LOGIN考えてみれば、いま芸能界でどれだけアンチの多いスターでも、一度にこんな大人数を訴えるなんてまずしない。時間も効率も金銭面もコストがかかりすぎるからだ。だから芸能人が訴えるといってもせいぜい数人、こんな大掛かりな規模は前代未聞だった。しかも、この手の案件は準備に時間がかかるのが常だ。ネット民の発言を集めたり、身元を特定したりと、手間のかかる作業ばかりだからだ。けれど瑛司にとって、そうした制約はすべて消え去った。たった一日で三十名以上のユーザーの身元を洗い出し、その迅速さは誰もが不意を突かれるほどだった。さらに驚くべきは、瑛司が依頼したのは国内でも名高い大手法律事務所であり、その着手金はまさに天文学的数字。これだけの人数を訴えるとなれば、依頼料だけでこの街に別荘を一軒買えるほどだろう。そんな電光石火の行動力、そして「愛する女のための怒り」による徹底ぶりに、ますます多くのネット民が立ち止まり、事の成り行きを見守ることとなった。瑛司の声明が出るや否や、ネット上にあった瑠々への悪口や中傷は跡形もなく消え去り、舆論は完全に瑛司と瑠々を中心に渦を巻いた。すぐにネット民は瑛司の顔写真を掘り出した。その姿を見た瞬間、多くの人が一気に心を奪われ、「国宝級イケメン」とまで叫び出すほどだった。さらに、ネット上では瑛司と瑠々が高校時代に撮ったツーショット写真まで掘り起こされた。写っている二人の顔はまだあどけなさが残っていたが、将来どれほど輝かしい存在になるかは十分に想像できる。全国共通の学ラン姿――二人が着ると驚くほど似合っていて、清潔感あふれる青春そのもの。まるで他の生徒と違う制服を着ているかのようだった。肩を並べて立ち、男の子の手には女の子のバッグ。きちんとした振る舞いの中に自然な親密さが漂い、二人は笑顔でカメラを見つめている。あまりに美しく、まるでアイドルドラマのワンシーンのようだった。【よかった。やっと瑠々の味方が出てきた。うちの瑠々は本当にたくさんのつらい思いをしたんだから。ちゃんと慰めてあげて、ちゃんと守ってあげて、もう瑠々のそばにいられるのは瑛司さんしかいないんだから】【やば、この世界、恋愛小説じゃん。完全に小説の中で大騒ぎしてるモブ読者の気分なんだけど。誰か教えてくれよ、なんで瑛司と瑠々はこん
【やば、めっちゃ刺激的じゃん。他にもある?まだ聞きたいんだけど】【社長の奥さんも知っててさ、大会の会場まで乗り込んできたって聞いたよ。関水の髪つかんでビンタ何発も入れて、そのあと奥さんが蒼空を部屋に引きずり込んだんだって。ドア越しでも奥さんがどれだけ汚い言葉で罵ってたか聞こえたらしいよ。社長は一言も反論できなかったって】【社長本気で惚れてんじゃん。優勝トロフィーまで関水に渡してるし】【マジかよ、前は関水の肩持ってたんだけど。裏口組ほんと無理】【なるほどね、そりゃ瑠々が優勝トロフィー返したのも納得。主催側に脅されて、関水に渡すよう言われたんじゃね?】【もうコメント消せって連絡も来たよ。あの連中も関水も敵に回したくないもんね?でも消さないよ、ひひひ】【もう無理。誰か関水のアカウントどこか知ってる?】これらの、いかにも「それっぽく」語られたコメントを見て、蒼空は眉間にしわを寄せた。そんな話、彼女が知るはずもない。画面いっぱいに広がる自分への罵倒を見て、内心ふっと嫌悪感がこみ上げる。この瞬間、彼女はようやく、人がなぜゴキブリを嫌うのか理解した。生命力が強く、繁殖力も強く、どこからともなく湧いてきて、しつこくまとわりついてくる。本当に吐き気がする。画面いっぱいの罵声を眺めながら、これはまだ瑠々の最後の手ではない気がした。瑠々には、きっとまだ次の一手がある。たとえどんな理由を掲げようと、「盗作」という事実はやはり印象が悪く、瑠々の評判にも響く。名誉を回復したいなら、今の世論程度では瑠々の胃袋は満たされないはずだ。ふと、蒼空はある人物を思い出した。瑛司だ。前の人生での瑠々への溺愛ぶりからして、ネットで好き勝手言われてる間、黙って見ているはずがない。案の定、三十分ほど経つと、瑛司が松木テクノロジー社長兼CEOとしての公式アカウントから声明文を発表した。右下にははっきりと会社の印鑑が押されている。【現在のネット上の世論に対し、以下の通り説明いたします:弊社社長・松木瑛司氏と久米川瑠々氏は6月7日に婚約式を執り行う予定です。ネット上における久米川瑠々氏への侮辱・罵倒などの虚偽発言について、弊社は法律手段を用い、コストを惜しまず久米川瑠々氏の正当な権益を守ります。該当発言につきましてはすで
瑠々の投稿が出た途端、再びファンの怒りに火がつき、関連ワードの熱度はさらに跳ね上がり、ネットはまたも沸騰した。その中で「瑠々鬱病」という話題が急上昇ワードに浮上し、その下には「瑠々が心配」「瑠々自傷」「瑠々関水」などのタグも並んでいた。彼女のファンたちは、投稿のコメント欄や関連ワードのスレッドで「瑠々へのネットリンチをやめろ」「瑠々を気遣え」「精神疾患の人への理解を」と訴える書き込みを大量に残していく。【本当に鬱なの?ちゃんと休まなきゃだめだよ。この期間はもうネットなんて見なくていい。私たちが代わりに戦うから】【ああああああ、絶対自分を大事にしてよ。価値のない人や事に時間を使わないで。私たちは瑠々だけを気にかけてるし、瑠々だけが好き。ずっとずっと待ってるから!】【瑠々、もうシーサイド・ピアノコンクールなんかに出なくていいよね?あんな大会はあなたにふさわしくない。あなたはもっと大きくて、もっと良いコンクールに行って、もっと立派な優勝トロフィーを取るべき。価値のない大会やトロフィーなんて要らない!自分のことを大事にしてね!私たちはいつでもここで待っているから】【罵るのはうちがやるから、瑠々は穏やかに過ごして、ピアノを弾いていればいいの】「瑠々鬱病」のタグがランキングに上がると、世論はまた一気に彼女側へ傾き、もともと瑠々に多少の疑いを抱いていたネット民たちは、瑠々のファンや流されやすい人たちからボロクソに罵られて投稿を削除し、謝罪を余儀なくされた。そのあと、メディアやマーケティング系アカウントも連動し、「瑠々鬱病」の話題をさらに盛り上げた。瑠々が投稿したタイミングも絶妙で、シーサイド・ピアノコンクール公式アカウントがちょうど「関水蒼空が自ら優勝トロフィーを辞退しました」という知らせを発表した直後に投稿を出している。シーサイド・ピアノコンクールの件と瑠々の鬱病騒動が前後して起きたことで、否応なく人々は二つを結びつけて考えた。蒼空がそれを目にしたときには、瑠々のファンがすでにシーサイド・ピアノコンクール公式アカウントの投稿欄に押し寄せており、コメント欄は瑠々ファンの書き込みで埋め尽くされ、目も当てられない状態だった。【どうやって瑠々みたいに明るくて前向きな女の子を鬱に追い込んだの?今さらこんな投稿して何のつもり?まだ瑠々を苦しめ
大学入試の問題を覚えている以上、成績が悪くなるのも限界があった。そう考えた瞬間、蒼空の目がぱっと明るくなる。そうだ、自分が大学入試の出題内容を覚えていることを、もう少しで忘れるところだった。もしそうなら、小春の大学入試にも、まだ挽回の余地があるかもしれない。そのあと二人で少し話していると、ちょうど文香が外から帰ってきた。土ぼこりにまみれ、額には汗がにじみ、髪もぐしゃぐしゃだ。蒼空は驚いて言った。「お母さん、どこに行ってたの?」文香は服についたほこりを払ってから病室に入り、水を一口飲んでようやく口を開く。「鶏を捕まえに行ってたのよ。十何羽も捕まえてきたから、半月は食べられるよ。市場でも肉をどっさり買ってきたから、毎日スープを作ってやるわ。身体にいいものを食べて、早く治さないとね」蒼空はティッシュを差し出し、汗を拭かせる。「そんなにたくさん、私ひとりじゃ食べ切れないって。それにここにはお世話してくれる介護士もいるし、そんなに無理しなくても」文香は彼女を睨んだ。「ほかの人が作ったスープが、母親の作ったスープより美味しいわけないでしょ。お母さんのスープを飲みなさい!食べ切れなくても飲み切りなさい。骨折してるんだから、しっかり栄養つけるのが当然でしょ」小春が慌てて口を挟む。「大丈夫大丈夫、私もいるし。スープなら私も飲めるから、こいつと一緒に全部飲み干すから、約束する」文香は彼女を見るなり笑顔になる。「あなたが相星小春さんね?うちの蒼空から何度も話を聞いてるの。学校ではあなたに面倒を見てもらって、本当に助かったわ。いつもありがとうね」小春は手を振った。「お礼なんていいですよ。スープを作るときに、具を少し残してくれたらそれで十分です」文香は手を打って言う。「もちろん」夜になり、瑛司が雇った介護士は、自分の娘を迎えに帰り、小春も帰宅し、文香も家へ戻って、さっそくスープ作りに取りかかった。病室には蒼空ひとりになり、とても静かだった。数学の答案の最後の問を解き終えると、ペンを置き、痛み出した手首と指を揉みほぐす。それから一枚まるごとの数学の答案用紙を手に取り、口元にかすかな笑みを浮かべる。全体を通して、最後の問題にだけ少し間違いがあったものの、他はほとんど問題なかった。自分の出来
蒼空は気持ちを揺らがせることなく、静かに言った。「すみません、庄崎先生。私には受け取ることができません。でも、必ず次の大会で正々堂々と優勝して見せますから」蒼空の意思が固いと見て、小百合もそれ以上は何も言わず、賠償に関することだけ簡単に伝えて帰っていった。小百合が出て行くと、小春がやって来た。彼女は開口一番、骨折の具合を確かめ、たいしたことがないとわかってようやく胸を撫で下ろした。その直後、ベッドの脇で腰に手を当て、目を見開いて怒り爆発の様子で言い始める。「ちょっとさ、なんであんたは松木と久米川に関わると毎回こんな不運になるわけ?前はまだマシだったけど、今なんて骨折させられた上にネットリンチまでされてんじゃん。誰に恨まれてない?こんなにツイてない人間初めて見たわ。私、厄払いしたほうがいい?それと久米川!あの子の発言動画見たけどさ、は?あれ見て気づかないやつ目腐ってんの?!あれどう見ても見事なぶりっ子じゃん。それからあのバカみたいなファン共、汚い言葉ばっか吐いてさ、なんであいつらのアカウントは凍結されないわけ?久米川はパクったんだよ?パクってんのに、なんであんなに清く正しいみたいに扱われてんの?見れば全部言い訳だってわかるだろうに。どう見たって自己保身のための白々しい演出じゃん。ネットの連中って、間抜けばかりなのか。誰も見抜けないわけ?その上トロフィーまで譲るとか、誰がそんなもん欲しいってんだ!盗作犯が優勝トロフィーとか、はずかしいと思わないわけ??メディアもマーケ垢も絶対金もらってるだろ、あの謎ポストの嵐何なの?」蒼空は仕方なく首を振り、小春の服の裾を軽くつまんだ。「相星さん、ちょっと落ち着いて。まずは水飲んで、喉カラッカラだよ」小春は我慢できず人差し指で彼女の額をツンツン突きながら、怒り混じりの口調で言う。「あんたさ、なんであいつ助けたのよ。あのまま足場に当たらせとけばよかったじゃん?ほんとバカだよね、自分から駆け寄って助けようとするとかさ。相手が感謝すると思ってんの?どうせ久米川、裏で友達と笑ってるよ。あのファン連中見ただろ、あんたが助けに行ったこと知ってても、めっちゃ罵ってんじゃん。あいつらこそ恩を仇で返すってやつだ。今後は二度とそんなバカな真似しちゃダメだからな!」蒼空は頷いた。「うん、
「瑠々ってどこのお嬢様?こんなにメディアやマーケ垢を動かして話題作りできるなんて。お嬢様ごきげんよう、退散しまーす」「上の人へ。うちの家と久米川家にちょっと縁があるけど、あの家の実力は本当に桁外れ。百年続く名家で、ちょっと小銭をばら撒くだけで一家が一生裕福に暮らせるレベル。瑠々はその曾孫世代で唯一の女の子だから、どんな地位か想像できるでしょ。両親も祖父母も目に入れても痛くないほどに溺愛して育てた、正真正銘のお姫様なんだよ」「さらに補足すると、芸能界の野次馬として調べてみたけど、瑠々の出自やばすぎ。数井市の久米川家って、久米川グループが本家の会社。時価総額10兆円を超えてる。そして彼氏の瑛司、松木家の実力は誰でも知ってるでしょ。二人はもうすぐ婚約するって噂で、高校時代から付き合ってる初恋同士らしいよ。まさに強強タッグ」「悪役令嬢の陰謀で清らかなヒロインが陥れられて、怒った御曹司が彼女のために立ち上がるって......これ何の小説展開?うち、小説内で大騒ぎするネット民役じゃん」蒼空はそんな投稿を見ても、心に波風は立たなかった。前世で彼女はもっと悪辣な呪詛や罵声を浴びていた。スマホは常に見知らぬ人間からの罵倒で溢れ、ひっきりなしに着信が鳴り、ブロックしてもきりがなかった。今の状況はそれほど深刻ではない。彼女には十分耐えられる。少なくとも、天満菫はもう瑠々の「過去の偽名」ではなく、この世に実在した一人の人間だ。少なくとも、「渇望」はもはや瑠々の玩具ではない。ただ、彼女には耐えられても、他の人がそうとは限らなかった。関連タグがSNSで爆発してから、多くの人が彼女に連絡を入れてきて、スマホは通知音で鳴りっぱなし。同級生や友人からのメッセージで、その中でも小春からの連絡が一番多かった。蒼空は数件だけ返信を返すと、スマホを閉じ、勉強に集中した。午後になると、小百合が様子を見にやって来て、ついでにシーサイド・ピアノコンクール決勝の優勝トロフィーを持ってきた。「これは蒼空のトロフィーよ。はい」小百合は差し出した。蒼空はベッドに座ったまま、そのトロフィーを淡々と見つめ、やがて静かに言った。「すみません、庄崎先生。持ち帰ってください。私は要りませんので」小百合は困ったように眉を寄せる。「瑠々が要らないっ