LOGIN誕生日当日、彼氏の新堂京介(しんどう きょうすけ)を含む5人で、遊園地へ出かけた。 急流すべりの順番が来ると、彼ら4人は私・桑原千代(くわばら ちよ)を置いて我先に前の席へ乗り込んだ。 ほんの一瞬、呆然と立ち尽くした私は、何も言わず、後ろの席に腰を下ろした。 そこで初めて気づいた。 彼らはいつの間にか、みんなレインコートを着ていた。 何も知らされていなかったのは、私だけだった。 急な坂を一気に滑り落ちた瞬間、滝のような水しぶきが容赦なく全身を襲った。 頭の先からつま先までずぶ濡れになり、濡れた白いTシャツが肌に張りついて、体の線をくっきりと浮かび上がらせる。 藤宮梨乃(ふじみや りの)が振り返り、声を上げた。 「千代、なんでレインコート着てないの!?」 京介と二人の幼なじみは、顔を見合わせたまま、何も言わなかった。 でも、分かっていた。 彼らはただ、今回も私を忘れていただけ。 この前山に登ったとき、彼らは私を置き去りにした。 旅行に行ったときも、異国の地で、私だけが列車に取り残された。 レインコートを買うときでさえ、彼らはやはり私のことを忘れていた。 しばらくして化粧室へ向かい、ずぶ濡れになった自分の姿と、青ざめた顔を鏡に映して見つめたとき、ふいに苦笑がこぼれた。 どうしても私の居場所がない関係なら、もっと早く手放すべきだったのだ。
View More私は黙って彼の言葉を聞いていた。表情ひとつ変わらなかった。そんな私とは正反対に、彼の目は痛いほど揺れている。彼もそれに気づいたのか、顔がさらに曇っていく。しばらく沈黙が落ちたあと、私は「うん」とだけ返した。立ち去ろうとした瞬間、手首を掴まれた。力は強くない。かつて私に梨乃へ謝れと迫った時より、ずっと優しい。だからこそ、その優しさが余計に皮肉だった。「行かないでくれないか」彼は伏し目がちのまま、そっと私を見た。あの切れ長の目は、今は哀願の色を帯びている。「千代、俺は別れたくない」あれほど強引だった彼が、今はひどく弱々しく見える。「梨乃はもうクビにした。今後、あいつとは一切関わらない。信じてくれ」私は彼をしばらく見つめた。それから、慌てる彼をよそに、掴まれた手を振りほどいた。「信じない。前にあなた、私を一生守るって言ったよね。あなたの『一生』って、たった十年だったの?」彼の目が、悲しみと後悔で揺れた。私は深く息を吸った。もう、うんざり。「もう来ないで。二度と関わらないで。あなたと話すことは、もう何もない」そう言い捨てて背を向けた。彼は追ってこない。ただ、蒼白な顔で私の背中を見つめているだけだ。彼が諦めないことくらい、分かっていた。だから翌朝、玄関先に京介たちがそろって立っているのを見ても、たいして驚きはしなかった。翔の手には、私が毎年楽しみにしていた、この時期限定の焼き菓子があった。「千代……ごめん」そして、風斗の手にあるものを見た瞬間、私は言葉を失った。それは「仲直りチケット」だった。たどたどしい字を見た瞬間、子供の頃の私が作ったものだと分かった。風斗はそれをそっと広げた。「……仲直りチケット1枚。1回だけ許してあげるって、そう書いてあった」読み上げたあと、彼は不安そうに私を見た。「千代……これ、まだ有効かな?」私はゆっくりそれを受け取り、書かれた文字をぼんやり眺めた。そして、彼の目に希望が浮かんだ、その瞬間――私はそれを破り捨てた。風斗は息を呑み、目を見開いた。「千代……」自分でも驚くほど、声が冷えている。「子供の頃の約束なんて、何の意味があるの?あなたも言ったよね。私をちゃんと守るって。なのに、守れなかった。だ
その頃、遠い海の向こうで、私はちょうど空港に降り立ったところだった。スマホには、あの3人からのメッセージが山のように溜まっていた。なかでも京介からのものは群を抜いていて、百件を優に超えている。私は一通たりとも返さなかった。そのまま全員をブロックし、まとめて削除する。慌ただしく飛び出したせいで、あの連中の連絡先まで消しそびれるところだった。そんな時、母からビデオ通話が入った。「京介たちが屋敷まで来たのよ。そのあと、京介が交通事故に遭ったの」私はただ小さくうなずいた。昔の私なら、仕事の手を止めてでも、すぐに彼のもとへ駆けつけていただろう。けれど今は違う。ただ小さくうなずいて、「わかった」と返すだけだ。彼の生死なんて、もう私には何の関係もない。「そうそう、婚約解消の件だけど、こちらから新堂家へきちんと伝えておいたから」「ありがとう、母さん」通話を切ると、私はA国であらかじめ買っておいた家へ戻った。荷物をほどき、ようやくほっと息をつく。あの腐りきった関係に、もう二度と振り回されることはない。ただ、一つだけ意外だった。まさか梨乃が、京介にクビにされてたなんて。あれだけ大事にしてたはずなのに、何があったんだろう。そう思いはしたものの、私はすぐに首を振った。もう彼らのことを深く考えるつもりはない。私の中では、もう終わった存在だ。A国での生活は、驚くほど充実していた。支社で働きながら、現場で一つひとつ仕事を覚えていった。以前よりも、ずっと多くのことを吸収できている実感があった。周囲は最初こそ私を軽んじていたけれど、いつしか皆が当たり前のように私を「社長」と呼ぶようになっていた。そんなある日、私はまた1つ、大きなプロジェクトを勝ち取った。オフィスの入り口に立ち、皆に向かって声を張り上げる。「みんな、今月のボーナスはいつもの5倍よ。今夜は私のおごり。好きなだけ頼んでちょうだい」たちまち歓声が上がる。私は微笑んでいた。もしかしたら、最初からこうするべきだったのかもしれない。少しずつ心をすり減らすような関係にしがみつくくらいなら、全部を仕事に注いでしまったほうが、ずっとよかった。あれからも、私はずっと全員をブロックしたままだった。けれど着信を拒否すれば、今度はメールを送ってく
その瞬間、京介は息をすることさえ忘れた。まるで周囲の空気が一気に奪われたように、喉がひりつき、胸の奥が苦しく締めつけられる。「千代……」翔も風斗も、呆然とその場に立ち尽くしていた。昨日まであんなにも元気だった人が、もう二度と戻らないかもしれない――そんな現実を、誰ひとり受け止めきれずにいた。もし千代に何かあったら、自分たちはどう償えばいいのか。この先、どんな顔をして生きていけばいいのか。京介は目を真っ赤にしたまま、引き寄せられるように担架へ駆け寄った。震える手で、白い布をそっとめくる。そこにあったのは、見知らぬ顔だった。その瞬間、京介の唇から大きく息がこぼれた。全身から力が抜け、足元がぐらりと揺れる。翔と風斗に支えられなければ、その場に崩れ落ちていたかもしれない。「……よかった。千代じゃない」翔がはっとしたように顔を上げた。「そういえば、千代には運転手がいたはずだ。俺たちが先に出たあと、自分で連絡して迎えに来てもらった可能性もあるんじゃないか?」京介はかすかに首を振った。分からない。けれど今は、ただそうであってほしいと願うことしかできなかった。捜索が終わっても、最後まで千代の姿は見つからなかった。それは同時に、翔の推測が外れていない可能性を示している。男たちは顔を見合わせると、すぐに車へ乗り込んだ。向かう先は、桑原家だった。道中、京介はアクセルを深く踏み込んだ。赤信号さえ目に入らないほど、張りつめたまま車を走らせる。頭の中にあるのは、ただひとつ。1秒でも早く、千代に会いたい。後部座席の梨乃は、猛スピードに顔を青くしていた。「京介、少しだけ……ゆっくり走っていい?怖いの……」けれど、誰もその言葉に応えなかった。梨乃がもう一度声をかけようとした、そのとき。「怖いなら降りろ」鋭い声が、車内の空気を切り裂いた。梨乃はびくりと肩を震わせる。目の縁がみるみる赤くなり、唇を噛みしめたまま、梨乃は何も言えなくなる。どうして。どうして、私がこんなふうに言われなきゃいけないの。その目の奥に、悔しさと憎しみにも似た色がじわりと滲む。ふと振り返った翔と風斗は、そんな梨乃の表情を目にして思わず息をのんだ。二人は無言のままそっと目を見合わせた。互いの瞳に滲
グループチャットが静まり返る。しばらくして、翔と風斗がようやくメッセージを送ってくる。【昨夜、千代は車に乗ったっけ?】【いや、忘れてた。気づかなかった】そのやり取りを目にした瞬間、車内にいた京介は息が止まりそうになった。自分も、千代が車に乗ったかどうかすら確認していなかった。今朝、土砂崩れのニュースを見た瞬間から、胸の奥がずっとざわついている。千代に何度電話をかけても、一度もつながらない。こんなこと、今まで一度もなかった。京介はきつく目を閉じる。きつく結ばれた唇が、押し寄せる動揺を懸命に押し殺しているようだった。そのとき、ふとドライブレコーダーの後方映像に目が留まった。京介は弾かれたように昨夜の記録を再生する。嵐の中、翔と風斗が梨乃を車へ乗せた。その直後、車のドアが閉まった。細い人影が、車の外に取り残されていた。その一瞬が、はっきりと映っている。京介の呼吸が止まった。まさか――自分は千代を、あの場に置き去りにしたのか?ラジオから流れる土砂崩れの続報が、かろうじて保っていた冷静さを少しずつ奪っていく。もし彼女が本当にあの中にいるのだとしたら、自分はこの先、どうやって生きていけばいいのだろう。そのとき初めて、京介は思い知った。自分が間違っていたことを。そして、失ってはいけないものを失おうとしていることを。京介はアクセルを強く踏み込み、昨日の別荘地へ向かう。ほどなくして、翔と風斗も追いついてくる。彼らの顔色は真っ青だった。「千代は……昨夜、車に乗れなかったのか」京介は全身をこわばらせたまま、ゆっくりとうなずく。二人は顔を見合わせた。同じ恐怖が、互いの目に浮かんでいる。昨日まであれほど賑わっていた別荘地は、今や無残な被災現場と化している。消防隊員、救急隊員、報道陣があたりを埋め尽くし、現場は騒然としている。さっきの映像が、ふいに京介の脳裏によみがえった。そこに映っていた千代の青ざめた顔に、京介はたまらず中へ駆け出しかける。だが、消防士に鋭く制止される。「入らないでください!中は危険です!」「恋人が中にいるんだ!助けに行かせてくれ!」京介の目は赤い。消防士は一瞬言葉を詰まらせたが、それでも首を振った。「こちらで全力を尽くしています。ですが、今は二次崩落の
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