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第6話

作者: 局所宇宙論
あの言葉を聞いた夜、私はベランダで一晩中、冬の風に吹かれていた。

あの瞬間、はっきり悟ったのだ。

――もう、彼は私を愛していない。

記憶がふっと途切れたとき、遼真はまだ悲しみに囚われていた。

しかし、紗夜は空気を読まず、軽く笑いながら口を開いた。

「遼真、どうしたの?何を考えてたの?梨央さんのこと?」

彼女は笑っていたが、その瞳の奥で冷たい光が鋭く走った。

「でも不思議よね。黎斗くんがこんな状態なのに、どうして梨央さんは姿を見せないんだろう。子どもを利用して気を引くつもりなら……やりすぎじゃない?」

その言葉に遼真は息を飲んだ。

使用人が言っていた――黎斗は雪の中で意識を失っていたと。

胸が強く締めつけられる。

次の瞬間、彼は弾かれたように立ち上がり、紗夜を突き飛ばし玄関へ駆け出した。

「なっ……!」

紗夜は驚き声をあげたが、遼真はもう階段を駆け下りていた。

慌てて追った彼女は、外に出た瞬間、その光景に息を飲む。

――雪の上。

遼真はほとんど錯乱したように黎斗の身体を抱き上げ、自分のコートを必死に巻きつけていた。

涙は大粒のままぽろぽろと落ち、黎斗の紫色に染まった小さな頬に吸い込まれていく。

「ママ、パパは僕のことで泣いてる?」

霊体となった息子は私の腕の中で、小さく震えながら囁いた。

「パパ、後悔してるのかな」

その黒い瞳には、私だけが映っている。

私はそっと雪を払ってやり、微笑んだ。

「黎斗、パパはクズだね」

息子は瞬きをし、意味が飲み込めないような顔をした。

けれど追及せず、私の手をぎゅっと握りしめ、いつものように無邪気に笑った。

「ママ、僕、ずっと一緒にいるよ」

「うん。ママも、ずっと黎斗と一緒」

遼真は、私たちの声を聞けない。

目の前に私たちが立っていることすら知らない。

彼は震える指で黎斗の鼻先に触れ、三秒後、完全に崩れ落ちた。

「あ……ああ……」

そのまま息子の冷たい身体を抱きしめ、狂ったように叫び、泣き伏す。

「黎斗……ごめん……

ごめん……本当にごめん……

黎斗!パパが悪かった!」

雪の上で、屈強な男が泣きじゃくる。

嗚咽は夜気に裂け、痛いほど響いた。

紗夜は震えながら口元を押さえた。

「嘘……こんな……ただ……怖がらせたかっただけなのに……なんで……」

その瞬間、彼女
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