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第2話

Auteur: 墨香
胸の奥が苦くてたまらない。この何年もの自分の尽くし方が、全部無駄になるみたいで情けなくなる。

安里と一緒に過ごした七年間で、彼が「起業する」って言った時、私は自分の貯金を全部差し出して服飾会社を立ち上げた。

必死でインスピレーションを探して、服をデザインして、モデルを探した。

忙しい時はろくにご飯も食べられず、毎日空腹と満腹を繰り返した。

それだけじゃない。大口の顧客に嫌われないよう、私は無理やり酒の席に付き合った。吐きそうになっても、笑って飲み続けた。

そんな私の支えで、安里の工場は無名の小さな工場から、この業界で上位に入るまでになった。

その代わりに、私の胃はどんどん壊れていった。

でも、それを彼に言ったことはない。私たちの関係に同情なんて混ぜたくないから。

けれど安里は、すべての功績を結月に押しつける。

「結月がいたからこそ、俺は今の成功を掴めたんだ」って。

すべての努力が無駄になるなら、もう早く損切りした方がマシだ。

安里が帰ってくる時、私はちょうど医者が出した薬を飲み終えたところだ。

口の中は苦くて、でも心の方がもっと苦い。

彼は持ち帰りの袋を差し出す。

「明里思乃、お前って本当に胃が痛いふり好きだよな?

これ、結月が大好きな海鮮粥。わざわざ買ってきてやったんだ。これで満足だろ?」

その押し付けがましい優しさが、むしろ滑稽に見える。

私は受け取らず、淡々と言う。

「いらない。そこに置いといて」

その瞬間、安里は顔が真っ黒になり、力強く海鮮粥を隣のテーブルに投げ捨てる。

「お前、いい加減にしろ!そんなに無理やり拗ねても意味ないだろ。

俺だって一日中働いて疲れてんだ。帰ってきてまでお前の顔色見なきゃならないのか?

結月を少しは見習えよ。俺が疲れたって言うと、あの子は甘えてマッサージしてくれるんだぞ」

結月の名前を出す時、安里の目尻は自然と緩み、唇には笑みが浮かぶ。まるでその瞬間を思い出しているみたいに。

私は何度も伝えてきた。海鮮アレルギーがあるって。

なのに彼はわざとらしく海鮮ばかり買ってきて、私に作らせる。

少しでも気を配れば、私が一口も食べていないことに気付くはずなのに。

私が動かないのを見て、安里はぐっと顔を寄せてくる。

「わかってるよ、お前が怒ってるのは俺が公表してないからだろ?

約束する。この国際ショーが終わったら、ちゃんとお前を公表する。それでいいだろ?」

私は苦笑して首を振る。もう、そんなもの要らない。

本当の気持ちを伝えようとする時、彼のスマホが鳴る。

「安里ちゃん、眠れないの。今から来て一緒にいてくれる?」

その声に、彼は一瞬で笑顔になる。

「バカだな。今日コーヒー飲みすぎだって言っただろ?ほら、眠れなくなったじゃん。

大人しく待ってろ。すぐ行くから」

電話を切ると、彼はほんの少しだけバツが悪そうな顔をするけど、すぐに平然と戻る。

「……ちょっと取引先と打ち合わせがある。出てくる」

私は顔を上げないで、ただ無表情でうなずく。

シャワーを浴びた後、SNSを開く時、結月の新しい投稿が目に入る。

動画の中で、彼女はある男の腕の中に甘えて横になる。

BGMは男が子守唄を歌っている声だ。

キャプションにはこう書かれている。【えへへ、安里ちゃんはやっぱりあたしを子ども扱いする。もう二十歳なのに、まだ寝かしつけようとするんだから】

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