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第4話

Author: サカエ
「別に、どうもしたくないけど」

そう言って私はスマホとボイスレコーダーをバッグにしまった。

「ただ、忠告しておきたいだけよ、浩輔。

口にする前に、よく考えたほうがいい言葉もあるから。

だって、噂っていうのは、とても怖いものだから」

そう言って、私はあえて、「噂は怖いものだから」という言葉を、一語一句、噛みしめるように口にした。

それを聞いて、浩輔の体は、かすかに震えた。

私が冗談で言っているのではないということを、浩輔は分かったからだ。

私はカウンセラーなんだから、どうやって一番優しい言葉で、相手の心をえぐるかをよく知っているのだ。

それに、人の心の壁をどうやって壊せばいいのかも手に取るようにわかっているのだから。

浩輔は、賭けに出る勇気がなかった。

その瞬間、個室の中は、張り詰めた空気が流れていた。

その沈黙を破ったのは、父だった。

父は私の腕を引いて立たせると、浩輔の一家を睨みつけた。

「いいだろ、離婚はさせてもらう。

だけど、うちの娘がただ泣き寝入りするなんてことは許さない」

父はそう言って、浩輔に目を向けた。

「お前には、全ての財産というしかるべき償いをしてもらうからな」

それを聞いて、浩輔はすぐに飛び上がって反論した。

「ふざけるな!なんでそんなことを!」

そして浩輔の母もすかさず言った。「家はこっちが買ったんだわ!頭金だってほとんど私たちが出した。なんでそれを葵にやらなきゃいけないのよ!」

それを聞いて父は、ふんと鼻で笑った。

「お前らの息子が不倫したからだ。うちは二人の娘をコケにされてしまったからな。

このことが世間に知られたら、浩輔は病院での立場も悪くなるんじゃないのか?

もちろん、お前らには、渡さないという選択肢もある。

その時は、法廷で会うことになるがね。

ついでに、知り合いの記者に頼んで、浩輔の『華麗なる女性関係』についても、大々的に報道してもらおうかな」

この言葉は、浩輔の一家の、まさに急所を突いていた。

彼らが何よりも大事にしているのは、浩輔の将来と名声なのだ。

浩輔の顔色も、みるみるうちに青ざめていった。

彼は私のことを、まるで見知らぬ赤の他人を見るかのように、じっと見つめていた。

多分、今まで浩輔の目には、私はずっと、大人しくて、何でも我慢して、彼の言うことなら何でも聞く妻として映っていたのだろう。

私がこんなに強く出るとは、夢にも思わなかったに違いない。

ましてや、父が私以上に強気でくるとは、予想もしていなかっただろう。

最終的に、折れたのは浩輔の方だった。

「わかった」

浩輔は目を閉じ、苦しそうに頷いた。

「財産は全部やる」

こうして、この茶番は私の完全勝利で幕を閉じた。

料亭を出てから、父はずっと黙っていた。

車に乗ってようやく私の方を向いたが、その目は真っ赤に充血していた。

「葵、すまなかった。お父さんが悪かった。

あの時、お父さんに見る目がなかったばかりに、浩輔のやつは将来有望な青年だなんて信じきって……」

私は首を横に振って、父の手を握った。

「お父さんのせいじゃないよ。

私が、間違った人を選んでしまっただけだから」

しばらく車を走らせていると、長年お世話になっているアンダーソン医師から電話がかかってきた。

電話口のアンダーソン医師の声は、興奮に弾んでいた。

「ご主人の病歴の件ですが、我々のチームが治療に画期的な進展を見出すことができました。

新しい特効薬を開発したんです。物理療法と合わせれば、九割以上の確率で、ご主人の不感症を完治させられるでしょう」

そして電話を切った後、私は窓に映る自分の顔を見つめているうちに、ふと笑いがこみあげてきた。

なんて馬鹿げているんだろう。

私は浩輔の病気を治したくて、必死で治療法を探していたというのに。

当の本人は裏で私の妹と「真実の愛」ごっこに夢中で、挙句の果てに私の方こそ性的障害があるとのレッテルを貼ろうとしてくるなんて。

そう思っていると、車は、青木渉(あおき わたる)の法律事務所の前で止まった。

渉は、父の自慢の教え子で、私の幼馴染でもある。

彼は私を見ると、その目に心配そうな色を浮かべた。

「全部、片付いたのか?」

私は頷いて、手にしていたボイスレコーダーを渉に渡した。

「ええ。浩輔は財産の全てを放棄することに同意したわ」

渉はボイスレコーダーを受け取ったが、その眉間に寄せられたしわがほぐれることはなかった。

「本当にそれでいいのか?あいつをこんなにも容易く見逃してしまって」

そう言いながら、渉は車のドアを開け、私が降りるのを手伝ってくれた。

「さあ、中に入ろう。離婚協議書はもう作っておいた」

渉の後について事務所に入ったが、私の頭の中ではアンダーソン医師の言葉が何度も響いていた。

「九割以上の確率で完治させられます」

私は、ぴたりと足を止めた。

それに気が付いた渉も振り返って尋ねた。「どうした?」

私は渉をまっすぐに見つめた。

「渉、協議書の内容、やっぱり変えたい。

浩輔の家なんて、いらないわ。

私が欲しいのは、彼が社会的に抹殺されることよ」
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