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第142話

Auteur: 三佐咲美
別れに涙する者もいれば、再会に歓喜する者もいる。

人でごった返す空港を、私はひとり、足早に通り過ぎていく。傍らに寄り添うスーツケースすら持たず、まるでこの世界に取り残されたみたいだ。

どうやら、慎一がまた約束を破るつもりらしい。

法廷に行くよって彼は言った。だけど、その姿はどこにも見えないし、メッセージ一つも届いていない。

せめて、彼が飛行機に乗る前、私は「いってらっしゃい」とちゃんと言ったのに。

心の中に、透明な壁ができてしまったみたいだ。私は無理やり笑顔の仮面を貼りつけて、この孤独感を打ち砕こうとした。怠けている暇はない。どんなことも、今の私の精神を乱すわけにはいかないのだ。

今日という日は、私にとってとても大切な日だから。

開廷前の待合室で、私は依頼人と会った。「体が許せば」と彼女が言っていた通りに、彼女がここに来た。

かつては美貌を誇った彼女も、今は厚く塗られた化粧に血色のない顔を隠し、大きなサングラスの奥の目は深く落ちくぼみ、痩せこけた頬の上に浮き上がる頬骨は、まるで突き出た小山のようだった。

アシスタントが声をかけてくれなかったら、私はきっと彼女だと気づけなかっただろう。

早瀬さんは、かすかに微笑んでいた。その穏やかな表情の奥に、ほとんど破滅的な絶望がにじんでいる。「安井先生、さっき彼を見かけました。もう未練はありません」

私は手元の書類をいじりながら、何を言ったらいいのかわからなくなった。

愛し合う者が結ばれず、愛のない者同士が偽りの夫婦を演じ続ける。

神様って、本当に意地悪だ。

アシスタントが彼女にそっと声をかける。「もう会えたのですから、そろそろ戻りませんか?お医者さんも、長時間外出するのは控えてと言ってましたし」

早瀬さんは小さく咳き込み、口紅でも隠しきれぬ蒼白な唇で私に言った。「安井先生、どうかこの裁判は勝ってください。もう、時間がないんです。あの人と、あと一年も調停する余裕なんて」

私は静かにうなずいた。「全力を尽くします。必ず、ご期待に応えます」

待ち時間は、まるで針のむしろのようだった。書記官も陪審員もすでに席に着き、今回の裁判は双方とも有名人だから、傍聴席も人で埋め尽くされ、あちこちにレコーダーやカメラが設置されている。

開廷時刻になっても、肝心の裁判官がまだ現れない。そんな中、ふと視線を引きつける人
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