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昼は冷徹、夜は溺愛~スピード婚した夫の二つの顔

昼は冷徹、夜は溺愛~スピード婚した夫の二つの顔

By:  イレブンCompleted
Language: Japanese
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養母・杉山由美(すぎやま ゆみ)の手術代のため、私は望月グループの後継者、望月浩平(もちづき こうへい)と電撃結婚した。 噂では、彼はすごくクールで、女性には一切興味がないらしい。 結婚生活が始まっても、この男はやっぱり私に無関心で、まるで氷みたいに冷たかった。 でも夜になると、彼はまるで別人みたいに、私の首筋に顔をうずめて甘えてきたり、しょうもないことでやきもちを焼いたりする。 「柚、どうして今日は僕のこと、あんまり見てくれなかったの? あの男、誰?なんであいつに笑いかけたんだ?」 昼間は人を寄せつけないほどクールなのに、夜になるとベタベタしてきて、「一緒にお風呂に入ろう」って甘えてくる。 そんな「二重生活」にも、私がだんだん慣れてきたころ、夫のほうから、離婚を切り出された。 これで、私たちの関係は完全に終わりなんだって思ったのに、パーティーで私が誰かに意地悪されたとき、前の日に冷たく「離婚」と言い放ったはずの男が、みんなの前で目を赤くして、私を抱きしめて守ってくれたのだ。 「彼女は俺の妻だ。誰にも俺たちを引き裂かせたりしない!」そう言うと、またいつもの俺様社長に戻った。

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Chapter 1

第1話

「奥様、旦那様は今夜、お戻りになりません」

執事の言葉が終わった途端、後ろから寝室のドアが開けられた。

いつものシダーウッドの香りが、夜の空気と一緒に私を包み込んだ。そして、男は力強い腕で私の腰を抱き寄せ、熱い胸を背中にぴったりと押し当てた。

私の肩に顎がのせられ、甘えるような鼻声で肌にすり寄ってくる。

「柚、会いたかったよ」

一瞬で、私の体がこわばる。でも、振り向かなくても誰なのかはわかっていた。

私の夫、望月浩平(もちづき こうへい)だ。

ううん、もっと正しく言うなら、夜の浩平だ。

昼間の彼は、望月グループの冷徹な社長。私になんて、ちらりとも視線をくれない。

でも夜になると、べったりくっついて甘えてくる。すごく寂しがり屋で、ちょっと危なっかしいところがある。

「なんで今ごろ帰ってきたの?ずっと待ってたんだよ」浩平の声はくぐもっていて、飼い主に捨てられた子犬みたいに鼻声だった。

彼の腕から逃れようとしたけど、もっと強く抱きしめられてしまう。まるで、私の体を自分の中に埋め込もうとするみたいに。

「動かないで。もう少し、このままでいさせて」

浩平は小さな声でお願いした。温かい息が耳にかかって、くすぐったくて首をすくめてしまう。

私はため息をついて、もう抵抗するのをやめた。

これは、養母・杉山由美(すぎやま ゆみ)のとんでもない手術代のためだ。私に断る権利なんてない。

この男と結婚する前から、彼にちょっと変わった癖があることは知っていた。

噂ではクールで真面目な人だが、望月家の人間だけが、この跡継ぎには誰にも言えない秘密があることを知っていた。

私はただの変わり者だと思ってたけど、まさかこんなに……刺激的だなんて。

「柚、君は今日……」浩平は私の髪に顔をうずめて、深く息を吸った。「あの松尾っていう男に、3回も笑いかけたよね。どれも3秒以上も」

心臓がどきりと跳ねた。

松尾っていう人?

今日、会社の前で偶然に会った、大学の先輩の松尾仁(まつお じん)のこと?

どうして浩平が知っているんでしょ?

「そんなことない」私はとっさに否定した。

「ううん、あったよ」

浩平の声のトーンが急に冷たくなった。腰の腕にぎゅっと力がこもって、息が苦しくなる。「しかも、あいつから名刺を渡されて、受け取った」

足元から背筋が凍るような寒気が這い上がってきた。

もしかして、私は監視されてる?

「浩平、聞いて、ちゃんと説明させて……」私が言いかけると、彼は言葉を遮った。

「俺の前で言い訳するな!」目の前の男は急に声を張り上げた。その声には、核心に触れられたような苛立ちと、隠しきれない不安が滲んでいる。

私は、ぽかんとしてしまった。

夜の浩平が、「俺」という一人称を使ったのは初めてだ。

いつも、「僕」を使っていたのに。

夜の浩平はいつも、必死に自分と昼の浩平を区別しようとしていた。昼の浩平は冷酷な人間で、夜の彼だけは私のことを心から愛しているんだって、いつもそう言っていた。

今夜は、一体どうしたんだろう?

彼の体の震えが、微かに伝わってきた。抱きしめられていた腕が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。

「大丈夫?」私は、おそるおそる尋ねた。

彼は答えなかった。ただ、悪いことをした子供みたいに、もっと深く顔をうずめるだけ。

しばらくして、ようやくくぐもった声が聞こえた。「ごめん、柚。わざとじゃないんだ」

彼はまた、いつもの優しい浩平に戻っていた。

「ただ……君が他の誰かに取られちゃうのが怖くて」彼は悲しそうに言った。「あの男の、君を見る目が気に入らないんだ」

私の気持ちは、もうぐちゃぐちゃだった。

片方では、監視されてプライバシーなんてない生活に、うんざりしていた。

でももう片方では、こんなに悲しそうな浩平を見ると、どうしても心が揺らいでしまう。

「あの人とは、たまたま会っただけだよ」

私は、なんとか気持ちを落ち着かせて説明した。

「大学の先輩で、今ちょうど仕事を探してるんだって。それで名刺をくれたの」

「ほんと?」浩平は顔を上げた。その綺麗な瞳は、疑いの色でうるんでいる。

「ほんとだよ」私は彼の方に向き直って、まっすぐ目を見て、こくりと頷いた。

浩平はしばらく私を見つめて、それからゆっくりと腕の力を抜いた。

でも、私の手は離さずに、不安そうに手の甲をなでている。

「名刺は?」

私は仕方なく、バッグから名刺を取り出して浩平に渡した。

彼はそれを受け取ると、見ることもなく、いきなりびりびりに破いてゴミ箱に捨てた。

その一連の動きはとてもスムーズで、どこか子供っぽい乱暴さがあった。

それをやり終えると、彼はまた甘えん坊に戻って、私にキスをしようと顔を近づけてくる。

「柚、もうあの人には会わないで。ね?」

口調はお願いするみたいだったけど、その目には、有無を言わせない強い光が宿っていた。

私は黙りこんだ。

この結婚は、もともと取引みたいなものだ。私は、お金と引き換えに自由を差し出したんだから。

なのに今、この男は私の最低限の人付き合いにまで、口を出そうとしている。

ここまで踏み込まれると、すごく不安になる。

なんだか、何かが変わってきている気がした。たとえば……

彼の、私に対する気持ち、とか。

私がなかなか答えないでいると、浩平の眉間にしわが寄った。瞳の奥で、また嵐が吹き荒れようとしている。

「柚、答えて」
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松坂 美枝
松坂 美枝
えーーーー!? 続きは!? なんでここで終わるのー!?!?
2025-12-30 10:46:26
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第1話
「奥様、旦那様は今夜、お戻りになりません」執事の言葉が終わった途端、後ろから寝室のドアが開けられた。いつものシダーウッドの香りが、夜の空気と一緒に私を包み込んだ。そして、男は力強い腕で私の腰を抱き寄せ、熱い胸を背中にぴったりと押し当てた。私の肩に顎がのせられ、甘えるような鼻声で肌にすり寄ってくる。「柚、会いたかったよ」一瞬で、私の体がこわばる。でも、振り向かなくても誰なのかはわかっていた。私の夫、望月浩平(もちづき こうへい)だ。ううん、もっと正しく言うなら、夜の浩平だ。昼間の彼は、望月グループの冷徹な社長。私になんて、ちらりとも視線をくれない。でも夜になると、べったりくっついて甘えてくる。すごく寂しがり屋で、ちょっと危なっかしいところがある。「なんで今ごろ帰ってきたの?ずっと待ってたんだよ」浩平の声はくぐもっていて、飼い主に捨てられた子犬みたいに鼻声だった。彼の腕から逃れようとしたけど、もっと強く抱きしめられてしまう。まるで、私の体を自分の中に埋め込もうとするみたいに。「動かないで。もう少し、このままでいさせて」浩平は小さな声でお願いした。温かい息が耳にかかって、くすぐったくて首をすくめてしまう。私はため息をついて、もう抵抗するのをやめた。これは、養母・杉山由美(すぎやま ゆみ)のとんでもない手術代のためだ。私に断る権利なんてない。この男と結婚する前から、彼にちょっと変わった癖があることは知っていた。噂ではクールで真面目な人だが、望月家の人間だけが、この跡継ぎには誰にも言えない秘密があることを知っていた。私はただの変わり者だと思ってたけど、まさかこんなに……刺激的だなんて。「柚、君は今日……」浩平は私の髪に顔をうずめて、深く息を吸った。「あの松尾っていう男に、3回も笑いかけたよね。どれも3秒以上も」心臓がどきりと跳ねた。松尾っていう人?今日、会社の前で偶然に会った、大学の先輩の松尾仁(まつお じん)のこと?どうして浩平が知っているんでしょ?「そんなことない」私はとっさに否定した。「ううん、あったよ」浩平の声のトーンが急に冷たくなった。腰の腕にぎゅっと力がこもって、息が苦しくなる。「しかも、あいつから名刺を渡されて、受け取った」足元から背筋が凍るような寒気が這
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第2話
結局、私は折れてしまった。私の返事を聞くと、浩平の目から暗い影がさっと消えた。そして、代わりに子供みたいな満足感と喜びに満たされた。浩平は嬉しそうに私を抱き上げて、キラキラした目でキスをしてきた。「やっぱり、柚は僕のこと愛してるんだ……」キスされすぎてくらくらしながら、私は浩平の首にしがみつくしかなかった。彼のしたいようにさせてあげた。次の日の朝、目が覚めると隣はもう空っぽだった。ただ、かすかなぬくもりだけが残っていた。首についたキスマークがなければ、昨日の夜のことは全部、ばかげた夢だったんだって思いそうになった。私はのろのろと起きて顔を洗い、服に着替えて階下へ向かった。ダイニングテーブルでは、昼の浩平が背筋を伸ばして座り、優雅な仕草で朝食をとっていた。夜の優しい浩平とは、まるで別人みたい。仕立てのいい黒いスーツを着て、金縁メガネの奥の瞳は氷のように冷たい。全身から「話しかけるな」っていうオーラを放っていた。私を見ても、彼はちらりと一瞥しただけ。眉ひとつ動かさず、まるで私が赤の他人みたいだ。「おはよう」私は気まずいながらも挨拶をした。彼は私を無視して、手にした経済新聞に目を落としていた。気まずい沈黙がダイニングに広がっていく。私は黙って彼の向かい側に座ると、すぐに使用人が朝食を運んできてくれた。朝食はぜんぜん味がしなかった。でも、視線は勝手に浩平の方を向いてしまう。大きな窓から差し込む朝日が、彼の冷たい横顔をふちどって、やわらかく金色に光らせていた。すごくかっこいいんだけど、ちょっと近寄りがたい感じ。クールすぎて、もったいない。そんなことをぼんやり考えていると、浩平が突然、新聞を置いて私に視線を向けた。その眼差しはナイフみたいに鋭くて、私の心の中をすべて見透かされそうだ。胸がどきっとして、私は無意識に背筋を伸ばした。「昨夜、松尾に会ったそうだな?」彼は言った。声はぞっとするほど冷たかった。私の心臓は喉まで飛び出しそうになった。この男が知ってる?どうして?もしかして、夜の浩平の記憶を、彼も持ってるってこと?緊張で手のひらに汗がにじむ。頭の中では必死にどう言い訳するか考えていた。「はい」私は平静を装って答えた。「会社の下で偶然会っただけで、大学の先
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第3話
「柚、いい匂いがする」浩平はそう言って、私の首すじに顔をうずめた。まるで甘える子犬みたいに、ボディーソープの香りと、お風呂あがりの私の肌の匂いをかいでる。温かい息がかかって、敏感な肌がぞくぞくした。浩平を押してみたけど、びくともしない。それどころか、もっと強く抱きしめられちゃった。「浩平、酔ってるでしょ」私は少し、むっとした。「酔ってないよ」彼はそう言ったけど、目はまだ少しとろんとしている。「柚……僕、すごく嫌なことがあったんだ」「どうしたの?」そんな悲しそうな顔をされると、私の心はまた揺らいでしまう。「今日の会議でさ、田中副社長が、ずっと君のこと見てただろ」浩平の声は、やきもちでいっぱいだ。私は一瞬、固まった。田中副社長?思い出した。今日の午後、浩平に書類を届けにいった時のことだ。確かに、ちょっと頭の薄い副社長が、いやらしい目でじろじろ見てきた。浩平もその場にいたのに、ずっと冷たい顔をしてて、なにも言わなかった。だから、ぜんぜん気にしてないんだと思ってた。でも、夜の浩平のほうは、はっきりと覚えていたみたい。「僕が止めなかったら、あいつ、君に話しかけるつもりだったんだよ!」浩平は言えば言うほど腹が立ってきたみたい。すごく傷ついたって顔をしてる。「柚、もう会社にそんな綺麗な格好してこないで。お願いだからさ」私はなんだか呆れてしまった。この人、独占欲が強すぎるんじゃないかな。「あれは仕事で着てるの。まさかパジャマで行くわけにはいかないでしょ?」「いいよ!」彼の目が輝いた。「君は何を着ても可愛いから!」私はもう、なにも言えなかった。酔っぱらいに理屈を言ったって、馬の耳に念仏だ。仕方ない、作戦を変えよう。「わかった。もうそんな格好しないから」私は適当に返事をした。「だからもう出て行ってくれる?まだシャワー終わってないんだけど」「やだ」浩平は駄々をこねるみたいに首を横に振った。「僕も一緒に入る」顔がカッと熱くなった。「だめ!」私はきっぱりと断った。「どうして?」彼は子犬みたいな目つきで、甘えた声で言う。「だめなものはだめなの!」「柚、僕のこと、もう好きじゃなくなったの?」また始まった。浩平の得意な、かわいそうなフリだ。涙をいっぱいためた瞳で見
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第4話
それから数日、夜の浩平はもう現れなかった。書斎で寝るようになった。私はなんだか、そんなことに慣れなかった。あの人懐っこい男が耳もとで甘えてこないから、だだっ広い寝室はがらんとして寒々しかった。眠れない夜が続いた。頭の中では、ずっと彼との関係について考えていた。でも、どう考えてみても、いい答えなんて見つからない。気持ちがぐちゃぐちゃで、どんどん不安になっていく。抑えきれないこの感情が、私たちの結婚生活を変なものに変えていく気がした。そして私たち二人は、そんな変化を望んでいなかった。いつからか、私たちは示し合わせたわけでもないのに、お互いを避けるようになった。気持ちを整理する時間が必要だ。冷静にならなくちゃ。それに、彼の顔を見たら、またくだらない期待をしてしまいそうで怖かった。……そんな日々は、望月グループの創立記念パーティーの日まで続いた。望月グループの社長夫人として、私も出席しなければならなかった。私は念入りに選んだシルバーのドレスに着替えた。メイクもばっちり決めて、「氷の王子様」みたいな夫とおしどり夫婦を演じる準備は万端だ。会場へ向かう車の中で、浩平はずっと不機嫌そうな顔で、一言も口をきかなかった。この重い空気を変えようと何度か話しかけようとしたけど、彼の冷たい視線に言葉を飲み込むしかなかった。もういいや。私はただの飾り。それでいい。パーティー会場はきらびやかで、たくさんの招待客で溢れかえっていた。浩平が姿を見せた途端、会場中の視線が彼に集まった。ビジネス世界の有名人や、着飾った令嬢たちが次々と彼を取り囲んで、お世辞を並べたてている。そして私は、まるで透明人間みたいに、あっさりとその輪の外に置き去りにされた。でも別に気にならない。むしろ好都合だ。私はそそくさと隅っこに移動して、シャンパン片手にその様子を眺めていた。「あら、柚さんじゃない?どうして一人でこんな隅っこで飲んだくれてるの?」耳に障る甲高い声が、背後から聞こえた。振り返ると、知り合いの伊藤玲奈(いとう れな)だ。夫のことをもう何年も追いかけてるくせに、まったく相手にされていない令嬢だ。今日は真っ赤なベアトップのドレスを着て、派手なメイクをしている。私を見る目には、あからさまな嫉妬と軽蔑の色が
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第5話
「失せろ!」浩平の目が、急に冷たくなった。その声は、心からの嫌悪に満ちている。後ろにいた秘書が素早く前に出て、玲奈を引きはがした。その力はとても強くて、玲奈が体勢を崩し、無様に床に倒れ込んだ。会場は、どよめきに包まれた。あまりに突然の出来事に、誰もが呆気にとられていた。私も、呆然としてしまった。これ……本当に、あの冷たくて理性的な浩平なの?人前で取り乱したり、面倒ごとになったりするのが一番嫌いな人じゃなかったの?浩平は周りの驚きを気にもせず、自分のジャケットを脱ぐと、近くのゴミ箱に捨てた。そして、大股でこちらへ歩いてきて、私をぎゅっと腕の中に抱きしめた。その動きはすごく自然で、手慣れていて、まるで、何千回も練習したみたいだ。まさか……夜の浩平なの?心臓が、ドキドキと高鳴る。「この人は、俺の妻だ」彼は顔を上げ、周りを見回した。その目は、まるで獲物を守るオオカミみたいに鋭い。肌を刺すように冷たくて、殺気さえ感じる。会場は、一瞬で静まり返った。私は呆然と、浩平の胸に寄りかかっていた。彼の力強い鼓動を感じる。いつものシダーウッドの香りに包まれて、すごく安心する。今の言葉……「俺の女に手出しするなんて。望月家を敵に回したいってか?」あの言い方、独占欲、そして私を庇うところ……夜の浩平だ。でも、今はまだ昼間なのに。それに、さっきは昼の浩平として私を守ってくれたのだ。いったい、どうなってるの?私ははっとして顔を上げ、目の前の男を見た。彼も私を見下ろしていて、視線が絡み合う。その深い瞳は、昼の浩平みたいに冷たくもないし、夜の浩平みたいに純粋でもない。そこには、今まで見たこともない、複雑で苦しそうな感情が渦巻いていた。まるで正反対の二つの感情が、必死にせめぎ合っているみたいだ。彼は眉をきつく寄せて、おでこには汗が滲んでいた。顔色もなんだか青ざめている。「浩平、あなたは……もしかして……」私が言いかけると、彼はその言葉をさえぎった。「大丈夫」その声は少ししゃがれていて、よく聞かないとわからないくらい、震えていた。「俺がそばにいるから」浩平は私の手を取ると、くるりと背を向けた。周りの人たちの驚いた視線やひそひそ話なんて、まったく気にしてい
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第6話
写っていたのは、すべて、私だったのだ。ベランダで花に水をやってる横顔、リビングでテレビを見てる後ろ姿、すやすやと眠っている寝顔……どれもこれも、盗み撮りされたものだ。私の心は、底なし沼に沈んでいくように、どんどん重くなっていった。「これって……」「俺がやった」浩平は私の言葉をさえぎった。その声は、自分をあざけるような、イライラした響きだ。「毎晩、変態みたいにこっそり写真を撮って、隠してたんだ。そして昼間は、バカみたいにこの写真を眺めながら、自分がいったい何をしでかしたのかって考えるんだ!」浩平の感情はもう抑えがきかなくなっていた。まるで檻の中にいて、今にも飛び出してきそうな獣みたいだ。苦しそうにしている彼を見ていると、突拍子もない大胆な推測が、私の脳裏に浮かび上がってきた。「あなたは……」私は震える声で切り出した。「もしかして……」二重人格?その最後の言葉を、私は口にする勇気がなかった。でも浩平は、私の目つきから、すべてを察してくれたみたいだ。彼は苦しそうに目を閉じて、テーブルに手をついた。激しい感情のせいで、体はかすかに震えている。「そうだ」長い沈黙のあと、彼が喉からしぼり出したのは、たったその一言だ。その言葉は、まるで頭を強く殴られたような衝撃だ。やっぱり、私の思ったとおりだ。この男は本当に、二重人格をもっている。氷みたいに冷たい昼の浩平が、本来の人格。夜の子犬みたいに甘えてくる浩平が、もう一つの人格。そしてさっきパーティー会場にいた、私をかばって激しく怒っていた彼は、感情が揺れ動いたせいで、二つの人格がごちゃまぜになっていたんだ。どうして昼は冷たいのに、夜になると私にべったりなのか。どうして先輩の仁と会ったことを知っているのに、知らないふりをしていたのか。どうしてパーティー会場で突然感情を爆発させて、私の前に立ってくれたのか。すべての出来事が、一瞬で腑に落ちた。真実は、あまりにも残酷だ。苦しそうな浩平の背中を見つめていると、心の中がいっぱいの感情でぐちゃぐちゃになった。驚きと、納得と、それからほんの少しの……胸の痛み。なんて声をかけたらいいのかわからなくて、ただ黙ってそこに立っているしかなかった。しばらくして、浩平の気持ちはようやく落ち着きを
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第7話
私、本当にバカみたい。こんな男に、期待してしまうなんて。「わかった」私は深く息を吸って、こみ上げる涙をぐっとこらえた。そして、声が震えないように必死で言った。「離婚しよう。ただ、お願いがひとつだけあるの」「言ってみろ」「いますぐ、母に会わせて」浩平は私をちらっと見ると、スマホを取り出してどこかに電話をかけた。「妻と彼女のお母さんを会わせる手配をしろ」電話を切ると、彼は振り返りもせずに寝室から出ていった。バタン、とドアが乱暴に閉められ、私のすべての希望も、完全に閉ざされてしまった。次の日、私は養母の由美に会うことができた。彼女は特別病室で横になっていて、前よりずっと顔色も良かった。私の顔を見ると、由美はとても喜んでくれた。「柚、来てくれたのね」「お母さん」私はベッドのそばに座って、その痩せた手を握った。「具合はどう?」「良くなったわよ」由美は笑って言った。「ここの先生や看護師さんはみんな親切で、すごくよくしてくれるの。本当に浩平さんのおかげよ。浩平さんがいなかったら、私なんてとっくに……」浩平の名前を聞いて、私の心はまたズキリと痛んだ。私は必死で感情を抑えて、泣くよりもひどい笑顔を無理やり作った。「お母さん、そんなこと言わないで。彼がそうするのは、当たり前のことだから」「バカね」由美は優しく私の頭をなでた。「浩平さんはいい子よ。あなたがあの子と結婚してくれて、お母さん安心したわ。二人で仲良く暮らすのよ、わかった?」仲良く暮らす……私たち、もうすぐ離婚するのに。このことを、どう由美に話せばいいのか分からなかった。彼女がこのショックに耐えられないんじゃないかって、怖かったから。だから、私は曖昧に返事をして、話をごまかすしかなかった。しばらく由美と話してから、私は病院を出た。病院を出ると、太陽の光が目にしみて痛かった。どこに行けばいいのかも分からず、私はただ街角にぼうぜんと立ちつくした。浩平の別荘に帰るの?あそこは、もう私の家じゃない。当てもなく歩いていると、いつの間にか、望月グループの本社ビルの前に来ていた。空にそびえ立つそのビルを見上げると、胸にいろんな感情がこみ上げてきた。その時、見覚えのある黒塗りの高級車が、私の目の前に停まった。窓が下がる
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第8話
「柚、俺だよ。仁だ」「先輩?」私は少し驚いた。「どうして私の電話番号を知ってるんですか?」「望月社長に聞いたんだ」彼は少し間を置いて、心配そうに続けた。「大丈夫?この間のパーティーのこと、聞いたよ」「ええ、大丈夫です」私は淡々と答えた。「それならよかった」仁はほっとしたようだ。「そうだ、前に渡した名刺、なくしちゃった?実は、君が仕事を探してるって聞いてね。うちの会社もちょうど募集中なんだ。よかったらどうかな?」彼の言葉に、私の心は少し動いた。そうだ、私はもうすぐ離婚するんだ。離婚したら、もう浩平には頼れない。自分の力で生きていくためにも、それに将来養母のためにも、仕事を見つけなきゃ。「はい、ぜひお願いします」私はそう答えた。「ありがとうございます、先輩」「よかった!」仁の声はとても嬉しそうだ。「それじゃあ、一度会って詳しい話をしないかい?」私たちは、次の日の午後に会社の近くのカフェで会う約束をした。電話を切ると、久しぶりにわくわくする気持ちが湧き上がってきた。もしかしたら、夫と離れて新しい生活を始めることが、私にとって一番いい選択なのかもしれない。次の日の午後、私は時間通りに約束の場所へ向かった。カフェに着くと、仁はもう待っていてくれた。彼はカジュアルなスーツ姿で、優雅で洗練された雰囲気だ。「柚、こっち」仁は笑顔で私に手招きした。私は彼のところへ歩いていき、向かいの席に座った。話はとても弾んだ。仁は会社の概要と募集中の仕事内容について説明してくれて、私にぴったりの仕事だと思った。彼も、私のことをすごく歓迎して、高く評価してくれている。「君ほどの能力がある人なら、うちの会社ではもったいないくらいだよ」仁は真剣な顔で言った。「でも安心して。俺が会社と交渉して、君に一番いい待遇を用意するから」「本当にありがとうございます、先輩」私は心からお礼を言った。「水臭いなあ」仁は笑って、私のコーヒーを継ぎ足してくれた。「そうだ、旦那さんとは……うまくやってる?」彼は、少し遠慮がちにそう尋ねた。その言葉に、胸がずきりと痛んだ。「私たち、もうすぐ離婚するんです」仁は特に驚いた様子もなく、ただ私を気づかうような視線を向けた。「柚、実は……俺、大学の時からずっと……」仁は
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第9話
「離して!」「望月社長、彼女を離してください!」仁も慌てて、浩平を引き離そうとした。浩平の目がすっと冷たくなると、振り向きざま、仁の顔を思いきり殴りつけた。ドンッと鈍い音がして、仁は殴られた勢いで数歩よろめき、口の端から血をにじませた。カフェの中は、一瞬で騒然となった。あまりに突然の出来事に、誰もが呆然と立ち尽くした。私も、びっくりして固まってしまった。まさか、浩平が手をあげるなんて思ってもみなかったからだ。いつも理性的で、冷静で、すべてをコントロールしているあの男が、みんなの前で人を殴るなんて。「なんなの!あなたはどうかしてるよ!」私は彼に向かって叫んだ。「ああ、どうかしてるさ!」浩平は目を真っ赤にして、私を睨みつけた。「そしてお前は、俺のものだ!一生な!」そう言うと、彼は有無を言わさず私を肩に担ぎあげて、周りが呆然と見ている中を大股でカフェから出て行った。「降ろして!早く降ろして!」私は必死でもがいて、手足をばたつかせた。でも浩平は平気な顔で、私を車の中に押しこんだ。バタン、と重い音を立ててドアが閉められ、ロックがかかる。彼はエンジンをかけると、車を猛スピードで走らせた。そんな狂ったような様子を見て、私は初めて心の底から怖いと思った。これは昼の浩平じゃない。夜の浩平でもない。まるで、私の知らない、理性を失った獣みたいだ。車は家の前で、キーッと音を立てて急ブレーキで止まった。浩平は私を車から引きずり出して、そのまま家の中まで引きずっていった。使用人たちは私たちの様子を見て、怖がって声を出すこともできない。浩平は私をリビングのカーペットに放り投げると、燃え盛る怒りを宿した目で、私を見下ろした。「柚、俺がおとなしいとでも思ったか?それとも、俺がお前に手を出せないとでも思ったのか?」私は床から体を起こして、負けまいと目の前の男を睨み返した。「浩平、どうしてそんなことするの?何様のつもり?」「お前の夫だ!」彼は怒鳴った。「もうすぐ他人になるわ!」私も負けずに言い返す。「そうか?」浩平は冷たく笑って、一歩ずつ私に近づいてきた。「じゃあ、他人になる前に、夫としての権利をしっかり使わせてもらうかな?」その言葉に、私はゾッとした。思わず後ずさると、彼はさっと
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第10話
「柚、ごめん……ごめん……」浩平は泣きじゃくりながら、しきりに謝ってきた。「わざとじゃないんだ……自分でも、どうしようもなくて……君が、あの男の人と一緒にいるのを見て、すごく怖かったんだ……君に捨てられるんじゃないかって……」浩平の泣き声に、私の胸は締めつけられるように痛んだ。私は彼を抱きしめて、怯える子供をあやすみたいに、そっと背中をたたいてあげた。「あなたのこと、捨てたりしないよ」私はやさしく声をかけた。「ただ……仕事を探してただけ」「ほんと?」浩平は顔を上げて、まるで、不安な子供みたいに、涙で潤んだ目で私を見つめた。「ほんとだよ」私はうなずいた。彼は鼻をすすると、しょんぼりした声で言った。「じゃあ、もうあいつには会わないで」私は、そんな彼を見て、可笑しくて、そして少し呆れた。さっきまでは人を食い殺しそうな獣みたいだったのに、今はすっかり甘えん坊な子犬みたいだ。「うん、わかった。約束する」私の約束を聞いて、浩平はやっと泣きやんで笑顔になり、私のほっぺにキスをした。「柚は、やさしいね」浩平は私を抱きしめて、満足した子犬みたいに、腕の中でごろごろとすり寄ってきた。彼の無邪気な寝顔を見つめながらも、私の心はずっしりと重かった。浩平の病気は、ますますひどくなっているみたいだ。二つの人格が入れ替わる頻度も上がって、どんどん制御できなくなってきている。昼と夜との境目が、壊れはじめているのかもしれない。このままじゃ、彼はいつか完全に壊れてしまう。もう、見て見ぬふりはできない。次の日、昼の浩平が目を覚ますと、自分が寝室のベッドにいることに気づいた。そして隣には、私が眠っていた。彼は固まった。昨日の夜は、たしかに書斎で寝たはずだった。自分の体を見ると、昨日と同じ服を着ていて、それはしわくちゃになっていた。リビングはひどく散らかっていた。ソファのクッションは床に落ちていて、テーブルの上もめちゃくちゃだ。なにより、彼の手にははっきりとすり傷ができていた。浩平の頭の中に、バラバラで、とりとめのない記憶の断片が一瞬よぎった。カフェ、仁、私の涙、そして……自分の泣き声。彼の顔から、さっと血の気が引いた。浩平はベッドから勢いよく起き上がった。その大きな物音で、私は目を覚
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