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第7話

Auteur: こざかな
花音は唇を強く噛みしめた。

これほどまでの苦しみを、ただ彩葉のメンツを守るためだけに、黙って飲み込めというのか。

「……私は、絶対に警察を呼ぶわ」

碧斗は沈黙し、不意に小切手を取り出した。「どうしても責任を追及したいというのなら、俺が彼らの代わりに賠償する」

静まり返った病室に、小切手を走るペン先のさらさらという乾いた音だけが響く。その一払いごとに、花音の心は鋭利な刃で薄く削り取られていくような、耐えがたい苦痛に苛まれていた。

最初の数字が書き込まれたとき、彼女は唇を千切れるほど噛みしめた。じわりと鉄のような血の味が口の中に広がっていく。

彼女が受け取ろうとしないのを見て、金額が足りないと思ったのか、彼はその紙を破り捨て、再び新しい数字を書き込んだ。

一度、二度、三度……

小切手の金額は跳ね上がっていく。

「二十億円」と書かれた小切手が目の前に差し出されたとき、花音の脳裏には三年前の雨の夜が蘇っていた。

十平米にも満たない安アパートで、深夜三時まで残業を終え、帰宅した碧斗は、ずぶ濡れの体のまま、愛おしげに花音を抱き寄せた。

「なあ花音。俺、絶対に二十億円稼いでみせるよ。そうしたら、お前には二度と苦労なんてさせないから」

誓いは果たされた。……けれど、こんな最悪な形で。

彼は今、ためらいもなく二十億円を差し出している。自分をハイヒールで踏みにじった連中を、見逃してやるための代償として。

「二十億円だ。これでいいだろう?」再び差し出された小切手を、花音は震える手で受け取った。そして、突然笑いが込み上げた。

笑いながら、涙がこぼれ落ちる。涙は小切手の上で、書き立ての墨を無残に滲ませていく。

「……ええ、十分だわ」かすれた声は、自分の声ではないように響いた。「碧斗。……あなたのあの時の約束、ようやく果たされたわね」

碧斗はわずかに眉をひそめ、彼女が何を言っているのか理解できないという顔をした。

分かるはずもない。

あの狭苦しいアパートで彼女を慈しむように抱きしめ、「二十億円稼いで幸せにする」と誓ったあの頃の碧斗は、とっくの昔に死に絶えていた。

跡形もなく、微かな面影すら残さずに。

あの日以来、碧斗が病院に顔を出すことはなかった。

だが、毎日午前十時になると、彼の秘書が決まって病室のドアを叩いた。その手には、いつも洗練された包装紙に包まれた、見るからに高価な手土産の箱が握られている。

今日は、桐箱に収められた最高級のマスクメロン。昨日は、老舗果物店の彩り豊かな特選詰め合わせ。一昨日は、希少なツバメの巣を凝縮したという高級美容ジュレのセット。

「社長からの伝言です。仕事が立て込んでおり、どうしても伺えないことを深くお詫びしておりました。どうか、しっかり静養なさってください」秘書は恭しく、けれど事務的な口調で告げた。

花音は、サイドテーブルに積まれた手つかずの箱に目をやった。

陽光に照らされたパッケージの金色のロゴが、キラキラと輝いている。それは、今の碧斗が生きる眩い世界そのもののようで、花音の瞳にはひどく毒々しく映った。

秘書が去った後、彼女は何気なくスマホを開いた。目に飛び込んできたのは、彩葉のSNSの更新通知だった。

画面の中には、どこまでも続くエメラルドグリーンの海と、透き通るような青空。その楽園のような景色を背景に、彩葉が碧斗の肩に愛おしげに寄り添っている。

【忙しい合間を縫って、連れてきてくれてありがとう】という言葉が添えられていた。

目が痛くなるまで、花音はその写真を見つめ続けた。

彼の言う「仕事が忙しい」とは、彩葉を連れて南国のリゾートへ行くことだったのだ。

スマホを閉じようとしたその時、一通の通知が飛び込んできた。

【浅見花音様。ビザの申請が承認されました。パスポートの準備が整いましたので、明日以降、窓口にてお受け取りください】

花音はそれを三度読み返し、声を出して笑った。

笑いながら、また涙が溢れた。画面の「承認」という二文字が、涙でぼやけていく。

ようやく、すべてが終わる。

もう、秒針を数えながら彼の帰りを待つ必要もない。冷めきった夕食を一人で飲み込むことも、裕子からの軽蔑に満ちた視線に耐えることもない。

何より――思い出に縋りつきながら、ボロボロになっていく自分を、ようやく許してあげられる。

翌日の昼、花音は退院手続きを済ませ、そのままビザセンターでパスポートと航空券を手に入れた。

邸宅に戻ると、リビングで碧斗と彩葉が親しげに談笑しており、使用人たちがゲストルームに荷物を運び込んでいた。

花音が戻ると、リビングにいた二人が揃って彼女の方を振り返った。

碧斗は視線を落とし、弁明するように口を開いた。「……彩葉の両親が海外旅行へ行ってな。一人で家にいるのは怖いと言うから、しばらくここで預かることにした。家同士の付き合いもあるし、仕事上の協力関係もある。俺が面倒を見るのが筋だろう」

そんな説明は、もう必要なかった。

今日この時から、二人は何の関係もない赤の他人になるのだから。

花音は小さく頷くと、そのまま二階へと上がった。

「そういえば」と、背後から彩葉が声をかけてきた。「これからは碧斗とミュージカルを見に行こうと思っているの。花音さんも一緒にどう?」

花音が答えるより先に、碧斗が言葉を遮った。「やめておけ。手も怪我しているし、家で休ませてやれ。……それに、彼女にはどうせ理解できない内容だろうしな」

花音は足を止め、振り返って、ひどく青ざめた微笑を浮かべた。「ええ、そうね。私には理解できないわ」

二人が出かけた後、花音の荷造りはすぐに終わった。

彼女は寝室の中央に立ち、かつては無数の希望を詰め込んでいたはずの部屋を見渡した。だが、今そこに漂っているのは、寒々とした荒涼とした空気だけだった。

サイドテーブルには、一枚のツーショット写真が置かれたままになっている。写真の中の碧斗は、世界に彼女しかいないかのような、どこまでも慈しみに満ちた眼差しで彼女を見つめていた。

花音はそのフォトフレームにそっと触れ、それから表面を下にして机に伏せた。

玄関のカウンターに合鍵を置き、静かに扉を閉める。

三年前の土砂降りの夜、路地裏で血まみれの少年を拾った。まるで空から落ちてきた星を拾ったような、そんな奇跡だと思っていた。

三年後の今日、彼女は荷物を引きずって、静かにこの場所を去る。

背後に残された邸宅の灯りは、遠ざかるほどに小さくなっていく。まるで、あの星など、最初から彼女の人生には存在していなかったかのように。
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