白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました

白い結婚を言い渡された聖女ですが、むしろ好都合なので神様に離婚届を出しました

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بواسطة:  夢見叶مستمر
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聖女リディアは王太子レオンハルトに『愛さない』と白い結婚を宣言され、別の令嬢を本命に据えた政略婚の飾りにされる。国と女神のためと言いながら利用宣言までされ、心も立場も詰みかけた――が、前世は契約書で戦った法務OL。女神と組んで祝福婚姻契約を改竄し、望めば即離縁・暴言は神前公開・次の伴侶は女神指名の最強条項を仕込む。公開処刑される王太子を尻目に、選ばれたのは彼女を密かに守ってきた腹黒宰相補佐セルジュ。溺愛と自由を手に入れる爽快ざまぁ恋愛譚。

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الفصل الأول

第1話 神前確認式は静かに燃える

 公正契約大神殿の天井には、過去の「大案件」の名前が刻まれている。

 戦争終結条約、王位継承の調停、神殿と王家の和解。

 その一番端に、空いたままの枠が一つ。

(……たぶん、あそこに今日の案件が増えるんだろうな)

 私は祭壇の前で、他人事みたいに思っていた。

 白金の指輪が、左手の薬指でかすかに浮いている。サイズがわずかに合っていなくて、指を動かすたびに、きゅっと皮膚をこすった。

《指輪、やっぱり半号大きいですねえ》

 頭の内側で、聞き慣れた声が笑う。

 公正契約の女神。今日の式の主催者であり、私の上司であり、この世界で一番、条文にうるさい存在。

(今、そのツッコミいります? 女神様)

《大事ですよ? サイズが合ってない指輪って、だいたいこの案件、最初から微妙ですよってサインですから》

(縁起でもないことを、神様が言わないでください)

 私は口元だけを上げて、外からは分からないように息を吐いた。

 祭壇の背後には、光の板が何枚も重なって浮かんでいる。そこに王太子レオン殿下との婚約契約の条文が、ゆっくりスクロールしていた。

「互いの名誉を守ること。王国と神殿の協力関係を維持すること。聖女としての務めを最優先すること……」

 中央の神官が、祝詞のような調子で読み上げていく。

《はいはい、前置きの綺麗なところですね》

(女神様、声、被ってます)

《聞こえるのは聖女様だけですから。安心してツッコミどうぞ》

(……ツッコまないといけないんですか)

《心の健康のためにどうぞ》

 そんなやり取りをしているあいだも、式は進んでいく。

 高い柱には祈りの絵ではなく、細かな文字が刻み込まれている。壁の装飾も、天井のレリーフも、すべて条文の断片で埋め尽くされていた。

(契約に特化した神殿、というか……巨大な契約書ですね、ここ)

《褒め言葉として受け取っておきます》

 祭壇前の床には、円形の魔法陣ではなく、契約書レイアウトの線が描かれていた。見出しの位置、条文の欄、署名欄。

 私と、その隣に立つレオン殿下は、署名欄にあたる場所に立っている。

「……本日は、王太子殿下と聖女リディア殿との婚約契約の履行状況についても、神前にて確認し――」

 神官が言いかけたところで、隣から低い声が割り込んだ。

「形式通りで構わない。その必要はないだろう」

 レオン殿下の横顔は、絵画のように整っている。

「……殿下。『その必要はない』とは、どの部分についてでしょうか」

 台本にはない問いが、つるりと口からこぼれた。

 私は基本的に、波風を立てない聖女として教育されてきたのに。

「実務の細かい確認などだ。ここは祝福の場だろう」

 レオン殿下は、私ではなく前方を見たまま答えた。

「そうですね。ここは祝福の場です」

「ならば――」

「だからこそ、契約の履行状況は、女神様に正しく報告した方がいいと思います」

 正面を向いたまま、私は微笑みを崩さない。

 殿下の視線が一瞬だけこちらに向き、すぐ前へ戻った。

《……ログ的には、なかなか良いツッコミでした》

(褒めても何も出ませんよ)

《分かってますよ。ログが増えるだけです》

 胸の奥には小さな棘が刺さったままだ。

 今さら、細かい確認は不要。

 三年間の自分の生活を、そう一言で片付けられた気がして。

「聖女殿。……王太子殿下のご負担も大きい。式は円滑に進めたいのだ」

 前列から、王様が穏やかな声を投げてくる。

「もちろん、陛下。私は、形式通りで構いません」

 私は一礼し、定型の言葉を返した。

 それが喉を通る間、掌の中で自分の爪が痛い。

《……これは、あとで教材にしましょうか》

(教材?)

《形式通りで構いませんと言っている人ほど、だいたい限界のログが溜まってるって話です》

(女神様、そういう本気の分析を式の最中にしないでください)

《仕事中なので》

 光の板の端には、私の横顔が映っていた。理想的な角度で首を傾け、微笑む聖女の顔。

 前の世界よりはずっとマシだ、と自分に言い聞かせてきた三年間の気配が、淡く胸に浮かんで消える。

「聖女リディア」

 名前を呼ばれ、私は意識を現在に戻した。

 神官がこちらを向き、厳粛な声で告げる。

「これより、公正契約の女神の御前にて、婚約契約の確認を行う。異議はあるか」

「異議は、ありません」

 反射的にそう言いかけて、私は一瞬だけ言葉を飲み込んだ。

 頭の奥で、女神が「おや」と小さくつぶやく。

《一応、聞きますけどくらいのニュアンスでいいですよ?》

(……女神様。異議、出していいんですか)

《契約確認ですよ? 異議を出してはいけない契約確認って、すでに破綻してませんか》

(なるほど)

 喉の奥で笑いを押し込む。

「……契約内容の確認、よろしくお願いいたします」

 少しだけ言い回しを変えて、私は答えた。

 神官がうなずき、祭壇に向き直る。

《では、形式通り。ログの確認から入りましょうか》

 女神の声が、頭上から本堂全体に染み込むように響いた。

 光の板が一斉に切り替わる。

 王太子婚約契約・履行ログ。

 淡い文字が浮かび上がり、過去三年間の記録が、薄い光の頁になって重なっていく。

「ログ……?」

 前列の重臣の誰かが、小さくつぶやいた。

 隣でレオン殿下が、わずかに眉をひそめる。

「本日の式は、祝福の再確認だけではありません」

 女神の声が、静かに告げる。

《三年間のログをもとに、この契約をどう扱うかを確認する場でもあります》

(どう扱うか……)

《はい。続行するのか、条件を修正するのか、あるいは――》

 女神は、そこで言葉を切った。

「女神よ」

 王が、わずかに前のめりになって声を上げた。

「本日は、内外に向けて婚約を示す儀のはず。……その、ログとやらを読み上げる必要があるのか?」

《ありますよ、陛下》

 女神は即答した。

《契約というのは、祝いたいところだけを拾っていても、公平とは言えませんから》

 その言葉に、広い本堂の空気が、少しだけひやりと変わる。

 王妃が、扇を持つ指先に力を込めたのが、ここからでも分かった。

「では、まず三年前の、婚約締結当日のログから」

 光の板の一枚が、すっと前にせり出す。

 夜の回廊。高い窓から差し込む月光。

 見覚えのある風景が、薄い光の中に浮かび上がる。

(……ここから再生します?)

《もちろん。シリーズ的に、とても大事な一言がありますからね》

(女神様、その言い方やめてください)

《大丈夫です、まだ単語しか出しませんから》

 女神が楽しそうに言う。

 私の胃が、きゅっと縮む。

《お前を――》

 あの夜、彼が口にした、最初の二文字が、頭の内側でくっきりと蘇る。

 でも、光の板の映像は、その瞬間でぷつりと切れた。

《……と、いうところまでが、本日の事前ダイジェストです》

 女神の声が、さらりとオチをつける。

 本堂のあちこちから、安堵とも困惑ともつかない息が漏れた。

「……続きは、読まないのか」

 レオン殿下が、小さく問う。

 彼の声には、わずかな苛立ちと、ほんの少しの不安が混じっていた。

《本番は、もう少し後でまとめて読みましょう。今日はまず、この三年間が契約としてどう扱われるかの全体像からです》

 女神は柔らかくかわす。

《聖女様》

(はい)

《三年前のあの夜のこと、少しだけ振り返っておきますか》

(……ここでですか)

《ええ。国のための契約に自分を合わせ続けた三年間の話ですから》

 女神の声が、ほんの少しだけ真面目になる。

 私は、わずかに顎を引いた。

(分かりました。……では女神様。最初のログから、お願いします)

《承りました。では、あなたの朝にまだタイムカードも、私の声もなかった頃の話から、ゆっくり再生していきましょう》

 天井に刻まれた無数の契約名が、光に縁どられる。

 空いていた最後の枠が、淡く輝いた気がした。

 三年前の、自分の選択。

 それが今日、ここで「私のために終わらせる契約」に変わるかもしれないことを、このときの私は、まだ自覚していなかった。

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第1話 神前確認式は静かに燃える
 公正契約大神殿の天井には、過去の「大案件」の名前が刻まれている。 戦争終結条約、王位継承の調停、神殿と王家の和解。 その一番端に、空いたままの枠が一つ。(……たぶん、あそこに今日の案件が増えるんだろうな) 私は祭壇の前で、他人事みたいに思っていた。 白金の指輪が、左手の薬指でかすかに浮いている。サイズがわずかに合っていなくて、指を動かすたびに、きゅっと皮膚をこすった。《指輪、やっぱり半号大きいですねえ》 頭の内側で、聞き慣れた声が笑う。 公正契約の女神。今日の式の主催者であり、私の上司であり、この世界で一番、条文にうるさい存在。(今、そのツッコミいります? 女神様)《大事ですよ? サイズが合ってない指輪って、だいたいこの案件、最初から微妙ですよってサインですから》(縁起でもないことを、神様が言わないでください) 私は口元だけを上げて、外からは分からないように息を吐いた。 祭壇の背後には、光の板が何枚も重なって浮かんでいる。そこに王太子レオン殿下との婚約契約の条文が、ゆっくりスクロールしていた。「互いの名誉を守ること。王国と神殿の協力関係を維持すること。聖女としての務めを最優先すること……」 中央の神官が、祝詞のような調子で読み上げていく。《はいはい、前置きの綺麗なところですね》(女神様、声、被ってます)《聞こえるのは聖女様だけですから。安心してツッコミどうぞ》(……ツッコまないといけないんですか)《心の健康のためにどうぞ》 そんなやり取りをしているあいだも、式は進んでいく。 高い柱には祈りの絵ではなく、細かな文字が刻み込まれている。壁の装飾も、天井のレリーフも、すべて条文の断片で埋め尽くされていた。(契約に特化した神殿、というか……巨大な契約書ですね、ここ)《褒め言葉として受け取っておきます》 祭壇前の床には、円形の魔法陣ではなく、契約書レイアウトの線が描かれていた。見出しの位置、条文の欄、署名欄。 私と、その隣に立つレオン殿下は、署名欄にあたる場所に立っている。「……本日は、王太子殿下と聖女リディア殿との婚約契約の履行状況についても、神前にて確認し――」 神官が言いかけたところで、隣から低い声が割り込んだ。「形式通りで構わない。その必要はないだろう」 レオン殿下の横顔は、絵画のように整っている。「…
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第2話 聖女の朝はタイムカードなし
 終電もなければタイムカードもない世界で、私の朝は鐘の音で始まる。 外はまだ夜の色だ。塔の鐘が低く鳴り、冷えた石床が膝に現実的な痛みを返す。女神像の足元でひざまずきながら、私は今日の「案件」を頭の中で並べていた。(今日も死者が出ませんように。変な契約が増えませんように。ついでに、睡眠時間が少しだけ伸びますように)《最後のだけ、だいぶ個人的ですね》 頭の内側で、軽い声が笑う。 公正契約の女神だ。(個人の願いも、契約にしてくれていいんですよ)《「聖女の睡眠時間は最低〇時間保証」ですか。世界契約にするには前例が足りませんね》 そんなやり取りをしながら、私は形式通りの祈りを終えた。 鐘が二度目に鳴る。ここからが、聖女の「勤務時間」だ。 祈祷室を出て廊下を急ぐと、すでに神官たちが書類を抱えて並んでいた。「聖女様、お時間のあるときにこちらの——」「こっちは至急で——」「優先度の高いものから順にお願いします」 笑顔でそう告げながら、私は心の中で勝手に分類する。(命に関わる案件、A。生活直撃がB。見栄と政治はC) 聖女執務室の扉を開けると、紙の山と、その陰から飛び出してくる若手神官が一人。「せ、聖女様、おはようございます!」 茶色の髪を慌てて撫でつけながら、ティオが立ち上がる。契約書庫所属の書記官で、今はほぼ私の専属助手だ。「おはよう、ティオ。朝から元気ね」「い、いえ! その……昨日も、灯りが消えたの、だいぶ遅くて……」「大丈夫よ。前の職場に比べたら、まだマシだから」 口が勝手に、いつもの言い訳をこぼす。「前の……?」「こっちに来る前に、ちょっとね。それより今日の予定表を」 話題を変えて紙を受け取ると、「祈祷・相談・視察・会議」とびっしり並んでいた。(はい、今日もサービス残業コース)《本日の予定件数、昨日より一割増ですね》(神様のくせに、残業予測をしないでください)《稼働時間のログ管理も、契約の一部ですよ》 扉がノックされる。「個別祈願のお客様を、お通ししてもよろしいでしょうか」 そこから先の午前中は、ほぼ3コマ漫画だった。 個別祈願室で貴族夫人の昇進祈願をこなし、隣室で怪我人を治しながら減免申請にサインをし、廊下では「ついでに」と奉仕活動の報告書を抱かされる。椅子と書類と祈りが、切り替わり続ける。《聖女業務、順
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第3話 奉仕は無限残業ですか?
 公正契約大神殿の会議室は、いつも少しだけ寒い。  窓が高すぎて、外の天気が分からないせいかもしれない。 長机がコの字に並び、その正面の席に大神官長アグナスが座っている。重そうな金刺繍の祭服、分厚い台帳、几帳面に揃えられた羽ペン。見ているだけで、背筋が勝手に伸びる。  その両脇には、白髪混じりの古参神官たち。対面側の端っこに、ぽつんと私。肩書だけは立派な聖女は、今日も会議室の隅で空気を読みながら座っている。(……できれば、執務室で溜まっている書類を片づけたいんだけど) 心の中で弱い抗議をしてみても、鐘は鳴らない。代わりに、別の声が返ってきた。《本日は神殿幹部会議、「奉仕契約」草案の見直しについて、ですね》 (実況中継ありがとうございます、女神様) 《大事な議題ですよ? だってこれ、聖女様の残業時間にも直結しますから》 そこは笑いごとではない。「それでは、本日の議題に移ろう」 アグナスが低い声で告げると、会議室の空気がきゅっと引き締まった。  若い書記神官が、緊張で肩をこわばらせながら立ち上がる。手には、新しい奉仕契約草案の束。「……失礼いたします。では、草案を読み上げます。  第1条。聖職者は、神と民に仕える者として、その身と時を惜しみなく捧げること。  第2条。聖職者は、祈りと祝福をもって、人々の平穏と繁栄に寄与すること。  第3条。聖職者は、信仰と奉仕の模範として、自ら進んで公的務めに当たること」 一見、きれいな言葉ばかりだ。  ここだけ切り取れば、反対する理由なんてどこにもない。(問題は、だいたいその後ろなんだけどね)「続けます。第4条。聖職者は、可能な範囲で奉仕活動に従事するものとする」 その一文が読み上げられた瞬間、胸のあたりで何かがぴくりと引っかかった。(出た、「可能な範囲」) 曖昧で、責任の所在がどこにあるのか分からない言葉。  前の世界の就業規則でも、さんざん見た単語だ。《ふむ。「可能な範囲」ですか》
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第4話 白い結婚の条件
 王宮の謁見の間は、いつ来ても息が詰まる。 高い天井、真っ赤な絨毯、壁の紋章旗。大神殿の静けさとは違い、ここは「見せるための豪華さ」で満ちていた。 その絨毯の先端、玉座から数歩の位置に、私は立っている。聖女衣装の上に白いマント。「そのままで、聖女様」「ありがとうございます」 微笑んで礼を言いながら、こっそり深呼吸をする。 陛下への拝謁は仕事で何度も経験している。けれど今日は、「私個人の婚約」の話題だ。「グスタフ陛下、ご入場」 侍従の声と共に扉が開き、王と王妃、王太子レオン殿下が入ってくる。「頭をお上げなさい、聖女リディア」 穏やかな声に促され、私は顔を上げる。「聖女リディア」 玉座に腰掛けたグスタフ陛下が、よく通る声で言った。「そなたが神殿と国のために尽くしてきた働き、我は高く評価している。今日ここに、そなたと我が子レオンの婚約を、皆の前で宣言できることを嬉しく思う」 左右に並ぶ貴族たちが、ざわりとどよめく。「聖女と王太子の結婚は、アルシオン王国と公正契約大神殿との絆を、いよいよ確かなものとするだろう」 その言葉の中に、「私」という一人の人間の居場所はない。 国と神殿。その間をつなぐ部品としての「聖女」だけが、そこにいた。(……分かってはいたけれど) 胸の奥でそうつぶやきながら、私は頭を下げる。 玉座の隣から、王妃が一歩前へ出た。「皆さま、どうか安心なさって」 澄んだ声が、謁見の間いっぱいに広がった。「これは情熱の炎ではなく、白い結婚でございますの」 白い結婚。その言葉に、私は思わずまばたきをする。「恋の熱に振り回されることなく、お互いの役目と責任を尊重し合う、清らかで落ち着いた結びつき。国と神殿のために、ふさわしい形だと考えております」 あちこちから、小さな安堵のため息が漏れた。「まあ、白い結婚ですって」「熱ではな
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第5話 お前を愛するつもりはない
 王宮の大広間の扉が、背後で重く閉まった。 さっきまで耳を満たしていた楽の音も拍手も、石造りの回廊に一歩踏み出した途端、遠い別世界みたいに薄れていく。残るのは、私と隣を歩く王太子レオン殿下の足音だけだ。「今日はご苦労だった、聖女リディア」 殿下は、宴の最中と変わらない、公務用の笑みのまま言った。「陛下や客人の前で、聖女としての役目を果たしてくれて感謝する」「身に余るお言葉です、殿下。本日の婚約発表も、滞りなく済みましたね」 口から出るのは、訓練された模範解答だ。 でも胸の奥では、別の言葉が渋滞している。 ──これから、私はこの人と暮らすのだ。 聖女としてだけでなく、王太子妃としても。 人払いされた回廊には、他に誰もいない。護衛騎士たちでさえ、少し離れた場所に控えているだけだ。 だから、今なら。少しくらいなら、仕事以外の話をしてもいいはず。「殿下。あの……これからの生活について、少し伺ってもよろしいでしょうか」「生活?」 殿下の足取りが、わずかに緩む。「はい。聖女としての務めは、これまで通り大神殿中心で構いません。ただ、王宮との行き来や私の居室のこと、休息の時間の取り方など、事前に取り決めをしておけたらと」 なるべく感情を込めないように、項目だけ並べる。これは恋の相談じゃない。案件のすり合わせ。そう自分に言い聞かせながら。「細かいことは侍従に任せればいい。必要な段取りは整えさせる」 レオン殿下は、窓の外の塔を見たまま、視線をこちらへ戻さない。「君の負担は、王宮として可能な限り減らそう。だが、国難の折には、聖女も王太子妃も休むわけにはいかない」 国難。 前の世界の上司も、よくその言葉を使っていた。「今月は非常事態だから」「ここだけは踏ん張りどきだから」。 けれどここは、もうあの会社ではない。私はひとつ息を吐いて、喉まで出かかった毒を飲み込む。「国難の際に働くのは当然です。私が
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第6話 タイムカードのない三年間
 あの夜から三年分のログが、静かに、でも容赦なく積み上がっていった。《聖女様の稼働ログ、現在一〇九五日連続稼働ですね。記録的です》(記録って、本来はうれしい方向で更新したいんだけど) 頭の中で女神様にツッコミを返しながら、私は机の予定表をめくる。 この世界にはタイムカードはない。その代わり、公正契約の女神が、私の働いた時間と案件を、黙々とログに変えていく。 日付がめくられるたびに、その裏で、見えない稼働ログの束が厚くなっていく。 季節と案件だけが、静かに入れ替わる。 春には祭祀の準備と祝福予約。 夏には災害と病と、不作の相談。 秋には収穫祭と税・地代の契約見直し。 冬には貧しい人たちへの救済と、寒波対策の祈祷。 カレンダーは変わっても、私の予定表の埋まり方は、ほとんど変わらなかった。     ◇ 春。大神殿前の広場は、儀礼の練習をする神官たちと、参拝客の列であふれていた。「安全祈願は列に沿ってお願いします。寄進の契約書は、あちらの机にどうぞ」 私は進行表を片手に、もう片方の手で契約書をめくる。 安全祈願の祝福。寄進に紐づく契約。万一の事故の責任所在。《祭りの成功条件、だいたい全部『聖女が倒れないこと』で埋まってますね》(条件の書き方、おかしくないですか) やがて王家の馬車が広場に入ってきた。「この度の祭祀における聖女の働きに、王太子として感謝する」 祭壇の前で、レオン殿下がそう告げる。 視線は、私ではなく、民衆の方へ向いていた。(……名前じゃなくて、役職に向かって話しかけてる感じ)「恐れ入ります。皆さまの祈りがあるからこそ、務めを果たせております」 私は教科書通りに頭を下げる。《はい、『聖女として感謝する』ログ、春祭バージョン一件登録っと》(女神様、バージョン管理しないで)     ◇ 夏。豪雨と土砂崩れ
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第7話 崩れる見習い聖女
 白い息が、夜の路地に溶けていく。 冬の施しの列がようやく途切れて、私は空になった大釜から手を離した。指先は痺れ、足先の感覚も薄い。「本日の分は以上です。みなさん、ゆっくり温まってくださいね」 そう告げると、毛布を抱えた人々が、何度も頭を下げながら夜の路地に散っていった。 今日もなんとか、誰も凍え死なせずに済んだ。 そう思いかけて、私は昨日までの自分の言葉を思い出す。『前の世界と、何が違うんだろう。 少なくとも今は、誰も死んでいない』 その自己暗示を、また口にするのはやめた。今は、まだ。ここまでは。「片付けが終わった者から寮に戻りなさい。明日も奉仕はある」 担当神官の声に、見習いたちが一斉に「はい」と答える。「聖女様、本日もお疲れさまでした」 荷車を押していた見習いの少女が、目の下に薄い影を浮かべたまま、笑顔で頭を下げた。今日もずっと動き回っていた子だ。 この子は、本当によく頑張っている。前の世界でも、こういう子を止めきれなかったなと苦く思う。 神殿へ戻る廊下は静かで、塔の鐘ももう鳴りやんでいた。     ◇ 神殿の廊下に入ると、ほとんどの部屋は暗い。夜番の神官が数人、静かに歩き回っているだけだ。 その中で、奥の一室だけが、まだ暖かな光を漏らしていた。「……誰か、残っている?」 扉の隙間から覗くと、毛布を畳む小さな背中が見える。さきほどの見習い聖女の子だった。 部屋の中には、今日配った毛布の山、救済対象の名簿、洗い場へ運ぶ前の器の塔。誰の担当とも書かれていない雑務が、床いっぱいに散らばっている。「こんな時間まで残っていたんですか」 扉を軽く叩いて声をかけると、少女はびくっと振り向き、慌てて頭を下げた。「せ、聖女様! すみません、もうすぐ終わります!」 立ち上がろうとして足元の毛布に引っかかり、よろける。私はあわてて部屋に入り、机に手をついて彼女を支えた。
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第8話 終電のない世界で
 見習い聖女が倒れてから、まだ数日しか経っていない。 貧民救済の片付けも、祈祷室での追加の祈りも終わったのに、胸のざわつきは収まらなかった。 だから私は、夜の大神殿を、書類の束を抱えて歩いている。(眠れないなら、せめて──次に誰かが倒れる前に、止められる条文を見つけないと) 地下の契約書庫は、夜になると小さな灯りだけが揺れている。扉を開けると、羊皮紙とインクの匂いが冷たい空気に混じった。 世界中の奉仕契約が積み上がる棚の片隅で、私は『健康条項メモ』の小さな束を抱え、こっそり増築工事を続けていた。「……今日は、『可能な範囲で』の洗い出しからですね」 自分に言い聞かせるように呟き、「奉仕契約草案」と書かれた羊皮紙の束を引き寄せる。     ◇「聖女様、こんな時間まで……!」 入口から飛び込んできた声に顔を上げると、ティオが息を切らせて立っていた。両腕には書類の山。「片付けは?」「終わりました。でも、聖女様まで残っていたら、誰も帰れないです」 机の上を見て、彼女の顔色がさらに青くなる。「これ、全部読むんですか?」「全部は無理です。三年分のログを読ませて、まとめて休暇申請するのが理想なんですけど」「きゅ、休暇……本当に取れるんですか?」 真剣な目で聞かれると、胸の奥が痛む。(そこは、女神様次第) 喉まで出かかった本音を飲み込み、私は笑って首を振った。「今は、誰かが倒れる前に、止められそうな条文を探しているだけです」「……聖女様のほうこそ、倒れないでくださいね」 ティオは、ぎゅっと書類の端を握りしめる。「少ししたら、本当に寝ますから」「約束ですよ?」 何度も振り返りながら、ティオは書庫を出ていった。 私は深く息を吐き、羊皮紙を一枚ずつめくっていく。 「可能な範囲で
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第9話 女神と深夜の条文会議(1)
 終電もタイムカードもない世界で、私の次の夜は、静かな足音から始まった。《深夜の泉行き、単独残業コースですね》(残業というなら、手当の条文も用意してください)《それを考えるための会議ですよ。ここから逃げる契約の、0回目打ち合わせ》《ようこそ、深夜の条文会議会場へ》「ずいぶん本格的な会議仕様ですね」《本日は残業面談拡大版ですから。議題は1件、ここからどう逃げるか》 逃げる、という単語に、胸の奥がきゅっと痛んだ。 見習い聖女が倒れた夜。白い手が床に落ちた音。医師の「よくあることですよ」という声。誰も悪意を持っていないのに、誰も止めてくれなかった現場。(もう、誰かが倒れるのを見たくない) 前の世界で口にした言葉が、また喉の奥で形になる。《座ってください。身体を冷やすのは、契約的にもよくありません》「契約的に、ですか」《聖女が風邪を引くと、ログが荒れますからね》 私は苦笑しながらマントを整え、石のベンチに腰を下ろした。冷たさが伝わってきたところで、泉から吹く光の風が少しだけ和らげてくれる。「それで、具体的には何を」《まずは状況整理から》 女神様が指先を弾いた。水面に輪が広がり、その中心から薄い板のような光がふわりと浮かび上がる。 1枚、2枚、3枚。 光の書類が、泉の上に並んだ。「……契約書」《はい。現在、あなたを主に縛っている契約を、ざっとまとめてみました》 左端には「聖女奉仕契約」。中央には「公正契約大神殿 聖職者労働規程」。右端には「アルシオン王国 王太子婚約契約書の写し」。 見慣れたタイトルが並んだだけで、胃が重くなる。条文が細かい字でぎっしり並んでいる。そのレイアウトは、前の世界で読み続けた契約書とほとんど同じだった。《だいたい、この3枚であなたの現在の生活は説明できます》「人生を3枚でまとめないでください」《では補遺として
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第10話 女神と深夜の条文会議(2)離婚か再契約か
 女神様が羽ペンをくるりと回すと、泉の上に浮かぶ光の書類が、また静かに並び替えられた。 左に聖女奉仕契約。真ん中に聖職者労働規程。そして、右端には、見慣れてしまったはずの婚約契約書。《では、ここからは王太子殿下との婚約契約について、条文ごとに確認していきましょうか》「……逃げるための契約、でしたよね」《ええ。逃げるか、書き換えるか。その判断材料をそろえるのが、今夜の残業です》 残業という単語に、思わず口元が引きつる。 透明な板のような羊皮紙が、泉の水面からすっと立ち上がった。王家の紋章と神殿の紋が金の線で飾り枠になっていて、一見しただけなら、祝福そのものに見える書類だ。 けれど、その一行目を目で追った瞬間、胸の奥がひやりと冷えた。「聖女リディアは、王太子レオンの婚約者として、その身と祈りを国と王家のために捧げることを約する」《この一文だけで、だいたいの雰囲気は伝わりますね》「……良くも悪くも」 前の世界で、会社のロゴがど真ん中に入った採用通知を思い出す。お祝いの紙の顔をしていながら、その裏には、終電と休日を溶かす条文が隠れていた。 水面の上では、「国の安定」と刻まれたタグだけが濃く光り、「聖女本人の安全」「休息」といった言葉は、淡く霞んでいた。(やっぱり、私自身は、ここにはいない) 小さく息を吐いた瞬間、女神様の羽ペンの先が、書類の左上をこつりと叩く。《では、第1条から。紙の上の綺麗ごとと、ログを照らし合わせていきましょう》     ◇《第1条。双方は互いの名誉と信頼を損なう行為を避け、常に尊敬をもって接すること》 女神様が読み上げると同時に、泉の上に、もうひとつの画面がふわりと開いた。 王宮の回廊。夜風。硬い革靴の音。 「お前を愛するつもりはない」と告げられた、あの夜の景色だ。《名誉と信頼を守る、ですね》「……守られていた感じは、正直、一
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