夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!

夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する!

By:  かおるUpdated just now
Language: Japanese
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夫の初恋の人は、もう助からない病気にかかっていた。 夫の神谷雅臣(かみや まさおみ)はよく星野星(ほしの ほし)に向かってこう言った。「星、清子にはもう長くはないんだ。彼女と張り合うな」 初恋の人の最期の願いを叶えるため、雅臣は清子と共に各地を巡り、美しい景色を二人で眺めた。 挙句の果てには、星との結婚式を、小林清子(こばやし きよこ)に譲ってしまったのだ。 5歳になる星の息子でさえ、清子の足にしがみついて離れなかった。 「綺麗な姉ちゃんの方がママよりずっと好き。どうして綺麗な姉ちゃんがママじゃないの?」 星は身を引くことを決意し、離婚届にサインして、振り返ることなく去っていった。 その後、元夫と子供が彼女の前に跪いていた。元夫は後悔の念に苛まれ、息子は涙を流していた。 「星(ママ)、本当に俺(僕)たちのこと、捨てちゃうのか?」 その時、一人のイケメンが星の腰に腕を回した。 「星、こんなところで何をしているんだ?息子が家で待っているぞ。ミルクをあげないと」

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Chapter 1

第1話

午前1時。

星野星(ほしの ほし)は、小林清子(こばやし きよこ)のインスタをたまたま見てしまった。

「神谷さんと翔太くんからのプレゼント、ありがとう。マグカップは、翔太くんの手作りなんだって」

星は写真を開いた。

ネックレスと手作りのマグカップが、彼女の目に飛び込んできた。

マグカップには、「ママ、誕生日おめでとう」という文字が刻まれているのが、うっすらと見えた。

星は、テーブルの上に置かれた冷めた料理と、ロウソクに火も灯されていない誕生日ケーキに視線を落とし、自嘲気味に微笑んだ。

星は、少し前にスマホに届いたニュースを思い出した。

【スクープ!この街の社交界で有名な貴公子、神谷雅臣(かみや まさおみ)は、なんと既婚者で、5歳になる息子がいた!】

写真には、長身でハンサムな男と、細身で美しい女が、5歳くらいの男の子の手を引いて遊園地を歩いている姿が写っていた。

清子は神谷翔太(かみや しょうた)の頭を優しく撫で、雅臣は彼女をじっと見つめていた。彼の視線は、かつてないほど優しく、温かい。

美男美女と、雅臣にそっくりな男の子。まるで、幸せな家族のようだった。

今日が彼女の誕生日だった。

そして、雅臣との結婚5周年記念日でもあった。

しかし、誕生日を迎えているのは、彼女ではなく清子のようだった。

夫と息子は、彼女の誕生日に清子と過ごし、本来彼女に贈るはずのプレゼントを、清子に渡してしまったのだ。

星は、特に驚かなかった。彼女は、すでにこのような仕打ちに慣れてしまっていた。

清子は、雅臣の初恋の人だった。彼女は助からない病気にかかっていて、余命1年を宣告されていた。

死ぬ前に、もう一度雅臣に会いたいというのが、彼女の最後の願いだった。

雅臣は、清子のためにできることをしてあげたい、どうか理解してほしいと言った。

星は理解したくなかったが、彼を止めることはできないと分かっていた。

あれほど真剣な表情で話す雅臣を見るのは初めてだったからだ。

胸にぽっかりと穴が開いたような、そんな痛みが全身を締め付けた。

どれくらい暗闇の中に座っていたのだろうか。玄関の方から、ドアが開く音が聞こえてきた。

雅臣が、翔太を連れて入ってきた。

ダイニングにいる星を見て、雅臣は明らかに驚いた様子だった。

彼は今日が何の日か忘れてしまっているようで、不思議そうに星を見つめた。

「どうしてまだ起きているんだ?」

星は静かに言った。「あなたと話がしたいの」

雅臣は眉をひそめ、翔太を見た。

「翔太、先に2階に行って休んでいろ」

翔太は目をこすり、あくびをしながら星の横を通り過ぎた。

何かを思い出したように、翔太は足を止めた。

「ママ、誕生日おめでとう」

翔太は、雅臣とそっくりな美しい目で、星を見上げた。

「ママの誕生日を忘れたわけじゃないんだ。僕たちは、ずっと一緒にいられるけど、きれいな姉ちゃんには、もう半年しか残されていないから……

こんなことで怒らないよね、ママ?」

誕生日に忘れられるのと、覚えていながら無視されるのと、どちらが辛いのか。星は分からなかった。

翔太が去ると、重い沈黙が流れた。

雅臣が口を開き、沈黙を破った。

「俺と、どんな話がしたいんだ?」

白いシャツに黒いスラックスを身に着けた男は、まるで絵から出てきたかのように美しく、雪のように冷たい雰囲気を纏っていた。

まるで、夜空に浮かぶ、冷たく遠い月のように。

冷淡で、近寄りがたい雰囲気だ。

星は深呼吸をして言った。「雅臣、離婚しよう」

雅臣の瞳に、わずかな動揺が走った。

しかし、すぐにそれは消え去った。

「星、誕生日のことは忘れない。プレゼントも、ちゃんと用意してある」

「プレゼント?」星は冷笑した。「私の母のネックレスは、小林さんにあげたんだろう?」

そのネックレスは、亡くなった母の形見だった。

息子の翔太を産んだ日に、彼女はそれをなくしてしまったのだ。

雅臣は、必ず見つけると約束していた。

ネックレスは見つかったが、彼はそれを清子にあげてしまったのだ。

雅臣は、悪びれる様子もなく、ただ、彼の普段よりも暗い瞳が、星を見つめていた。

「あのネックレスは、清子に貸しただけだ。しばらくしたら、お前に返す」

「しばらくしたらって、いつのこと?彼女が死んだ後ってこと?」星は聞き返した。

「星!」普段は冷静沈着な彼が、珍しく声を荒げた。

「いい加減にしろ」

いい加減にする。本当に、いい加減だ。

夫の心が自分に向いていないこと、息子が懐かないこと、そして義理の両親に蔑まれる日々にも、もううんざりだった。

雅臣は言った。「清子には、もう半年しか時間がないんだ。翔太でさえ、優しくしているというのに、なぜお前だけがそんなに意地悪なんだ?」

この時、星はもう我慢するのをやめた。

冷たい声で、彼女は言った。「彼女にどれだけの時間があろうと、私に関係ないだろう?彼女は私の家族でも何でもない。どうして私が彼女に我慢しなければならないの?」

今まで従順だった星から、こんなひどい言葉を聞かされるとは、雅臣は思ってもみなかったようだ。

彼の瞳は、まるで氷のように冷たくなった。「星、俺たちは合意したと思っていたんだが」

星は冷笑した。「彼女が初恋の思い出に浸りたいからって、私はあなたと彼女が再び恋を始めるのを見守らなければならないの?

彼女が結婚気分を味わいたいからって、私が半年かけて準備した結婚式を彼女に譲ったの?

私が何もできないとでも思って、目の前で、あなたたちは翔太の手を引いてバージンロードを歩くの?

彼女が世界中の美しい景色を見たいからって、あなたは彼女を世界一周旅行に連れて行った。

彼女が月が欲しいと言えば、あなたはなんとかして取ってきてあげたんだろうね?」

星と雅臣は5年間、秘密裏に結婚生活を送っていて、結婚式は挙げていなかった。

ある日、翔太がウェディングドレス姿のママを見てみたいと言い出したので、雅臣は結婚式を挙げることに決め、星に準備を任せた。彼女の好きなようにやっていいとまで言ったのだ。

星が半年かけて入念に準備を進めていた結婚式は、清子の一言で奪われてしまった。

雅臣の視線は冷たくなった。「星、お前はやりすぎだ」

やりすぎ……

星は胸が詰まり、失望のあまり目を閉じた。

結婚して以来、彼女は妻として、母として、完璧であろうと努力してきた。

しかし、どんなに努力しても、雅臣は彼女によそよそしかった。

彼女は、彼がそういうクールな性格なのだと考えていた。

しかし、彼の初恋の人が現れて初めて、いつも冷静沈着な雅臣の中に、あんなにも熱い想いが秘めていたなんて、彼女は知ったのだ。

彼女はテーブルの上に置いてあった、すでにサイン済みの離婚届を手に取った。

「私はもうサインしたわ。あなたも早くサインして。清子が生きているうちに、彼女を正真正銘、あなたの奥さんにしてあげたら、きっと喜ぶわ」

雅臣は唇を固く結び、その端正な顔が凍りついたように見えた。

それは、彼が非常に不機嫌であることを示していた。

「翔太はどうするんだ?」

星は小さな声で言った。「あなたたちに任せる」

彼が何かを言おうとしたその時、彼のスマホが鳴った。

「雅臣、大変!清子が急に倒れて、救急車で運ばれたの!」
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第1話
午前1時。星野星(ほしの ほし)は、小林清子(こばやし きよこ)のインスタをたまたま見てしまった。「神谷さんと翔太くんからのプレゼント、ありがとう。マグカップは、翔太くんの手作りなんだって」星は写真を開いた。ネックレスと手作りのマグカップが、彼女の目に飛び込んできた。マグカップには、「ママ、誕生日おめでとう」という文字が刻まれているのが、うっすらと見えた。星は、テーブルの上に置かれた冷めた料理と、ロウソクに火も灯されていない誕生日ケーキに視線を落とし、自嘲気味に微笑んだ。星は、少し前にスマホに届いたニュースを思い出した。【スクープ!この街の社交界で有名な貴公子、神谷雅臣(かみや まさおみ)は、なんと既婚者で、5歳になる息子がいた!】写真には、長身でハンサムな男と、細身で美しい女が、5歳くらいの男の子の手を引いて遊園地を歩いている姿が写っていた。清子は神谷翔太(かみや しょうた)の頭を優しく撫で、雅臣は彼女をじっと見つめていた。彼の視線は、かつてないほど優しく、温かい。美男美女と、雅臣にそっくりな男の子。まるで、幸せな家族のようだった。今日が彼女の誕生日だった。そして、雅臣との結婚5周年記念日でもあった。しかし、誕生日を迎えているのは、彼女ではなく清子のようだった。夫と息子は、彼女の誕生日に清子と過ごし、本来彼女に贈るはずのプレゼントを、清子に渡してしまったのだ。星は、特に驚かなかった。彼女は、すでにこのような仕打ちに慣れてしまっていた。清子は、雅臣の初恋の人だった。彼女は助からない病気にかかっていて、余命1年を宣告されていた。死ぬ前に、もう一度雅臣に会いたいというのが、彼女の最後の願いだった。雅臣は、清子のためにできることをしてあげたい、どうか理解してほしいと言った。星は理解したくなかったが、彼を止めることはできないと分かっていた。あれほど真剣な表情で話す雅臣を見るのは初めてだったからだ。胸にぽっかりと穴が開いたような、そんな痛みが全身を締め付けた。どれくらい暗闇の中に座っていたのだろうか。玄関の方から、ドアが開く音が聞こえてきた。雅臣が、翔太を連れて入ってきた。ダイニングにいる星を見て、雅臣は明らかに驚いた様子だった。彼は今日が何の日か忘れてしまっているようで、
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第2話
雅臣は眉間に皺を寄せ、「すぐ行く」とだけ言うと、星を振りかえって見ることもなく、早足で部屋から出て行った。星は、無表情で彼の背中を見送った。こんな真夜中に清子の「危篤」の連絡を受けて、彼が家を出て行ったのが何度目なのか、彼女にはもう分からなかった。……翌朝、星はスーツケースを引き、家を出ようとしていた。翔太の部屋の前を通りかかった時、星は思わず足を止めた。しばらく迷った後、離れる前に、彼女は翔太に会うことにした。翔太は早産で生まれた。そのため、翔太は生まれつき体が弱かった。だから、星は翔太に関することなら何でも自分でやろうとして、人には頼らなかった。翔太は雅臣にそっくりで、冷淡な性格まで彼に似ていた。今日は週末で翔太は学校が休みだったから、部屋で宿題をしていた。星が部屋に入ってくると、彼はいつものように「ママ、おはよう」と挨拶し、また宿題に集中した。星は、翔太の雅臣にそっくりな横顔を見ながら言った。「翔太、私は行くわ。元気でね」翔太は顔も上げずに「うん」とだけ答えた。清子が現れてから、翔太は星によそよそしくなっていた。清子はインスタに、ある動画を投稿していた。動画の中で、翔太は綿菓子を食べながら、こう言っていた。「僕はきれいなお姉ちゃんと一緒にいるのが好き。色んな美味しいものがたくさん食べられるから」清子が尋ねた。「翔太くん、お母さんはあなたのことを可愛がってくれないの?」「ママはいつも口うるさいんだ。あれもしちゃダメ、これも食べちゃダメって」「じゃあ、翔太くんは、お姉ちゃんとお母さん、どっちの方が好きなの?」「きれいなお姉ちゃんに決まってる!ママがお姉ちゃんの半分でも優しくしてくれたら、嬉しいんだけどな」星は知っていた。厳しい自分よりも、何でも許してくれる優しい清子の方が、翔太にとって魅力的だったのだ。彼女は息子の体調管理のために、毎日彼が時間通りにちゃんと寝るのを見守っていた。翔太は胃腸が弱かったので、ジャンクフードも食べさせなかった。星の細やかなお世話のおかげで、翔太は健康を取り戻し、昔のようにすぐに体調を崩すことはなくなった。しかし、彼は星から、どんどん遠ざかっていった。星が部屋を出ようとした時、翔太が彼女を呼び止めた。「ママ」星は振り
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第3話
雅臣と清子を見ると、彩香は思わず眉をひそめ、目に嫌悪感を浮かべた。冷ややかな口調で、彩香は言った。「このバイオリンは売りません」清子は眉をわずかに動かし、彩香の隣に立つ星に視線を向けた。清子の可憐な美しさとは対照的に、星は落ち着きのある雰囲気を纏っていた。整った卵型のフェイスライン、美しい目元、吸い込まれそうな瞳。まるで絵画から抜け出してきたかのような趣のある美人だった。星を見た瞬間、清子の目に、微かな光が宿った。彼女は星に近づき、少しばかりに懇願するような表情で星を見つめた。「星野さん、この夏の夜の星はお友達のもの?もし差し支えなかったら、少しの間、貸してくれない?私と雅臣は、バイオリンをきっかけで出会ったんだ。私が裏庭でバイオリンの練習をしていた時、雅臣が私の演奏に惹かれて、それをきっかけに、私たちが付き合うようになったんだ。彼は、私のバイオリンを聞くのが大好きなの。星野さん、私にはもう、あとどれくらい頑張れるのかわからないし、コンサートが成功するかもわからない。でも、せめて最後にもう一度だけ、全力を尽くしたいの」わざとなのか、偶然なのか、清子は軽くうつむき、首元にかかっているあの見覚えのあるネックレスを見せた。照明の光がネックレスに反射し、キラキラと輝いていた。星は、その光に目を射抜かれたような気がした。彼女は冷たい声で言った。「この世界では、毎日誰かが死んでいる。不治の病の患者が私の前に現れるたびに、私が耐え続けなければならないの?」そんなひどい言葉を投げかけられたことがなかったのか、清子の目はみるみるうちに赤くなった。涙が彼女の目からこぼれ落ちそうだった。雅臣の表情が険しくなった。「星、ただのバイオリンじゃないか。どうしてそんなに意地悪になるんだ?もしバイオリンが欲しいなら、新しいのを買ってやる」星は彼を見つめた。「ええ、ただのバイオリンなんでしょう?彼女が欲しいなら、新しいのを買ってあげればいいじゃない。どうしてよりによって私のバイオリンじゃないといけないの?」清子は横で懇願した。「星野さん、どのようにしたらバイオリンを貸してくれる?条件があるなら、何でも言って」どんな条件でも出せと言うが、結局、全部を応じるのは雅臣でしょう。星は冷笑した。「小林さんは、私の母のものがお好
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第4話
翔太は口を尖らせた。「もう、だいぶ良くなったんだ。先生も、少しなら大丈夫だって。ママはいつも僕のことを何でも管理しようとして、僕の好きにさせてくれないよ」5歳児の口から「管理」という言葉が出てくるのは、少し奇妙だった。雅臣が何かを言おうとした時、彼のスマホが鳴った。電話に出ると、清子の声が聞こえてきた。「雅臣、もう家に着いたの?」「ああ」「星野さんは、まだ帰ってきてないの?」雅臣は数秒間沈黙した後、尋ねた。「どうしたんだ?」「雅臣、私、星野さんを見かけた気がするわ」清子は躊躇しながら言った。「若い男性と食事をしていて、とても親しそうな様子だったの」清子は少し間を置いて、慎重に尋ねた。「もしかしてまた昼間のことで、星野さんが怒っているのかしら?雅臣、あなたは星野さんとちゃんと話し合った方が良いんじゃない?」雅臣の顔が曇った。星は、家の夕食も作らず、他の男と会っていたのだ。彼の口調は、思わずと冷たくなった。「彼女はいま、どこにいるんだ?」清子はある場所を言った。雅臣は「分かった」と言って電話を切った。……レストランで、川澄奏(かわすみ かなで)は星を見つめていた。「本当に決めたのか?」星は頷いた。「夏の夜の星は母が私のために特注してくれたものなのに、家庭のために5年間も弾くことを諦めていた……」そう言って、彼女はため息をつき、寂しそうな表情を浮かべた。奏は低い声で言った。「今はどうするんだ?復帰したら、コンサートで忙しくなるだろう。夫と子供と過ごす時間なんて、ほとんどなくなるぞ」「翔太の体は、もう大丈夫」星の目に、かすかな嘲りが浮かんだ。「それに、彼はもう私の世話なんて、必要としていないわ」「雅臣は?彼は納得するのか?」奏が尋ねた。雅臣の名前が出た途端、星の目線は冷たくなった。「自分のことは、自分に決めさせて」奏はしばらく彼女を見つめた後、言った。「だが、彼は君が私と会うことを許してないんだろう」「彼の許可なんて必要ない」そう言うと、星は雅臣の言葉のせいで、奏と距離を置いてしまったことを思い出し、申し訳なさそうな表情になった。「先輩、ごめん」奏は首を横に振った。「星、君が謝るようなことじゃない。私が悪かったんだ。君のお母さんに君を守ると約束したのに。
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第5話
星が振り返ると、雅臣の後ろに翔太が立っていた。翔太は星に話しかけていたが、心配そうな視線は清子に向けられていた。昔から、清子が少しでも体調の異変を起こすと、雅臣と翔太は過剰なほど心配していた。ある日、4人で公園に行った時のこと。清子は、熱中症になってしまったのか、それともただ持病が悪化したのかは分からないが、突然、倒れそうになった。雅臣と翔太は、同時に清子の元へ駆け寄った。雅臣は慌てて駆け寄ろうとするあまり、星を突き飛ばしてしまった。しかし、誰もそのことに気づかなかった。皮肉なことに、後で雅臣は、星のけがに気づき、そのけがはどうしたのかと尋ねられたのだ。今でも息が絶えそうなか細い声が、星の思考を遮った。「翔太くん、私が勝手に倒れそうになっただけよ。お母さんとは関係ないわ」清子は翔太に向かって首を横に振り、涙を流した。その姿は、見るに堪えないほど可憐だった。「私の体が弱いせいで、本当にごめん……」翔太は口を尖らせた。「でも……僕は見たんだ。ママが清子おばさんを突き飛ばしたの」そう言うと、彼は星の方を向き、真剣な表情で言った。「ママは、間違ったことをしたら謝らないといけないって、僕が小さい頃から言ってるよね?大人なのに……約束を破るつもり?」星は翔太の体調管理に、大変な苦労をかけた。しかし、彼の勉強については、ほとんど何もしていなかった。翔太はまだ5歳だというのに、3ヶ国語も堪能し、口が達者だった。時には、大人を言い負かすこともあった。雅臣の母親は、翔太の賢さは、雅臣の幼い頃にそっくりだと言っていた。しかし今、翔太は、きれいなお姉ちゃんのために、星を責めていた。彼女は大人であり、翔太の母親でもあるため、当然模範的な姿を示さなければならない。自分ができていないことを、子供に要求することなんてできない。約束を破ったら、今後、どうやって子供を教育すればいいのだろうか?星は、清子の周りを囲んでいる大人と子供、二人の姿を見た。ふと、自分よりも、彼らのほうがよっぽど家族らしいと感じた。この親子には何も期待していなかったはずなのに、翔太の態度に、星は胸を締め付けられた。彼女は翔太の目を見つめ、「確かに、間違ったことをしたら謝らないといけないって、言ったわね。でも……」と言っ
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第6話
彼は翔太に言った。「翔太、ここで待っていてくれ」雅臣が清子の応急処置をするのだと理解した翔太は、素直に頷いた。雅臣が去ってまもなく、隣のテーブルから、小さな話し声が聞こえてきた。「太郎、見て、あの子、君より小さいのに、お母さんを守って、愛人を追い払ったのよ。今度、そのような悪い女を見かけたら、あの子を見習ってね。絶対に怖がっちゃダメよ。分かった?」翔太は声に気づき、そちらの方を見た。30歳くらいの女性が、7、8歳くらいの男の子を連れて、隣のテーブルで食事をしていた。山口太郎(やまぐち たろう)という名前の男の子は、大きく頷いた。翔太がこちらを見ているのに気づき、太郎は椅子から飛び降りて、彼の前にやってきた。「あなたはすごいね!僕にも愛人を追い払う方法を教えてくれない?」翔太は少し戸惑った。「愛人?」太郎は、翔太が「愛人」の意味を知らないと思ったのか、真剣に説明し始めた。「パパとママの仲を壊す人のことだよ。愛人っていうんだ。愛人のせいで、パパとママは離婚することになって、ママは悲しむの。そんな女、最低だ!」太郎は怒った顔をした。「最近、パパに付きまとっている悪い女がいるんだ。でも……」太郎の顔に、落胆の色が浮かんだ。「でも僕には、愛人を追い払ってママを守る方法が分からない」彼は翔太を見上げ、憧れの眼差しを向けた。「すごいよ!たった一言で愛人を追い払って、あなたのパパとママを仲直りさせたんだから。僕にも教えてよ、どうやって愛人を追い払ったの?」翔太はまだ状況を理解できていなかった。「パパとママが仲直り?」でも、ママは自分から出て行ったはずなのに?太郎は不思議そうに彼を見つめた。「今、あなたが一言で愛人を追い払ったから、あなたのパパはママを抱えて出て行ったんじゃないの?」ママ?太郎は清子のことを、翔太の母親だと勘違いしていたのだ。その時、太郎の母親が近づいてきた。彼女は翔太の頭を撫で、褒めた。「坊や、お母さんの味方をしてあげたの偉いわね。うちの太郎ときたら、飴玉一つであの悪い女の味方をしたんだから」太郎は恥ずかしそうに頭を掻き、小さな声で言った。「だって、ママはいつも飴玉をくれないんだもん。我慢できなかったんだ」「飴玉をあげないのは、虫歯になるといけないからよ。大人にな
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第7話
つまり、誰かが教えていなければ、翔太がこんな言葉を口にするはずがない、ということだ。雅臣は何も言わなかったが、固く結ばれた唇と、急に冷たくなった場の空気は、彼の不快感を物語っていた。翔太は敏感な子供だった。雅臣は何も言わなかったが、彼の不機嫌さを感じ取れた。翔太は口を開き、とっさに弁明しようとした。「ママが言ったんじゃない……」しかし、清子に言葉を遮られた。「翔太くん、分かっているわ。こんなこと、星野さんが言うはずないもの。きっと、ほかの人が適当に言ったでしょう?」清子の言葉の真意を理解できなかった翔太は、彼女が全てお見通しだと思い、真剣に頷いた。「うん。レストランで他の人の話から聞いたんだ」清子は優しく言った。「翔太くん、おばさんはあなたを信じているわ」翔太は笑顔を見せようとしたが、何かを思い出し、真顔になった。彼は助手席に座る清子を見つめ、しつこく答えを求めた。「小林おばさんは愛人になるの?」雅臣は眉をひそめ、何か言おうとしたが、清子に止められた。彼女は雅臣に向かって小さく首を横に振り、翔太に言った。「翔太くん、忘れたの?おばさんには長くてもあと半年しか生きられないのよ」普段、翔太は自分のことを「きれいなお姉ちゃん」または「清子おばさん」と呼んでいた。しかし、彼が急に「小林おばさん」と他人行儀に呼んだことに、清子は危機感を覚えた。この子はまだ5歳だが、普通の子供と同じように扱ってはいけない。翔太はハッとして、そのことを思い出したばかりのようだった。なぜそんなことを聞いてしまったのか、彼自身も分からなかった。彼は少し後悔し、落ち込んだ。清子おばさんはこんなに優しくていい人なのに、どうして疑ってしまったんだろう?それに、彼女にはもう長くはないのだ。翔太は賢いが、まだ5歳だった。彼は気づいていなかった。清子は、最後まで彼の質問にきちんと答えていなかったことに。彼は下唇を噛み、申し訳なさそうに言った。「小林おばさん、ごめん」清子は微笑んで優しく言った。「もういいわ。翔太くん、何が食べたいか考えといて。おばさんがご馳走するわ」翔太はすぐにさっきのちょっとした出来事を忘れて、清子と楽しそうに食べ物の話を始めた。「清子おばさん、今日はフライドチキンが食べたい!」
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第8話
彼女は目をこすり、見間違えではないことを再確認した。翔太は、田口の不可解な行動を見て、思わず尋ねた。「田口さん、どうしたの?」田口は恐る恐るスマホを雅臣に手渡した。「神谷様、これを……」雅臣はスマホを見た。星がグループチャットから退会したのだ。雅臣の表情が、さらに険しくなった。次の瞬間、雅臣のスマホが鳴った。電話口から、清子のすすり泣く声が聞こえてきた。「雅臣、どうしよう?星野さんは本当に怒ってるみたい……」雅臣は、ふと星のことを思い出した。星が涙を流しているのを見たのは、数えるほどしかなかった。星が清子を池に突き落とし、集中治療室に入院させたあの一度だけ、彼女は自分の過ちを認めようとはしなかった。謝罪しなかった罰として、自分は翔太を連れて神谷本家に帰り、星に、清子に謝罪しなければ二度と翔太に会わせないと言い放った。その時、翔太は持病を悪化し、高熱を出していた。星は神谷本家まで追いかけてきたが、自分は誰にも彼女を家に入れるなと命じた。夜になると、激しい雨が降り始めた。家族全員が翔太の看病に追われ、外で待っていた星のことはすっかり忘れてしまっていた。執事に言われてはじめて、自分はようやく星の存在を思い出したのだ。びしょ濡れになった星が家の中へ連れてこられた。その時、自分は初めて、星が泣いているところを見た……清子の泣き声が、彼の思考を遮った。「今、星野さんがグループチャットから退出したの。雅臣、もういいわ。星野さんが薬膳を作ってくれないなら、無理に頼むのはやめよう……」なぜか、雅臣はわずかな苛立ちを覚えた。「ああ」雅臣のそっけない反応に、清子は思わず泣き止んだ。雅臣は静かに言った。「薬膳が体に良いのであれば、専門家を雇って、お前の健康管理をさせる。生活の世話も、全て任せよう」清子はとっさに拒否した。「雅臣、そこまでしなくても……」薬膳なんて、美味しくない。星が作ってくれた薬膳は、一口も食べずに、全部捨てていたのだ。自分がずっとリクエストをしつづけたのは、ただ星を困らせたかっただけだった。しかし、雅臣は彼女の考えていることを知らず、「それで決まりだ。俺はまだ用事があるから、これで切る」と言った。清子は、すでに切られた電話を呆然と見つめていた。日
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第9話
星が振り返ると、傲慢そうな若い男が数人の仲間とこちらに向かって歩いてきた。星はすぐに男の正体に気が付いた。山田勇(やまだ いさむ)。雅臣の友人であり、清子を心から慕う一人でもあった。星が雅臣と付き合い始めた日から、勇は事あるごとに彼女を見下し、冷ややかな嘲笑を浴びせ続けた。清子が戻ってきてからは、なおさら調子に乗り、清子と雅臣の間の使い走り役を買って出ていた。清子が少しでも体調を崩すと、勇はすぐに雅臣に電話をかけ、彼を呼び出した。彼は何度も星に、清子に妻の座を譲るよう迫った。勇は星の前に立ち、嘲るような視線を向けた。「専業主婦、家で大人しく夫の心を掴む方法でも勉強してればいいものを、こんなところで何をしているんだ?人前に出て飲み歩くなんて、専業主婦のすることじゃないだろう」星は、教養と知性を備わりながらも、同時に家事も完璧にこなしていた。非の打ち所がないほどだった。それを知った勇は、星を「専業主婦」と呼ぶようになった。それからというもの、雅臣の周りの友人たちは皆、星に会うたび、星の事を「専業主婦」と呼ぶようになった。勇の態度と口調は非常に人に不快をもたらすもので、彩香は眉をひそめた。星の表情も険しくなった。その様子を見た勇は反省するどころか、むしろ口笛を吹いて、わざと大げさに星を見つめて面白がっていた。「おやおや、また怒ってるのか?専業主婦、まさかこんな冗談も通じないのか?」勇の仲間たちも、囃し立てた。「そうだそうだ、雅臣の妻であるくせに、度量が狭すぎるんじゃないか?雅臣に恥をかかせるなよ!」「勇が言ってることも間違ってはないだろ?お前は家で夫と子供に仕えるだけの専業主婦なんだろ?」「当たり前だろ、専業主婦ごときが清子と張り合うなよ。清子はA音楽大学を卒業してるんだぞ!」「A音楽大学を知らないのか?世界トップ5に入る音楽大学なんだぞ!」それを聞いて、彩香は星を見た。「清子もA音楽大学出身?聞いたことないんだけど……」勇は彩香を一瞥し、鼻で笑った。「世間知らずだな。お前の知らないことなんて、山ほどあるんだよ。いい子ちゃんなんだから、もっと外に出て、世の中の事を勉強したらどうだ?」初めてあったばっかりなのに、またしても初対面の相手にニックネームをつけた。彩香は眉を
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第10話
雅臣は苛立ち、冷たく言った。「もういい」勇が何かを言おうとしたが、清子が彼を止めた。「もういいのよ、勇。今日は航平の誕生日でしょう?中に入ろう」雅臣の機嫌が悪いことを察した勇は、それ以上何も言わずに黙ってしまった。……個室の中で、彩香はもともと何人か男性ホストを呼びたがっていたが、星がどうしても嫌がるので、諦めてしまった。「ここのホストはイケメン揃いで、体もムキムキなのよ!腹筋も割れてて……触ってみたら分かるわよ、もう最高だから!」星は言った。「私はもう雅臣と離婚するつもりでいるの。今はなるべく慎重に行動して、相手に言いがかりつけられないようにしたいの、余計なトラブルは避けたいから」彩香は考え込むように頷いた。「確かに、後で何を言われるか分からないものね」じっとしていられない彩香は、ホストを呼べないので、カラオケを始めた。どれくらい時間が経っただろうか、星のスマホが振動した。星は電話の相手を確認し、奏からだと分かった。彼女は彩香に合図をし、電話に出るために部屋を出た。奏は、音楽スタジオ設立の件で電話をかけてきたのだった。彼の所属事務所との契約期間が終了したことや、そして星が復帰を考えていることから、奏は自分たちの音楽スタジオを作ろうと考えていた。星は、それを聞いてすぐに承諾した。電話を切ると、星はトイレに行った。トイレから出ると、洗面台で化粧を直している清子と鉢合わせた。星は彼女を一瞥し、そっけなく視線を逸らした。水道の蛇口をひねり、手を洗って出て行こうとした時、清子が彼女を呼び止めた。「星野さん」星は振り返り、「何か用?」と尋ねた。清子は微笑み、バッグから何かを取り出した。「星野さん、これ、何だか分かる?」清子の手には、古びたお守りが握られていた。星は眉をひそめ、息を呑んだ。清子は微笑みながら言った。「翔太くんから聞いたが、このお守り、翔太くんが病気の時、星野さんがお寺で一晩中、祈願して、もらったものなんだね」星は表情を変えずに言った。「それで、何が言いたいの?」清子は手のお守りを揺らしながら言った。「翔太くんが言うには、あなたがこのお守りを祈願してもらってきてから、彼の病気が治ったそうなんだ。だから、翔太くんはこのお守りを私にくれた。私も、このお守りの
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