圭介は一目で憲一の企てを見抜いた。自分の息子をボディーガードにでもするつもりか?武術を習わせて娘を守らせるだって?何を考えてるんだ?夢でも見てるのか?香織が歩み寄り、クスッと笑ってから憲一に言った。「まだ赤ん坊の娘さんのことで、考えすぎよ」憲一は深ため息をついた。「娘を持つって、そういうもんだよ。他人に奪われるくらいなら、君たちの息子のほうがマシだと思ってさ。君と圭介なら、うちの娘に辛く当たることもないだろうし、ちゃんと守ってくれる。君が姑になるなら、由美のこともあるし、うちの娘に優しくしてくれるだろう?」「……」香織は言葉を失った。……まだまだ私、若いんだけど。姑になるのなんて、ずーっと先の話なのに。今から考えても仕方ない。「分かったわ」香織は言った。「圭介はやっと目が良くなったばかりなの。少しは休ませてあげて」憲一は不満そうに尋ねた。「つまり……俺がウザいってことか?」「……」香織は言葉を失った。別にわざとじゃなくても、小さな子どものことで圭介に付きまとい、まだよちよち歩きの子に縁談の話なんて――「どう思う?」彼女は逆に問いかけた。「……」憲一は言葉に詰まった。……まぁ、ちょっと舞い上がりすぎたかもな。娘が可愛すぎて、先走ったのかもしれない。彼はバツが悪そうに笑った。「……娘ができて、うれしくて舞い上がってただけさ」その言葉を聞いた香織は、ふと由美からのメッセージを思い出し、憲一に尋ねた。「由美から電話とか来た?」憲一は首を横に振った。香織は少し引っかかりを感じた。どれだけ忙しくても、自分の子供を恋しく思うものじゃないの?「時間があったら、彼女に連絡してみて」香織は言った。だが、憲一は特に気にした様子もなく、軽く受け流した。由美には新しい生活がある。たとえ明雄に何かあったとしても、人妻に近づくわけにはいかない。距離を保つ方がいい。「明雄が無事なら、二人でまた子供を作れるんだ。余計な心配はするな」憲一は言った。香織は黙ったまま、何も返さなかった。夜、執事はキッチンスタッフにたくさんの料理を準備させた。皆が食卓を囲み、ようやく平穏が訪れた。香織はほっと胸を撫で下ろした。双も、そろそろ
「そうだ、羨ましいだろ?俺には娘がいて、お前にはいないからな」憲一は言った。圭介は薄笑いを浮かべた。「今はお前の娘でも、大きくなったらどうなるか分からない。だが俺の息子は、大人になってもずっと俺の息子だ」「……」憲一は言葉を失った。……こ、これはどういう意味だ?娘が大きくなったら自分の娘じゃなくなるだと?バカバカしい。この子はいつだって俺の娘だ!大きくなったからって、誰のものになるもんか。ふと、彼は圭介の言葉の裏の意味に気がついた。「圭介っ!!」彼は小走りで追いかけた。「おい、お前の息子に言っとけ!うちの娘には近づくなってな!」圭介は腕の中の息子を見下ろしながら、にやりと笑った。「だから言っただろ。あんまり自慢しすぎると、いずれ俺のものになるかもしれないぞ」「……」憲一は言葉を失った。大事に育てた娘が、大きくなって他人の彼女や妻になるなんて――想像しただけで胸が痛い。ましてや、それが圭介の息子だったら、なおさら悔しい。「俺のものになる」って、何様のつもりだ?俺の娘が、あんなのに目を向けるわけがないだろ!「調子に乗るな」憲一は鼻を鳴らした。うちの娘を奪える者などいない!圭介は相手にする気もなかった。娘が生まれたばかりで、もうすでに親バカか?「だったら、娘を一生、七十でも八十でもそばに置いとけよ」「……」憲一は言葉を失った。……それは嫌だ。娘にはちゃんと結婚して、立派な相手と幸せになってほしい。自分の元で未婚のまま年を取らせるわけにはいかない。考えてみれば、圭介の息子と結婚するのも悪くないかも?圭介は大金持ちだ。見た目も悪くないし、香織も美人。子供は二人の良いところを受け継ぐはず。それに、子供の頃から二人を見比べられる。出来のいい方を選んで娘と結婚させればいい。圭介の息子たちは、こっちが選び放題じゃないか。もし娘が圭介の息子と結婚すれば、こっちの婿になるわけだ。つまり実質半分は自分のものだ。そう考えると、むしろ得した気分になってきた……憲一は圭介の後をついていきながら言った。「そろそろ双、学校に通わせてもいい頃じゃない?」婿は小さいうちから育てないと。圭介は彼をちらりと睨んだ。
恵子は不満げに口を尖らせた。「うちの双と次男のどこが劣ってるっていうのよ?」憲一はすぐに手を振りながら説明した。「そういうわけじゃない。ただ、二人ともまだ小さすぎるからさ、結婚とかの話をするには早すぎるってだけ」彼はふと思い出した。香織が以前、圭介は女の子が好きだって言ってたっけ?彼にはもう望みがないし、圭介が戻ってきたら、自慢してやろう。「俺には子供がいるんだぞ」って。しかも、女の子!憲一の得意げな顔を見て、恵子は目を細めて言った。「息子だって、親にとってはかけがえのない存在よ」憲一は笑った。「ああ、そうだな。圭介は男の子二人じゃさぞかし賑やかだろうな。俺なんて娘一人で手いっぱいだよ」「……」恵子は言葉を失った。……香織と圭介は、病院にそのまま滞在していた。病室は広く、余計な人もいなかったため、快適に過ごせていた。帰国の前日、香織の元に愛美から電話がかかってきた。まず圭介の様子を尋ねられ、全快したと伝えると、彼女はとても喜んだ。それから彼女は、少し躊躇いがちにこう尋ねてきた。「いつ戻る予定なの?」「明日の便を取ってあるわ……」香織は答えた。その言葉に、電話口の愛美はしばらく沈黙した。「何か言いたいことがあるなら、はっきり言って」香織は言った。愛美は、少し躊躇いながらも口を開いた。「私と越人、こっちで結婚式を挙げることにしたの。来てくれる?」香織は顔を上げて、そばにいる圭介を見た。彼は目の回復のためのリハビリをしている。愛美と越人の結婚式……もちろん行かないわけにはいかない。でも――「いつなの?」「来週の土曜日よ」今日はまだ水曜日。ならば、十分に時間がある。「もちろん行くわ」香織は言った。それなら一旦帰国して、子どもたちの顔も見てこられる。「分かった。じゃあ来週ね」数言のやりとりの後、電話を切った香織は、圭介のそばへ歩み寄り、彼の目元を優しくマッサージし始めた。「さっきの電話、愛美からだったの」圭介は目を閉じたまま、彼女の声に静かに耳を傾けた。「彼女と越人が、ついに結婚するんだって」そこまで聞けば、圭介も察しがついただろう。香織は心の底から、二人の幸せを喜んでいた。二人とも、ずっと結婚
香織が顔を上げると、圭介が誠に支えられながら入ってくるのが見えた。彼女はすぐに携帯を置き、慌てて駆け寄って、誠の手から圭介を受け取った。「お医者さんは何て言ってたの?」彼女が尋ねた。「回復はとても順調だそうです」誠は答えた。その言葉を聞いた香織の顔に、ぱっと明るい笑みが広がった。由美のことは、いつの間にか頭から抜け落ちていた。心はすっかり圭介に向かっていたのだ。彼の目元の包帯はすでに外されていた。まだ視界は完全には戻っていなかったが、ぼんやりとは見える状態にまで回復していた。医者の話では、あと数日もすればほぼ元通りになるという。香織は胸を撫で下ろした。「もうこっちにも長く居たし、昨夜双から電話があったのよ。いつ帰ってくるの?って。あなたの目が良くなったら、一緒に帰りましょう」「うん」圭介も静かにうなずいた。思えば、自分もずいぶん無茶をしていた。これまでは憲一が家のことを見ていてくれた。でも今、彼には子どもがいて、すべての時間と労力を子どもの世話に使っている。越人はケガの治療のために、愛美とともにM国へ。誠もこの地にいる。家には鷹だけが子供二人の面倒を見ている状況だ。やはり心配でならない。できるだけ早く帰りたい。「私……ちょっと、勝手だったかしら?」彼女はぽつりとつぶやいた。突然こっちに来て、子どもたちのことは何も準備していなかった。「気にするな。もうすぐ帰れる」圭介はそう言って、彼女の手を優しく包み込んだ。すべての危険は去った。もう何も起きない。それでも、香織の胸にはしこりのような不安が残っていた。今までの事件はどれも命懸けだった。今回も例外ではなかった。圭介の目を見るたび、彼女はまだ恐怖が蘇った。また何か起きはしないかと──「何か食べたい?連れて行くよ」圭介が言った。それは彼女の気を紛らわせるためでもあった。香織は彼の胸に頭を預け、甘えるように答えた。「食べ物に詳しくないから、あなたにお任せするわ」こうして圭介は彼女を外のレストランに連れ出した。雰囲気の良い店だった。圭介と共に過ごすうち、香織の心も次第にほぐれていった。……F国。憲一は子どもを連れて屋敷に滞在していた。そこには佐
始めたのは香織だったのに……結局、降参するのも彼女だった。「……目、まだ治ってないのに……」香織は彼の胸元に手を当てて、小さな声で呟いた。圭介は低く笑って、唇を近づけた。「目が見えないだけで、体は元気だ」本当に――どれだけの時間、こうして触れ合っていなかったのだろう。部屋の外には誠が黙って立っていた。誰も、この時間を邪魔しようとはしなかった。朝から夜まで、二人は時を忘れた。香織は彼の腕の中でぐっすりと眠りについた。うつらうつらとした中で、圭介が誠に食事を手配するよう指示する声が聞こえた。「お腹が空いたの?」彼女は目をこすりながら尋ねた。「君のほうだろう、いま何時だと思っているんだ?」圭介は言った。時計を見ると、すでに夜だった。午前中に来たはずなのに……一日中、こんなことに耽っていたなんて。彼女は服を整えてベッドから起き上がった。「お風呂、手伝おうか?」彼女は尋ねた。圭介は目が見えないため、一人で入浴するのは難しい。誰かの助けが必要だった。「……ああ」圭介は静かにうなずいた。香織は微笑みながら尋ねた。「自分の今の姿、もう気にならなくなったの?」以前の彼なら、きっと耐えられなかった。自分が彼女の前で、無力な姿を見せるなんて。だが、さっきの激しい交わりのあとでは……圭介の中の、どこか張りつめていたものが、少し緩んだようだった。香織は彼を支えてバスルームへ連れて行った。長い間、夫婦らしいことをしていなかったからだろうか。洗っているうちに――また、甘い絡みへと流れていった。湯あがりの頃には、すでに二時間も経っていた。誠が買ってきた食事を、香織が圭介に食べさせていた。「自分でできる……」圭介は言った。香織は彼に箸を持たせず、にっこりと笑った。「いいの、今日は私がお世話するって決めたんだから」……明雄は亡くなった。しかも、無惨な最期だった。むごたらしい拷問の末、息絶えたのだ。遺体も損なわれていた。由美が子供を手放したのは、自分のそばにいると危険だとわかっていたから。明雄の葬儀は盛大には行われず、警察署の関係者と由美だけでひっそりと葬った。子供もいなくなり、明雄も失った由美は、警察署に戻ること
香織は彼の差し出した手を一瞬迷って見つめ、やがて歩み寄り、自分の手をその掌に重ねた。圭介は指を絡めるように優しく握り、少し力を込めて引き寄せた。香織は自然と彼の胸元に身を預け、そっとベッドの縁に座った。「来るなら、事前に一言言ってくれればいいのに」圭介は彼女の髪を撫でながら尋ねた。「先に言ったら、絶対に来るなって言うでしょ」香織は甘えるように彼の胸元に顔を埋めた。圭介は小さくため息をついた。「ただ……今の俺の姿を見せたくなかっただけだよ」「あなたは私の夫なの」香織が上目遣いに見上げた。「どんな姿だって大好きよ」そう言って、彼女は自ら唇を近づけ、彼の唇にそっとキスを落とした。圭介の全身の筋肉が一瞬硬直した。「薬の匂いがするだろう」彼は嗄れた声で呟いた。香織はじっと彼を見上げた。彼が嫌がっているのは、薬の匂いのせいなんかじゃない。目が見えず、主導権を握れないことが、この男の自尊心を傷つけているのだ。彼女は笑った。「私は気にしないわ。あなたが気にすることじゃないでしょ?」圭介も笑った。香織は彼の胸に耳を当て、鼓動に耳を澄ませた。「追い返さないで。私がここで面倒を見させて」圭介はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。「……ああ」香織は大きな瞳で彼を見つめ、長い睫毛がふるふると震えていた。「由美の穏やかな日々、また壊されちゃったの。明雄が事故に遭って、生死も分からないくらいの状態よ。多分、彼はもう……戻ってこないと思う。そうじゃなきゃ、彼女が子どもを憲一に預けるなんてこと、しないはずだから」彼女の声は、少し震えていた。「由美と憲一って、昔、すごく仲がよくて……学生の頃は誰もが羨むカップルだったの。なのに今じゃ、もう元には戻れない……そう思うと、すごく切ないの」彼女はぎゅっと圭介にしがみついて、ぽつりと続けた。「私はね、私たちが彼らみたいに、離れ離れになって終わるのは嫌なの。後悔なんて、したくない。ずっとあなたのそばにいたい、ずっと……」圭介はそっと彼女の背中を撫でた。「大丈夫、俺たちは……うまくやっていけるさ」——あの二人はあの二人……「俺たちは、俺たちだ」運命が違う。憲一と由美は、ただ縁がなかっただけ。そういう運命だった