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第260話

Author: 三佐咲美
私は口を開きかけたが、反論しようにも、何を言えばいいのか思いつかなかった。

そのとき、個室の暖簾が外から勢いよくめくられた。まだ人影も見えないうちから、あの人特有のほのかな茶の香りがふわりと漂ってくる。

慎一は伏し目がちに私をじっと数秒間見つめると、康成に向かって笑いながら言った。「康成、それはどういう意味だ?つまり、俺も鈴木家には釣り合わないってことか?」

私は、何だかんだ言っても彼の元妻だ。私のことを言うのは、つまり彼自身のことを言っているようなものだ。

慎一はそばの椅子を足で蹴り飛ばし、ズボンの裾を直してからどっかりと腰かけた。私の腰をぐっと引き寄せ、そのまま膝の上に座らされる。彼は薄く笑みを浮かべ、康成をじっと見つめていた。

康成は一瞬で体を強張らせ、表情も真剣になる。「慎一、そんな意味じゃないって分かってるだろう。でもこれは鈴木家に関わる問題なんだ。弟の将来がかかってるんだ、俺が……」

「康成!」慎一は彼の言葉を遮る。「お前が心配してることは絶対に起こらない。この話に別の選択肢なんて存在しない。わかるよな?」

康成はため息をつき、軽くうなずいた。「とにかく、俺にも譲れない一線がある。俺は弟が離婚した女とくっつくなんて、絶対に認めない」

「離婚したからって何なのよ!」私は顔では平静を装うが、心の中では思い切り悪態をついていた。

離婚して、あんたの家の飯でも食ったっていうの?

「康成!」慎一の目に鋭い光が走る。「佳奈は、今でも俺の妻だ!」

「何言ってるのよ!」私は激しく身をよじったが、彼はさらに強く私を抱きしめる。

康成は席を立ち、「慎一、お前こそ、早く片付けろよ。俺は弟の将来を賭けるつもりはない」と言い捨て、袖を払って足早に出て行った。

「な、見ただろ。俺以外、誰もお前なんか要らない。他の奴らはお前を毒蛇みたいに避けてる」

慎一は突然、私の脇の下に手を差し入れると、子どもを抱えるように私の両足を広げて、膝の上に座らせた。

彼の体が前に迫ってきて、私は食卓と彼の腕の間に閉じ込められてしまう。呼吸さえも重苦しい。

屈辱感で胸が痛んだ。この姿勢は、雲香を思い出してしまう。私は彼の妹じゃない、あの男の体の上で甘えてばかりの妹なんかじゃない!

どれだけ彼といろんなことを乗り越えても、雲香の存在はいつまでも私の心の棘だ。思い出すだけで息
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