Masuk「そうか?」遥真はとっくに見抜いていた。修司は内心、少しずつ追い詰められていたが、表情には一切出さなかった。「彼女を使って私を脅すつもりなら、諦めたほうがいい」「俺には、そんな卑怯な真似はしない」遥真がそう言うと、修司は表情こそ変えなかったが、胸を撫で下ろした。遥真が「そんなことはしない」と言うなら、本当にしないことを、修司はよく分かっていた。「君は昔から、ひとつ癖があるんだ」遥真はどこまでも落ち着いた様子で、ゆったりと言った。「大切なものほど、人前では嫌っているように振る舞う」修司の動きが止まった。「前は千尋のことを友達だと紹介していたのに、今は体の関係だと言っている」「そんなことを言って私を揺さぶろうとする必要はない」修司は静かに遥真の言葉を遮った。眉目には上品な雰囲気と穏やかさしか浮かんでいない。「恭介や健太たちは私の人間が見張っている。君を助けに来ることはできない」遥真は「そうか」とだけ返した。「時也は仁也に見張らせている。あいつもここには来られない」「そうか」「君は結局、柚香と敵同士になる運命だ」遥真は何も答えなかった。修司は遥真を拘束している鉄の鎖に目をやり、最後に一言だけ告げた。「ゆっくり休め。次に目を覚ましたときには、何もかも忘れている」そう言い残して立ち上がると、部屋を出ていった。扉の前のボディーガードにも、しっかり見張っておくよう言い聞かせた。ベッドの上の遥真には、慌てた様子も不安もまったくなかった。修司の言葉が、そのまま実現することは分かっている。目を覚ませば、柚香に関するすべてを忘れているだろう。しかも頭の中には、二人が敵対しているという認識まで植え付けられる。それでも、遥真は心配していなかった。大輔のほうは、すでに手配してある。すべて予定どおりに進んでいる。記憶を消されるのは確かに厄介だが、修司に軟禁されたうえ、父親を殺そうとした罪まで着せられるよりはましだった。一方の修司は、遥真とはまったく違っていた。さっき千尋に電話をかけて無事を確認したばかりだというのに、それでも無意識のうちに不安が湧いてくる。何しろ、修司が知る遥真は、何事にも抜かりがなく、腹の内を簡単には見せない男だった。今回の件では、確かに主導権を握っているのは自分だ。自分が遥
「ある意味では、一生ここにいることになるかもしれないな」修司は遥真にはっきりとは答えず、少し遠回しな言い方をした。遥真は何も返さなかった。周囲を見回し、部屋の中を隅々まで確認する。「ここから出ようなんて考えるな」修司は遥真の考えを見抜いた。「私の許可なしじゃ、ここから出られない」「何をするつもりだ」遥真は単刀直入に聞いた。修司は眼鏡を押し上げ、さほど気にする様子もなく続けた。「君のこれまでの記憶を全部消す。柚香のことも、千景のことも、過去のことも、全部忘れさせる」遥真の眉間に、わずかに険しさが浮かんだ。「もちろん、私の邪魔をする存在にならないよう、心理的な暗示もかける」修司は続けた。「目を覚ました頃には、千景のことも忘れている。柚香が君と結婚したのも、君を利用するためだったと思うようになる……」修司の話を聞いているうちに、遥真の視線は再び静かなものへ戻っていった。これが別のことなら、少し頭を使って対処法を考える必要があるかもしれない。だが、記憶を消す?記憶を消すことはできても、この世界に自分が生きてきた痕跡まで消えるわけではない。時也や凛音、恭介たちが過去のすべてを教えてくれる。柚香だって、感情に流されずに自分と話をするだろう。「君が何を考えているかは分かっている」修司は遥真のことをよく理解していた。「ただ、君は心理的な暗示というものを、まだ十分に分かっていない」「そうだな。詳しくは知らない」遥真はあっさり認めた。もともと、そういうことに興味もなければ、調べたこともない。「だが、君も俺のことを分かっていない」修司「?」遥真からは、圧倒されるような迫力が漂っていた。「俺は、時間を無駄にするようなことはしない」「それで?」修司が聞き返す。「どうして今回、君がこんなに簡単に勝てたのか、考えたことはないのか?」「そんなことはどうでもいい」修司は動じなかった。「手に入れるべきものが手に入れば、それでいい。他のことは、君の好きにすればいい」「千尋のことも?」遥真は修司と目を合わせたまま、ごく自然にその言葉を口にした。修司の表情が固まった。探るような視線が遥真へ向けられる。そこには、これまで見せたことのないほどの真剣さと緊張が浮かび、瞳の奥まで真っ黒に沈んでいた。しばらくして、修司
雅人は何の迷いもなく答えた。「ああ、そうしよう」修司は雅人を見た。想像していた通りではあったが、あまりにも迷いなく承諾したのを目の当たりにすると、やはり胸の中に複雑な思いが込み上げてくる。「わかった」しばらくして。雅人は窓の外の道を見て、疑問を口にした。「これは本宅へ戻る道じゃないな」「急遽、道を変えた」修司が説明する。「今戻ったら、お母さんに気づかれる。遥真の記憶を消すつもりだと知られたら、絶対に賛成してくれないだろ」雅人は少し考え、確かにその通りだと思ったのか、それ以上は聞かなかった。一方、修司は。車内が静まり返ったところで雅人に目を向け、何気ない調子で話しかけた。「以前、お父さんが私に約束してくれたこと、覚えてるか?」「朝倉家との縁談のことか?」「そう」修司が頷いた。「好きにしろ」修司はさらに尋ねた。「では、久瀬グループの実権を握る立場については?」「明日にでもお前の叔父たちに電話して、お前を久瀬グループの社長に推薦するよう伝える」「ありがとう、お父さん」修司は終始、穏やかな態度を崩さなかった。雅人は思わず彼を見た。街灯の明かりが修司の顔を照らし、その表情はどこか冷たく、薄情にも見えた。その瞬間、雅人は何かに気づいたように目を細め、鋭い眼差しで修司を見据えながら尋ねた。「もしさっき、俺が承諾していなかったら……お前、無理やり俺に承諾させるつもりだったのか?」「まさか」修司は薄く笑い、落ち着いた口調で答えた。「私は昔から、年長者を敬っているからね」雅人はその言葉を一切信じなかった。今日までの自分なら、疑いもしなかっただろう。だが、遥真の記憶を消し、そこへ別の記憶を植え付けようなどと考える人間が、まともなはずがない。それどころか、もし先ほど自分が要求を受け入れていなかったら、自分をそのまま監禁し、「行方不明者」に仕立てるつもりだったのではないかとさえ疑っていた。表向きには、遥真に連れ去られたことにできるのだから。まさに、親より子を知る者はいない。修司は実際、そのつもりだった。当初の計画では、雅人が以前約束したことを翻した場合、修司はためらうことなく自分の所有する場所へ連れて行き、そこに監禁するつもりだった。表向きには、父親は遥真に連れ去られたことにしてしまえばい
遥真は、突然目の前が真っ暗になったように感じ、そのまま意識を失った。修司は、テーブルに突っ伏して気を失った遥真を見つめた。瞳の奥にわずかな陰りが浮かび、眉間にも自然と険しさが刻まれる。しばらく黙ったあと、ボディーガードたちに告げた。「彼をしっかり見張っておけ」「はい」ボディーガードたちが一斉に答える。修司はその場を離れ、他の者に案内されて雅人のいる部屋の前までやって来た。ドアノブに手をかけて扉を開けると、顔を上げた瞬間、雅人と目が合った。二人とも口を開かなかった。遥真がいたときと比べても、空気が楽になったわけではない。「なぜ千景のことを遥真に話した?」雅人の声は低く、眉間には険しい表情が浮かんでいた。修司は他の者を下がらせると、落ち着いた口調で答えた。「お父さんが望んでいることを実現するためだ」雅人は怪訝そうな顔をした。明らかに、その言葉を信じていない。「前に言っていたよね。遥真に財産と陽翔の親権を柚香から取り戻させたい、と」修司は、よほどの局面にならない限り、自分の野心を表に出すことはない。雅人はあっさり認めた。「そうだ」修司は静かに言った。「もうすぐ叶うよ」雅人は眉をひそめた。修司が大口を叩くような男ではないことは、よく分かっている。だが、遥真だって誰かの思い通りになるような男ではない。そこで単刀直入に尋ねた。「何か方法があるのか?」「私にはない」そう言いながら、修司は一度、扉の外へ視線を向けた。「だが、この人ならできる」修司が言い終えると、扉の外から、きちんとした身なりをした五十代ほどの男性が入ってきた。穏やかで、人当たりのよさそうな雰囲気をまとっている。雅人は不思議そうに彼を見た。「誰だ?」「世界的に有名な催眠療法の第一人者、江城和臣さんだ。催眠と心理暗示を専門としている」修司が紹介する。「遥真に過去のすべてを忘れさせ、新しい記憶を植え付けることができる」「……?」雅人は言葉を失った。眉間に深い皺を寄せ、修司の言葉を疑うような目を向ける。「修司さんが言うほど大したことはできない。記憶そのものを植え付けるのは、まだ難しいんだ」江城和臣(えしろ かずおみ)は上品に微笑んだ。「せいぜい心理的な暗示をかけて、過去に関わった人たちを、別人だと思い込ませるくらいだ」雅人はしばらく何も言わ
遥真は顔を上げた。大輔が状況を報告する。「修司さんがお見えです」その声が終わるより先に、修司の姿が書斎に現れた。濃い色のオーダーメイドスーツに身を包み、鼻筋には銀縁の眼鏡をかけている。修司は数歩中へ入ると、穏やかな笑みを浮かべた。「久しぶりだな、遥真」遥真は手にしていた資料を脇へ置き、修司と一定の距離を保ったまま向き合った。修司が手を上げる。すると後ろにいた男たちがすぐに大輔を取り押さえた。「本気でやり合ったら、君たちじゃ彼には勝てない」遥真が制止するように言い、黒い瞳を大輔へ向けた。「君はそいつらと一緒に行け。ここで起きていることには、もう関わるな」「はい」大輔は一瞬たりとも迷わなかった。修司「?」そのほかの者たち「?」遥真は椅子に腰を下ろした。その姿からは相変わらず、気品と落ち着きが漂っている。「こんな夜中に、何しに来た」「どうして私がここを見つけられたのか、気にならないのか?」修司は遥真をじっと見つめた。遥真が自分を見たとき、どんな反応をするのか。修司はそれを何通りも想像していた。まさか、ここまで何事もなかったように落ち着いているとは思わなかった。父親のことについても、まだ問い詰めて答えを引き出せていない。それなのに、焦らないのか?「ここのことには、関わらないほうがいい」遥真の漆黒の瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。「その結果を、君が背負えるとは思えない」修司は眼鏡を押し上げた。「それは逆だな。お父さんを監禁して虐待している証拠なら、こっちは全部持っている。世間から何か言われたくないなら、もう少し大人しくしたほうがいい」「そうか」遥真は、たったそれだけを淡々と返した。「ああ、そうだ」修司はそう答えた。遥真がこれほど真正面から自分にぶつかってきたのは、これが初めてだった。遥真は修司と目を合わせ、ゆっくりと言った。「じゃあ、信じるか?俺が君を訴えて、雅人の皮膚に位置情報と盗聴機能を持つチップを埋め込んだ件で、君が有罪になると。たとえ、それを雅人自身が同意していたとしてもな」修司の目が鋭くなる。隠すこともなく、遥真を探るように見つめた。「どうして知っている?」このことを知っているのは、自分と父親、それからあの医師だけだ。側にいる秘書ですら知らない。「どうやら、君は本気
恭介は唇を固く結び、しばらくしてから「分かりました」と答えた。気持ちを整えると、そのまま外へ向かい、プランBに取りかかった。健太は彼の隣について歩き、遥真との距離が離れたところで、慌てて声をかけた。「もう一度、説得しないのか?プランBを実行したら、社長が本当に後戻りできなくなることは分かってるよね」「分かってる」恭介はそのまま歩き続けた。「じゃあ、もう一度説得してみないか?」健太が相談するように言った。「無駄だ」恭介は遥真のことをよく分かっている。さっきの会話だけで、すべてを察していた。「社長がどういう性格か、君も知ってるだろ。こういう時に何を言っても、社長には何の意味もない」「柚香さんは?」健太はそこまで言って、昨日のことを思い出した。「……いや、違うな。柚香さん本人が来ても、何の効果もなかった」恭介の胸がわずかに重くなる。もしそうでなければ、自分だって、あれ以上何も言わずに引き下がったりはしなかった。柚香でさえ遥真の決意を変えられなかったのなら、自分たちが何を言ったところで無駄だ。「何か方法を考えないか?」健太が言った。「そもそも今回のことだって、社長が一時的に意地を張ってるだけかもしれない。それに、俺たちのことをあれだけ大事にしてくれてるんだ。道を踏み外そうとしてるのを、黙って見てるわけにはいかないだろ」「一つ方法がある」恭介は周囲に視線を走らせ、他に聞いている人がいないことを確認してから口を開いた。「ただ、少しリスクが大きい」健太がすぐに聞き返した。「どんな方法だ?」恭介は黙り込んだ。健太は焦れたように言った。「早く言えよ」「プランBが動き出した、一番重要なタイミングで、凛音さんから電話があったふりをする。そして、柚香さんが事故に遭って重症病棟に入ったと社長に伝える」恭介は言った。「社長が柚香さんをどれだけ大切にしてるかを考えれば、冷静さを失って蒼海市へ駆けつけるはずだ」「それ、いいと思う」健太は迷いなく賛成した。「ただ、この方法で社長を止められるのは一時的だ。一生止められるわけじゃない」恭介が気にしているのは、そこだった。「もし蒼海市に行って嘘だと分かったら、私たちのことを二度と信用しなくなる」「それでもいい」健太はあっさりと言った。恭介は眉間にしわを寄せた。健太は意外







