例え殿下であっても」 はて、と再びユノーは首をかしげる。 ペドロの方が自分よりもはるかにミレダに近い立場にあるはずだ。 にもかかわらずこのようなことを言うとは、一体どういう訳だろう。 戸惑いを隠せずにいるユノーに向かい、くれぐれもお願いしますと
Last Updated: 2025-10-23
Chapter: ─10─ 虜囚
広間を出たところで厳重に目隠しをされたシエルは、追い立てられるように歩かされた。 途中、階段を昇り降りしたのだが、果たしてどこをどうそしてどれくらい歩いたのかはわからない。 だが、辛うじて理解できたのは、おそらくは皇都を出てはいないだろうということくらいである。 ということは、彼らは皇都から湧き上がって来た、ということになる。 本当に皇都には何が潜んでいるかわからない。そこに巣食うモノたちは、得体がしれない。まさに魔窟だ。 そうシエルが心のうちで皮肉に満ちた笑みを浮かべていた時、ようやく先行きの見えなかった行軍は唐突に終わりを告げた。 目隠しを外された視界にまず入って来たものは暖かな応接間ではなく、冷たい石造りの壁と床だった。 所望されている割には歓迎されてはいないらしい。 そんなことをシエルがぼんやりと考えていると、かすかな光が近付いてくるのが見えた。 と、周囲を固めていた騎士達は一斉にそちらへ向かいかしずく。 迎え入れられたのは、この冷たく殺風景な空間にはいささか不似合いに見える豪奢な服装に身を固めた女性だった。 女性は自らにかしずく騎士達には一瞥もくれず、まっすぐにシエルに向かい歩み寄る。 そしてその正面に立つなり、労働を知らぬ白く細い手で彼の頬に平手打ちを浴びせた。 呆気にとられるシエルに向かい、女性は開口一番こう告げた。 「ひざまずきなさい。無礼でしょう? 私を誰だと思っているの?」 そう激高する女性の顔を、シエルは訳も分からずまじまじと見つめる。 うなじ辺りでまとめたゆるく波打つ赤茶色の髪に、異様な光を湛える宝石のような青緑色の瞳。その容姿は彼がよく知るとある人物と告示している。 なるほど、とシエルは納得したものの、なぜ自分がこの場に引き出されたのかは未だにわからない。 そうこうするうちに、周囲の騎士達はシエルの肩に手をかけ腕を取り、無理矢理に膝を折らせようとしてきた。 しかし、意外にも目の前に立つ女性は、片手を上げると騎士達を制した。と、その背後に付き従っていた小肥りの男が声を上げる。 「へ、陛下、よろしいのですか? このような無礼者……」 「構いません。道理と礼儀をしらないなら、教えてあげれば良いのだから」 言い終えると、陛下と呼ばれた女性は改めてシエルを鋭く睨みつ
Last Updated: 2025-10-19
Chapter: ─9─ 襲撃
星の見えない、暗い夜だった。 燭台に揺らめくろうそくの炎を見つめながら、シエルは大きくため息をついた。 さすがにこの暗さでは、教典を読むこともできない。 かと言って眠る気にもなれず、卓に頬杖を付いたまま再び大きく息をつく。 どのみち、寝台に入っても眠れる保障はない。 未だ過去に囚われている自分自身に呆れ、思わず苦笑を浮かべた時だった。 わずかに空気が動いたのを感じて、シエルは思わず立ち上がり意識を研ぎ澄ます。 常に司祭館を包んでいるはずの清浄な空気が、かすかに不浄な物に浸食されていた。 この神聖な空間を犯そうとするものを、彼は何よりも理解している。 そう、彼が三年弱の間身を置いた戦場に充満する張りつめた殺気そのものだった。 一体、どうしてこんなところに。 疑問と不安を抱きつつ、シエルは卓の上に置いていた短剣を手に取る。 扉を押し開くと、更に暗い廊下へと足を踏み出した。 意識を研ぎ澄まし、全神経を聴覚へと集中させる。 と、かすかだが金属がぶつかり合うような音が聞こえてくる。 間違いなく甲冑のたてる音だが、見回りの神官騎士のものにしては数が多いように思われる。 嫌な予感がする。いや、これは予感などという生易しいものではない。 そう悟ったシエルは、音のする方へと走った。 長い廊下を走るにつれ、殺気はどんどんその濃度を増していく。 何が起きているのかわからぬまま、広間に至る角を曲がる。 途端、目に飛び込んできたものは、信じがたい光景だった。 数名の神官騎士が折り重なるように倒れ、床はその身体から流れる血で赤黒く染まっている。 咄嗟にシエルはひざまずき、倒れ付す神官騎士の様態を確認すると、首筋を斬られ等しくこと切れていた。 出血量を考えると、おそらくは即死だろう。 騎士とはいえ通常ならば実戦を経験することの無い神官騎士は、『本物の賊』を前にしては一溜まりもなかったのだろう。 短く舌打ちをすると、シエルは立ち上がり先を急いだ。 突き当りの扉の前に、神官や神官騎士達が集まっているのが見える。 そのうちの一人の司祭は、シエルの姿を認めるなり厳しい表情でその前に立ちふさがった。 一体何が、とシエルが問う前に司祭は小さな声ながらも鋭い口調で告げた。 「何をしている? す
Last Updated: 2025-10-16
始まりの物語─青き瞳の巫女─

始まりの物語─青き瞳の巫女─

【本編完結済み】 ──わたくしは、神に捧げられた贄でございます……── 遥か昔。 まだヒトと神と呼ばれる存在が同じ世界に暮らしていた頃の物語。 闇をつかさどる神リグ・べヌスの元に供物として一人の女性アウロラが贈られてきた。 初めて見る神を前に怯える彼女の瞳は、ほとんどの住人が暗色の瞳を持つ闇の領域では稀な美しい青色をしていた。 自らの顔を異形と卑下するアウロラに、べヌスは今までにない感情の動きを覚えるのだが……。
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Chapter: 39 独白
 陛下から賜った短剣を首筋にあて一気に引こうとした瞬間、わたくしはまたしても恐ろしいものを見てしまいました。 そこは、まがいもなく闇の神殿で、石畳の上には二人の武人が倒れていました。 お一方は見事な金色の髪をしておられるところからみると、光の領域の方でしょう。 もうお一方は漆黒の髪に黒い甲冑をまとっておられるので、闇の領域にかかわる方なのだと思います。 そんなお二人に剣を向けていたのは、一人の少年でした。 長い黒髪に漆黒の瞳を持つその少年は、端正な顔に薄笑いを浮かべておりましたが、感情はまったく読み取ることはできません。 ですが、わたくしにはあることがわかりました。 無慈悲に剣を振り下ろそうとしている少年の『中』には、陛下がおられると。 けれど、少年は陛下でありながら陛下ではないのです。 疑問に思って目を凝らしてみると、陛下に隠れるようにして、少年の自我はこちらに背を向けて泣いているのです。 ……そう、陛下がどういう訳だがわかりませんが、この少年を取り込もうとしているのです。 なぜそんなことになってしまったのか。 どうして陛下はこの少年と一体化しようとしているのか。 わたくしには、その理由はまったくわかりません。 けれど、これだけはわかります。 石畳で倒れている二人の武人は、陛下に取り込まれようとしているこの少年に殺されてしまう、と。 このままではいけない。 陛下に、この少年に、罪を犯させてはならない。 なんとしても止めなければ。 けれど、わたくしの声は届きません。 当然です。わたくしはその場にいないのですから。 これは、闇が巫女であるわたくしに見せている光景なのです。 このまま時が流れたら起きるであろう未来の光景なのでしょう。「巫女殿! いけません!」 背後から、不意に声が聞こえると同時に、恐ろしい光景は消え失せました。 婀霧様がわたくしを気遣って、こちらに向かい駆けつけてくださったのです。 刹那、首筋が熱くなりました。 目の前が次第に暗くなっていき、足許がおぼつかなくなっていきました。「巫女殿、なんてことを!」 婀霧様は赤く濡れた床に膝をつき、わたくしを抱き起こしました。 自らのマントを引き裂くと、それをわたくしの首筋にあてて必死に止血しようとしてくださっているのがわかりました。 けれど、とめどもな
Last Updated: 2025-07-17
Chapter: 38 呪い
 婀霧とディーワ、両者の叫びがベヌスの耳に届いたかどうかはわからない。  けれど、真紅の沼に膝を付くべヌスは嗤っていた。  光を失いつつある漆黒の瞳をディーワに向け、呪いの言葉をつぶやく。 「以後、闇は安息をもたらすものにあらず。人々に恐怖をもたらすものとなろう。恨むなら自身を恨め、光神よ……」  言い終えると同時に、ベヌスの身体は崩れ落ちる。  赤い沼に倒れた身体は、程なくして黒い霧となり四方へと散っていった。 「……これは一体?」  驚きの声を上げる婀霧。  一方ディーワは、一部始終を見届けると重いため息をついた。 ──その身は滅びても、精神はこの世に遺すか。それほどまでに……──  私を恨んでも恨みきれぬ、という訳か。  そう吐き出すように言うと、ディーワは目を閉じ頭を揺らす。  ほぼ同時に、その輪郭は揺らめき消えていく。  水の結晶の効力が切れかけているのだ。 「待ってください、大主! 私達はどうすれば……?」  光神の全権代理人たるカイは、その任を放棄して去った。  その言葉が本心であるならば、戻ってくることはないだろう。 ──これ以上……流血は、無用。婀霧、そなたが……に代わって……──  途切れ途切れに聞こえてくる言葉を耳にした婀霧は、思わず大きな声を上げる。 「私が? 私に和議を結べと? それは……」  あまりにも荷が重い。  自分より相応しい者がいるのではないか。  そう固辞しようとした婀霧だったが、伝える前に光神の姿は光の粒となって霧散する。  同時に水の結晶は内包していた力を使い果たし、ひび割れれ粉々に砕け散った。  残された婀霧はしばし呆然と立ち尽くしていたが、すぐに我にかえり周囲に視線を巡らせた。  ブイオ攻略戦の折の犠牲者が納められた無数の棺。  和議を結ぶのであれば、彼らを家族の元へ返さなければ。  そして。  婀霧は、アウロラとベヌス、二人分の血を吸った短剣を拾い上げる。  未だベヌスの血で赤く染まっている刃をマントで拭うと、アウロラの棺のかたわらに膝を付く。  そして、改めて短剣をアウロラの手に握らせてやった。 「巫女殿、あなたの思いは、私が引き継ぎます。闇の領域と和議を結んで、この争いを終わらせます」  
Last Updated: 2025-06-30
Chapter: 37 懺悔
 べヌスの視線を受けてもなお、ディーワは何も語ろうとしない。 そんな『友人』に向かい、べヌスは絞り出すように言った。「そう、なのか? そなたは吾を亡きものにしたいほど、忌み嫌っていたのか?」──それは違う! ── ようやくディーワは声を上げる。 その目は珍しく鋭く輝き、アルタミラを名乗る少女を見据えている。──私をそそのかし戦を起こさせて、何が楽しい? ──「そそのかすですって? 私は一つの可能性を示しただけ。行動を起こしたのはあなたじゃない」 ばさり、という羽音と共に、アルタミラは翼を羽ばたかせる。 同時に身体は中空に浮かぶと、夕闇色の光を放つ。「待て! 話はまだ……」 咄嗟にべヌスは立ち上がり、アルタミラを捉えようとする。 だが、彼の手が少女に触れる前にその姿は混沌の中へと溶けていった。 唖然として何もない空間を見つめるべヌス。 その背に向かい、ディーワは静かに語りかけた。──……あの少女の口車に乗せられ、行動を起こしてしまったのは私の咎だ。どんなに謝罪しても足りぬことはわかっている。しかし……──「……そうだ。もう遅い」 けれど、その言葉に対しべヌスは振り返らなかった。 そのまま倒れ伏す婀霧に歩み寄ると、息があることを確認する。 そして、その身体を横たえながら静かな口調で告げた。「そなたの忠臣は無事。気を失っているだけだ」 ようやくべヌスはかつての友をかえりみた。 漆黒の瞳からは、いかなる感情も読み取ることはできなかった。──ベヌスよ、私は……──「言い訳ならば、聞きたくはない。吾の目の前にあるのは、現実だけだ」 その時、ベヌスの目か
Last Updated: 2025-06-30
Chapter: 36 対峙
 水の結晶は、カイの力に呼応するようにちかちかと瞬き始める。 そしてまばゆい光を放つと、それは光神エルト・ディーワの像を結んだ。 その姿を一瞥すると、カイは冷たくこう言い放った。「さっきも言ったとおりだ。俺はもうあんたの道具にはならない。自分でカタをつけてくれ」 言い終えると、カイは腰に履いていた剣を投げ捨てる。 唖然とする一同の視線を背に受けて、カイは振り返ることなく大広間を出ていった。 ディーワとべヌス、そしてやや離れた所に控える婀霧、三者の間にはしばし嫌な沈黙が流れる。 べヌスは現れたディーワの虚像とは目を合わせようとせず、冷たくなったアウロラを見つめるばかりである。 その様子に、婀霧は意を決したように息を飲むと、かすれる声で切り出した。「……最期の時、巫女殿はこうおっしゃいました。陛下にお仕えできて幸せだったと」 瞬間、べヌスの身体がぴくりと動いた。 ゆっくりと顔を上げると、漆黒の瞳を婀霧の方に巡らせる。「……まことか?」 無表情なべヌスの声に、婀霧はうなずく。「こうもおっしゃっていました。いつか必ず、あなたの元へ、と」 言い終えるやいなや、婀霧はうなだれ声を上げて泣き始める。「本当に、申しわけありません。私が……私がもう少し早く巫女殿の元に駆けつけていれば、こんなことには……」 けれど、べヌスは目を伏せゆっくりと頭を左右に振った。「そなたのせいではない。気に病むな。すべては……」 ひとたびべヌスは言葉を切った。 アウロラに視線を落とすと、べヌスは静かな声で告げた。「吾の咎だ。吾が……」 言うと同時に、一筋の涙がべヌスの頬を伝い落ちる。 武神べヌスの涙
Last Updated: 2025-06-30
Chapter: 35 再会
 昼間幾多の生命が散っていった平原を、月明かりが照らしている。 その中を、漆黒の駿馬が駆け抜ける。 乗り手は言うまでもなく闇の神にして王たるべヌスである。 彼が目指しているのは、ブイオの砦。 敵の手に落ちたその場所へ一人で行こうとする彼を、ノクトを始めとする重臣達は止めた。 確かに使者からもたらされた書状にも、一人で来いとは書いていない。 けれど、べヌスは頑として首を縦に振らなかった。 その理由は、アウロラにある。 彼女はただ一人光神の本陣で、諸将と対峙したのだ。 神であり王である自分が、一介の巫女である彼女にさせてしまったことをしない訳には行かない。 そんな矜持と後悔の念が、べヌスをとらえていたのである。 こういった理由で、彼は一人ブイオへ向かっていたのである。 やがて視線の先に、陥落した砦が浮かび上がって見えた。 かつては夜通し明かりが焚かれていたその砦も、今は黒い塊にしか見えない。 飛び降りると、べヌスは手近な杭に馬を繋ぐ。 そして、静まり返るかつての砦に向かい呼びかけた。「弟御、来たぞ。どこにいる?」 と、暗がりの中からぼんやりと明かりが近づいてくる。 思わず腰の剣に手をかけ身構えるべヌスの前に現れたのは、甲冑姿の女性だった。 あの人は、確か……。「わざわざのお出まし、感謝いたします。私は弟君の補佐役……」「……婀霧、だったか?」 その一言で、婀霧は凍りついたように立ち尽くす。 それほどまでに自分は恐ろしい顔と声をしていたのだろうか。 べヌスは取り繕うべく何か声をかけようとしたが、うまく言葉が出てこない。 小さく吐息をもらすべヌスを前に我に返ったのだろうか、婀霧はあわてて一礼する。「失礼いたしました。弟君がお待ちです。どうぞこちらにお越しください」
Last Updated: 2025-06-30
Chapter: 34 後悔
 胸騒ぎを感じて、カイは手綱を引いた。 一瞬闇の軍勢が迫っているのかと思ったが、これは敵意ではない。 儚げで悲しげで強い意志がその原因であることに気が付いて、カイは思わず周囲を見回す。 そのような存在は彼が知る限りただ一人、闇の巫女アウロラである。 だが、本陣に拘束したその人がこの戦場にいようはずがない。 その時だった。 かたわらを固める兵達が、上空を見上げている。 中にはある一点を指差している者もいた。 何事かとカイはそちらに視線を移す。と、遥か上空には使者の証である薄藍の布が、糸の切れた凧のように漂っている。 なぜこのような所に。 疑問に思いながらも、カイは風上に視線を巡らせる。 その方向にあるのは他でもない、陥落したブイオの砦だった。 胸騒ぎが、嫌な予感に変わる。 そこからとって返したい衝動に駆られたが、今は戦の真っ最中である。 総大将がそのようなこと、できようはずがない。 そのカイの苛立ちにも似た内心を悟ったのだろうか、脇を固める重臣達が口々に言った。「弟君、いかがでしょう。そろそろ退かれては……」「我々の力を知らしめるのには、もう充分なのではありませんか?」 一瞬ためらった後、だがカイは首を左右に振る。 相手が防御に徹しているのは、必ずしもこちらが圧しているからではない。 べヌスがあえて防戦に全兵力を傾けていることに、カイは気が付いていた。 その証拠に、派手に戦闘が行われている割には、双方の犠牲はさほど出ていない。 ここで退いてしまっては、自分にとっては最良の結果ではあるが、兄である光神は納得してくれないだろう。 さてどうするか。 カイが決断を下しかねていた、その時だった。彼方から、甲高い音が聞こえた気がして、カイは長い耳をぴくりと動かす。 神経を聴覚に集中し、研ぎ澄ませる。 途切れ途切れに聞こえてくるのは、伝
Last Updated: 2025-06-29
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