LOGINクローン人形店を出ると、霧雨が降っていた。 小山恵美(こやま えみ)は帰り際に店員から言われたことを思い出す。 「小山さん、15日もすれば中央制御システムによる行動記録が完了し、身代わりの人形が自動で生成されます。 決まりで、身代わりの人形と同じ場所にいることはできません。ですから、この期間に必ずお引越しをお済ませください」 15日か……
View More胡桃の件はかなり大きな騒ぎだったため、海外にいる恵美の耳にも、事の経緯は入ってきていた。だが恵美は、とくに何も思わなかった。むしろ、どっちも自業自得で、当然の報いだと思ったくらいだった。面倒なことから解放されて、恵美はのびのびと快適な毎日を送っていた。F国に秋が訪れる。やわらかな日差しが、川のほとりに降りそそいでいた。恵美は川のそばにあるベンチに腰かけて、詩集を手にしていた。そよ風が彼女の髪を揺らし、ひんやりとした空気を運んでくる。恵美はここで新しい生活を始めた。過去の痛みからも、彼女を深く傷つけた人や出来事からも、遠く離れて。今の恵美は、毎日を絵画や彫刻とともに過ごし、芸術的な雰囲気に包まれて暮らしている。彼女の暮らしはシンプルだけど、とても満ち足りていた。ときどき友達と集まったり、ひとりでF国の街を歩いたりして、この街のロマンチックで自由な空気を感じていた。それから、たまに智也に誘われて、彼の大学へ講義を聞きに行くこともあった。だが、智也への気持ちは友情以上のものではないと、恵美ははっきりと分かっていた。智也と一緒に過ごす時間は楽しかったが、過去の経験を経て、彼女の心はもっと自立し、強くなっていた。もう誰かに頼りたいとは思わないし、簡単に新しい恋愛を始めようという気にもなれなかった。でも、智也の気持ちは、もう隠しきれないほどになっていた。ある日の夕方、彼は恵美をカフェに呼び出した。夕日がカフェのテラスを照らし、あたりにはコーヒーの香りと、かすかな音楽が漂っている。智也は恵美の向かいに座っていた。その眼差しには、いつもと違う緊張と期待がにじんでいる。「恵美さん。君に話したいことがあるんだ」恵美はコーヒーカップを置いて、智也を見上げた。彼が何を言いたいのか、本当はよく分かっていた。そして、いつものように、この話から逃げたいとも思った。でも、この問題にはいつか決着をつけないといけない。相手の気持ちを利用して、いつまでも縛り付けておくなんてできなかった。「君が好きなんだ」智也の声は小さかったけれど、その言葉は一語一句、はっきりと恵美の耳に届いた。「初めて会った時から、君に惹かれていた。君の才能も、自立しているところも、優しさも、全部に心を奪われたんだ。君が初めて僕に会ったとき、君の隣で僕
恵美と別れた後、海斗は仕事に没頭しようと努めた。しかし、どういうわけか胡桃の影がつきまとい、彼の生活に少しずつ入り込んできた。子供を中絶させた後、海斗は恵美のことばかりで、胡桃を気に掛ける余裕などなかった。しかし、次々と送られてくるメッセージが、胡桃が再び自分を狙っていることを彼に思い知らせた。【海斗さん、どうしてそんなに冷たいの?愛してるって言ってくれたのに!赤ちゃんが生まれるのも楽しみにしてるって言ってくれたよね?なのに、何で私たちの赤ちゃんを自分の手で殺すなんてことができたの……】【全部、あの女のせいだよね。あの女がいなければ、あなたは私だけを愛してくれたはずなのに】【海斗さん、あなたは後悔することになるから。いいや、あの女も一緒に。あなたたち、二人とも絶対に後悔させてやるから】海斗は胡桃の脅しを全く意に介すことはなく、ただ、部下に彼女の今の住所を調べさせただけだ。しかし、まさか胡桃の行動がこれほど早いとは思わなかった。翌朝、世間を埋め尽くすニュースを見て、海斗は一瞬で血の気が引いた。【#小山グループ社長、不倫か】【#小山海斗氏、イメージ崩壊】【#クズ男、隠し子を強制的に中絶させる】かなりセンセーショナルな見出しが、あらゆるSNSに溢れかえっていた。最も海斗を驚かせたのは、胡桃のライブ配信だった。彼女はカメラの前に座り、涙ながらに自分たちの物語を語っていた。「私と海斗さんは、大学の合同説明会で出会いました。彼は私に一目惚れしたんです……それから、海斗さんは奥さんに隠れて私と会ってくれ、プレゼントをくれたり、さらには私たちの間に子供もできたんです。でも、私が正式な関係を求めた途端、彼は私に中絶を強要してきました。それだけじゃなく、業界全体に圧力をかけて、私がこの世界で生きていけないようにもしたんです!海斗さん!あなたがそんな人だとは思わなかったわ!」海斗は画面の中の女を見て、ただただ吐き気を覚えた。胡桃の言うことには嘘と真実が巧みに混ぜ合わされていた。しかし、巧妙に編集されたトーク履歴や写真が添えられていたせいで、どれも真実味を帯びていた。会社の株価は暴落し始め、提携先も次々と手を引いていった。あっという間に、海斗はあらゆる問題に追われ、身動きが取れなくなった。これがすべて、胡桃
恵美が意識的に距離を置こうとしているのを、智也も察したようだ。だから彼も深追いせず、お茶を一杯飲むと席を立った。それでも、智也はその後も数日おきに大学とギャラリーを行き来していた。「本で得た知識は、実践と結びつけないと意味がありませんから」というのが、彼がくる理由だった。何度も顔を合わせるうちに二人はすっかり打ち解け、恵美からも初対面の頃のようなよそよそしさはもうなくなっていた。その頃、海斗はデスクの椅子に座っていた。手には、届いたばかりの裁判所からの呼び出し状。彼は無意識のうちにそれを握りしめ、紙の端がくしゃりと歪む。呼び出し状に書かれた文字は、冷たく海斗の目に映った。それはまるで、彼の心に残っていた最後の望みを断ち切る、見えない刃のようだった。海斗はその数行をじっと見つめた。焦点が合わず、文字が目の前でちらついて、目の奥がじんじんと痛むようだった。窓の外は、いつもと変わらない街の喧騒。ひっきりなしに車と人が行き交っている。この街の無数の灯りの中に、かつては彼のために灯された光が一つあったのに。でも、もう……海斗はガラス窓越しに遠くのビル群を眺めていたが、彼の心はとっくに海の向こうへ飛んでいた。「もう関わらない」という自分自身で決めたことも、結局は守れなかった。十数時間のフライトを経て、海斗は再び恵美の面影が残るこの場所に降り立ってしまったのだ。恵美へのプレゼントを何にするか、彼は長い時間考えた。そして迷った末に、あるN国の芸術家の遺作を贈ることに決めた。恵美はその芸術家のことが大好きだと、以前とある展覧会でそう話してくれたことがあった。でもその頃の自分は仕事に追われ、聞き流してしまっていた。今、これが自分にできる最後の贈り物だ。海斗は車のトランクを開け、恵美を驚かせようと思っていた。しかしガラス窓の向こうで、彼女が見知らぬ男と楽しそうに談笑しているのが見えてしまった。あんなに屈託なく、楽しそうな恵美の顔を見るのは、本当に久しぶりだった。海斗の足が止まった。胸の中に、言いようのない複雑な感情が渦巻く。彼は一度息を深く吸い込んでから、ギャラリーのドアを開けた。カラン、というドアベルの軽やかな音に、恵美は振り向いた。その視線の先に、こちらへ向かって歩いてくる海斗の姿が映った。恵美の顔から、さっ
スマホの画面を見て、拓也は顔をほころばせる。「おい!効果てきめんだぞ!やっぱり心配してくれてるんじゃないか?言った通りだろ。さっきまでは忙しくてスマホなんて見られなかっただけなんだって」拓也は笑みを浮かべて通話ボタンを押した。だが口を開くよりも早く、受話器から冷たい恵美の声が響いた。「そんなことして楽しいですか?こんな子供だましの手、引っかかるわけないでしょ?拓也さん、もう余計なことに関わるのはやめたほうがいいですよ。海斗のために動いてるのは分かりますが、私の気持ちを考えていただいたことはありますか?今まであなたが海斗の味方をして私に浮気を隠していたことも、あの女の出産を手伝いに帰国してきたことも知っています。面倒だから問い詰めはしませんが、もう私に関わるのはやめていただけますか?そこに海斗もいるんですよね?だったら、伝えてください。私は昔から一度も、決めたことに後悔したことはない、と。離婚は決定事項で、今さら戻るつもりもありません。よりを戻そうと必死になっても、それは無駄なことですから」恵美は二人の反応など気にも留めず、電話を切った。すべてが筒抜けだと知った拓也の顔から、みるみる血の気が引いていく。ハンズフリーになっていたため、病室にいた海斗にも恵美の一言一句がはっきりと届いていた。海斗の瞳は澱んだ。言葉を発さず、ただ静かに腕から点滴を抜いた。「海斗!どこへ行くんだ?」「外でタバコを吸うだけだ。何でもない」海斗の寂しげな背中が暗闇へと消えていく。海斗の心は今も痛み続けていたが、まだ諦めてはいなかった。これほど長く築いた感情を、そんな簡単に手放せるわけがない。恵美は自分に腹を立てているだけだ。もっと本気で追いかけ、誠実に向き合えば、きっともう一度チャンスをくれるはず。海斗は恵美に捧げるプレゼントを探し回り、国内のオークションを奔走した。おかげで何週間もの間、恵美のギャラリーには顔を出さなかった。しかし恵美の方は、その影が消えたことにすら気づいていない様子だった。海斗が姿を消してから3週目、彼女はクラフト紙の袋を抱えてスーパーから戻った。運悪く今日は傘を持ってこなかった。雨が降らないと賭けていたのが、あっさりと賭けに負けた。「お困りごとですか?」ふと差し出された傘の陰から、柔らかな笑みを浮