Masuk腹の立つ朝食を終え、なんとか通勤ラッシュの電車に身体を捩じ込んだ。
私の住む西日暮里のハイツから勤務地のある秋葉原まで山手線を利用して約10分。朝の忙しい時間にご飯を作って洗濯して支度したらどうしてもこの時間になる。本当ならもっと早く家を出たいところだ。建真がいなかったら会社近くの安マンションに即引っ越しできるのに。ああ、早く捨てたい。夫を捨てる方法ってないですかね?
私も大ヒット漫画のような『計画離婚』がしたいわぁ。誰か計画してくれないかな。このままだとストレスで早死にしそう。ラッシュの電車から人間が吐き出されるように出てきた。駅から徒歩数分で私が働いている『アプリメイク』というIT企業の会社に着く。ここは主にアプリゲームを専門に作成している小さな個人経営の会社だ。代表の諸見里臣(もろみざとしん)さんは気さくで面白い方。恋愛系のアプリやおみくじ、一風変わったアプリばかりを作っていたけれど、私がゲーム好きで正社員になったことから、アプリメイクを一世風靡させるような面白い王道RPGゲームを作って欲しいと依頼された。
企画から丸投げされてしまい、現在片っ端からRPGをプレイ&研究している。ここ暫くはもっぱらゲームするために出社しているようなものだ。企画書はまるで進んでいない。白紙のまま1週間くらいが過ぎた。
「ミーティング始めるぞー」
今日は月曜日で目標達成報告日。みんなきちんと定められた目標やタスクをこなしているというのに、私はぜんぜんダメだ。落ち込む私を社長が元気づけてくれた。
「紀美、来週こそ面白い企画で俺をあっと言わせてくれよ!!」同じ学年の諸見里社長は豪快に笑ってくれた。ダークブラウンの短めの髪をソフトモヒカンにした長身のイケメンで、女性にさぞモテそうな人だった。最初から名前呼びして馴れ馴れしいと思っていたが、距離を詰めるための作戦らしい。
建真もこんな感じだった。距離を詰めるのが上手くて人たらし。家庭内で見せる顔と外の顔はまったく違う。諸見里社長のことを悪く言いたくないけれど、こういうタイプは案外家で高慢なのかも。「紀美って今日ヒマ?」
「あ、えっと…家に帰って主人の食事の用意が…」
「えーなにそれ。子供いなかったよな? 旦那が帰ってくるのは何時?」
「多分21時くらいかと…」
「なーんだそんな時間の帰宅だったら、どうせ外で食ってるよ。今日はアプリメイクの懇親会だ! 他の会社の人間も呼ぶから全員参加な。特に紀美は来週中にはしっかりアプリの企画書を作ってもらわなきゃいけないから、アイディア交換会ってことで!」
というわけで建真にご飯を作れなくなった連絡をしろ、と社長命令されてしまった。
どうせ作っても帰ってほとんど食べてくれないし、無かったら文句言うけど今日1日くらい、別にいいよね。 建真に連絡を入れ、諸見里社長の言う通り懇親会に出席した。アプリメイクは秋葉原の一等地にオフィスがあるけれど、一歩裏路地に入れば雑多なお店が多く存在している。いかがわしそうなお店からラーメン店など様々だ。 そんな懇親会で私は出会ってしまった。 これから始まる冒険の旅を共にする、不思議な仲間と――翌日。私は浮気者旦那のためにまたせっせと朝食を作っている。結局昨日建真が帰ってきたのは午前零時を大幅に過ぎてからだった。そりゃそうだろう。午後21時に秋葉原で待ち合わせ、そこからタクシーで湯島へ移動、ホテルに入って一戦交えたら午前様は当然だ。 昨日私は誕生日だったのに、建真からはなんのプレゼントもお祝いの言葉さえない。これってもう離婚してよくない? 私、なんでこんな男と一緒に暮らしてるの? 奴隷のように働かされて、浮気までされて、お給料まで没収されて…。もう、ほんとに離婚したい!!!!「はぁ~」 味噌汁飲んでため息をつかれた。私の方をジロジロ見てもう一度盛大なため息。「なんでこんな家庭じみたオバサンなんだ紀美は」 は!!??「もっとさ、お洒落とかできないわけ?」「じゃあお金ちょうだいよ」「なに言ってんだよ。渡した金でやりくりして余った金で買えばいいだろ」 生活費2万円じゃなにも余りませんが!!!!!! むしろ足りなくて追加をもらう時、嫌味言うのはどっち!!??「2万円しかもらってないのに、余るわけないよ」「使い方が悪いんだ。もっと頭使えよな。それに口を開けば紀美は「金くれ」って言うんだよ。がめつい女だな」 2万円で1か月生活生活しろっていう方が無理だって!! 美容院代もないんですけど! そんなに言うなら自分でやれ!!!! ああ…ほんと、つよつよメンタルが欲しい。 今すぐ性格を「気が強い」にチェンジさせて、建真を言い負かせたい。 ここに論破王のひろ〇きさんを連れてきたい。ひ〇ゆきさんなら建真をギャフンと言わせてくれるはず!!(それって明らかあなたの理想ですよね) (生活費2万円なんてサバイバル生活でもやっているんですか?) (じゃあ実際にあなたがやってみてください) (この金額で生活ができてお金を余らせてから言って欲しいですね) って言ってやりたいぃぃぃぃ!!!!!! 「はー。お前の顔見てたら飯がまずくなるわ」 吐き捨てるように言われ、建真はさっさと行ってしまった。 悔しいけれど、なにも言い返せない。いいたいことはいっぱいあるのに、気が弱くていつも心で思うばかりでなにもできない。 自分が不甲斐なくて情けない。 もっと変わりたいのに怖くて変われない。勇気が出ない。お金も無いし捨て
建真は時間を気にしている。飲み会は20時半に終わると言った。秋葉原なんかに建真の用事はないはずだ。改札は通るからもしかしたら一緒に帰ろうと思って、ここで待ってくれたのかな…。 嬉しい。建真さえよければデートして帰りたい! 声をかけようと思い建真に近づいたところ、前から綺麗に手入れされた赤茶色のセミロングを揺らした目の大きなかわいらしい女性が建真に手を振り、彼もそれに応えるように嬉しそうな笑顔を見せた。 私は思わず人の波に隠れた。彼らは目の前のふたりの世界に没頭していて私に気付きもしていない。「晴奈。待ったよ!」「建真先輩! 会えて嬉しいです!」「それにしても晴奈、なにも秋葉原で待ち合わせなんかしなくても…アイツに見つかったらどうするんだよ」「見つかったら見つかった時ですよ♡ それに、同じサークルメンバーだったんですから、同窓会だったとか言えばいいじゃないですか♡」「天才だな」「ふふっ♡ このスリルがたまらないんですよ♡」「おいおい。バレたら金づるがなくなるだろ。もうプレゼントできなくなるぞ? ホラ、晴奈が欲しがってたブレスレッド。買っといた」「きゃー♡ 建真先輩だーいすき♡」 絵にかいたようなゲスたちの会話を聞き、私は吐きそうになった。持ち歩いていたマスクをかけ、花粉症対策の眼鏡を装備し、可能な限り見つからないように変装をした。悔しくて泣けてくる。 見栄晴奈(みえはるな)――彼女はテニスサークルの後輩で、マドンナ的な存在だった。建真とは1年しか被らず、またその時は同級生や上級生にモテモテだったので、あまり接点はなかった。建真は私と付き合っていたし、時々あるサークルの飲み会や同窓会で、顔を合わせる程度。なのになんで…。それに、金づるってどういう意味? (まさか…) 私の稼いだ給料を没収しているのは、晴奈に貢ぐため? いつから…? 足元から地層が崩れていく感覚。奈落の底へ突き落されるとは、こういうことを言うのだろう。指先が冷たくなっていく。人込みに紛れながら過呼吸になりそうになったが歯を食いしばって堪えた。私には見届ける義務がある。彼らがこれからどんな会話を交わし、どこへ行くのか。「早く行こう。見つかったら困る」「確かに♡ 紀美先輩にはしっかり稼いでもらわないといけませんからね!」 私のオフィスがある方と反対方向に歩き出
結局懇親会では形式的な挨拶しかできず、実のある話はあまりできなかった。私は昔からそうだ。人見知りをしてしまうので初対面の人と話すことが苦手。一度仲良くなったらとことん大丈夫だけれども、そうなるまでに時間がかかる。陽キャが羨ましい。それに一度くらいはなにごとも我慢せず、建真のように好き勝手放題言ってみたい。今、私の中には不満しかない。でもそれを昇華する術を私は持っていない。 今回の会費は諸見里社長が全額負担してくれるということなので参加したが、次回からは無理だろう。わずかな所持金もないから結婚後仲いい友人と会う機会も減ったし、私の人生って建真に尽くすためしか無いのかな。そんなの嫌だよ…。「お客様。先ほどは申しわけありませんでした。これ、お詫びです」 店を出る前、女将さんに声を掛けられた。背中に『大吉酒場』と店名が赤字で大きく達筆な字体で書かれ、襟裏や袖裏は同じく赤と黒の市松模様の入った柄に、黒地の法被(はっぴ)姿。綺麗に描かれた眉に濃い赤のメイク、大きな瞳はなんとも魅惑的なのに大人びた印象をぐっと若く見せるポニーテールがよく似合っていた。年齢は二十五歳くらいだろうか。大衆居酒屋を切り盛りするよりも、もっと容姿を売りにすれば幾らでも稼げそうな――そんな女性だった。「いえっ。ビールが袖にかかっただけなので。そんなにしていただかなくても大丈夫です」 申しわけなさそうに封筒を渡してくれたので、クリーニング代かと思い辞退した。「うちは見ての通り狭いので。今後も快適に利用いただくためにも、お詫びは受け取っていただかないと困ります」 白い封筒を押し付けられたので仕方なく受け取った。つっぱねるわけにもいかず、礼を言って店を出た。途端に生ぬるい風が頬をかすめる。 いつも思うが、都会の空気は日常的に重く淀んでいる。様々な排気をたっぷり含んだ空気の上に、飲食店も多いのでお酒やたばこのにおいも混じった独特な都会の臭い。私はこの空気に馴染めない。入っていく勇気がないから。…でも、ここにいるだけで私の中のなにかが変わる気がする。それはなにかまではわからないけれど…。「お疲れ様でした」 もう一軒行こうと諸見里社長に誘われたけれど、建真がいつ帰って来て怒り狂うかわからないので辞退した。ほんとうは社長について行きたい。もっと知らない世界を知って、私が今後長い人生を過ごして行か
「はいそれではカンパーイ!!」 諸見里社長の号令で会は始まった。この大衆居酒屋は意外に机同士の間隔が狭く、カウンターはお客様で既に満席、若い女将さんと坊主頭だけれども見た目が大変麗しいく細マッチョだがいかつめの大将がふたりで切り盛りしていた。宴会コースだったのでカウンターからは離れており、モバイルオーダーで頼んだ飲み物をホールスタッフが運んできてくれた。 もつ煮やサラダ、ポテトにから揚げなどの定番メニューが並べられたが、どれも規格外のボリュームで驚いた。(あ、から揚げ美味しい…) 人が作った料理なんて久々に食べた。建真は外食するくせに、私はどこにもつれていってくれないし、生活費だっていつもギリギリしかくれないから足りなくなった時に追加でお金をもらうときが本当にしんどい。なんで私も働いているのに、こんな苦しい目に遭わされなきゃいけないんだろう。胸中で文句を言っていると、隣の席から陽気な声が聞こえてきた。「はははー。そりゃひどいなー」「らろぉ。僕だって頑張っているのにぃ! れもお、娘やぁ、妻はぁ、僕を邪魔に思っててえええぇ…」「おいおい、ちょっと飲みすぎじゃねーの」「居場所ないのは辛いよ…うう…」 隣の席が近いためサラリーマンの男性4人組の会話が丸聞こえだった。一人が酩酊して妻や娘の不満の鬱積を同席している彼らに語ることで発散している。チラ、と横目で彼らを見た。不満をこぼしている方は見るからに優しそう。眼鏡をかけた気弱そうな人だ。若いのに気の毒…って思ったけど、夫に虐げられている私も似たようなものか。話せば気が合いそうでお互いの伴侶の愚痴大会ができそうだ。 「一度でいいからぁ、やってみたいよぉ。おつまみほしいなー、もってきてー! って」「そんなことしたら嫁に睨まれて家入れなくなるよ」「ほんとほんと。アハハ」 えーっ。そんな世界あるのぉ!? 私なんか「つまみもってこーい」って言われて「はいぃぃ」って持って行く嫁だよぉ――!? ていうか、その程度別に言われなくてもやるよ? お仕事頑張ってくれた旦那様をねぎらいたいって思う私はおかしいの? 建真にはもうそういう尊敬の気持ちはわかないけどさ…。 いいなー。夫交換して欲しい! いやそれよりも、その奥様の『つよつよメンタル』が欲しい!! そうしたら建真にだって言い返せる――
腹の立つ朝食を終え、なんとか通勤ラッシュの電車に身体を捩じ込んだ。 私の住む西日暮里のハイツから勤務地のある秋葉原まで山手線を利用して約10分。朝の忙しい時間にご飯を作って洗濯して支度したらどうしてもこの時間になる。本当ならもっと早く家を出たいところだ。建真がいなかったら会社近くの安マンションに即引っ越しできるのに。 ああ、早く捨てたい。夫を捨てる方法ってないですかね? 私も大ヒット漫画のような『計画離婚』がしたいわぁ。誰か計画してくれないかな。このままだとストレスで早死にしそう。 ラッシュの電車から人間が吐き出されるように出てきた。駅から徒歩数分で私が働いている『アプリメイク』というIT企業の会社に着く。ここは主にアプリゲームを専門に作成している小さな個人経営の会社だ。代表の諸見里臣(もろみざとしん)さんは気さくで面白い方。恋愛系のアプリやおみくじ、一風変わったアプリばかりを作っていたけれど、私がゲーム好きで正社員になったことから、アプリメイクを一世風靡させるような面白い王道RPGゲームを作って欲しいと依頼された。 企画から丸投げされてしまい、現在片っ端からRPGをプレイ&研究している。ここ暫くはもっぱらゲームするために出社しているようなものだ。企画書はまるで進んでいない。白紙のまま1週間くらいが過ぎた。「ミーティング始めるぞー」 今日は月曜日で目標達成報告日。みんなきちんと定められた目標やタスクをこなしているというのに、私はぜんぜんダメだ。落ち込む私を社長が元気づけてくれた。 「紀美、来週こそ面白い企画で俺をあっと言わせてくれよ!!」 同じ学年の諸見里社長は豪快に笑ってくれた。ダークブラウンの短めの髪をソフトモヒカンにした長身のイケメンで、女性にさぞモテそうな人だった。最初から名前呼びして馴れ馴れしいと思っていたが、距離を詰めるための作戦らしい。 建真もこんな感じだった。距離を詰めるのが上手くて人たらし。家庭内で見せる顔と外の顔はまったく違う。諸見里社長のことを悪く言いたくないけれど、こういうタイプは案外家で高慢なのかも。「紀美って今日ヒマ?」「あ、えっと…家に帰って主人の食事の用意が…」「えーなにそれ。子供いなかったよな? 旦那が帰ってくるのは何時?」「多分21時くらいかと…」「なーんだそんな時間の帰宅だったら、どうせ外で食
「お前となんかデキねえよ」 「結婚したのに家族に勃つわけないじゃんw」 嘲笑交じりの夫の声が耳に残っている。 彼の酷い暴言を聞いたのは1年ほど前なのに、つい昨日のことのように鮮明に思い出して悲しくなった。 はあ、とため息をついて隣のベッドを見た。ダブルベッドの右側は盛り上がっていて、まだ夫が眠っているので彼を起こさないようにそっと寝室兼自分の部屋を抜け出す。酷い暴言を吐いてくる夫に騙されて結婚して2年半。もはや私の中に結婚式で誓ったはずの彼への愛は微塵も残っていない。 (なんでこんな人と結婚しちゃったんだろ…) 夫は大学のサークルで知り合った2つ上の先輩。特になにも考えていなかったけれど、長く続けていたテニス部に彼が入部を勧めてくれたのがきっかけ。結婚して2年半だけど、学生の時から付き合っているから一緒にいる時間と歴史は無駄に長い。 (当時はぐいぐい引っ張ってくれる俺様で強引なところがいいって思ってたけど…) 結婚してから夫――五代建真(ごだいけんしん)は変わってしまった。幸せにするって言ってくれたのに、それが守られていたのは新婚3か月目くらいまで。だんだん帰りは遅くなるし、態度は横柄になるし、何度やめてと言っても同僚や先輩を勝手に家に連れてきては宴会するし、最近では私のことを家政婦扱いしてくる。 最初は専業主婦だったけれど、狭いマンションに閉じ込められるのに嫌気がさして自ら志願して働きに出た。 私はゲームが好きなので、パートでアプリの仕事を制作・補佐するアルバイトを始め、腕を買われてめでたく正社員に昇格した。今度新作アプリの企画を任されることになったが、パートの時から無駄遣いをしないようにと夫の建真に口座の管理をされてしまい、給料は全額没収されたままでわずかな生活費しかもらえない。 仕方なく夫に伺いを立てて買い物し、食費をもらい、生活している。私だってちゃんと稼いでいるのに、まったく無能の家政婦扱いは相変わらず。 (離婚したいなあ…) 世の中にはクズ夫とうまく別れられたり、見事な逆転劇でスカっと復讐して幸せを勝ち取る人が多いというのに。私は一生このままなのかな。 (離婚するにもお金かかるもんね…) (いきなり一人になっても、無一文じゃ生活できないし…) 夫は朝から必ずご飯を食べてから出勤