Chapter: 126.報い怜士は離れた所に立っていた手塚を呼び寄せ、希純を頼んだ。彼は「お任せください」と頷き、未だ現実味を帯びない顔つきの希純を連れて場を後にした。怜士は彼らを見送り、そして足元に気絶している男を見て、僅かに眉根を寄せた。頭の中に先ほどの希純の姿を思い起こし、苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない顔をした。そして口の中で「狂人め…」と呟き、顔を上げた。「片付けろ」彼のその一言で、固まっていた人々が動き出した。始めは痛みにうめき声を上げていた男たちも、希純の所業を見て以来顔を白くするほど血の気が引き、黙りこくっていた。もう気勢を張る者も、恨み言を呟く者もおらず、皆素直にボディーガードたちに連れられて去って行った。もちろん、これで終わりではない。彼らは、その手が完治することがないように病院には連れて行かず、今から数日間どこかの部屋に閉じ込められる。しかも全員一緒に…ではなく、一人一人別々の部屋で過ごさせるのだ。食事も飲み水も最低限。どんなに叫ぼうが誰も応えない。両手は不自由だが、生きる為にはどんな事をしてでもそれを使うしかない。結果、手が元通りになる可能性はなくなり、生涯不自由を抱えて生きることになる。生まれつきなら諦めることもできる。だがそれが、自分たちのバカな行いの果てのことなら、後悔してもしきれないだろう。金も入らず障害だけが残った。それが、手を出してはならない者に手を出した、彼らの報いだった。*「社長ー」手塚の呼びかけに、オフィスに戻って書類に目を通していた怜士が顔を上げた。「ご苦労さん。彼の様子はどうだ?」尋ねると、手塚は生真面目に答えた。「はい。ホテルにお連れして、シャワーと着替えをしていただきましたが、終始落ち着いていらっしゃいました」「そうか」それを聞いて、怜士は「それならいい」と言い、あとはもう関心も無さそうにまた書類に目を通し始めた。だが彼はまだ何か言いたげで、怜士も仕方なく書類を置いた。「なんだ?」「あ、いえ…佐倉希純ですが…」「うん」「彼、まさかとは思いますが…藤原架純を襲撃したりしませんよね…?」「……」怜士は、その質問には珍しく呆気に取られた顔をした。確かに。あいつはどうやら育ちがいいらしいから、女に直接手を出すような事はしないだろうと思っていた。だがそうか…。浅野美月が絡むと、それ
Huling Na-update: 2025-10-18
Chapter: 125.企ての結末Ⅱ途端に、耳障りな男たちのうめき声や叫び声が辺りを埋め尽くした。希純は眉をひそめ、不快感を顕にした。そこには今朝方別荘に侵入した男たちが蹲り、数人のボディーガードに殴る蹴るの暴行を加えられていた。少し離れた所では、既にボロボロになった男が屈強なボディーガードに押さえつけられ、小さな板の上に固定された両手を必死に取り戻そうとしている。「何をしているんですか?」希純は、その男たちを見渡せる位置に椅子を置いて座る怜士に近づいて、口を開いた。「見てわからんか?仕置きだ」「仕置き……」そんな軽く言えるような現場だろうか…。呆然と見渡していると、怜士がフッと嗤った。「もう後戻りはできないぞ?」「……」彼の声は、男たちの耳障りな喚き声の中にあっても深く希純の耳に届いた。「そんなつもりはありません」きっぱりと答えると、可笑しそうに「そうか」と言われた。座って足を組む怜士の横に立ち、希純が問うた。「彼らはどこの者ですか?」それにはつまらなそうに答えられた。「ただのチンピラだ」「……」ただのチンピラ…。なめられたものだ。希純はギリッと歯を食いしばった。退屈そうに男たちへの仕置きの様子を目に映していた怜士はそれをちらりと見て、試しに尋ねた。「やってみるか?」だがそれに対して希純は、思い切り眉を顰めて吐き捨てた。「結構です。あんな奴らに触るなんて汚らしいっ」「ふん…」怜士はその答えに満足も不満もないように、また視線を元に戻した。だがその心中では、ふん、所詮お坊ちゃんだということか…。と嗤っていた。「うわー!やめろ!やめてくれ!頼むっ、頼むかー」ギャーーーッ!!!両手を固定された男の焦ったような喚き声が、男自身の叫びに遮られた。「やめてくれ!お願いだ!お願いだからー!」うわ!ギャーー!!叫び声の度に、男の手にはボディーガードによって金槌が振り下ろされていた。バキッ!ドンッ!ゴキッ!と、何度も何度も振り下ろされて、金槌の先に付いた男の血が辺りに飛び散っていく。その景色にも、怜士は眉一つ動かさない。希純はさすがに青褪めていたが、それでも拳をギュッと握り締めて耐えていた。「真田さん、これって…」少し震える声で問いかけられて、怜士は平然と答えた。「ん?ああ…。奴らが浅野さんにやろうとしてた事だ」「美月に…」希純
Huling Na-update: 2025-10-18
Chapter: 124.企ての結末Ⅰ「ふんっ、いい気味ね。ザマァないわ」つい先ほど送られてきた動画を早速見て、彼女は一人嗤っていた。どうやら男たちは美月が眠っているところを狙って押し入ったらしく、目を覚ました途端に怯えたように逃げようとしたところなんか、傑作だった。ベッドから転げ落ちて立ち上がることもできず、這うように逃げようとするなんて、本当にあの生意気な女にはお似合いだ。画面の中で女のシルクだろうパジャマは汚らしく乱れ、胸元の滑らかな肌も、剥き出しになった細い肩も、アザだらけで青黒く染まっていた。そうして、やがて女は滂沱の涙を流し、男に乱暴に跪かされて頭を下げた。しかし男はその髪の毛を更に鷲掴み、女の頭をダンッと床に叩きつけた。〝なに中途半端にしてんだよ!土下座ってのは、こうすんだ、よ!!〟ダンッ!更に叩きつける。ふふふ…その場面で、架純は堪えきれずに笑いが漏れた。〝も、もう……やめふぇ…っ〟猿轡を剥ぎ取られて必死に言い募る女の言葉は不明瞭で、おそらくパンパンに腫れた頬が原因だろうと思われた。〝オラッ、詫び入れろよっ、お嬢さんによ!〟〝うぅ…〟容赦なく女の後ろ頭を足で踏みつけ、男が催促する。その後、身体を震わせながら床に額を擦り付けて謝罪する女の姿を何度か繰り返し再生して、ようやっと満足したように架純が画面を閉じた。「ふふっ、今回は容赦なかったわね。いつも甘っちょろい仕事をするからそろそろ潮時かしらって思ってたけど…」最後の仕事で、あいつも吹っ切れたのかしら。そんな風に思いながら、いつものように報酬を振り込んだ。女の顔がはっきり映ってなかったのは残念だけど…。まぁ、いいわ。架純は動画をしっかり保存して、友人との約束の為に出かける準備を始めた。そして、不意に気付いた。あら?両手を潰せって言ったのに、その動画がないわね…。彼女が携帯を取り出し確認の連絡をしようとしたところ、部屋のドアがノックされて執事が恭しく荷物を持って入って来た。「お嬢様、お荷物が届いております」「?」架純は心当たりがなかったが、その長方形の小さな箱を受け取った。箱は見た目に反して重く、益々中身が分からず困惑した。ジュエリーにしては重いし…。なんなの?架純は、箱にリボンがかかっていることからそれが誰かからの贈り物だろうと思ったが、最近ではそういった事も少なく、また新しく
Huling Na-update: 2025-10-18
Chapter: 123.マネージャー「希純」呼びかけると、彼は「うん?」と首を傾げた。美月はゆっくりと階段を下り、希純の前に立った。そしてニコッと笑って「ありがとう」と言った。彼はそれに僅かに眉を寄せた。目の前に差し出された美月のほっそりとした手は、彼に握手を求めていた。「……」そんな美月を見て、希純はなぜだか嫌な予感に囚われた。まるで「さようなら」と、永遠の別れを告げられているようで、その手を握ることができなかった。「希純?」不思議そうに首を傾げる彼女に、希純はコク…と唾を飲んだ。「……いや、なんでもない」そう言って、その手を無視した。「……」美月は自分に背を向けた希純を見て、それから差し出していた手をゆっくりと下ろした。そして彼女は、小さくため息を一つつきながら肩を竦めた。今の美月は、例え彼に差し出した手を拒まれようが、冷たく背を向けられようが、なんとも思わなかった。改めて胸に手を置いてみても、そこに傷ついたような痛みはなかった。希純…これでやっと、本当に終わりにできる。彼女はふっと笑うと、軽やかな足取りでキッチンへと向かった。*その日の正午前ー。美月は、彼女を迎えに来た車に乗って別荘を後にした。車は真田家が出したもので、運転手と助手席にボディーガード、そして後部座席に美月と、英明が手配した女性マネージャーが乗っていた。彼女は美月に会うと目を見開いて、感激したように両手でしっかりと握手の為の手を包み込んできた。「あなたの演奏ビデオ見ました!お会いできて光栄です!」「……」あまりのテンションの高さに、美月は苦笑した。彼女、野中すみれ(のなかすみれ)の言う演奏ビデオとは、おそらく美月の通った大学での【発表会】を録画したものだろう。あそこは希望すれば生徒の成績を開示してくれる。そして更には、その生徒が演奏しているビデオも見せてくれるのだ。もちろん申請者の身元確認はされるし、ビデオに関しては大学まで行かないと見せてくれない。これは生徒の卒業後の仕事に関わる案件でもあるので、生徒自身にその成績やビデオを見せてもいいか問われても、ほとんどの者が頷いていた。美月は卒業年度の首席であったから、問い合わせはかなりあった。だが結婚前ならまだしも、結婚後は希純が許さず、閲覧禁止になっていた。そして離婚後、美月はその禁止を解いたので、すみれはそれを見た
Huling Na-update: 2025-10-18
Chapter: 122.雪解け静まり返ったリビンクで希純がドサリ…とソファに座り、目を閉じて深いため息をついた時、なぜか怜士といてずっと心の中に溜まっていた蟠りがすっかり無くなっている事に気がついた。そこへー「おはよう」「!?」不意にかけられた声に、驚いて勢いよく振り仰いだ。階段を上がった所にあったその姿は美月のもので、その眼差しはとても落ち着いたものだった。目が覚めたばかりだとは思えない綺麗に整えた身なりとスッキリとした顔つきに、希純は彼女がずいぶん前には起きていたことを悟った。「見てたのか?」気まずげに問うと、彼女は小さく微笑った。「ううん。なんだか怖かったから、部屋の中で聞いてた」「そうか…」その言い方が少し可愛くて、希純も微笑った。実際のところ、美月は家政婦の持ってきたホットミルクを飲んですぐに深く眠ってしまい、夜中の騒ぎには全く気がついていなかった。そうして夜明け前、自然に目が覚めて欠伸を一つした時に、階下からした複数の男たちの喚き声に眉をひそめたのだった。ベッドから降りて様子をみてみようとドアを開ける寸前、耳に飛び込んできた「話が違う」という言葉に彼女の手がピタリと止まった。今下にいるのは、例の藤原架純が依頼したという者たちなのでは…?そう思い、美月は開けようとしたドアに逆にそっと鍵をかけた。怖かった。前世で彼女にひどいことをしたのは奈月だった。でも今世では……。仕掛けているのは架純でも、実際に動いているのは男たち。捕まったら何をされるかわからない…。その恐怖に、美月は身体を震わせた。だがー「…?」しばらくその場に蹲っていたのだが何も起こる気配もなく、それどころか男たちの喚き声がだんだんと遠ざかって行くのに気がついた。そして今度は外から聞こえてきた罵声に美月がそっと窓から覗くと、思った以上に沢山の黒服の男たちが、拘束された者たちを引きずるようにして別荘の外に向かって歩いて行っているのを見た。終わったの…?美月は訳がわからなかった。いくら怜士や希純が備えているといっても、それなりに悶着があるだろうと思っていたのだ。それなのに、悶着どころかなんの騒ぎもなかった。いや、もしかしたら階下ではあったのかもしれない。けれど、少なくとも暴れまわったりとかして、誰かが深刻な怪我をしたといったようなことはなかったみたいだった。美月はほっと
Huling Na-update: 2025-10-18
Chapter: 121.計略Ⅳ静まり返る別荘の内部に、コソコソと5人の男たちが入って来た。「ヒュ〜、マジで金持ちってスゲーなっ」その興奮した声に、隼斗を裏切った男が厳しくシッ!と注意した。だが確かにドアを潜った瞬間から、彼らにとってそこは別世界だった。広々としたキッチン、大きなダイニングテーブル、そこを過ぎて入ったリビングは、自分の住む部屋よりも広かった。壁に掛かる絵もどこかで見たことがあるような物で、きっと想像もつかないほど高いんだろう。インテリアは言うに及ばず、置いてある物、目に入る物全てが高級品に見えた。チッ!男は呆然とした後、凄まじい嫉妬心に駆られて思わず舌打ちをした。その時、「見物は済んだか?」「!!」カチッー暗闇に小さな火が灯り、ジジ…と紅点がついてふぅ~っと息を吐き出すと同時に、煙草の匂いが漂い出した。「誰だ!?」男が鋭く問うと、その影になっていた人物が可笑しそうに嗤った。「他人の家にコソコソと入り込んだネズミのくせに」「ー!」言葉が発されると同時に、パッと明かりが点いた。そして男たちは驚愕した。いつの間にか、数人の黒服の男たちに囲まれていたのだ。「……」さっきまで遊び感覚で興奮していたチンピラたちが顔を青褪めさせ、途端に狼狽え始めた。「お、おいっ、どうすんだよっ」「なんだよ、これ!」「話が違うじゃねぇか!」「……」男は、目の前でソファに座って優雅に足を組み、煙草をふかしている人物を見つめた。「最初から分かってたのか?」その問いに怜士が「そうだ」と答えると、男はまたチッ!と舌打ちした。「女か?……いや、隼斗だな!?隼斗…あの野郎…!裏切りやがったな…っ」「……」怜士は男がぶつぶつと文句を言っているのを聞いて、その図々しさに呆れていた。一方希純は、怜士の斜め前に座って事の成り行きを見ていたのだが、この男たちの様子に苦笑せずにはいられなかった。自分はなんでこんな小物を、あんなにも恐れていたんだろう…。美月のことを思うあまりこんなにも卑小な輩に好き勝手されそうになっていたなんて、彼の自尊心がひどく傷つけられたような気がした。「真田さん、この者たちをどうするんですか?」尋ねると、怜士は煙草を咥えたままちらりと視線を寄越した。「君はどうしたいんだ?」「私は……」希純はくっと唇を噛み締めた。そして怜士を見つめる
Huling Na-update: 2025-10-13
Chapter: 108.「何するのよ!!」次の日の夕方。ボディーガードに連れられた春奈が、悠一の前に乱暴に投げ出された。「痛っ!」ドサッと床に倒れ込み、春奈は目の前に綺麗に磨かれた革靴を目にした。顔を上げると、そこには底冷えのするような冷たい眼差しの悠一がいて、咄嗟に身を引いた。だがー「きゃあー!」髪の毛をガッ!と鷲掴みにされ、無理やり顔を上向けにされた。「痛い…」涙目で訴えたが、ふんっと嗤われた。「この程度で泣き言を言うな」「……」どんなに哀れを誘うような顔をしても、見つめる瞳には嫌悪と憎しみしか宿っていなかった。なんで…?春奈は、自分がなぜこんなにも悠一に憎まれたのか、分からなかった。だから、怯えながらも尋ねずにはいられなかった。「どうして?どうして、こんなひどい事するの?」「分からないのか?」悠一の瞳に、益々憎しみが込められた。「お前が、あのガキ共に余計な事を吹き込んだせいで、雪乃は死んだんだ」「え…」死んだ?誰が……。お姉ちゃんが…!?呆然としていた春奈が、急に意識を取り戻して叫んだ。「待って!お姉ちゃん!?お姉ちゃんが死んだって、そう言ったの!?なんで!!」「……」悠一は目を眇めて、目の前で焦ったように喚いている女を見つめた。まるで、自分に罪がないみたいに言うんだな…。だが、「どうしてお姉ちゃんが死ななきゃいけないの!?」彼女がそう言った途端、湧き上がる怒りが抑えられなかった。「お前だ!!お前が!あいつらに雪乃がいなければって言ったんだろうが!!」「!」ゼイゼイと肩で息をして、怒りを吐き出す悠一の目には、涙が滲んでいた。ああ…そうか…。あの子たちまだ小さいのに。そんなことしちゃうんだ…。春奈の目から光が失われた。そして、ふふっ…と小さく笑うと突然立ち上がり、ここに来た時から目に映っていた子供たちに向かって、怒鳴った。「この人殺し!!」咲良は驚愕に目を見開いて固まり、陽斗は地団駄を踏んだ。「なんだよ!僕はママの為にやったんだぞ!」「うるさい、バカ!あんたのせいで、お姉ちゃん死んじゃったじゃん!!」「バカって言うママがバカ!!」2人の罵り合いに咲良は泣き、悠一はイライラと歯を食いしばっていた。そしてダンッ!!と床を踏み鳴らし、3人それぞれに視線を据えた。「お前ら全員が人殺しだ。母子3人、仲良く罪を
Huling Na-update: 2025-08-29
Chapter: 107.邸の中は耳が痛くなるほどの静寂と、悠一の怒りのオーラが支配していた。小高を始めとした全ての使用人、邸のボディーガード、運転手、庭師に至るまで、全ての人間が集められた。「誰だ?」悠一の傍には先日の、雪乃を運んだという運転手が跪き、その彼の横には陽斗が転がされていた。まだ10歳程度の子供の頬は赤く腫れ上がっていて、泣きすぎて声も枯れていた。「うう…」「陽斗!大丈夫!?」連れて来られた咲良が横たわる弟に駆け寄り、目の前の使用人たちをギロリと睨みつけた。「誰よ!?」彼女は、弟が使用人の誰かに虐められたと思った。そして父親が、その犯人を今探し出している最中なのだと思った。だが…。「お前もそこに跪け」「え…」そうじゃなかった。悠一の冷たい声音に怯えながらも、彼女は納得がいかなかった。なんで私が…?だから、そう言った。すると、普段優しい訳ではないがひどくもない父親が、「あ"?」と睨みつけてきた。それにビクつきながら、それでもまた言った。「なんで私がそんなことしなきゃいけないの?私は、陽斗を虐めてなんかないわ!」「……」悠一はただ黙って、本邸から連れて来たボディーガードにクイッと顎をしゃくった。すると、そのボディーガードは咲良に近づいて来ると、ドンッと一切の容赦なく突き飛ばしてきた。「きゃあ!」床に強く膝を打ちつけて、痛みに涙が出た。「なにするの!?パパ!コイツをやっつけてよ!!」そう訴えたけれど、そこには彼の冷めた眼差ししかなかった。「パパ…?」そこで初めて何かがおかしいと気づき、咲良はキョロキョロと辺りを見回したのだった。だが誰もが彼女と目を合わせようとせず、怯えたように俯いていた。「ねぇ…これ、なに…?何が起こってー」「うるさい」その時、悠一の低い声が彼女の疑問を遮った。「いつまでもペラペラと…。少しは黙っていられないのか?」「パパ…」呟くと、一刀両断された。「俺はお前たちの父親じゃない」「!」「!!!!」そこにいる全ての人が皆、驚いて目を見開いた。泣いていたはずの陽斗さえ、ピタリと泣き止んだ。それを見た悠一が、皮肉げに嗤った。「確かに、お前たちには那須川の血が流れている。けど、それは俺の血じゃあない」「そ、それは…」小高が代表するように尋ねた。「どなたのお子さまなのでしょうか…?」
Huling Na-update: 2025-08-29
Chapter: 106.前世ーキキーッ!!邸の前に、急ブレーキと共にバンッ!という乱暴にドアが閉められる音がしたと思ったら、玄関扉までが勢いよく開けられた。中にいた使用人や執事が一斉に振り向くと、そこには髪を乱して息を荒げた悠一が立っていた。「旦那さー」「雪乃は!?」小高の言葉を遮り、厳しい口調でそう問い詰める彼に、誰もが顔色を失くして俯いた。「答えろ!!雪乃はどうした!?」「……」「小高!」この邸の管理は彼が一手に引き受けている。その彼にも分からなかった。使用人たちが、奥さまを蔑ろにしていたことには気がついていた。あまりにもひどい時にはそれとなく注意していたが、悠一の態度が彼女に冷たいことから、彼(彼女)たちは、雪乃を粗雑に扱ってもいいと勘違いしていたのだ。小高は答えた。「申し訳ございません。私の落度です…」そう言った途端、悠一が拳を壁に叩きつけて怒鳴った。「そんな言葉で納得できるか!!」「……」「……」「……」鬼のような形相で皆を睨みつける悠一に、そこにいる人々はガタガタと震えていた。なんで…?奥さまのこと、嫌いなんじゃなかったの…?今まで何も言わなかったじゃん…。奥さま、どこに行ったんだよ…。雪乃が行方不明となって、既に5日が経っていた。2日間は待ってみた。どこか気晴らしにでも行っているのかと思ったから。だって、陽斗坊ちゃんが「ママは一人で遊びに行っちゃった」て言ったから…。そこへ、悠一の友人である長谷直也がやって来た。彼も急いで駆けつけたのか、服装が少し乱れていた。「悠一…」彼は、ソファに座って、両手で頭を抱え込んでいる親友の肩に手を置き、力強く言った。「こっちでも方々探してる。きっと見つかるさ」「……」悠一の眉間には深いシワが刻まれ、怒りのオーラが漂っていた。もしかして、雪乃は逃げたのか…?俺を嫌って?考えれば考える程、心が締め付けられる。わかっている。自分が、彼女にとっていい夫ではないことくらい。でも、彼女は自分を愛しているんじゃなかったのか!?本当に嫌いになったのか!?なぜ、俺から逃げようとするんだ!?悠一は、ギリギリと歯を食いしばって耐えていた。全ての使用人が集められ、何か気づいたことはないのか、誰も彼女を見ていないのか、一人ずつ厳しく問い詰められた。そんな時、一人の運転手が青い顔をしておずおずと
Huling Na-update: 2025-08-29
Chapter: 105.3年後ー「雪乃、ただいま」出張から戻った悠一が、迎えに出た雪乃を優しく抱きしめ、額にキスをした。「おかえりなさい」それに微笑んで彼を見上げる雪乃に、邸の使用人たちも皆優しく微笑んでいた。悠一が言った。「雪乃、ことりを連れてスキーに行かないか?」「スキー?」首を傾げると、悠一は嬉しそうにある一枚の写真を出してきた。「君、子供の頃スキーに行ってみたいって言ってただろ?ちょうど良さそうな別荘があったから、買ったんだ。リフォームも済んだし、この冬はここで過ごさないか?」「……」一気に話す悠一の声を聞き流しながら、雪乃は写真を見て呆然としていた。そこはー彼女が絶望の中、その生を終えた場所だった。写真には懐かしい景色が写っていて、雪乃の指は微かに震えていた。悠一はそれに気づき、心配そうに尋ねた。「どうした?嫌だったか?」「ううん…そうじゃないの……」緩く頭を振ってそう言う彼女に、彼は眉を寄せた。雪乃はそんな彼を安心させるように微笑み、もう一度写真を見た。大丈夫。屋根の色も違うし、扉の形も違う…。「倉庫…食糧庫みたいなものは、ある…?」「倉庫?いや、ないな。必要なら作らせるが?」そう言われて、ホッと息をついた。そして顔を上げて言った。「いらない。その代わり、大型の冷蔵庫と冷凍庫が必要ね」「わかった。用意しよう」雪乃の何か吹っ切れたような、何か分からないがいつもと同じ微笑みに、悠一もホッとして微笑った。雪乃は思った。もしかして、前世も彼は、私の為にあの別荘を手に入れたのかもしれないわね。子供の頃に言ったっていう、私ですら忘れていた言葉を覚えてたのかも…。そう思うと、雪乃の気持ちは明るくなった。「そうだ!ことり用に、ソリもいるわ」楽しそうにそう言う彼女と悠一が、揃って2階に上がる階段に足をかけると、タタタッと小さな足音が駆けてきた。「パパ!」その声に振り向いた悠一が、満面の笑みでしゃがんで両腕を広げた。そして、全力でその中に飛び込んで来る可愛い娘に、言いようのない愛おしさを感じた。「ただいま、ことり」優しく頭を撫でて、抱き上げてやる。2歳になる娘はニコニコ笑ってギュウッと悠一に抱きつき、お土産をねだった。それを雪乃に窘められて、彼女は小さな舌をべッと出した。「ママばっかりずるい!ことりのパパなのっ」
Huling Na-update: 2025-08-29
Chapter: 104.新婦控室に、悠一が現れた。今日の彼はいつもと違ってダークカラーではなく、眩しいほどの白いタキシードを着て、そのスタイルの良さを見せつけていた。雪乃は以前の結婚式で着たものをまた少し形を変えて仕立て直し、透き通るような肌との境界線が曖昧なドレスに身を包んでいた。何度新しく作ろうと言ってもこれがいいと言うから、好きにさせていたが…なるほど、よく似合っている。悠一は思わず控室の入り口で立ち止まって、雪乃に見惚れていた。「どうしたの?入って」不思議そうに首を傾げるその仕草も、なにもかもが愛おしい。スタスタと近寄って来て、悠一にふわりと抱きしめられた雪乃は、慌てて彼の胸を押し戻した。「お化粧が服に付いちゃうわ」「構わない」構うわよっ。……まったく。雪乃はため息をついて、そっと顔を上げた。「悠一」と呼びかけると、「ん?」と目を合わせてきた。「前のお式の時、すっごく嫌そうだったのは、なんで?」「それ、今訊く?」頷くと、不貞腐れたように答えた。「君を騙す為の式なんか、嫌に決まってる」雪乃は微笑み、心から囁いた。「悠一、あなたを好きになってよかった」「雪乃…」そっと近づいてくる悠一の唇を、雪乃は慌てて両手で塞ぎ、押し戻した。「まだ早いわよっ」「……」眉を寄せて抗議する悠一だったが、ふと、彼女の目の縁が赤くなっていることに気づいて目元を緩めた。そして自分の唇を押さえている彼女の柔らかな手を取って、その指先に口付けた。「!」顔を真っ赤に染めてその手を引っ込めようとするが、悠一は許さなかった。「君は俺のものだ。例え君自身でも、それを否定することは許さない」「悠一…」ガツッ…!次の瞬間、雪乃に頭突きをされた。「痛いよ、雪乃…」非難がましくそう言うと、彼女は腰に手をあてて言った。「私が誰のものか、決めるのは私よ!あなたじゃないわっ」「……」無言で額を擦る悠一に、続けて言った。「今は、私は私のもの。でもこの式が終わったら、あなたのものにもなるわ」その滲み出るような愛情の籠もった声を聞いて、悠一は満足そうに微笑んだ。「全部?」そう言うと。「バカ!」その言葉と共に、ゴンッと今度は頭に拳骨が落ちてきた。「痛いよ、雪乃…」上目遣いで見上げると、彼女は「まったく…」と呆れたようにため息をついた。「〝那須川雪乃〟はあなた
Huling Na-update: 2025-08-29
Chapter: 103.ここに来てどれくらい経ったのか、全然分からない。最初は数えてたけど、変わり映えしない毎日にだんだんと面倒くさくなって、やめてしまった。ある意味、ここは楽園だった。嫌なことをしてくる人も、言ってくる人もいない。自分以外、誰もいないから。何もしなくてもご飯が出て来る。美味しくないけど。イジメみたいなものもないし、自由にしていられる。部屋の中だけだけど。雨の日以外は1日のうち30分、中庭に出て運動もできる。狭いし、囲われてるし、1人だけど。テレビもないし、ゲームもない。新聞も、雑誌も、何にもない。でも一日中ぼーっと過ごしてても、誰も文句を言わない。私…何してるのかしら…。春奈は今日も大きなため息をついて、今ではすっかり身体に馴染んだここの服を見下ろした。ダサ…。でも誰も見ないし、もう気にならなくなった。その時ー。カシャン…とドアの横にある小さな、猫とか犬が外に行く時に出入りするような大きさの、スライド式の扉?が開いた。そして、無言で食事の乗ったトレーが入れられた。見ると、もう見慣れた質素な食事が乗っていた。野菜スープにおにぎりが2つ。今日の中身は梅干しとおかかみたい。それからチキンの塩コショウ焼きと、目玉焼き。今日はソースが付いてた。あれ?どうしたんだろう?今日はデザートに果物が付いてる。3粒だけ春奈が首を捻っていると、いつもは無言の食事係が説明してくれた。「今日は那須川家の悠一様と、その婚約者の藤堂家ご令嬢、雪乃様の結婚式だ。朝食にはデザート、昼食にはジュース、夕食は、なんと祝膳が供される。ありがたく頂くように」「……」あなたが出す訳でもないのに、威張らないでよねっ。……そっか。お姉ちゃん、悠一と結婚するのね…。春奈はふっ…と笑った。おめでとう、お姉ちゃん!そうして春奈はトレーを手に取り、テーブルまで運んだ。始めはまったく口に合わなくて食べなかった食事も、お腹が空けば美味しく食べられる。それも今は普通に食べてる。春奈は所作だけは美しく、黙々と食事を口に入れた。そしてー「ん…」デザートに出された果物を口に入れて咀嚼した途端、彼女の頭の中に懐かしい記憶が再生された。「お姉ちゃん、私、まだ食べたいの。ちょうだい?」春奈が姉と一緒に那須川家に遊びに行った時、昼食の後出された果物が、驚くほど美味しかった。お姉ち
Huling Na-update: 2025-08-29