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8話. 残すべきもの

Author: 6jay
last update publish date: 2026-10-21 19:38:48

画面に映る腹腔内には、液体がたまっていた。

美咲の血圧と呼吸が維持されているのを確認し、チームは小さな切開からカメラを入れる腹腔鏡で、まず中を調べた。絵里は高瀬とともに腸の状態を見た。画像で異常が疑われたあたりへ近づくと、周囲とは色の違う区間があった。

腸を腹腔内で支えている腸間膜に、損傷があった。そこから血液を受け取る小腸の一部が、本来の色を失っていた。

絵里は、すぐに切るべきだとは言わなかった。腸のどこまで影響が及んでいるか、周囲にほかの損傷がないか、確認が必要だった。

高瀬が画面を見ながら尋ねた。

「どこから見る?」

「全体を確認しながら、まず損傷の範囲をつかみます」

絵里はカメラの向きを調整した。湊が助手の位置で指示を待っている。初日の手術では自分がついていくだけで精いっぱいだった絵里が、今日はほかの人に、何が必要かを伝えなければならなかった。

「三浦先生、そちらを少し」

湊の手が止まった。どちらへ動かせばいいのか、わからないようだった。

絵里はすぐに言い直した。

「今より少し左へ動かしてください。見たいところが隠れています」

「はい」

視野が整った。

高瀬はそのやり取りに口を挟まなかった。代わりに、絵里が見落としそうな部分を示した。2人は腸間膜の損傷周囲を評価し、必要な処置のため、切開を広げてアプローチすることにした。

開腹へ切り替える理由をチームで共有すると、準備が変わった。方針が変わっても、手術室が慌てることはなかった。麻酔チームは患者の状態を伝え、器械担当のスタッフは次に必要なものを用意した。

損傷部位を直接見ると、状態がいっそうはっきりした。

絵里が疑っていた部分は、残せる状態ではなかった。損傷は思ったより深く、一部には腸壁が持ちこたえられずにできた小さな穴もあった。周囲の汚染を抑え、生きていない部分を処置しなければならなかった。

絵里は、午前の画像では確定できなかった部分と、今見える損傷を頭の中で照らし合わせた。

外からは、小さなあざしか見えなかった。美咲は自分の足で車から出て、数時間前まで店に送るファイルを探していた。その第一印象を今の損傷に重ねれば、判断が遅れかねなかった。

「高瀬先生、この区間は切除が必要だと思います」

「両端は?」

問われて、絵里は改めて見た。悪い部分だけを取り除けば終わる手術ではなかった。残す腸が持ちこたえられるか、つないだあとも機能する条件があるか。それも確かめる必要があった。

絵里が自分の判断を伝え、高瀬が同じ部位を直接検討した。

麻酔チームから現在の状態が伝えられた。循環は維持されており、昨日の達夫のように手術を切り上げ、まず回復を待たなければならない状況ではなかった。

高瀬が麻酔チームの報告を聞き、答えた。

「よし。必要な部分を治療して、残す側の状態を見続けよう」

その言葉を聞きながら、絵里は器具を受け取った。

手は、次の動きを知っていた。速いと褒められたことも何度もある。それでも器具を持ったまま、画面を見直した。どこまで残すのかを決めずに、手を動かすわけにはいかなかった。

腸間膜損傷の脇の境界を目でたどる間、麻酔チームの報告が聞こえた。絵里は最後まで聞き、高瀬と目を合わせた。湊も、彼女が位置を示すのを待っていた。

絵里はチームに次の手順を伝えた。湊が必要な視野を維持した。

一度、器具を伸ばしかけて止まった。高瀬が手を上げたからだった。

「もう少し確認しよう」

絵里はすぐに引いた。自分が決めた切除範囲の端が、十分な状態かを再確認するためだった。高瀬の確認が長くなるにつれ、隣の湊の肩が少し硬くなった。

絵里は急がなかった。その間、麻酔チームに今の状態を尋ねた。ここで時間を使えるか確かめてから、術野へ意識を戻した。

高瀬がようやく顔を上げた。

「ここで進めていいと思う」

絵里はうなずいた。

危険な部分を取り除き、腸をつなぐ段階に入った。湊が絵里の動きを見ていた。必要な指示は短く、具体的に出した。曖昧に伝えておきながら、相手が理解しないと急かすことはしたくなかった。

手術が進むにつれ、初めの緊張が少し落ち着いた。手になじんだ感覚が戻り、次の動きを待って器具を宙に持つ時間が減った。

高瀬は難しいところでは一緒に入り、絵里にできることは最後まで任せた。

最終確認で、絵里は損傷部位を見直すだけでは終わらせなかった。最初から確認した内容と、まだ抜け落ちる可能性のある部分を順に整理した。器具とガーゼの確認も終わった。

昨日の患者には、意図して残してきた処置があった。今日は、この段階で治療を終えられた。

午後7時35分、手術部位を覆った。

一歩下がると、膝の裏が張っていた。緊張したまま立ち続けた時間を、一度に感じた。

高瀬が手袋を外しながら尋ねた。

「途中で手を止めた理由、わかった?」

「残す側の状態を、もう少し確認されたんですよね」

「最初に決めたことを早く終わらせようとして、引っ張られちゃだめ。今日はよく待てたね」

「確認が済んだあとは、私が終えられるように待ってくださったじゃないですか」

絵里が答えると、高瀬は外した手袋をまとめた。

「任せたからね。次も、必要なことは言って」

そこでようやく、絵里は手術台から完全に下がった。今日任された手術を、自分の手で終えた。

湊が手術記録を確認しに近づいた。絵里は自分の記憶だけで済ませず、実際に確認したことを一緒に整理した。切除した小腸は約18cm。範囲と吻合部位、汚染の状態、残した腸を確認した結果が記録に入った。

病棟で引き継ぐ人が、手術の範囲と今後の方針を分けて読めるよう、絵里は記録を整えた。

***

美咲の姉は、手術室の外で携帯を握って待っていた。

「相沢佳織です。妹の手術は……」

高瀬が手術で確認したことを説明した。腸間膜損傷で血の流れが悪くなった小腸の一部を切除し、条件を確かめてからつないだこと。回復する中で、まだ確認しなければならないこともあった。

佳織は指で、目の下を一度押さえた。

「たくさん、切ったんですか?」

絵里は必要な範囲を治療したことと、今残っている腸の状態を説明した。この程度なら何も問題はない、とは言わなかった。つないだ部分や感染、腸の機能が戻る過程を見ていく必要があった。

佳織はしばらく聞いてから、携帯を差し出した。

「あの子、朝はこんなのを送ってきたんです」

車の後部がへこんだ写真だった。その下に、短いメッセージがあった。

車はちょっとへこんだけど、私は普通に歩けてる。

佳織は画面を消した。

「ずっと、大したことないんだと思ってました」

絵里は聞いても、うまく慰める言葉を見つけられなかった。事故の写真を見て、今の損傷を予想できるべきだったなどとは言えなかった。

「引き続き経過を見ている中で、状態が変わったため再評価しました。今は必要な治療を終えています。回復室で状態を確認してから、病棟へ移る予定です」

高瀬が説明を続けた。佳織は質問を書き留め始めた。いつ会えるか。今夜はそばにいられるか。店には何日くらいの予定で伝えればいいか。

最後の質問に、絵里は期間を断定しなかった。

「回復の経過を見てお話しします。すぐに仕事へ戻る予定を立てるより、まず数日はほかの方が担当できるようにしておいたほうがいいと思います」

佳織がうなずいた。

「それは、私がやります」

その一言に、絵里はようやく少し楽に息をした。

回復室では、麻酔から覚める過程が続いていた。絵里は申し送りを確かめ、美咲の状態を見た。患者は目を開けては、また閉じた。痛みや不快感は、回復室の担当者も一緒に確認していた。

「相沢さん。手術は終わりました」

美咲が少し大きく目を開けた。視線が絵里の顔を探した。

「先生……」

「はい。ここにいます」

美咲の唇が動いた。絵里が近くに身をかがめた。

「どれ、くらい……」

絵里は言葉を急かさなかった。美咲は息を整えてから、もう一度尋ねた。

「たくさん、切りました?」

外で姉がしたのと、同じ質問だった。

今の患者が理解できるだけのことを、絵里は短く、はっきり伝えた。

「傷んでいた小腸の一部を治療しました。残った部分の状態も確認しています。もう少しはっきり目が覚めたら、改めて詳しくお話ししますね」

美咲がごく小さくうなずいた。

腕を動かして居心地が悪そうにすると、絵里と看護師が毛布の上で楽な位置に直した。それから立ち上がる前に、一言添えた。

「お姉さん、いらっしゃっています。お店のことも、引き受けてくださるそうです」

美咲の額から、少し力が抜けた。

そこでようやく、彼女はまた目を閉じた。

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