LOGIN私が胃の病気で倒れそうになっている時、野田安里(のだ あさと)はちょうど自分のアシスタントと一緒に誕生日ケーキのロウソクを吹き消している。 私は痛みで意識が飛びそうなのに、彼は一度もこっちを見ないで、アシスタントの鼻を甘く撫でる。 「結月、またひとつ大人になったね。バースデイ・ガールはちゃんと願い事するんだよ!」 そのあと私は激痛で意識を失って病院に運ばれる。安里に何十回も電話をかけるけど、全部すぐ切られる。 一方で、アシスタントはSNSに投稿して、九枚の写真でも収まりきらないほどのプレゼントを自慢している。 「最高!安里ちゃんって世界一番優しい人!結月はずっと安里ちゃんと一緒にいられるように!」 私は電話で問い詰めるけど、安里は全然悪びれない。 「結月の誕生日なんだから、俺が一緒にいて何が悪いの。嫌なら別れれば?」 これで九十九回目の「別れよう」だ。彼は相変わらず、私が絶対に別れないと思い込んでいる。 でも今回、私は同意する。
View More結月は一瞬固まり、情けない顔で泣き出す。「あたし、間違ったこと言ってないもん。明里思乃なんて安っぽい女よ……」パチン……安里が結月の頬に平手打ちを食らわせる。彼女の顔が瞬く間に真っ赤に腫れ上がる。信じられない顔で結月は尻もちをつき、わんわんと泣き叫ぶ。けれど、かつては結月の小さな傷さえも心配していた安里は、その姿を一瞥すらしない。「思乃……お願いだ」全身の力を振り絞り、彼は私の足元まで這い寄り、みっともなく泣き喚く。だが、今の私はもう彼の偽りの愛情に揺さぶられることはない。私は背を向けて、安里が突然腕を伸ばし、力強く私を抱き寄せようとする。その瞬間、朔の拳が一直線に飛ぶ。安里は反応できず、胸ぐらを掴まれるまま壁に押し付けられ、重い拳を食らう。「朔、ちょっと待って」私の声を聞くと、安里の表情が一瞬で喜びに変わる。「思乃、やっぱり、君はまだ俺のことを……」皆の視線を浴びながら、私は唇をわずかに開く。「手が痛いでしょ。ちょっと休憩して」そう言って私は踵を返す。残されるのは、絶望に沈む安里だけだ。数日後、私のアシスタントが慌てて駆け込んでくる。「明里さん、大変です!ネットで、あの日受賞した作品が盗作だって噂が広がっています……通報者は手稿も持ってますって」私は口元をわずかに吊り上げる。魚が食いついた。ネット上の炎上は瞬く間に広がり、何も知らない人々が「中村グループの製品をボイコットすべきだ」と騒ぎ、株価にまで影響が出る。健人は私のところに来て、警察に通報すべきだと強く訴える。私は微笑んで彼を安心させる。「大丈夫です、中村社長。必ず真実を明らかにしますから」時が満ち、私はメディア各社を呼び、記者会見を開く。会見で、私は一つの映像を流す。映像には、結月がコンテスト終了後に私の家へ忍び込み、浴衣の手稿を盗み出す姿が映っている。彼女は得意げに防犯カメラの電源を抜いたが、部屋には他の防犯カメラが仕掛けられていたのに気づかなかった。彼女はこんな手口で、私と朔の作品が盗作だとでっち上げようとした。それだけじゃない、私は今回の作品におけるすべての修正箇所とタイムラインまで公開する。だからこそ、ネットユーザーたちは一目で結月の誣言がいかに稚拙かを理解するのだ。
一ヶ月後、ファッションウィークが始まる。モデルは朔と私がデザインした浴衣を身にまとい、登場する瞬間から大きな衝撃を与える。案の定、安里も現れている。ところが彼の会社のモデルが着ているのは、なんと去年のデザインのままだ。観客席ではすでにざわめきが広がっている。「なにあれ、野田社長のところの服、めっちゃダサいじゃん。デザインのレベル、急降下でしょ」「聞いたよ、野田社長はデザイナーを変えたんだって。それであんな落差になったんだろうね」「まあ仕方ないよな。中村グループのデザインと比べたら、天と地の差だわ」その声を耳にして、安里の視線が無意識に揺らぐ。ショーが終わると、当然のように私と朔のデザインした服が金賞に選ばれる。トロフィーを受け取る時、朔はどうしても私に代表で受け取ってほしいと言い張る。健人も大喜びで、わざわざ私のために祝賀会を開いてくれる。宴も終わり、外に出る時、朔が紳士的に車のドアを開けてくれる。「もしできれば、明里さんを送らせていただけませんか?」私は断らず、ドアに手を伸ばすその瞬間、背後から弱々しい声がする。「思乃……」振り返ると、安里は服が乱れて、赤い目で私たちの後ろに立っている。彼は見る影もなくみすぼらしくて、以前の意気軒高たる姿勢が消えてしまう。「俺が間違ってた。あんな態度を取るべきじゃなかった。君がいなくなってから、一日だって忘れたことはない。一緒に帰ろう、な?」昔なら、その言葉を聞いた瞬間に許していたかもしれない。でも今の私には、もう彼への想いなんてとっくに消え失せていた。私が何も言わずにいると、安里は駆け寄って私の手を掴もうとする。だが、彼は朔に払いのけられる。「野田さん、自重してください。明里さんはもうあなたと別れたんです」安里は悔しそうに私と朔を見つめる。「まだ俺のことが好きなんだろ?じゃなきゃ、俺があげたそのピンキーリング、なんでまだ外してないんだ」手元を見て、私はハッとする。そうだ、これは安里がくれたリングだった。習慣って、本当に恐ろしい。考える間もなく、私はリングを外して近くのゴミ箱に投げ捨てる。「ごめん、外すの忘れてただけ。ゴミはゴミのあるべき場所に戻った、それだけ」安里の目に痛みが広がる。「思乃……俺がずっと愛し
電話の向こうから、悔しそうな声が聞こえてくる。「俺の許可なしで、一生会社を出るなんてできると思うな!」私は、彼のサインが入った退職届の写真をそのまま送りつける。安里は電話口で怒鳴り散らす。「俺がこんなもんにサインした覚えはない!認めない!すぐ戻ってこい!」その時、朔がやってきて、一枚のデザイン画を差し出す。「明里先生、新しくスーツをデザインしてみたんです。ちょっと見てもらえませんか?」すると、安里が突然狂うように電話の向こうでわめき散らす。「明里思乃、なんで隣に男の声がするんだ!お前、そいつのために俺に黙って逃げたのか!警告するぞ、今すぐ俺のところに戻れ!たった一日で、もう他の男に色目使ってんのか?いいか、もうお前は俺に汚されてんだ。俺以外、誰がお前を欲しがるってんだ?!」……はぁ、前はこんなにうざったい奴だって気づかなかった。うざいだけじゃなく、吐き気がするほど気持ち悪い。私は苛立ちながら髪をかき上げ、そのまま電話を切って、彼の電話番号をブロックする。その他の連絡手段も全部削除する。朔はその一部始終を見ているけど、余計なことは聞かない。翌日、定例会議の場で彼は全社員に向けて私を紹介する。「明里先生を尊重し、すべて彼女を中心に動くように」とはっきり言う。そんな扱い、安里の下にいた頃は一度もなかった。あの男は、いつも結月の功績が私に取られるんじゃないかとビクビクしていたのに。翌日、私は朔のデザイン画を直している時、スマホに次々と通知音が鳴る。開いてみると、友達からのお祝いメッセージがぎっしり目に入る。【思乃、野田さんがすぐプロポーズするって聞いたよ!おめでとう!結婚式は絶対呼んでね!】【わぁ、野田さんマジで優しい!羨ましい】【愛を大胆に告白するとか最高!野田さん絶対いい男だわ!】何が起こったのかわからない。事情を確認しようとする時、安里から友達追加の通知が来る。【俺、ネットで一ヶ月後に婚約すると発表したから。お前は名分が欲しかったんだろ?これで満足だろ。早く帰ってこい】彼が狂ってる。私がまだ、ちょっと優しくされただけで舞い上がる明里思乃だと思ってるの?削除しようとする瞬間、間違って承認を押してしまう。すぐに長いボイスメッセージが届く。【思乃、やっ
サインを書き終えたあと、安里は結月を抱き上げ、優しくあやしている。「結月、怖くないよ。すぐ病院に連れて行くからな」行けばいい、さっさと行けばいい。行かないと、その傷もすぐ治っちゃう。二人が去ったあと、私は自分の水膨れだらけの腕を差し出す。「っ……痛っ」でも、心は軽くなる。これで終わる。卑屈な七年、ようやく幕が下りる。……ひとりで病院に行くと、また二人と出会ってしまう。なんて因縁深い。結月は椅子に腰かけて、安里が彼女にたくさんのスナック菓子を買ってくる。まるで手品みたいに、次から次へと彼女の前に並べられる。「結月、チョコ食べろ!」「いらない!」「じゃあ、キャンディ食べろ!」「いらない!」「ポテチは?」「それは安里ちゃんが食べさせて!」「了解」安里がポテチを開ける瞬間、振り返ると私に気づく。その瞳にある優しさが、一気に嫌悪に変わる。「またお前か。俺たちをつけ回してんのか?」「違う……」その時、私のスマホが鳴る。健人からで、「いつこっちに来るんですか」との確認だ。私はためらわずに答える。「明日行きます」それを聞くと安里は警戒心を露わにする。「明日、どこ行くんだ?」私は適当に言い訳をする。「明日、取引先の生地工場と打ち合わせがある」安里はうなずく。「思乃、今日俺はちょっと言い過ぎた。でも分かってくれ。結月の手は俺のためにいろんなことをしてくれる、大事なんだ」「分かった」私の素直な返事に、安里は少し驚くが、別に何とも思わない。「じゃあ明日、俺と一緒に生地の仕入れ先に行け。結月も連れていく。彼女は今、生理中で酒は飲めないから」「分かった」「今日は結月がショック受けたかもしれないから、夜はそばにいてやる」「分かった」あまりにすんなり承諾する私に、逆に安里は戸惑っている。その時、少し離れた場所から結月が声を張り上げる。「安里ちゃん、ちょっと寒いよ。抱っこして」安里は笑いながら駆け寄る。「はいはい、俺のお姫様」そう言って彼は自分の上着を脱ぎ、彼女にかける。そして彼女を優しく抱き寄せ、子守唄を口ずさむ。私はひとり静かに家へ帰り、荷物をまとめる。多くはない、スーツケースひとつで十分だ。荷造りを終
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