Masuk退魔師の落ちこぼれ少女・柊は、記憶を失った謎の青年・朧と出会う。満月の夜、偶然交わされた“契り”により、二人は「どちらかが死ねば、もう一方も消える」運命を背負ってしまう。やがて朧の正体が、人を滅ぼしかけた妖“月喰い”だと判明し、彼は討伐対象となる。世界を守るか、それとも彼を信じるか――。愛することが、命を奪うことに繋がる中、柊は過酷な選択を迫られる。
Lihat lebih banyak月が、満ちていた。
雲ひとつない夜空に、白く冷たい円が浮かんでいる。まるで世界を見下ろす巨大な目のように、季節が、三つ変わった。山葵沢に、春が来て、夏が来て、秋が来た。柊はその全てを、ここで過ごした。春。土が柔らかくなった頃、朧が黒い土に手を触れた。力を込めた。光が、土に染み込んでいった。翌朝、草の間から──小さな芽が出ていた。柊はその芽を見て、声を上げた。「出た」「ああ」「本当に出た」「出ると言った」「言ってたね。でも──見ると、また違う」「どう違う」「嬉しさが、倍になる」朧はその芽を見た。「倍か」「うん。知ってたことが、本当になる瞬間が──一番嬉しい」朧は柊を見た。「それは──期待が、現実になるということか」「そう。約束が、叶うということ」「……そうか」朧は芽を見た。その目に、柊が初めて見る表情があった。何かが、満ちているような──静かな表情。「朧、今──どんな気持ち?」「名前がわからない」「どんな感じ?」朧はしばらく考えた。「ここにいていい、と──思えている」柊の目が、細くなった。「それは──安心、かもしれない」「安心」「うん。自分の居場所が、ここにある、と思える感情」朧はその言葉を、静かに転がした。「……安心」「ある?」「ある」柊は笑った。朧も──笑った。芽が、朝の光を受けて、きらきらと輝いていた。夏。川へ行った。約束通り。山葵沢から少し下りた場所に、清流があった。
柊の実家は、山を二つ越えた先にあった。退魔師の家系らしく、山の中腹に建てられた古い家だった。結界が張られていて、あやかしが近づけない構造になっていた。朧はその結界を、入口の手前で感じた。「ここまで来ると、わかる」「結界が?」柊が聞いた。「圧がある。昔なら、弾かれていたかもしれない」「今は?」「今は、感じるだけだ。入れないわけではない」「よかった」柊は門の前に立った。深く息を吸った。吐いた。「緊張してる?」「してる」「俺も」柊は少し驚いた。「朧も?」「お前の家族に会うことは──初めてだ」「そうだね」「何を話せばいいかわからない」「正直に話せばいい。朧は、正直だから大丈夫」「正直すぎると、問題が起きることもある」「私がいるから」「頼りにしている」「うん」柊は門を開けた。母が出てきた。四十がらみの、柔らかい目をした女性だった。柊の顔を見た瞬間、その目が細くなった。「柊」「ただいま、お母さん」「無事だったんだね。よかった」母は柊を見た。それから──朧を見た。銀色の瞳に、少し驚いた顔をしたが──怯えはなかった。「この方が──朧さん?」「うん」柊は言った。「朧。私の母だよ」朧は母に向かって、頭を下げた。「お世話になっています」「こちらこそ」母は静かに言った。「柊が、色々と──お世話になったようで」「俺の方が、世話になった」母は少し目を細めた。「中に
山葵沢へ向かう日の朝、空が曇っていた。雨になるかもしれない、と蒼真は言った。「それでも行くか」「行く」朧は言った。「雨の中で、壊した場所を見ることになるかもしれない」「雨でも、晴れでも──変わらない」蒼真は頷いた。「そうだな」久瀬は、約束通り来ていた。宿の前に一人で立って、三人を待っていた。昨夜の対話のときより、少し──柔らかく見えた。刀は差していたが、手は柄に触れていなかった。「来たか」「来た」朧は言った。二人が向かい合った。しばらく、沈黙があった。「道中、話せるか」久瀬が言った。「話す」「嫌なことを聞くかもしれない」「聞く」久瀬は朧を見た。「……行くか」五人で、山道を歩き始めた。山葵沢は、二つの山の間にある細い谷に沿った集落だった。三刻ほど歩いた先に、それはあった。近づくにつれて、柊は気配を感じた。古い気配だった。何かが、長い時間をかけて積み重なった──静かで、重い気配。「ここだ」久瀬が足を止めた。谷の入口に立って、奥を見ていた。集落の跡があった。石垣が残っていた。家の基礎だったものが、苔に覆われて残っていた。井戸が一つ、草に埋もれながら残っていた。誰も住んでいなかった。随分前に、誰も住まなくなった場所だった。「二百年以上前に、ここで何かがあった」久瀬は静かに言った。「俺の家に伝わる話では──山が燃えた夜に、集落が消えた。生き残った者が、山を下りた。それが、俺の先祖だ」朧は谷の奥を見ていた。銀色の瞳が、何かを見ていた。
山の中の対話は、長かった。月が中天を過ぎても、終わらなかった。五人の退魔師たちは、最初は刀を手放さなかった。それでも、話した。一人が話し始めると、別の一人が続いた。長年、退魔師として生きてきた中で積み上げてきた恐れが、少しずつ──言葉になって出てきた。「俺の父は、あやかしに殺された」一人が言った。若い退魔師だった。二十代の半ばくらいに見えた。「山の集落で生まれた。幼い頃、父が討伐に出て──戻らなかった。だから退魔師になった」誰も、何も言わなかった。「あやかしを全部斬れとは思っていない。でも──信じることが、できない」その言葉は、正直だった。恐れを隠さない、正直な言葉だった。朧は若い退魔師を見た。「それは──正直なことだ」「……」「俺も、信じることを求めない。ただ──お前の父を殺したあやかしが何者だったか、俺にはわからない」「わからなくていい。あやかしだった、それだけだ」「そうか」朧は静かに言った。「俺が壊した集落にも、同じことを言う者がいるかもしれない。月喰いだった、それだけだ、と」若い退魔師は、朧を見た。「だが──」朧は続けた。「それだけ、では終わらせたくない。お前の父の話を、もっと聞きたい」若い退魔師は、目を瞬かせた。「……なぜ」「俺がお前の父を殺したわけではない。だが──俺も、誰かの父を奪ったかもしれない。それを、ただの過去にしたくない」「どういう意味だ」「過去を聞くことが──俺にできる、最初のことだと思う」静寂が降りた。若い退魔師は、しばらく朧を見ていた。それから、刀を──地面に置いた。まだ鞘に収めてはいなかった。でも、手放した。「父