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第240話

Author: かおる
雅臣は驚愕と怒りに駆られていた。

星が――まさか、こんなことを言い出すとは。

彼女は机の上の消毒用ウェットティッシュを取り上げ、無表情のまま顎と手首を拭った。

「そんなに怒ること?

神谷さん、あなたも以前、同じように翔太を使って私に条件を突きつけ、脅したことがあったでしょう?」

ウェットティッシュをゴミ箱へ放り込み、にやりと笑みを浮かべて彼を見やる。

「神谷さんは立派な先生よ。

私はただ、そのやり方を学んだだけ」

脳裏をよぎるのは――清子への謝罪を最後まで拒んだ、あの頑なな表情。

その瞬間、雅臣は呼吸さえ苦しくなるような感覚に襲われた。

確かに、自分はかつて彼女をそうやって追い詰めたのだ。

星は彼の顔色を一瞥し、声を落として言う。

「親友の未来と、愛人の命。

それでも、あなたの財産ほどには重くないの?」

雅臣は眉を寄せ、低く言い放った。

「俺が財産を半分渡すことはあり得ない」

その答えに、星の胸の奥に冷笑が広がる。

雅臣が清子を庇い続けるのも、結局のところ自分の利益を脅かされないからにすぎない。

ひとたび利益が絡めば――清子とて守られはしない。

彼女自身、もとより雅臣の財産を本当に半分奪えるとは考えていなかった。

狙いは最初から――大きく吹っかけたあとで、現実的な落としどころを探ることだ。

「会社の株は渡したくないでしょうし、家の名義を移すのも手続きが面倒だから......」

星は淡々と告げた。

「一括で、二百億。

これで手を打ちましょう」

その瞳が雅臣を射抜く。

「二百億を払ってくれるなら、私は和解書にサインするだけじゃなく、葛西先生を説得して勇に解薬を調合してもらい、清子を救うようお願いするわ」

ふと思い出したように、彼女はさらに言葉を重ねた。

「安心して。

清子の病気は必ず治せる。

神谷さんのお金が無駄になることはないわ。

この間も彼女のために医者を探し回って、少なからぬ費用を使ったでしょう?」

そして静かに数え上げる。

「この二百億には、離婚の慰謝料、ここを壊した修繕費、葛西先生と怜くんへの精神的損失、さらに勇の将来と清子の命の値段も含まれているの。

雅臣、あなたにとっては決して損な取引じゃないはず」

雅臣の目が暗い光を帯び、星の顔に落とされた。

彼は口角をわずかに上げる。

「ずいぶん
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Comments (4)
goodnovel comment avatar
nocccoo
うんうん 致し方ないですね、雅臣母も息子も、清子も勇も皆が脳のアクセスに不具合がありますし。不治の病ですから。
goodnovel comment avatar
美桜
歯が削れるほど(笑)想像しちゃいました。
goodnovel comment avatar
美桜
星が痺れるほどかっこいい!雅臣は自身もクズだけど、周りにも恵まれてないね。まぁ、アホとゲスのせいでクズが地に伏せようと、どうでもいいけど。
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