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第11話

Author: カーボン煎餅
その日から、母はどこかぼんやりするようになった。

何をするにも、私の骨壺を手放そうとしない。

眠るときは胸に抱き、食事のたびには骨壺の前に小さな膳を整える。

ある夕暮れ、母は豚の角煮を一切れ、骨壺の前の小鉢にそっと置いた。

「青葉、これは母さんが自分で作ったの。食べてみて。口に合うかどうか分からないけど」

私は宙に浮いたまま、脂がつやつやと光る角煮を見つめ、小さく呟いた。

「私は胃が弱いから、脂っこいものは食べられない」

その言葉がこぼれた瞬間、母の肩がびくりと震えた。

何かが聞こえたかのように、母は箸でその角煮をつまみ上げ、そっと皿に戻した。

そして涙を流しながら、いちばんあっさりしたお浸しや煮びたしを、骨壺の前へ少しずつ並べ直していった。

「そう、そうよね。脂っこいのはだめだったわね。母さんが入れ替えるから……」

父は傍らに立ち、抜け殻のようになった妻を見て、苦しそうに目を伏せた。

口を出す勇気も、出す資格も、もうなかった。

数日後、母が風呂に入っている隙に、父はついに耐えきれず、人に頼んで骨壺を持ち出させた。

そのまま墓地へ運び、菩提寺に頼み込んで、ひ
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    その日から、母はどこかぼんやりするようになった。何をするにも、私の骨壺を手放そうとしない。眠るときは胸に抱き、食事のたびには骨壺の前に小さな膳を整える。ある夕暮れ、母は豚の角煮を一切れ、骨壺の前の小鉢にそっと置いた。「青葉、これは母さんが自分で作ったの。食べてみて。口に合うかどうか分からないけど」私は宙に浮いたまま、脂がつやつやと光る角煮を見つめ、小さく呟いた。「私は胃が弱いから、脂っこいものは食べられない」その言葉がこぼれた瞬間、母の肩がびくりと震えた。何かが聞こえたかのように、母は箸でその角煮をつまみ上げ、そっと皿に戻した。そして涙を流しながら、いちばんあっさりしたお浸しや煮びたしを、骨壺の前へ少しずつ並べ直していった。「そう、そうよね。脂っこいのはだめだったわね。母さんが入れ替えるから……」父は傍らに立ち、抜け殻のようになった妻を見て、苦しそうに目を伏せた。口を出す勇気も、出す資格も、もうなかった。数日後、母が風呂に入っている隙に、父はついに耐えきれず、人に頼んで骨壺を持ち出させた。そのまま墓地へ運び、菩提寺に頼み込んで、ひそかに納骨を済ませる。風呂から出た母は、骨壺がないことに気づいた。次の瞬間、母は狂ったように家中を探し回り、部屋という部屋を滅茶苦茶にした。やがて台所に立ち尽くし、包丁を握ったまま父を振り返る。「青葉をどこへやったの」泣き叫ぶでもなく、底の抜けたような声だった。そのひと言で、小林家は地獄になった。そこへ、家を追い出された兄の大樹が戻ってきた。無精髭を生やし、目の下には濃い隈が浮かんでいる。「母さん、もうやめてくれ……」兄は床に膝をつき、嗚咽をこらえきれないまま言った。「青葉はもういないんだ……あいつはこの家にいたのに、俺たちは誰もちゃんと見ようとしなかった。気にかけてもやらなかった。俺たちは……まともな服ひとつ、買ってやったこともない」彼は震える手で顔を覆い、途切れ途切れに続ける。「この数日、俺は青葉の真似をして、押し入れや木箱みたいな狭い場所に体を押し込んでみた……あいつは、ああいうふうに囲まれていないと、落ち着けなかったんだと思う。俺たちは……青葉がここにいてもいいと思える場所を、ひとつも与えてやれなかった」その言葉を

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    ふと気づけば、私は皮肉にも桃華を少しだけ見直していた。彼女は悪辣で、どこまでも割り切っていた。しかも、家族の誰よりも私のことをよく分かっていた。桃華の言葉を前にして、家族は誰ひとり言い返せなかった。母は壁に手をついたまま、崩れ落ちるようにストレッチャーへ近づく。震える指で私の髪をそっとかき分け、無惨に潰れた私の顔をのぞき込む。その瞬間、母の顔からすべての表情が静かに消えていった。「そう……全部、私のせいなのね……」父はその場にへたり込み、顔を覆って泣き崩れた。「どうして……もっと早く気づいてやれなかったんだ……青葉のことを、ちゃんと見ていれば……こんなことには……」兄の取り繕いも、そこでとうとう限界を迎えた。兄は逆上し、怒鳴りながら桃華に掴みかかった。桃華を床に突き倒すと、そのまま馬乗りになり、我を忘れたように何度も頬を張った。「全部お前のせいだ!この性悪女が!」「あんたにだけは言われたくないわね!あんたのしたことのほうが、私よりずっと気持ち悪い!」桃華も悲鳴まじりに怒鳴り返し、兄の腕を必死に払いのけた。二人は病院の廊下でもつれ合った。「もうやめなさい!」母の叫びに、その場の空気が凍りついた。兄も桃華も、ぴたりと動きを止めた。母はゆっくりと立ち上がった。その目は虚ろで、まるで昔の私みたいだった。「青葉の前で騒がないで」感情の色を失った声でそう言うと、母は出口の方を指し、桃華を見る。「桃華、出て行きなさい。今日限り、あなたはもう小林家の娘じゃない。私の娘は、青葉だけよ」「私を追い出すの?」その場にへたり込んだ桃華は、目を見開いたまま母を見上げた。「私は17年間、この家の娘として育てられてきたのよ!それを、たった一言でなかったことにするの?」桃華は父の足に取りすがり、引き裂かれるような声で泣き叫んだ。「パパ、何か言ってよ!昔は桃華を一番かわいがってくれたじゃない!お姉ちゃんの死は事故よ。私が殺したわけじゃない!お姉ちゃんがこうなったのは、あなたたちが放っておいたからでしょ!どうして今になって、全部私のせいにするのよ!?」パンッ!父は足元にすがりつく桃華を振りほどくと、その頬を平手で打った。桃華はその場に崩れ落ちた。父は何も言わなかった。17年間、娘

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    大樹は担架の前へ飛び出す。青葉の肩をつかんで揺さぶろうとした瞬間、救助隊員が咄嗟にその腕を押さえた。「青葉、起きろ!目を開けろ!」大樹は叫び続けた。「また死んだふりなんだろ!?俺たちを騙そうとしてるだけなんだろ!?身体だってまだ温かいんだ!こんなことで死ぬわけない!起きろよ、青葉!」桃華も後ろで涙を拭いながら、泣き声まじりに声を上げた。「そうよ、お兄ちゃんの言う通りよ。お姉ちゃんが、こんなところで死ぬわけない!きっと前から隠れる場所を見つけてたのよ。また、こんなふうにして……私たちを怖がらせようとしてるだけよ。きっと、そうよ……」――パンッ!鋭い平手打ちの音が、桃華の言葉を断ち切った。美由利の手が打ったのは、桃華ではない。大樹の頬だ。美由利はよろめくように立ち上がり、血走った目で大樹を睨み据える。震える指で、青葉の血まみれの手を指さして叫ぶ。「この子は助けを求めてたのよ……!何度も、何度もそのボタンを押し続けてた!スマホだって鳴ってたでしょう!なのにあなたは、青葉はもう外に出てるって言い張った!仕返しだとか、底意地が悪いだとか……勝手に決めつけて、通知まで切った!そんなやつに付き合う必要はないって言ったのも、あなたじゃない!」大樹は打たれた頬を押さえることもできず、その場に立ち尽くした。「俺……」かすれた声が、震える唇からこぼれる。「俺、また……芝居だと思って……」一歩、後ずさる。これまで感じたことのない恐怖が、今になって胸の奥から込み上げてきた。「医者!早く医者を!」正人がようやく我に返り、震える声で叫んだ。待機していた医師が駆け寄り、青葉の首元に指を当てて脈を確かめ、呼吸と瞳孔の反応も素早く確認した。全員が固唾をのんで、その手元を見つめた。数秒後、医師が顔を上げ、切迫した声で叫ぶ。「脈がある!呼吸は浅いが、まだ続いている!すぐにヘリへ!急げ、まだ間に合う!」

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