Share

第4話

Penulis: タワークラッシュ
暖かな黄色い灯り。

湯気の立つ料理。

まるで夢でも見ているようだった。

湊はまだ状況をのみ込めず、その場に立ち尽くしていたのに、悠真に手を引かれ、いつの間にか席に座らされていた。

「ほら、お父さんの料理を食べてみろ」

彼はスペアリブを一つ取り、細い両手を組んで、息子が食べるのをじっと見つめていた。

その瞳に宿る光は、月明かりよりも優しかった。

私がまだ呆然としているのを見ると、彼は慌てたように立ち上がり、私の手を取った。

「なあ、もう怒るな。全部、俺が悪かった。湊がけがをしていたなんて知らなかったんだ。あの時は頭に血が上って、あんなことを言ってしまった。

お前が嫌なら、この賭けはもう終わりにする。これからは、あいつらとも距離を置く」

彼は歩み寄ろうとしていた。

本当に、私たちに償おうとしているようにさえ見えた。

けれど、その錯覚は一秒も続かなかった。

彼のスマホが鳴った。

画面に表示された「嫁」の文字を見た瞬間、彼は慌てて電話に出た。

茉莉の泣き声が、受話口越しに聞こえてくる。

「悠真、陽翔があなたを呼んでるの。泣いて、何も食べようとしなくて……私、どうしたらいいか分からない!」

悠真は勢いよく立ち上がった。

茶碗が皿にぶつかり、がちゃんと音を立てる。

「柚希、謝ることは謝った。学校の件は、これで終わりにしよう。会社で少し用ができた。先に行ってくる。今夜は待たなくていい」

結局、私たちにこれ以上追及させたくなかっただけなのだ。

彼の大事な「息子」を守るために。

彼はあまりにも慌てて出ていったせいで、服の裾がスペアリブの甘酢煮の皿に引っかかった。

ぱりん。

皿は粉々に割れ、とろりとしたソースが花火のように飛び散った。

湊はしゃがみ込み、床に散らばったスペアリブを拾おうとした。

私はその手首をつかんだ。

「スペアリブはもういらない。お父さんも、もういらない。お母さんが外に食べに連れていってあげる」

それから数日間、私は悠真に一度も会わなかった。

息子のけがも、少しずつよくなっていった。

ある日、湊は朝早くから起き出し、嬉しそうに私に抱きついてきた。

「お母さん、今日は花おばさんの誕生日だよ。いつ行くの?」

私はスマホを開いたが、佐伯花(さえき はな)からの連絡は来ていなかった。

花は私のいちばんの親友だった。

そもそも、私と悠真を引き合わせてくれたのも彼女だった。

湊にとって、彼女は母親と同じくらい大切な存在だった。

毎年、彼女は前もって誕生日会の連絡をくれていた。今年はきっと、忙しくて忘れているのだろう。

「今から行こう」

私は息子と一緒に、ケーキとプレゼントを真剣に選んだ。

ドアをノックすると、出てきた花は一瞬、驚いた顔をした。

彼女はドアを半分だけ開けたまま言った。

「あなたたち……どうして来たの?」

湊は小さく跳ねるようにして、彼女に抱きついた。

「花おばさん、花おばさん!湊から、お誕生日おめでとう!」

けれど花は、いつものように喜んで抱き返してはくれなかった。

その動きは、どこかぎこちなかった。

「花おばさん!ろうそく吹いて、お願いごとしようよ!」

ドアの中から、陽翔の声がした。

次の瞬間、湊は花に押しのけられていた。

背中がドアにぶつかり、鈍い音がした。

私はドアを思いきり蹴り開けた。

食卓では、少し前に茉莉とは距離を置くと言っていた悠真が、今まさに茉莉を抱き寄せていた。

陽翔も、会社の幹部たちも何人かそこにいた。

玄関に立つ私と息子のほうが、場違いな侵入者のようだった。

私は息子の手を引いた。

「行こう」

「柚希」

悠真が私を呼び止めた。

「せっかく来たんだ。食べてから帰れ」

湊が手の中にぎゅっと握りしめているプレゼントを見て、私はどうにかこらえた。

席に着くなり、茉莉が嫌味たっぷりに口を開いた。

「うちの息子と花さんは気が合ってね。それで、うちの子も花おばさんって呼ぶようになったの。おばさんなんて誰がそう呼んでもいいものだし、誰か一人のものってわけでもないでしょう?まさか、気にしないわよね?」

今までそんなことは一度も言わなかったくせに。

よりによって今。

湊が大切にしているものを、わざと一つひとつ奪って、私を不快にさせたいのだ。

場の空気が凍りついた。

湊は自分から空気を変えようと、丁寧に選んだプレゼントを花の前に差し出した。

その声には、かすかな媚びるような響きがあった。

「花おばさん、湊……」

花はそれを完全に無視した。

そして背後から、純金製のトランスフォーマーを取り出した。

「じゃじゃーん。陽翔、見て。花おばさんがあなたに何を用意したと思う?あなたの大好きなトランスフォーマーよ」

陽翔はそれを受け取ると、嬉しそうに飛び跳ねた。

そして息子に向かって舌を出し、得意げに見せびらかした。

湊はその場に立ったまま、手を差し出した姿勢で固まっていた。

まるで、そこにいない人間のように、ひどく惨めだった。

一歳の頃から、私は毎年、湊を連れて花の誕生日を祝いに来ていた。

けれど彼女が湊に、まともなプレゼントをくれたことなど一度もなかった。

本当に、皮肉なものだ。

私は湊を自分のそばへ引き寄せ、笑いながらたしなめた。

「湊、犬にあげるつもりで用意したプレゼントを、どうして花おばさんに渡そうとしてるの?」

「この!」

花が怒り出そうとした時、彼女の隣にいた会社の幹部が突然立ち上がった。

足元はふらついていて、明らかに酔いが回っていた。

彼は茉莉にグラスを掲げた。

「それでは、白石さんの悠舟グループ副社長ご就任を祝しまして。今後は部下として働くことになりますので、どうぞよろしくお願いいたします」

「副社長?」

私は眉をひそめた。

どうりで私に声をかけなかったわけだ。

隠し事があったのね。

もう隠しきれないと思ったのか、花は開き直ったように鼻で笑った。

「柚希、私だってうちの会社の株主なの。公平に言わせてもらうけど、家庭でも仕事でも、茉莉のほうがあなたよりずっと実力があるわ。この数年、あなたはずっと台所に立ってばかりで、とっくに社会から取り残されているのよ。

この件は悠真が提案したの。私たちも全員一致で、茉莉が副社長になることは、会社にとって利益こそあれ、損はないと判断したわ」

Lanjutkan membaca buku ini secara gratis
Pindai kode untuk mengunduh Aplikasi

Bab terbaru

  • 息子を捨てた夫が、命で償った日   第18話

    悠真の葬儀に行くかどうか、私は長いこと迷った。けれど最後には、湊を連れていくことにした。湊は今、毎日よく笑う。感情も、とても安定している。正確に言えば、安定しすぎているほどだった。朝は自分で服を着て、自分で歯を磨き、牛乳も残さず飲み干す。学校から帰ってくると、今日は誰が泣いたとか、誰が一番大きなスイカをもらったとか、楽しそうに話してくれる。まるで、いつも明るく照らしている太陽みたいに。悲しみの影など、どこにも見えなかった。医師は言った。忘れることは、体が自分を守るために選ぶ最大の防御なのだと。そうなのかもしれない。それでも、実の父親に最後の別れを告げさせるべきだと思った。悠真の葬儀は、とても簡素だった。弔辞も、読経もなかった。ただ、祭壇の脇に並べられた供花だけが、風にかすかに揺れていた。参列者は多くなかった。悠真が生前親しくしていた友人たちが数人だけ。私には、ほとんど見覚えのない人ばかりだった。その中に立つ私は、まるでただの一友人のようだった。湊は白いシャツを着て、手には白い花を一輪握っていた。自分で選んだ花だった。花びらは少ししわになっている。ここまで来るあいだ、何度も握りしめていたのだろう。私は湊の手を引き、祭壇の前まで歩いた。祭壇に飾られていたのは、昔、私が悠真のために撮った写真だった。彼は、とてもきれいに笑っていた。湊は祭壇の前に立ち、しばらく黙ってその写真を見つめていた。それは、ひとりの「知らない人」に向ける反応にしては、あまりにも長かった。やがて湊はしゃがみ込み、白い花をそっと祭壇の前に置いた。少し角度を直し、きちんと正面を向けてから、ようやく立ち上がる。そして写真の中の笑顔を見つめ、唇をかすかに動かした。とても小さな声だった。けれど、私には確かに聞こえた。「お父さん、さようなら」私はその場に立ち尽くした。喉に何かが詰まったようで、目の奥まで熱くなった。そうか。この子は、全部覚えているのだ。湊は膝についた土を軽く払った。それから振り返ると、小走りで蓮の胸に飛び込んだ。顔を上げた時には、もういつもの無邪気な表情に戻っていた。「お父さん、今日のお昼は何を食べるの?」蓮はしゃがみ込み、息子の小さな顔を両

  • 息子を捨てた夫が、命で償った日   第17話

    医療スタッフが担架を抱えて飛び出してきた。悠真を乗せると、そのまま病院の中へ駆け込んでいく。私もあとを追った。足元はもつれ、どう走っているのかも分からなかった。「しっかりして!」私は彼に向かって叫んだ。「悠真、私はあなたに借りなんてない。だから死ぬなんて許さない!」私は彼を、心の底から憎んでいた。私のすべてを壊したことも、私たちの息子を死なせかけたことも、決して許せなかった。けれどこの瞬間、その憎しみはすべて恐怖に呑み込まれていた。彼に死んでほしいと思ったことなど、一度もなかった。こんな形で私に償ってほしいなど、思ったこともなかった。担架は廊下を勢いよく進んでいく。頭上の照明が、一つ、また一つと流れていった。悠真の目は半分だけ開いていた。瞳には薄い靄がかかったようで、焦点はもう崩れ始めている。彼は私の顔を見て、唇を動かした。何かを言おうとしているようだった。私は身をかがめ、彼の口元へ耳を寄せた。「見ろ……この光景……どこかで見たことがあるだろう……」その目には、人生の走馬灯が映っているようだった。声は途切れ途切れで、一つひとつの言葉に血の泡が絡んでいた。「あの年……お前が難産で大出血した時も……こうして担架に乗せられて……俺はお前の手を握って……どうか持ちこたえてくれって、何度も願った……」彼はそこで言葉を切った。口元から、また血があふれ出す。「それから……俺たちの湊が、生まれたんだ……」彼の目は天井を見つめていた。その中の光が、少しずつ消えていく。「幸せだったな……本当に……」手術室の扉は、もう目の前だった。あと数メートル。看護師が、重い扉を押し開けていた。その時、彼の手にふっと力が入った。まるで、この人生に残された最後の力を振り絞るように、私の指を握りしめる。そして、その手が落ちた。ひどく軽く。一枚の枯れ葉のように。扉が閉まった瞬間、時間まで止まった気がした。自分の心臓の音が聞こえた。廊下の奥から吹き込む風の音が聞こえた。医療スタッフの声が、ひどく遠い場所から届いた。「申し訳ありません。出血量が多く、蘇生の甲斐なく……お亡くなりになりました」私はその場に立ち尽くした。手の中には、まだ彼の指先の冷たさが

  • 息子を捨てた夫が、命で償った日   第16話

    湊がすっかり回復したその日、陽射しは嘘みたいに眩しかった。退院の手続きは、蓮が済ませてくれた。私が湊を連れて病室を出ると、蓮は大きなケーキを抱えて待っていた。真っ白なクリームの上には、チョコレートで描かれた大きなウサギと小さなウサギが、仲よく寄り添っていた。「お父さん!」湊は駆け寄り、蓮の脚にぎゅっと抱きついた。「すごく大きいケーキ!湊、これ大好き!」蓮は腰をかがめ、湊の額にキスをした。「お父さんが手作りしたんだ。湊の退院祝いだよ」「じゃあ、僕ひとりで全部食べてもいい?」「うーん……お母さんにも少しだけ残してあげようか」「じゃあ、ほんのちょっとだけね」湊はけらけら笑いながら、左手で私の手を、右手で蓮の手を握り、弾むような足取りで病院の玄関を出た。入口に差しかかった時、背後からエンジンの轟音が響いた。私は反射的に振り返った。黒い乗用車が駐車場のほうから猛スピードで飛び出してきて、車の鼻先を私と湊へ向けていた。「危ない!」蓮の声が終わるより早く、彼は両腕を広げて私たちの前に立ちはだかった。同じ瞬間、別の影が横から飛び込んできた。悠真だった。どこから現れたのか分からない。蓮より速く、蓮よりも強い力で、彼は蓮を突き飛ばした。そして自分の体で、あの車を受け止めた。ドン――鈍い衝突音が響いた。悠真の体ははね飛ばされ、空中で弧を描いてから、地面に激しく叩きつけられた。私はその場に立ち尽くした。耳の奥で、嫌な音が鳴り続けている。運転席のガラス越しに、ひとつの顔が見えた。茉莉だった。顔は歪み、目は血走り、口元には狂気じみた笑みが浮かんでいた。「死ね!!!」彼女は車を数メートルバックさせた。タイヤが地面をこする耳障りな音を立て、エンジンが再び唸りを上げる。まだ、轢くつもりなのだ。悠真は地面にうつ伏せになり、震える手で必死に路面を支えていた。歯を食いしばり、よろめきながら立ち上がる。そして次の瞬間、迷いもなく車の前へ飛び込んだ。フロントガラスにしがみつくように身を投げ出す。両手でガラスを必死につかみ、その細い体で茉莉の視界をふさいだ。車は制御を失い、斜めに突っ込んで、路肩のガードレールに激突した。激しい音が響いた。ボンネットが

  • 息子を捨てた夫が、命で償った日   第15話

    全員が、はっと息を呑んだ。「先生!先生、早く来てください!」私は病室を飛び出し、興奮で声を震わせながら廊下に向かって叫んだ。医師が来るより先に、湊のまぶたが動いた。青紫がかった薄いまぶたが何度か震え、ゆっくりと持ち上がる。生まれたばかりの時と同じように、湊はぼんやりとこの世界を見つめていた。焦点の合わない視線がしばらく宙をさまよい、少しずつ定まり、ゆっくりと動いて、最後に私の顔で止まった。「お母さん……」その声は、今にも消えそうなほど小さかった。私は口を開いた。けれど、一言も出てこなかった。喉を誰かに締めつけられたようで、目の奥が焼けるほど熱くなり、涙が何の前触れもなくこぼれ落ちた。悠真も蓮もベッドのそばに立っていた。二人とも、目元を赤くしている。「湊、目が覚めたんだな。よかった……本当によかった」悠真はベッドに身を乗り出した。泣き笑いのような声でそう言い、息子の頬に触れようと手を伸ばす。湊は、何の反応も示さなかった。蓮も少し身をかがめ、優しい声で尋ねた。「湊、どこか苦しいところはあるか?」蓮の声を聞いた瞬間、湊はわずかに固まった。ゆっくりと顔を向け、蓮を見る。数秒、沈黙が落ちた。それから湊は、かすかに唇を持ち上げた。弱々しい笑みだった。「お父さん」病室が一瞬、静まり返った。悠真の手は宙に浮いたまま固まり、表情も凍りついたように動かなくなった。蓮も呆然としていた。彼は瞬きをした。まつげには、まだ乾ききらない涙が残っている。「湊……」悠真の声が震え始めた。「よく見ろ。お父さんは、俺だ」湊は彼を見なかった。息子の目は、ずっと蓮を見つめていた。そこには光があり、信頼があり、子どもが父親を見つけた時にだけ見せる本能的な安堵があった。蓮はようやく我に返った。けれど、息子の言葉を否定しなかった。その代わり、身をかがめ、そっと息子を腕の中に抱き寄せた。「ああ」彼の声は少しかすれていた。「俺のかわいい息子だ」湊は目を閉じた。口元には、まだあの淡い笑みが残っていた。ようやく安全な居場所を見つけたみたいだった。医師が駆けつけ、丁寧に診察をしたあと、いくつか簡単な質問をした。診断結果を聞いた時、悠真の顔から完全

  • 息子を捨てた夫が、命で償った日   第14話

    悠真はカフェの入口に立っていた。目元は赤く腫れ、唇がかすかに震えている。その目には、裏切られた夫のような失望が滲んでいた。「今、黒崎と何をしていた?」このところ、彼は狂ったように私の行方を追っていたらしい。かけられる電話にはすべてかけ、行ける場所にはすべて足を運んだ。私が死んでいないと知った時、彼は道端にしゃがみ込み、長いこと泣いたという。それは、彼の人生でいちばん嬉しい瞬間だったらしい。けれど、ようやく私の居場所にたどり着いた彼が目にしたのは、私が別の男と口づけている光景だった。私は黙ったまま、何も言わなかった。「俺と帰るぞ!」悠真は私に向かって歩み寄り、腕をつかもうと手を伸ばした。蓮が一歩前に出て、私の前に立ちはだかった。「京市であの女のお守りでもしていればいいものを、わざわざここまで来て何のつもりだ?」悠真の顔が、一瞬で青ざめた。「どけ」声が冷たく沈む。蓮は動かなかった。悠真は腕を振り上げ、いきなり殴りかかった。蓮は軽く首を傾け、その拳は彼の耳元をかすめていった。ところが蓮は、まるで本当に殴られたかのように、ふらりと私の腕の中へ倒れ込んできた。力なく私の胸元にもたれかかる。「柚希、見ただろう?」蓮の声はひどく柔らかく、まるでこの世の終わりみたいに傷ついた響きを帯びていた。「俺はただ、君が心配だっただけなのに。この男は俺に手を上げた」悠真は怒りで全身を震わせた。「わざとらしい芝居はやめろ!」「もういい!」私は怒りを押し殺して口を開いた。「彼が何を間違ったことを言ったの?あなたに彼を殴る権利がどこにあるの?」悠真は口を開いた。けれど、一言も出てこなかった。因果は巡る。その瞬間、彼はようやく思い知ったはずだ。茉莉が彼の前で私を不快にさせるたび、私がどれほど言葉に詰まり、どれほど弁解のしようもなく追い込まれていたのかを。「私たちはもう離婚協議書にサインしたでしょう」私は彼の目を見た。「それなのに、まだ私を追い回して何をするつもり?」悠真は深く息を吸った。どうにか自分を落ち着かせようとしているようだった。目元はさらに赤くなり、涙が今にもこぼれそうに揺れていた。それでも、まだ落ちなかった。「……悪かった」彼

  • 息子を捨てた夫が、命で償った日   第13話

    圧勝を祝って、私たちは病院近くのカフェでコーヒーを飲むことにした。窓の外は、よく晴れていた。蓮は、留学したばかりの頃の失敗談を話していた。初めてカレーを作ろうとして、気づけば鍋の底を真っ黒に焦がしてしまった、という話だ。私は笑いながら首を振り、何か言おうとした。その時、金髪碧眼の美しい外国人女性がドアを開けて入ってきた。長い髪に赤い唇。腕には、大きな赤いバラの花束を抱えている。蓮は私をちらりと見た。まるで、何か悪いことをした子どものような顔だった。「少し用がある。ここで待っていて」そう言うと、彼はその女性の腕を取り、外へ連れ出した。カフェのオーナーがコーヒーポットを手に通りかかり、声を潜めて私に言った。「あの外国の方ね、向こうでは有名な資産家のお嬢さんなんですよ。黒崎さんのことを、七、八年もずっと諦めずに想っているらしくてねえ。とうとう海外からここまで来たんですって」私はコーヒーカップを持つ手を、わずかに止めた。その女性はカフェの入口に立っていた。すらりとした姿に、腕いっぱいの赤いバラが映えて、全身が輝いているように見える。確かに、蓮によく似合っていた。家柄も、容姿も。私はうつむき、コーヒーを一口飲んだ。苦い味が舌の上に広がる。カップを置き、席を立とうとした。入口の近くまで行ったところで、蓮がその女性の腕を引き、店内へ連れ戻してきた。私は訳が分からず、その場に立ち尽くした。蓮は私のそばまで来ると、ひどく真剣な顔で私の手を取った。手のひらは温かく、力がこもっていた。まるで、とても大切なものを握っているみたいに。「紹介するよ。彼女は俺の婚約者だ。だから、もう俺につきまとわないでほしい」女性は彼を見て、それから私を見た。そして、どこか慣れない響きのある口調で言った。「信じない。どうせまた、あなたが雇った役者でしょう。キスでもしないかぎり」ちょうどその時、カフェのピアニストが曲を変えた。シューマンの「献呈」が、ゆっくりと流れ出す。蓮は横を向いて私を見た。まつげが、かすかに震えていた。「いい?」顔が熱くなるのを感じた。唇まで、わずかに震えている。「い……いいよ」彼が身をかがめてきた。唇より先に届いたのは、彼の纏う白檀の香りだった。

Bab Lainnya
Jelajahi dan baca novel bagus secara gratis
Akses gratis ke berbagai novel bagus di aplikasi GoodNovel. Unduh buku yang kamu suka dan baca di mana saja & kapan saja.
Baca buku gratis di Aplikasi
Pindai kode untuk membaca di Aplikasi
DMCA.com Protection Status