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第341話

Author: 三佐咲美
心臓がどくん、と大きく震えた。私は無意識に片腕を慎一の背中に伸ばしていたけれど、その手をどこに置けばいいのか分からなかった。

彼は喉を詰まらせながら言う。「俺より先に死んじゃダメだ」

その言葉に、私の目の奥がじんと熱くなる。まるで涙がせり上がってくるみたいに。

慎一と離婚してから、世界との最後の繋がりまでも断ち切られた気がしていた。まるで糸が切れた風船のように、風に流されるまま、どこにでも行けると思っていた。

康平と一緒に臨城市まで流れ着き、落ち着いた日常を手に入れようと必死にもがいてみた。でも、どれだけ時間を費やしても、一日中仕切りの水槽の中の魚を眺め続けても、そこが家だと感じることはなかった。

だけど、今。その糸の端っこを、目の前の男がしっかりと掌で握ってくれていた。

彼を通して、私は再びこの土地と繋がりを持つことができた。帰る場所を見つけたような気がした。

ざわめく人ごみやパトカーのサイレンも、今はすべて無音の背景に消えていく。私の耳に響いているのは、彼の大きな、熱い愛情と告白だけだった。

この瞬間、冬が突然色づいた気がした。

私はそっと手を伸ばし、慎一の背中を軽く叩いて言った。「痛いよ……」

慎一はすぐに体を起こし、心配そうな顔で私を見つめる。「どこが痛いんだ?」

彼はすぐさま振り返り、大声で叫んだ。「救急車!誰か救急車を!」

私は涙をぐっと堪えながら、力なく腕を下げていた。やっと彼は、その不自然にぶら下がる私の腕に気付いた。

「すぐに病院に連れてく!」

そう言って、私をひょいと横抱きにした。その瞬間、真思が彼のズボンの裾を掴んだ。「慎一……助けて……私、もう死んじゃうの……」

「待ってろ。救急車はすぐ来るはずだ」慎一は彼女の手を無造作に脚で振り払い、冷たい声で言い放つ。「しっかりしてろよ。お前との決着は、これからだ」

「彼女は腕だけなのに、そんなに心配して……私は死にそうだよ、あんたは気にしないの?」

真思の哀しい叫びが、背後からいつまでも響いていた。

運転手は現場に残り、慎一自らハンドルを握る。

火傷で震える手で、それでも彼は運転をやめなかった。「大丈夫か?もう少しだ、すぐ着くから……」

こんなにも彼が喋る人だったなんて、私は初めて知った。

私は静かに目を閉じて、顔を少し横に向けた。頭の中は「慎一」という名前だけ
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Comments (1)
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シマエナガlove
結局慎一なんだ 康平が可哀想 あれだけやってるのに この時も頑張って耐えてるのに
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