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第3話

Author: イレブン
「柚、いい匂いがする」

浩平はそう言って、私の首すじに顔をうずめた。まるで甘える子犬みたいに、ボディーソープの香りと、お風呂あがりの私の肌の匂いをかいでる。

温かい息がかかって、敏感な肌がぞくぞくした。

浩平を押してみたけど、びくともしない。それどころか、もっと強く抱きしめられちゃった。

「浩平、酔ってるでしょ」私は少し、むっとした。

「酔ってないよ」彼はそう言ったけど、目はまだ少しとろんとしている。

「柚……僕、すごく嫌なことがあったんだ」

「どうしたの?」

そんな悲しそうな顔をされると、私の心はまた揺らいでしまう。

「今日の会議でさ、田中副社長が、ずっと君のこと見てただろ」

浩平の声は、やきもちでいっぱいだ。

私は一瞬、固まった。

田中副社長?

思い出した。今日の午後、浩平に書類を届けにいった時のことだ。確かに、ちょっと頭の薄い副社長が、いやらしい目でじろじろ見てきた。

浩平もその場にいたのに、ずっと冷たい顔をしてて、なにも言わなかった。

だから、ぜんぜん気にしてないんだと思ってた。

でも、夜の浩平のほうは、はっきりと覚えていたみたい。

「僕が止めなかったら、あいつ、君に話しかけるつもりだったんだよ!」

浩平は言えば言うほど腹が立ってきたみたい。すごく傷ついたって顔をしてる。

「柚、もう会社にそんな綺麗な格好してこないで。お願いだからさ」

私はなんだか呆れてしまった。

この人、独占欲が強すぎるんじゃないかな。

「あれは仕事で着てるの。まさかパジャマで行くわけにはいかないでしょ?」

「いいよ!」彼の目が輝いた。「君は何を着ても可愛いから!」

私はもう、なにも言えなかった。

酔っぱらいに理屈を言ったって、馬の耳に念仏だ。

仕方ない、作戦を変えよう。

「わかった。もうそんな格好しないから」私は適当に返事をした。「だからもう出て行ってくれる?まだシャワー終わってないんだけど」

「やだ」浩平は駄々をこねるみたいに首を横に振った。「僕も一緒に入る」

顔がカッと熱くなった。

「だめ!」私はきっぱりと断った。

「どうして?」彼は子犬みたいな目つきで、甘えた声で言う。

「だめなものはだめなの!」

「柚、僕のこと、もう好きじゃなくなったの?」

また始まった。浩平の得意な、かわいそうなフリだ。涙をいっぱいためた瞳で見つめられて、胸がぎゅっと締め付けられる。

「そんなことない……」

「じゃあ、なんで一緒にお風呂入ってくれないの?

僕たちは夫婦だろ」彼は一歩も引かない。「夫婦なら、何をしてもいいはずだ」

その言葉が、爆弾みたいに頭の中で破裂した。

夫婦……

そう、私たちは夫婦。

でも、私たちの結婚は、ただの契約にすぎない。

昼間、この男は雲の上の社長で、私はお金で買われたお飾り。

夜は、甘えん坊でわがままな浩平で、私は彼が感情をぶつけるための道具。

私たちの間に、愛なんてひとかけらもなかったはず。

そう思うと、悲しさが全身に広がった。さっきまでの肌の熱も、頬の赤みも、すっと引いていく。

私の表情は一瞬で冷えきった。

「私はあなたのおもちゃじゃない」

私は力いっぱい浩平を突き放した。自分の声が、少し震えていた。

「私たちの関係は、あの契約書に書かれていることだけ。一緒にお風呂に入れなんて、どこにも書いてないでしょ」

私の冷たい態度に傷ついたのか、彼はその場で固まった。その目から、酔いがすっかり覚めていくのが分かった。

もう一度私を見たその瞳には、傷ついた色と、とまどいが浮かんでいた。

「柚……」

「出ていって!」私はドアを指さして、浩平の目をまっすぐに見つめた。

彼は私のことを、じっと見つめた。その目つきはすごく複雑で、何を考えているかなんて、とても読めなかった。

結局、浩平はなにも言わずに、静かに背を向けて出て行った。

バスルームのドアが閉まる音がするまで、私はずっと彼を見ていた。

ドアが閉まった途端、私はもう立っていられなくなった。冷たい壁にそって、ずるずると座り込んでしまう。

こらえていた涙が、もう我慢できずにあふれ出てきた。

なんで、泣いてるんだろう。

これが、私が初めから望んでいた関係のはずなのに。

それなのに、心臓をぎゅっと握りつぶされたみたいに苦しくなる。

……

次の日、私は泣きはらした目で、朝ごはんを食べにリビングへ降りていった。

昼の浩平は、もうテーブルについていた。

今日は新聞も読まずに、ただ静かに座っているだけ。でも、まわりの空気は、こわいくらいに重かった。

私は彼の方を見ることができず、うつむいたまま自分の席についた。

ダイニングは不気味なほど静かで、食器がぶつかる音だけが響いている。

息が詰まりそうだ。

適当に何か口に入れて、早くこの場から逃げだそうとした時、浩平が突然、口を開いた。

彼の声はかすれていて、すこし疲れているみたいだ。

「昨日の夜は、飲みすぎていた」

私はおどろいて、顔を上げた。

昼間のこの男が、夜のできごとについて自分から話すなんて、初めてのことだ。

「すまなかった」浩平は私を見て言った。その目にうかんでいたのは……罪悪感、みたいなもの?

まさか、見間違いよね。

あの偉そうな彼が、なんで私に謝るんだろう。

「い、いえ……大丈夫」私はどうしていいか分からなかった。

「もう、あんなことはしない」彼はそんな意味深なひとことを残して、席を立った。

去っていく浩平の背中を見ながら、私はすっかり混乱していた。

今のって、どういう意味なんだろう?

もしかして……全部、覚えてるの?
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