LOGIN奏はソファから立ち上がり、寝室へ戻ろうとする。このまま起きていると夜明けになってしまう。数時間後には、剛の代理として玲二と四平との交渉が控えている。大貴が死んでいようがいまいが、今日はきっと平凡ではない一日になる。ゲストルームのドアノブに大きな手をかけた瞬間、蓮の部屋の扉が開いた。音に気付き、彼はそちらへ視線を向ける。父子の視線がぶつかり、何も言葉にしなくても互いが何を考えているのか分かる。蓮は、奏が自分と同じようにここまで待っていたことに驚く。奏は彼の計画を深く信じているのだと悟る。そして蓮の顔に浮かぶ表情が、すでにその計画の結果を物語っていた。蓮が口を開く。「大貴は死んだよ」奏はすぐにスマホを開くが、着信もメッセージも何もない。「本当に間違いないのか」喉が大きく動く。「俺を疑うの」蓮の声は冷たい。「人を使って殺したのか」奏は一気に眠気が吹き飛び、蓮の目の前まで歩み寄る。「どうやった」蓮はもう母の仇を取った。だから仕組みを言ってしまっても構わない。「彼の妻と家政夫が関係を持っていた。もし二人が大貴を殺さなければ、死ぬのは二人の方だった」奏は一瞬で理解する。剛が大量のボディーガードを大貴の別荘に張りつけていたのに、結局大貴を殺したのは、彼に最も近い存在だった。「先に部屋で休め」奏はスマホを見つめるが、大貴の訃報はまだ届かない。胸の奥で、得体の知れない不安が膨らむ。蓮が部屋へ戻ろうとした時、奏が再び声をかける。「荷物はまとめてあるのか」「今からまとめる」「そうしろ」奏は続ける。「俺は真帆が何か聞いていないか見てくる」そう言って主寝室へ向かう。主寝室は真っ暗だ。見るまでもなく、真帆は大貴の死を知らされていない。大貴が死ねば、剛の部下は真っ先に剛へ連絡を入れるはずだ。だが剛が奏へ知らせてこない理由は何なのか。今どんな心境で、何を企んでいるのか。部屋を出ようとしたまさにその瞬間、真帆が目を覚ます。「奏なの?」彼女は言いながら灯りをつける。奏の表情は沈みきっている。「お前の兄貴は死んだ」真帆の目から、熱い涙が一気にこぼれ落ちる。「どうして……まさか蓮が……」「蓮は部屋にいる。どこにも行っていない。彼じゃない。今回のことは蓮と関係ない。分かった
大貴がコップを持ち上げて飲もうとした瞬間、ふと胸に疑いがよぎる。「どうして急にパパにお水を持ってきたの」いつもなら、娘が何か持ってきても疑うことなどない。だが、スマホの画面に映るカウントダウンが頭から離れない。彼は目を開けたまま午前三時まで耐えるつもりだった。最後に自分の命を奪いに来るのが誰なのか、確かめるために。もし午前三時まで生きていたなら、あのハッカーはただのはったり男だ。幽霊じみた真似をして、人を脅かすだけの下らないやつ。そうなれば、ハッカーの正体は奏の息子、蓮だと証明できる。蓮はまだ十歳にも満たない。確かに腕は立つ。大貴のスマホに侵入できるほどには優秀だ。だが殺しは別だ。殺す力など、まだまだ持ち合わせていない。大貴の娘は、まん丸の目をぱちぱちさせる。「先生がね、パパとママにお水を持っていってねって。動画を撮って先生に送るの」その言葉を聞き、大貴はようやく気付く。少し離れたところで、妻がスマホを構えて撮影していた。「そういうことか」大貴は豪快に笑った。娘が幼稚園へ通うようになってから、毎週のように家庭での課題が出てくる。大貴が家にいないときは、ほとんど妻が手伝っていた。そんな娘と妻を疑ったことが、急に恥ずかしくなる。大貴は一気に水を飲み干し、空になったコップを娘に返す。「いい子だ。パパ、これからもっと一緒にいるからな」娘はコップを受け取り、にこりと笑ってうなずく。妻は撮影を終え、娘のそばへ来る。「パパにちゅーして」娘は一瞬きょとんとしたが、すぐに従って大貴の頬に口づけした。「大貴、お風呂はいつ入る?今からお湯をためようか」妻が尋ねる。「まだいい。お前と娘で先に入ってこい」大貴は言ってから続ける。「二人とも終わったらそのまま寝ろ。待たなくていい」妻は不安そうな顔になる。「大貴、あなたが何を待っているか知っている。娘を寝かしつけたら、私も一緒に起きてる」「いいって。せいぜい午前三時までだ」大貴はまるで怖いものなどないという態度で言う。「外はボディーガードだらけだ。虫一匹入り込めない。何も起きない」「ハッカーの悪ふざけだよ。本気にすることなんてない」「分かってる。とりあえず先に娘を風呂に入れてこい。俺はテレビを見る」大貴はリモコンを取り、テレビをつけた。
「うちの息子が、もうすぐだって言った」奏は蓮の計画を知らない。ただ蓮の表情や態度から、確かな自信があると感じていた。「遅くても明後日までには終わる。大貴が死ねば高橋家は大混乱になる。その隙に、とわこと蓮を逃がしたい」三郎は舌を打ちながら何度もため息をつく。「お前の息子、まだ十歳にもなってないだろ。そんな話を真に受けるのか」「どうして信じない理由がある」「大貴が死んでから言えよ」三郎は冷たく笑う。「剛が守ってるから今まで生きてるようなもんだ。そうじゃなかったら何度死んでてもおかしくない。それで、お前はとわこと一緒に日本へ帰るつもりか」「帰れない」奏は静かに答える。「今の俺は高橋家と深くつながりすぎてる。日本に戻ったところで、剛は必ず追ってくる。ここで起きたことは、ここで終わらせる」三郎は豪快に笑った。「いいな。そろそろ全部ひっくり返すころだ」……朝七時。とわこは目を覚ますと、蓮のことが気になって仕方がなかった。少し迷った後、蓮にビデオ通話をかけた。「蓮、そっちの生活に慣れた?真帆に何かされてない?お父さんは……」息子の顔を見るなり、心配が一気に溢れ出す。「ママ、奏はもうママのこと覚えてないよ」蓮はスマホを持ったまま起き上がる。着信音で起こされたので髪はぼさぼさだったが、頭はしっかり冴えている。昨夜奏が言ったことは、全部覚えていた。「奏が自分で言ったの」とわこの眉がきゅっと寄る。「うん」とわこはその結果に驚かなかった。もし奏が彼女の記憶を取り戻していたら、気持ちを隠すことなどできない。「ママ、大貴が死んだらママも俺と一緒に帰国して」蓮は昨夜、奏に言われた『とわこに甘えろ』という助言を思い出す。甘える方法は知っている。レラがよくやるからだ。けれど、自分ではどうしてもできない。「昨夜、他に何を話したの」とわこは二人が話し込んだことのほうが気になった。「あなた、今まで彼と話そうともしなかったのに、どうして昨夜は話したの」蓮の頬がほんのり赤くなる。「奏は記憶を失ってるって言ったじゃん。だから、前の奏とは別人だと思っただけ」「彼はママのことは忘れたけど、あなたたちのことは忘れてない」「うん……彼を思い切り罵ったんだ。でも全然怒らなかった。つまらない」蓮は不満げに言う。「彼の反応
蓮は、彼が突然そんなことを言い出すとは思っていなかった。蓮は彼が記憶を失ったと聞いていたので、上体を起こすとつい口にする。「記憶を失ってない?」「失ったよ」奏は蓮の顔を見つめながら、ゆっくりと言葉を続ける。「とわこと何があったのかは全部忘れた。でも彼女を見た瞬間、胸の奥に反応があった。きっと大事な人なんだって思った」「ふん。パパなんて名乗る資格ないよ」蓮は不満を隠さずに彼の顔を見る。「問題から逃げてばかりの臆病者。俺が見た中で一番の腰抜けでも、あなたほどじゃなかった」息子に一方的に罵られ、奏の胸の奥に怒りが燃え上がる。衝動のまま行動すれば、人は簡単に間違った選択をしてしまう。深林の別荘で、蓮を自分の手で絞め殺しそうになったのも一つ。Y国に来て、剛に洗脳され、記憶消去の施術を受けたのも一つ。けれど今は昔の話を持ち出すときではない。「お前はとわこと一緒に帰国しろ。こっちのことが片付いたら、俺が迎えに行く」奏は凛々しい眉を寄せ、蓮と向き合う。「とわこは俺の言うことを全然聞かない。だからそのときは、お前が何とかして一緒に帰るよう説得しろ」「ママはママで、俺はただの息子だよ。どうして俺の言うことを聞くの」蓮は頭を抱えたくなる。どう考えても難題だ。「甘えなよ」奏は真顔でアドバイスする。蓮の眉は、今にも蚊を潰せそうなくらい深く寄っていく。「甘えるなんてできない」奏の深いまなざしが、目の前の苦しげな小さな顔を捉える。こんなに近くで息子を見るのは初めてだった。そしてこれほど長く言葉を交わしたのも初めて。「大貴をどうやって殺すつもりだ」奏はしばらく考えた後、尋ねる。「俺の計画だよ。口出ししないで」蓮は即答する。「お前が失敗しないか心配なんだ。俺のほうが助けられるかもしれない」奏は低く言う。「大丈夫。俺一人でできる」蓮の声は迷いなく、強い自信に満ちている。奏は静かに問う。「でも、これから外に出られないんだぞ。それで大貴を殺せるのか」「見てれば分かる」蓮は少し顎を上げ、軽薄なほど強気の態度を取る。その姿に、奏の胸の内で複雑な感情が渦を巻いた。自分が蓮の年齢だった頃、こんなに優秀じゃなかった。「そんなにできるなら、とわこを帰国させる話は任せる」奏は時間を見て言う。「もう遅い。寝なさい。お前が寝たら出て行く
真帆は細い眉をひそめて聞く。「どうしてまだ寝てないの。もうすぐ一時だよ。いつもこんなふうに夜更かししてるの?」そう言いながら、彼女は机のほうへ歩いていく。蓮はノートパソコンを閉じるかどうか二秒ほど迷って、結局閉じないままにした。真帆は大学をまだ卒業しておらず、奏と結婚してからは思い切って休学して家にいる。しかも真帆の専攻は哲学で、真帆の知識では蓮のパソコンに映っている内容は理解できない。「誰に言われて来た」蓮は真帆の顔を見て問い詰める。「わ……悪い夢を見たの。あなたがお兄ちゃんに連れて行かれる夢。それで様子を見に来ただけ」真帆は適当な嘘をつく。「それで、俺があなたのお兄ちゃんに連れて行かれるのを望んでるの、それとも望んでないの」蓮は続ける。「もし俺が連れて行かれたら、奏は完全に高橋家の操り人形になるよ。あなたたちがやれと言えば、何でもやらされる」真帆は言葉を失った。蓮がそんなことを言うとは思わなかった。「俺は彼が嫌いだけど、彼はまだ俺のことを気にかけてる」蓮は淡々と言う。「あなた、今すぐお兄ちゃんに連絡してみる?」真帆は一瞬心が揺れる。けれど、その先の結果を考えると恐ろしくなる。「蓮、あなたが私を好きじゃないことは分かってるし、偏見を持ってるのも分かってる。でも私はお兄ちゃんと一緒に動いてるわけじゃないの」真帆は丁寧に説明する。「私はあなたのお父さんと……」その先は口に出せなかった。蓮にとって自分は継母になる存在だからだ。「もし俺が『あなたのお兄ちゃんを殺すつもりだ』って言ったら、それでもあなたは俺をこの家に匿う?」蓮はわざと真帆を挑発し、真帆の限界を探る。真帆は固まった。目の前の子どもが、自分のお兄ちゃんを殺すと言うなんて……そんな力があるのか。真帆が疑おうとしたとき、蓮が先に口を開く。「あなたのお兄ちゃん、最近殺害予告を受けてるって聞いてないの?」命のカウントダウン。真帆は蓮の顔を見て、それから彼の前にあるノートパソコンを見る。兄のスマホに侵入した謎のハッカーが、蓮?真帆の体が小さく震え、どうすればいいか分からなくなったその瞬間、部屋の扉が開いた。奏が大股で中に入ってくる。蓮は彼の顔を見た途端、急いでノートパソコンを閉じ、ベッドへ戻り、布団を引き上げて顔を隠した。
三十分ほどして、俊平はとわこを起こした。「さっきエコー室で寝ちゃってた」とわこは三十分眠っただけでだいぶ楽になっていた。「恥ずかしい。ホテルじゃ全然眠れなかったのに。たぶん病院の消毒の匂いが落ち着くのね」「そうかも。俺もあの匂い好きだよ」俊平はそう言い、彼女を連れてエレベーターへ向かった。「で、結果は」とわこが手を伸ばす。「機械が壊れてて印刷できなかった。でも医師がモニターで説明してくれた」俊平は真面目な顔で言った。「子宮の中は問題なかった。たぶんストレスでホルモンが乱れただけだ」「ほらね。前より若くないとはいえ、私はまだ若いの」とわこは胸を張る。そこから急に声が静かになった。「今日ね、奏に言ったの。待つのは今月末までだって」俊平は別のことを考えていたようで、生返事をした。「薬はまだ飲まなくていい。少し様子を見よう」「分かった。本当は病院なんて来るつもりなかったの。下に降りたのはナプキンを買いに行くためだけだったし。でもありがとう」とわこは笑った。「俊平って本当に責任感あるいい医者」「褒めないで。俺、自分が病気の時は病院行きたくない人間だし」病院を出て、俊平は彼女をホテルまで送り届けた。まだ夕方の四時半で夕食には早い。俊平はボディーガードを誘い、外で煙草を吸った。「吸わないんじゃなかったんですか」ボディーガードが一本差し出す。「若い頃は吸ってた。忙しくなってやめただけ」火をつけてもらい、俊平は煙を吐いた。「少し気持ちの整理がつかなくて」視線は遠くへ向いていた。「とわこって、すごく頑固だと思わないか」「言いたいことは分かります。帰りたいなら帰ればいいんです。あの人は引き止めたりしないです」俊平は首を横に振った。「とわこは最初の妊娠のとき双子で、しかも奏とは離婚してた。それでもあれだけの状況で産む決断をした。何を背負ってたんだろう」「女は情に弱いんですよ」「もし今妊娠してたら、彼女はどうするんだ」俊平はボディーガードを見た。「彼女、病気がある。普通の妊娠は無理だ」「うお。まさかまた妊娠したってわけじゃないですよね」ボディーガードは驚愕した。「例え話だ」俊平は平静を装う。「ただ、彼女は俺が思ってるよりずっと意地が強い。もし本当に妊娠してたら、どうするのか気になって」「考えるまでもな







