LOGINこの小説の世界に転生したとき、物語はもうすぐ終幕を迎えようとしていた。 石井蒼夜(いしい そうや)は二番手の男だった。 ヒロインとヒーローがビジネス界の頂点に立ち、彼だけが海外へ姿を消した。 私は作中で白血病の末期を迎えた、目立たない端役にすぎなかった。 なのに、そんな存在感すらなかった私が、蒼夜の妻になった。 ずっとわかっていた。 彼が愛しているのはヒロインだということ。 そして、私の命がいつか尽きるということ。 それでも結婚から三年、彼は細やかに私を気遣ってくれ、大金を投じて治療費を出してくれた。 本当に愛してくれているのかも、と思いかけた矢先、ヒロインが交通事故に遭った。 蒼夜はチャーター機で国内の病院へ駆けつけた。 あの日が私の最期の日だとも知らずに。
View More部屋に残されたのは、私と蒼夜だけだった。彼の目を見つめる。「全部、最初からわかってたんでしょ。私をバカにして騙すのが、そんなに楽しい?」彼の体がはっきりと震えた。一瞬の沈黙のあと、口を開く。「ただ、君を巻き込みたくなかっただけだ。あの女は計算高いから、君に手出しされるのが怖いんだ。だから、君に関心がないふりをして、油断させていたんだ」もともと、私の身の安全を守るために国内へ送り届けるつもりだったらしい。まさか私の方から先に逃げ出すとは思わなかったと。手の中の薬を見つめ、私は深く息をついた。「つまり私って、あなたの計画をいつだってぶち壊しかねない、これ以上ないってくらい愚かな女ってわけ?」蒼夜が慌てたように言う。「違う。本当に君の安全だけを考えていたんだ。あの女が狂っているのは君も見ただろう。目的のためなら手段を選ばない。君を危険にさらすわけにはいかない」彼の感情は次第に高ぶり、私を抱きしめようとする。でも私はそれを制した。「じゃあ、計画は終わったんだから、もう行かせてくれるよね?」彼はその場に立ち尽くし、じっと私の目を見つめている。しばらくして、ようやく哀しげな笑みを浮かべる。「やっぱり簡単に許されるはずがないってな」私は肩をすくめた。「悪いね、私、器の小さい女だから。あなたが計画を立てて、復讐したいってのは構わない。でも、何も知らされずにバカみたいにされてたのは、やっぱり許せない。知ってる?発作が出たあの日、私がどれだけ苦しかったか。あなたに会いたい、ただそれだけで、私は生き延びたんだよ。なのに、全部仕組まれてたって?傷つけられたこと、なかったことにしろって言うの?」私は平静を装って言葉を紡ぐ。心臓は激しく脈打っている。喉元から飛び出しそうなくらいに。私は彼にチャンスをあげたんだ。あの日、彼が柚羽を連れて戻ってきたときも、ずっと待っていた。抱きしめてくれば、いや、たった一言、なぐさめてくれたら、なかったことにできたのに。でも返ってきたのは、残酷な言葉だけだった。柚羽への愛は偽物だった、彼女との再会は罠だったと言った。じゃあ、何が本当なんだ。あんなふうに女をだませる男が、私を騙せないはずがない。もう彼を信じられない。怖いから。彼はその場に立ち尽くしたまま、
さっきまであんなに高慢ちきだった柚羽が、その声を聞いた瞬間、はっと飛びのいた。「なんでここがわかったの! 国外にまで逃げたのに! どうして放っておいてくれないの!」彼女は慌てふためき、その目にはさらに後ろめたさが浮かんでいる。今ごろはさぞかし怖くてたまらないだろう。国内で何の不自由もなく暮らせていたら、蒼夜なんて二番手の男、思い出しもしなかったはずだ。柚羽が突然現れたとき、私はすぐに違和感を覚えた。少し探ってみれば、答えは簡単に出てきた。ヒロインとヒーロー、いわゆる有名人だ。ちょっとしたことでも噂はすぐに広がる。あの二人は手を携えて会社を上場させ、大もうけした。物語の最後の一文は以下のようだ。【二人は手を携え、夕日を眺めながら寄り添い合った】けれど作者は人間の複雑さをまるで理解していない。利益や金の前では、どんな誓いだって糞くらだ。柚羽は金に糸目をつけない。気に入れば数千万でもあっという間に払う。一方、その金額を稼ぐために、ヒーローの司は商売の荒波の中で戦い、酒で胃に穴を開けるほど応酬している。それが長く続けば、たまらなくなるのも当然だ。何度も説得した末に司が柚羽のクレジットカードを止めると、柚羽は激怒した。二人は毎日のように家でぶつかり合い、外からの誘惑と家庭内の喧嘩に板挟みになり、司はついに浮気した。柚羽は会社が自分の掌から離れるのを防ぐため、上層部と結託してこっそり営業データを盗み出し、司を追い詰めようとした。だが男は先に柚羽の企みを察知し、彼女を企業スパイの疑いで刑務所に送ってしまった。保釈されて柚羽は慌てて逃げ出したが、制限のせいで飛行機には乗れない。そこで目をつけたのが蒼夜だ。チャーター機を出させ、助けに来させた。柚羽はかつての贅沢な暮らしを手放せずにいる。蒼夜と結婚すれば、今までの生活をどうにか維持できる。ところが、私の存在が彼女の計画をすべて狂わせてしまった。私さえ死ねば、蒼夜はまた自分の元に戻る。残念だったな。私はもう、彼女の居場所を司に伝えてしまった。司は苦労して手に入れたものを、そう簡単に奪われることなど許さない。人の心はとかく試練に弱いものだ。物語の中でどれほど深く愛し合っていた二人でも、利益が絡めば殺し合うことすら厭わない。蒼夜は優柔不断で、
柚羽がいなくなってから、私たちの関係は少しずつ修復されていった。私は以前のように、夕暮れの窓辺でピアノを弾き、疲れた彼の心を癒やした。何度かあった晩餐会では、手を取り合って踊り、拍手を浴びた。すべてがうまくいっているように見えた。でも、本当のところは私たち二人だけが知っている。夜中に彼がそばに来ようものなら、私はナイフを握りしめて壁の隅に縮こまるのだ。「一歩でも近づいたら、目の前で死んでみせる」病に蝕まれた私は骨と皮ばかりで、少し力を込めるだけで息が続かない。彼を殺せないことくらいわかっている。でも、自分の喉を掻き切るくらいはたやすい。そんな夜は決まって、彼は私から少し離れたソファに腰かけ、じっとこちらを見つめていた。その瞳の奥に渦巻く感情を、私は読み取ることができなかった。しかし、どれほど慎重に振る舞っても、隙は生まれるものだ。その日、彼は会社の急用で呼び出された。去り際、彼は不安そうに言い残した。「すぐに戻る。おとなしく家で待っていてくれ」私の体調が許せば、本当は一緒に連れて行きたかったのだろう。しばらくして、ドアが開かれた。しかし、そこに立っていたのは蒼夜ではなかった。嫉妬に狂った柚羽が、襲いかかるように私の首を絞めてきた。「どうしてあんたなんかの死に損ないが、私の男を奪えるのよ」この日が来ることはわかっていた。そして、私は彼女を待っていた。「私を殺せば、蒼夜はそばに戻ると思う?」その言葉は柚羽の胸に突き刺さった。彼女の手に力がこもるにつれ、指が少しずつ食い込んでくる。私は息ができない。顔が赤く染まっていく。「私たちの仲が、あんたにわかるわけないでしょ!蒼夜はただあんたに惑わされてるだけよ。私が歩み寄れば、きっと戻ってくるんだから!」その声は鋭く、私に言い聞かせているのか、それとも自分自身に言い聞かせているのか。ふと、この女も可哀想だと思った。「愛してるなら……追い出したりしないでしょ」彼女の耳に届く言葉は、どれもこれも耳障りなものばかりだった。柚羽は目を見開き、ありったけの力で私の首を絞めあげた。もう少しで私の意識が飛びそうになったそのとき、彼女のこめかみに、冷たい銃口が押し当てられた。「柚羽。撃つぞ」いつの間にか戻ってきた蒼夜が、冷たい目で柚
まだ蒼夜を責めようとしたけれど、彼の瞳から輝きが消えていた。獲物を前にした獣のように、絶対に逃がさないと決めた目ようなつきに変わっていた。そんな彼を初めて見て、私は少し怖くなった。「いったいどうしたいの?もう小林さんにあなたを譲ったのに、彼女さえ良ければ、いつでも一緒になれるでしょ?なのにどうして私を放っておいてくれないのよ」柚羽は貧しい地方出身の娘から、ビジネスの頂点まで上り詰めた女だ。その手腕は、私の及ぶところではない。今のうちに身を引かなければ、後で今よりもっと酷い目に遭うだろう。彼が私に迫る。まばたきひとつせず、私が消えてしまうのを恐れるかのように。「俺は一度も彼女と一緒になるなんて言ったことはない。君は俺の正真正銘の妻だ。なのに、どうしていつも離れようとするんだ?」私は絶望に近かった。手を上げて、自分の腕に残る痛ましい傷跡を見せつける。「あの日、あなたは私をひとり置き去りにして、死の恐怖と苦しみの中に放り出した。正気を保つために、私は自分の手でナイフを腕に当てて、こんなに刻んだの。痛みだけが、私がまだ生きているって教えてくれたから」あの時のことを思い出すだけで、今も震えが止まらない。「その間、あなたは何をしてたの?あなたは小林柚羽を抱きしめて、怖がらないでって慰めてた。笑えるでしょ。いったい誰の夫なの?自分の立場、わかってるの?」何日も胸の奥にしまい込んでいた言葉を、全部吐き出した。取り乱す私を見て、彼は口元をわずかに上げた。「ここみ。まだ俺のことを気にしているんだな。気にしていなければ、そんなに怒ったりしないだろう?」私は向きを変えて歩き出した。こんな男と、これ以上話すことはない。もう限界だというのに、彼はまだ私が甘えていると思っているらしい。しかし彼は腕を伸ばして、私を抱き寄せた。熱い吐息が耳元にかかる。「確かに、昔は彼女に良からぬ気持ちを抱いていた。だがそれは若気の至りだ。今は自分の気持ちがはっきりと見えている。俺が本当に愛しているのは、君だけだ」もがいても無駄だと悟り、私は観念した。彼の匂いを感じながら、ゆっくりと口を開いた。「じゃあ、彼女を帰らせて。国内には病院がいくらでもあるのに、彼女はたいしたケガでもないのに、どうしてあなたにこだわるの?」彼が怒り出せば、