清の怒りを孕んだ視線を真正面から受け、助手は一瞬息を詰まらせた。何も言えず、宝石の箱をしっかりと持ち直し、来た道をそのまま引き返していった。梨花は、そっと清の顔をうかがいながら聞いた。「……怒ってる?」「怒ってないよ」清は少し間を置いてから、彼女の表情を見て言葉を継いだ。「俺の前では、そんなに気を使わなくていい。言いたいことは、ちゃんと口にして」だが、それでも――彼は孝典のことや、あの宝石に関しては何も説明しなかった。オークションが終わり、退出する人の波の中で、清が一度だけ後ろを振り返った。その視線の先に孝典がいたのかどうか、梨花には分からなかった。けれど、彼らの間に何か隠
「なんだよ、それ!全然フェアじゃないだろ!」「そうよ、私たちはみんな、御社の信用を信じて参加したのに!」「黙ってあんな高価な品を横流しなんて、あまりに非常識じゃないですか!ちゃんと説明してください!」観客たちの怒りは一気に爆発した。司会者は冷や汗をかきながらも、今さら後には引けず、覚悟を決めて次の言葉を口にした。「この紫の宝石は……藤屋社長に贈呈されます」その名を聞いた瞬間、激高していたご婦人たちの表情が一斉に変わった。藤屋家――この都市の半分を牛耳る大財閥。残る半分を支配しているのは、あの葉野家だ。しかも藤屋家には、現代唯一の後継者がいる。海外留学を終えて帰国したばかりの、孝
孝典の視線は梨花に注がれていた。しかし、口を開いたのは周囲の人々に向けてだった。「そろそろオークションが始まります。見逃したくない方は、早めにご準備を」その言葉に、孝典がこれ以上この話題に関わる気がないことを、周囲の人間はすぐに察した。場にいるのは全員が空気を読む達人ばかりだ。「藤屋社長のおっしゃる通り!今回のオークション、絶対に見逃せないですよ!」「そろそろ会場に移動しましょうか」そう口々に言いながら、皆が動き出そうとしたそのとき、場内の照明が一斉に落とされた。一瞬、軽いざわめきが走る。すぐに中央に一筋のスポットライトが灯り、進行役の司会者が登場した。一通りの挨拶を終えると、
梨花はすぐに「すみません」とだけ言って、足早に通り過ぎようとした。しかし――「おいおい、ぶつかっといて謝って終わり?そんなうまい話あるかよ!」荒々しい声と共に、腕を乱暴に引かれた。その勢いで梨花は壁にぶつかり、思わず「あっ」と声を上げた。その瞬間、男の酔いが一瞬醒めたのか、彼女の顔をまじまじと見つめた。そして、その小さな目がぎらりと光る。「おお……いい顔してんな。一晩、いくらだ?おれがまとめて払ってやるよ」太い腹の男はニヤつきながら、舐め回すような目で梨花を見た。どう見ても、彼女のことを夜の女と勘違いしているようだった。実際、この船にはそういう女たちも少なくなかった。コネで乗
梨花は、清が何を心配しているのかすぐに察した。そして彼を安心させるように、やさしく微笑んだ。「大丈夫。すぐ戻るから。もし橋屋社長との話を終えても私が戻ってなかったら、その時は探しに来て……これで、少しは安心した?」そう言われてようやく、清は彼女を送り出す気になった。クルーズ船は広く、梨花はしばらく迷いながらようやくトイレを見つけた。まるで金でできたような内装。壁は金色に輝き、洗面台には大きな鏡。鏡の縁には繊細な装飾が施されており、どこを見ても豪華さに満ちていた。手を洗い、戻ろうとしたその時。扉の外で、足が止まった。「梨花。こんなところで会うなんて、奇遇だね」声の主を見て、梨花は
ウェイターたちはグラスを手に、人々の間を行き交っていた。梨花は清の腕に軽く手を添えて、クルーズ船のデッキへと上がってきた。その姿はすぐさま幾つかの視線を集めた。理由は簡単だった。――彼女が、あまりにも美しかったから。深い紺色のドレスには小さな星のようなビジューが散りばめられ、光を浴びてきらめくその様は、まるで波打つ夜の海。静かでいて、底知れぬ深さを感じさせた。ふんわりと巻かれた髪が彼女の雰囲気を一層引き立て、ドレスの裾を軽く持って歩く姿は、まるで伝説の人魚姫が現れたかのようだった。このクルーズ船には、様々な人々が集まっていた。ビジネス界の新星、海外からの投資家、そして明らかに「狩り