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第9話

作者: 美桜
last update publish date: 2026-07-06 10:11:26

美華は告げた。

「いいえ、特には。私が彼女への補償で2億円あげたらあっさり受け取って、二度と都月渉とは関わらない…て約束してくれたわ」

「……」

渉は、それを聞いて唇を震わせた。

2億円…。やっぱり…やっぱり彼女は、お金さえ貰えれば何でもするのか?俺を、好きなんじゃなかったのか…?なぜだ!?なぜ、そんなに簡単に去って行けるんだ!?

ドガッ!

彼は悔しくて、目の前のテーブルに拳を叩きつけた。

一方美華は、その血の滲む拳をただ、冷めた目で見つめていた。

ふん…バカみたい。彼女があなたの元を去ったのは、あなたが彼女を信じさせなかったからよ。あなたが、あなたの気持ちを優先して、彼女の気持ちを知ろうとしなかったから、彼女に見限られたのよ。彼女の好意に気がついてたくせにそれを確認もせず、ただ自分だけがそれを享受して、自分の心を見せなかったから、彼女はあなたに愛されていないと思ったのよ。

「…まさか、彼女がただお金の為にあなたの側にいたとでも思ってるの?」

美華は、額に青筋を浮かべて怒りに顔を歪める渉に、嘲るような口調で言った。

「……」

「都月渉。あなた、自分の側にいた女がどうしてそこにいたのかも分からないくせに、今更そんな〝傷ついた〟みたいな顔をするのね」

彼女はサッと立ち上がり、未来の夫に言った。

「とにかく、そういうことだから。無駄な捜索なんか止めて、彼女を自由にしてあげるべきよ」

そうして、自身もさっさとこの家を後にしたのだった。

バタンッ…

玄関のドアが閉まる音が響く中、渉は呆然と呟いた。

「自由…」

彼の頭の中は、これまでの香織の顔や言葉がぐるぐると渦巻いていた。

*

香織は、入社当初から有能だった。

媚びない、手を抜かない、誰もやりたがらない仕事も率先して引き受ける。

渉だけでなく、多くの幹部が彼女を引き抜いて、専属秘書にしたいと考えていた。

渉は知っていた。彼女の容姿に目をつけている者も、いることを。

だからこそ彼は、香織を自分の側に置いた。能力を評価していることもあるが、それ以上に、守る意味もあった。

だが、しばらくしてー。

彼女は金を借りに来た。

膝をつき、頭を下げ、必ず返すからと繰り返した。

その姿を見て、渉はただ失望した。

結局、お前も金か…。

だが翌日も、香織は変わらず出社していた。

いつも通り有能で、いつも通り無口で。

まるで、何事もなかったかのようにー。

逃げもせず、媚もしない。崩れもしない。その態度が、逆に渉の意識に残った。

その夜ー。

パーティーで事件は起きた。

誰かが渉の酒に薬を盛ったのだ。

身体が焼けるように熱い…。

その時彼は、香織のことを思い出した。

「山内を呼べ。300万だ」

そうして、香織は来た。

躊躇いも、言い訳もなかった。彼女は、自ら衣服を脱いだー。

その夜のことは、ただの一度では片付けられなかった。

身体だけではない。彼女の反応、息遣い、そしてベッドの隅で丸まる姿ー。その全てが、妙に強く心に残った。

この女だー。

翌朝、眠る横顔を見ながら、彼は決めた。

「恋人契約を結ばないか?」

彼女は喜ぶでも、嫌悪するでもなく、ただ淡々と頷き、そして2人の関係は始まったのだった。

契約期間を尋ねられた時、渉は一瞬、怒りが湧き上がってきた。

だがそれを顔に出すほど、自分はバカじゃない。

「3年だ」

そう言ったのは、なんとなく、適当に、だった。

それだけあれば彼女の本性も知れると思ったし、自分も、この理由のわからない苛つく気持ちを整理できると思ったからだった。

*

婚約ー。

渉は、政略結婚を嫌悪していた。

幼い頃から父が外に女性を作り、母がただそれを耐え続ける姿を見てきた。その歪んだ家庭に強い嫌悪を抱き、自分だけは決してそうならないと誓っていた。

彼が求めているのは〝本当の愛〟だった。

利益の交換でも、必要なもの同士の取引でもない…そんな関係。

だが不幸にも、その生育環境は彼に一つの前提を植え付けていた。

自分に近づく人間は皆、何か目的を持っているー。

そんな中、香織だけは違った。

3年間、彼女は一線を越えなかった。

優秀な秘書として完璧に働き、夜は従順でありながらも決して「好き」だとは言わない。

金を渡せば受け取り、必要以上には踏み込んでこない。

そんな彼女の態度は渉を苛立たせ、同時に強く惹きつけてもいた。

彼は、自分の心が彼女に傾いていることを否定できなくなっていた。

そんな時だった。父親が、美華との縁談を持ち出してきたのはー。

「その秘書か?山内とかいう女。後ろ盾もない女に価値はない。この話を断るなら、会社は継がせない」

「……」

拒否したかった。だが…。

継がなければ、自分には何も残らない。

時間が、力が、必要だった。

だから自分は受け入れる。それらを手に入れる為にー。

それに、渉には別の考えがあった。

結婚をしても、いずれ離婚すればいい。

そう思った自分を、どこかで嫌悪する気持ちもあった。

ただ一つだけ、どうしても分からないことがあった。

香織は、自分をどう思っているのか…。

だからあの夜、彼は彼女をあえて呼んだ。自分の婚約を知った時の、彼女の反応が見たかったから。

それなのにー。

その頃にはもう、香織は彼の知らないところで静かに姿を消す準備をしていたのだった。

トゥルルルル…

そんな風に思っていた時、スマホに冬馬から着信があった。

『社長ー』

彼の声は震えていた。

『山内さんが乗ったと思われる飛行機ですが…。事故で、墜落したと…』

「!?」

渉の思考が、止まった。

『社長っ…社長!もしもし!?』

激しく自分を呼ぶ声が聞こえる。

でも渉はそれを聞き流し、言った。

「…調べろ」

『は?』

「調べろと言ったんだ!」

怒鳴りつけると、冬馬は『何を…』と言いかけ、渉はそれを遮るように喚き散らしたのだった。

「搭乗者名簿だ!彼女が本当にその便に乗ったのか、確実に乗ったのか、徹底的に調べろ!」

そうして相手の返事も聞かず、通話を切った。

なんてことだ!!事故だと!?

そうしてスマホでニュースサイトを開き、そこにあった文字に凍りついた。

乗客、乗員、全員死亡ー。生存の確率はゼロ。

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