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忘れた恋、届かぬ手のひらの君

忘れた恋、届かぬ手のひらの君

By:  せんべい君Completed
Language: Japanese
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生まれつき、驚異的な自己治癒能力を持っていること。それが私、望月知尋(もちづき ちひろ)という人間のすべてだ。 沢田修平(さわだ しゅうへい)にとって、私は彼の「想い人」のために用意された、ただの生きた薬箱に過ぎない。 彼女を生かすため、修平は私の心臓から99回も血を抜き取った。 最初は彼の巧みな手口に騙され、最後には自ら差し出すようになった。 そこに至るまで、たったの5年。 修平が角膜をよこせと言えば、私は差し出した。 富永麻里奈(とみなが まりな)と腎臓を交換しろと言えば、大人しく従った。 そして、修平が100回目の心臓の血を求めてきた時、私はただ静かに微笑んだ。 彼は知らない。私の心臓が100回傷ついた時、この世界から完全に消滅してしまうことを。 あの日、私は迷うことなく心臓にナイフを突き立て、彼に告げた。 「修平、もう二度と会うことはないわ」 いつも冷徹な修平が、その時ばかりは狂ったように手術室の前に跪き、泣き叫んでいた。 「何もいらない!お前さえ戻ってきてくれれば、他には何もいらないんだ!」

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Chapter 1

第1話

生まれつき、驚異的な自己治癒能力を持っていること。それが私、望月知尋(もちづき ちひろ)という人間のすべてだ。

沢田修平(さわだ しゅうへい)にとって、私は彼の「想い人」のために用意された、ただの生きた薬箱に過ぎない。

彼女を生かすため、修平は私の心臓から99回も血を抜き取った。

最初は彼の巧みな手口に騙され、最後には自ら差し出すようになった。

そこに至るまで、たったの5年。

修平が角膜をよこせと言えば、私は差し出した。

富永麻里奈(とみなが まりな)と腎臓を交換しろと言えば、大人しく従った。

そして、修平が100回目の心臓の血を求めてきた時、私はただ静かに微笑んだ。

彼は知らない。私の心臓が100回傷ついた時、この世界から完全に消滅してしまうことを……

*

修平は小切手を私に投げつけた。

「今回の代金だ」

私の体の一部を奪うたび、彼は決まって小切手を押し付けてくる。

まるで私たちの間には、金銭の取引以外の関係などないと言わんばかりに。

周囲に咲く花に目をやり、修平は不快そうに眉をひそめた。

「麻里奈は花粉症だ。次はここに来るな」

麻里奈に最高品質の血液を提供するため、この数年間、修平は彼女の生活習慣を私に強要し続けてきた。

麻里奈が花粉症だという理由だけで、庭の花をすべて引き抜いてしまったこともある。

彼は忘れている。その花がかつて、彼と一緒に植えた思い出の花だということを。

私は彼の言葉を無視し、花畑の奥へと歩を進めた。

その態度に、修平が苛立ちを募らせる。

彼は乱暴に私の腕を掴んだ。

「戻れと言っているのが聞こえないのか?」

声のする方へ顔を上げるが、彼の瞳と視線が合わない。

焦点が定まっていないことに気づいたのか、修平は怪訝な顔をした。

「お前の目……」

「見えないの」

私はどうでもいいことのように答えた。

修平は一瞬呆気にとられたようだったが、すぐに嫌悪感を露わにして私を突き放した。

「可哀想なフリはやめろ。もう回復しているのは分かっている」

確かに、私の治癒能力は高い。

どんな怪我も短期間で治ってきた。

だが、修平はすでに99回も私の心臓から血を抜いている。

回数を重ねるごとに、治癒力は著しく低下していた。

彼が麻里奈への角膜移植を強要した時、まだ治ると思い込んでいたのだろう。

けれど今回、私の視力はほとんど失われたままだった。

その後、彼は麻里奈のために私の腎臓までも奪っていった。

私の体がとっくに限界を迎えていることなど、知ろうともせずに。

弁解はしなかった。どうせ修平は信じない。

「さっさと行け。手を引いてやらないと歩けないのか?」

立ち去ろうとする彼を追おうとしたが、足元が見えず、私は無様に転倒してしまった。

修平が振り返る気配がした。

その視線には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。

「いつまで被害者ぶるつもりだ?」

表情は見えなくても、彼が私を疎ましく思っていることは痛いほど分かる。

ふと、私を宝物のように扱ってくれた少年時代の彼を思い出した。

かつて彼のために料理をしようとして指を切った時、修平は泣き出しそうな顔で心配してくれたものだ。

それ以来、私を台所に立たせようとしなかった。

それなのに今、修平は自らの手で私の心臓を傷つけている。

すべては、彼の愛する女の病を治すためだけに。

痛む体を引きずり、必死に起き上がろうとする。

私の惨めな姿を見て舌打ちした修平が、ゆっくりと近づいてきた。

ほとんど光を失った視界では、彼の表情は読み取れない。

ただ、大きな手が私を支え、引き起こそうとしているのを感じた。

「修平、ここにいたのね」

耳障りな声が、修平の動作を止めた。

麻里奈の姿を認めるや否や、彼は弾かれたように私から距離を取った。

支えを失い、私は再び地面に崩れ落ちる。

全身を襲う激痛に歯を食いしばりながら、どうにか這い上がろうとした。

私の無様な姿を見た麻里奈は、わざとらしく心を痛める演技を始めた。

彼女は私のそばに歩み寄ると、目の前で手をひらひらと振ってみせる。

何の反応も示さない私を見て、彼女は大げさに息を飲んだ。

「知尋さん、ごめんなさい。目が見えなくなっていたなんて知らなくて……

てっきり、前みたいにすぐ治るものだと……」

麻里奈は罪悪感を演出し、瞬く間に涙をこぼしてみせた。

その涙を見た途端、修平は愛おしそうに彼女を抱きしめる。

「心配するな。ただ同情を引こうとしているだけだ。二、三日もすれば治る」

修平は私に見えていないのをいいことに、麻里奈の涙をキスで拭い去った。

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第1話
生まれつき、驚異的な自己治癒能力を持っていること。それが私、望月知尋(もちづき ちひろ)という人間のすべてだ。沢田修平(さわだ しゅうへい)にとって、私は彼の「想い人」のために用意された、ただの生きた薬箱に過ぎない。彼女を生かすため、修平は私の心臓から99回も血を抜き取った。最初は彼の巧みな手口に騙され、最後には自ら差し出すようになった。そこに至るまで、たったの5年。修平が角膜をよこせと言えば、私は差し出した。富永麻里奈(とみなが まりな)と腎臓を交換しろと言えば、大人しく従った。そして、修平が100回目の心臓の血を求めてきた時、私はただ静かに微笑んだ。彼は知らない。私の心臓が100回傷ついた時、この世界から完全に消滅してしまうことを……*修平は小切手を私に投げつけた。「今回の代金だ」私の体の一部を奪うたび、彼は決まって小切手を押し付けてくる。まるで私たちの間には、金銭の取引以外の関係などないと言わんばかりに。周囲に咲く花に目をやり、修平は不快そうに眉をひそめた。「麻里奈は花粉症だ。次はここに来るな」麻里奈に最高品質の血液を提供するため、この数年間、修平は彼女の生活習慣を私に強要し続けてきた。麻里奈が花粉症だという理由だけで、庭の花をすべて引き抜いてしまったこともある。彼は忘れている。その花がかつて、彼と一緒に植えた思い出の花だということを。私は彼の言葉を無視し、花畑の奥へと歩を進めた。その態度に、修平が苛立ちを募らせる。彼は乱暴に私の腕を掴んだ。「戻れと言っているのが聞こえないのか?」声のする方へ顔を上げるが、彼の瞳と視線が合わない。焦点が定まっていないことに気づいたのか、修平は怪訝な顔をした。「お前の目……」「見えないの」私はどうでもいいことのように答えた。修平は一瞬呆気にとられたようだったが、すぐに嫌悪感を露わにして私を突き放した。「可哀想なフリはやめろ。もう回復しているのは分かっている」確かに、私の治癒能力は高い。どんな怪我も短期間で治ってきた。だが、修平はすでに99回も私の心臓から血を抜いている。回数を重ねるごとに、治癒力は著しく低下していた。彼が麻里奈への角膜移植を強要した時、まだ治ると思い込んでいたのだろう。けれど
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第2話
麻里奈も甘えるような声を上げた。「昨日の夜だけじゃ足りないの?少しは休ませてよぉ」わざと私に聞かせるように、その声には濃密な情欲が滲んでいる。私の目の前で繰り広げられる二人のやり取りは、聞くに堪えないものになっていった。心が、冷たく凍りついていく。かつてこの小説の世界に入り込み、運命の悪戯で修平と愛し合うようになった私。本来のストーリーでは、修平は最後に鬱病で死ぬ運命だった。その結末を書き換えたかった。だから、彼にすべてを尽くした。そうして私たちは5年間、愛し合った。この幸せが永遠に続くと信じていた。けれど、麻里奈が帰国してから、修平は人が変わってしまった。家に帰らなくなり、私を気遣うこともなくなった。ついには麻里奈の言葉を信じ込み、彼女の体のために私の心臓の血を求め始めた。彼が罪悪感を抱くと思っていたが、あろうことか私の治癒能力の秘密を知られてしまった。それ以来、彼の要求はエスカレートする一方だった。5年の愛も、結局は彼の「想い人」には敵わなかった。失明したと知っても、修平には微塵の罪悪感もない。平然と私の目の前で麻里奈と愛を囁き合っている。彼らの声を聞いていると、万本の矢で心を射抜かれたようで、息をするのも苦しい。私は手探りで石を掴み、力任せに投げつけた。麻里奈が悲鳴を上げ、修平がすぐさま彼女を庇う。「麻里奈が心配してくれているのに、暴力を振るうのか!お前はいつからそんなに性格がねじ曲がってしまったんだ?」私は力なく笑った。「変わってしまったのは、本当に私の方?」修平は口を開き、何か反論しようとしたが、結局吐き捨てたのはこんな言葉だった。「この最低な女!自分の胸に手を当ててよく考えろ!」「最低な女」という言葉に、私はその場で凍りついた。何も言い返せなかった。ただ、かつて私を背中に庇ってくれた少年を思い出していた。少年は振り返り、満面の笑みでこう言ったものだ。「俺の知尋は、世界で一番素敵な女の子だ」修平は麻里奈を抱き寄せ、背を向けて去っていった。花畑に取り残された私は、這うようにして起き上がろうとするが、傷口が開き、血が滲む。ボロボロの体を引きずり、病室へと向かう。階段の踊り場に差しかかった時、聞き覚えのある声がした。
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第3話
彼は言った。「俺の知尋がこの先もずっと無事で、健やかでいられますように」それなのに今、彼は他人のために、自らの手で私の心臓から血を奪っている。お守りを麻里奈の手に押し付け、私は背を向けて病室を出た。突然、後ろから男の手が伸びてきて私を掴み、階段の踊り場へと引き戻した。修平の顔は険しい。「どうして俺のお守りを他人に渡したんだ?」私は冷ややかに答えた。「あなた自身が彼女のものになったのに、お守りなんてどうでもいいじゃない」修平は私を壁際に追い詰め、抱きすくめた。息苦しいほどに強く。「あれはお前の無事を祈るためのものだ。どうして勝手に人に渡せるんだ?」私は笑った。「修平、今の私が『無事』に見える?」修平は言葉を失い、立ち尽くした。徐々に拘束を緩め、長い沈黙の後、口を開いた。「知尋、これで最後にする。麻里奈には借りがあるんだ。彼女の体が良くなったら、俺たちは結婚しよう。ね?」またその言葉。彼がそう言うのを、何度聞いたか数え切れない。私もかつては、麻里奈さえ良くなれば昔に戻れると信じていた。でも今日、彼は自分の口で言った。100回目が終わったら麻里奈と結婚すると。私は笑って首を振り、何か言おうとした。その瞬間、全身を激痛が貫いた。目の前が真っ暗になり、意識が遠のいていく。意識が途切れる最後の瞬間、修平の慌てふためく涙を感じた。どれくらいの時間が経ったのだろう。意識が戻った。耳元で修平の心配そうな声がする。「知尋、大丈夫か?」彼は私の手をきつく握りしめ、少し緊張しているように震えている。私は答えず、ただ起き上がろうとした。修平は私を抱き寄せ、額にキスをした。反射的に身をよじると、さらに強く抱きしめられる。「知尋、もうお前を失うかと思った」その切実な声に、少し心が揺らぐ。抱き締め返そうと手を伸ばしかけた。その瞬間、彼は私を離した。私の手が触れたのは、修平の体ではなく、一枚の紙だった。心臓移植の同意書。状況が飲み込めずにいると、修平が言った。「知尋、心臓を麻里奈に移植してやってくれないか」ベッドの上で体が固まる。信じられなかった。修平は再び私を抱き寄せた。「心臓を移植すれば、もう血を提供しなくて済む。手術が終わっ
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第4話
修平の顔に恐怖の色が走った。止めようと手を伸ばすが、ナイフはすでに知尋の胸深くに埋まっていた。彼はパニックになり、傷口を押さえながら叫び、医者を呼んだ。知尋が救急搬送された後、修平は手術室の前で呆然と立ち尽くしていた。自分の服についた血を見て、急に恐怖が込み上げてくる。こんなことは今まで一度もなかった。知尋が処置室に入ってから10時間。修平も外で10時間待ち続けた。彼女の最後の言葉を何度も反芻し、胸の奥から強烈な不安が湧き上がる。どれほど時間が経っただろうか。ようやく重い扉が開いた。修平は医者に詰め寄り、状況を問い質した。医者は静かに首を横に振った。「沢田さん、最善を尽くしましたが……」白い布を被せられ、知尋は静かに横たわっていた。医者は彼女の死を宣告した。修平はその場に凍りつき、信じられないといった表情を見せた。呼吸ができず、血液が逆流するような苦しみに襲われる。震える手で白い布をめくり、うつろな声で呟いた。「どうして……こんな……」知尋の顔についた血を拭おうと手を伸ばす。指先に伝わる冷たい感触。修平は完全に崩れ落ちた。床に膝をつき、知尋の亡骸を抱きしめて慟哭した。医者たちが引き離そうとするが、彼は遺体を離さず、泣き叫び続けた。「ありえない!知尋が死ぬはずがない!」修平は知尋の死を受け入れられなかった。手術室の前で、また彼女が蘇るのを期待していた。それなのに今、彼は無力な子供のように、絶望の中で泣き叫んでいる。医者が霊安室へ運ぼうとすると、修平は知尋を抱き上げた。「知尋は寒がりなんだ。家に連れて帰る」男は泣き声を押し殺し、ただ無音の涙を流していた。修平の地位を知る病院側は、誰も彼を止めることができなかった。こうして修平は、死体を抱いて家に戻った。家、といっても少しよそよそしい響きだ。初めて騙されて心臓の血を提供して以来、知尋は一度も家に帰っていなかった。麻里奈がしょっちゅう彼女の心臓を求めるから、病院に閉じ込められたままだった。修平もそのことに気づいたようだ。知尋を腕の中に抱き、顔についた血を優しく拭い続けた。現実を受け入れられないのか、うわ言のように呟き続ける。「俺の知尋は長生きするはずなんだ。どうしてこんな
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第5話
慎史はため息をついたが、息子の願いを聞き入れることはなかった。知尋は病院に送り返され、修平も悲嘆のあまり自宅で昏倒した。そして、霊安室に安置されようとしたその時、「死体」の指がぴくりと動いた。*どれくらい時間が経ったのだろう。不意に意識が戻った。周囲の冷気に体が震える。私は狭い保管庫から這い出した。光の差す方へ歩いていくと、周りの人々が奇異な目で私を見ていた。突然、温かい腕が私を包み込んだ。目の前の男がスーツの上着を脱ぎ、一糸まとわぬ私の体を覆ってくれた。彼を見上げ、困惑したような視線を向けた。「お嬢さん、大丈夫ですか?」私が呆然としているのを見て、男はそのまま私を連れ出してくれた。看護師に頼んで服を着せ、温かいお湯を渡してくれた。彼の名は藤岡悠成(ふじおか はるみち)。私にいくつも質問をしたが、何一つ答えられなかった。自分が誰なのか、どこから来たのかも分からない。ただ「家に帰りたい」という思いだけ。でも、その家がどこにあるのかさえ分からない。悠成は私を不憫に思い、そばに置くことにした。温かいタオルで顔の血を拭き取り、優しく言った。「忘れられるということは、辛い記憶だったってことだよ。これからは新しい人生にたくさんの『希望』を持って生きてほしい。今日から『藤岡希(ふじおか のぞみ)』と名乗ってみないか?」私は頷き、その名前を胸に刻んだ。悠成は私の素性を詮索することなく、ずっとそばに置いてくれた。周囲が私の出自の怪しさを忠告しても、彼は笑って答えるだけだった。「希ちゃんは天からの贈り物だ。ただそばにいてくれるだけでいいんだ」後になって知ったが、あの日、悠成は検査のために病院に来ていた。彼は重度の癌と診断され、余命いくばくもないと思われていた。だが私と出会った後、医師から誤診だったと告げられた。悠成は私を幸運の女神だと信じ、ずっと守ってくれている。誰もが、悠成は私に対して特別だと言う。彼だけが私を背中に庇い、優しく言う。「怖がらせないでくれ」家政婦の内山展子(うちやま のぶこ)が、悠成は彼女の作る野菜いりおかゆが大好きだと教えてくれた。私は彼のために何かしたくて、展子に頼み込んで作り方を教わった。失敗しないように付きっきりで指導
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第6話
修平はもう、以前のように麻里奈を甘やかしたりはしない。書類を麻里奈に投げつけ、鋭い眼光で睨みつける。そこには、彼女が病気を装っていた証拠が記されていた。健康診断の結果、麻里奈の数値はすべて正常だった。心臓の血も、角膜も、腎臓も、すべて知尋を追い出すための茶番。修平はようやく、自分がどれほど愚かだったかを悟った。麻里奈を見る目はますます殺気を帯びていく。彼は麻里奈を辺境の地へ送り飛ばした。そこでは誰かが彼女に相応の罰を与えるだろう。麻里奈は彼がそんな仕打ちをするとは信じられず、かつての愛の誓いを泣き叫んだ。修平は眉をひそめた。「麻里奈、俺が生涯で妻にするのは、知尋ただ一人だ」麻里奈は地面に崩れ落ち、引きずり出されていった。連れ去られる間際、彼女は最期の言葉を吐いた。「修平、あんたは私を裏切った!そして知尋も裏切ったのよ!」それが麻里奈が彼に残した最後の言葉。修平はその場に立ち尽くし、為す術もなかった。「ああ、俺は知尋を裏切った……俺の手で彼女を追い詰めたんだ」そう思った瞬間、修平は鮮血を吐いた。手にした診断書を見つめながら、どこか安堵したような表情を浮かべる。病院に搬送された彼のために、沢田家は最高の名医を用意した。だが修平はいかなる治療も拒否し、ただ一日中、知尋の写真を握りしめて名前を呼び続けた。それが贖罪だと思っているようだ。母親・沢田悠里子(さわだ ゆりこ)が泣いて治療を受けるよう懇願しても、彼は首を振るだけだった。「俺が知尋を殺したんだ。どの面下げて生きろと言うんです」夜毎、夢の中で知尋が心臓を抉られる場面を見る。初めて修平に心臓の血を抜かれた時、彼女は震えていた。修平は知尋を抱きしめ、泣きながらあやした。「知尋、必ずお前と結婚するから。怖がらないで」知尋は彼の腕の中で、人に命じて自分の心臓を傷つけるのをじっと見ていた。倒れ込んだ知尋を尻目に、修平は彼女の血を持って麻里奈の元へ急いだ。ただ麻里奈の機嫌を取るためだけに。その後も毎回、これが最後だと言った。毎回、結婚すると、大切にすると言った。「修平、私が心臓にナイフを刺したあの瞬間、あなたが案じたのは私の命だったの?それとも、私が死んで麻里奈の薬がなくなることだったの?」修
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第7話
ホールの扉が開いたその瞬間、不意に強い視線を感じた。見知らぬ男が私を見た途端、目を見開いてその場に凍りついている。私は不審に思い、彼を避けて通り過ぎようとした。だがその時、背後から伸びてきた男の手が私の腕を掴んだ。その男は私を抱きしめ、震える声で言った。「知尋……もう二度と会えないと思っていた……」一瞬、「知尋」という名前に聞き覚えがあるような気がした。けれど、見知らぬ男に抱きしめられるのはあまり気分が良くない。拘束する力が強すぎて、息ができないほどだった。悠成が彼を引き剥がし、私を背後に庇った。「希ちゃん、大丈夫か?」私は頷き、彼の背中に隠れる。悠成は警戒心丸出しの目で向かいの男を睨みつけた。だが男は構わず、必死に私に近づこうとする。悠成が警備員たちを呼んだ。だが、男は涙を流しながら「知尋」と叫び続けている。「希ちゃん、彼を知っているのか?」目の前の男を見つめると、どこか懐かしい気もするが、何も思い出せない。私は首を横に振った。男は驚愕の表情を浮かべた。何か言う間もなく、彼はつまみ出された。なぜだろう、あの人を見ると心がざわつく。特に胸の奥が苦しくなる……後日、あの男の名前が「沢田修平」だと知らされた。それ以来、沢田家と藤岡家の商談の場に、修平は毎回のように顔を出すようになった。彼は悠成のいない隙を狙って、訳の分からないことを私に話しかけてくる。「知尋、まだ俺を許してくれていないのは分かってる。いつまでも待つよ」私は彼に自分は「知尋」ではなく、「希」だと伝えた。でも彼は全く聞き入れようとしない。ある時、修平は指輪を持って私の前に現れた。「知尋、迎えに来た。俺と結婚してくれないか?」私が答えるより先に、悠成の拳が修平の顔面に飛んだ。悠成がこれほど怒るのを初めて見た。彼は私を抱き寄せ、鋭い眼光で修平を睨みつけた。修平も負けじと言い返す。「知尋自身に決めさせろ!俺と結婚するかどうかを!」悠成は一瞬怯んだ。私の気持ちを聞いていないことに気づいたようだ。悠成は小声で私に尋ねた後、二人の男が固唾を飲んで見守る。私は修平の方へ歩み寄った。悠成の瞳に失望の色が浮かぶ。そして、静かに修平に告げた。「私は知尋じゃありません。そ
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第8話
悠成の眼光がいっそう鋭さを増した。「誰もがお前のように、愛する人を裏切るわけではない」修平は虚を突かれたように固まった。その言葉は予想外だったらしい。彼は知らなかったが、悠成はすべてを調査済みだった。私を拾った当初、誰かが私と修平のツーショット写真を彼に送っていた。事情を知った上で、悠成は何も言わなかった。私の能力についても、なぜ死んで生き返ったのかも聞かなかった。記憶喪失のふりをしているのではないかと疑うことさえしなかった。悠成は沢田家との提携をすべて避けていた。私が過去を思い出さないようにするために。まさか、パーティーで鉢合わせすることになるとは思っていなかったけれど。一ヶ月後、私と悠成は結婚式を挙げた。悠成は私が人付き合いに慣れていないことを知っていたから、式には親しい家族と友人だけを招き、ビジネスライクな付き合いは排除してくれた。式が終わった後、悠成は私が少し寂しそうにしているのに気づいた。ここには私の家族も友人もいない。やはりどこか心細かった。悠成は引き出しから婚前契約書を取り出した。そこには、もし将来彼が私を傷つけるようなことがあれば、財産の70%を私に譲渡すると明記されていた。悠成は私を抱きしめた。「希ちゃん、何を心配しているのか分かってる。焦らずゆっくりやっていこう、ね?」彼は私の手を握り、契約書にサインをした。彼の腕の中で、私はようやく安心感を見つけた気がした。翌日、宅配便が届いた。差出人の名前はない。開けると、そこにはお守りが入っていた。古ぼけていて、洗っても落ちない血痕がついている。お守りに触れた瞬間、電流が走ったような衝撃を受けた。奇妙な映像が次々と脳裏にフラッシュバックする。午後いっぱいかけてその映像を整理しようとしたけれど、結局何も掴めなかった。最後にはお守りを放り出してしまった。今度はドジってお粥に砂糖を入れたりしなかった。悠成もようやく甘い野菜粥の運命から解放された。彼が部屋を片付けている時、隅に落ちているお守りと、私が気づかなかった手紙を見つけた。手紙には修平の懺悔の言葉が綴られている。悠成は私に見せるべきか迷っている。私は彼の懐に潜り込み、手紙を奪い取った。今回ばかりは悠成も緊張している。
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