「はい」瑠璃は冷静に、堂々とした足取りで警官のあとに続いて歩き出した。隼人の傍を通り過ぎるとき、彼女はふと立ち止まり、顔を少し横に向けた。その瞳には嘲笑の色が浮かんでいた。「これが……何があっても信じるって言葉の答えなの?」彼女は唇を美しく歪め、薔薇のような笑みを咲かせた。その微笑みは、華やかで自由奔放で、どこか棘のある咲き誇るバラのようだった。隼人の心に深く突き刺さった。瑠璃がパトカーに乗せられ、そのまま連れて行かれるのを目にして、雪菜は心の中で快哉を叫んでいた。青葉もまるで胸のつかえが取れたように、晴れやかな顔で得意げになっていた。そのまま隼人が背を向け、部屋を出ようとするのを見て、彼女は急いで前に出た。「隼人、今ならあの女の本性が分かったでしょう?まさか、まだ未練があるなんて言わないわよね?目黒家はあの女に何も借りなんてないのよ。昔のこと?冤罪だった?だから何?全部、彼女が招いたことでしょう!」その開き直ったような冷淡な口調に、隼人の眉間には深い皺が刻まれた。彼は一言も返さず、そのまま足を進めた。「どこに行くの?まさか、まだあの女を庇う気なの?」「……ひとりになりたいだけだ」冷たく吐き捨てるように言い残し、彼は振り返ることなくその場を去った。雪菜は隼人の機嫌を損ねたくなくて、黙ったままだった。彼が去ってようやく、青葉のそばに戻って言った。「おばさま、もう怒らないで。お兄さまはあの瑠璃に夢中だったから、今きっとショックが大きいんです。少しそっとしてあげましょう」青葉は鼻を鳴らして不満を示したが、それ以上は何も言わなかった。その夜。瑠璃は警察署に連行され、隼人もそのまま戻らず外出したままだった。雪菜は「おばさまに付き添う」と言い訳して、その夜も別荘に泊まることになった。夕食の時間。ヘルパーが祖父を車椅子でダイニングに連れてきた。雪菜が顔を上げると、祖父の鋭い視線がまっすぐに自分を見ていることに気づいた。彼女は鋭く睨み返した。——今夜で終わりよ、この老いぼれ。地獄に送ってあげる。祖父も負けじと睨み返してきた。そして、唇を震わせながら、やっとの思いで言葉を発した。「……瑠……璃……」はっきりと聞こえるその名前。——まさか、こんなに明瞭に発音できるまで回復してたなんて……
瑠璃がふと振り返ると、玄関には隼人が立っていた。彼女は彼が突然戻ってきたことに少し驚いたが、表情は穏やかだった。隼人が先ほどの言葉を聞いていたかどうか——彼女はまるで気にしていない様子だった。「お兄さま!今のあの女の言葉、全部聞いたでしょ!?自分で認めたのよ!おばさまの頭を殴ったのは彼女よ!こんなに悪どい女、まだ無実のフリしてるのよ!」雪菜はここぞとばかりに、全力で瑠璃を陥れようと叫んだ。「隼人、さすがにもう信じられないでしょう?さっき私がちょっと刺激しただけで、あの女は全部自白したのよ!なんて恐ろしい女かしら!」青葉も怒りを露わにして声を張り上げた。隼人は黙ったまま、無表情の瑠璃に視線を向けたまま、ゆっくりと部屋に入ってきた。その眼差しは徐々に曇り、ついには失望の色に染まっていった。「千璃ちゃん……まさか、本当にお前だったとは」彼は、信じたくないはずの現実を受け入れかけていた。この一言に、青葉の顔に喜びの光が差した。雪菜も心の中で歓喜を叫んだ——隼人がついに瑠璃をかばわなくなった!たとえ瑠璃の発言が一時的な感情の爆発だったとしても、隼人が信じた時点で、それは事実になってしまう。そして、祖父の口を完全に塞いでしまえば、自分の罪は永遠に闇の中だ。そう思えば思うほど、雪菜は気分が良くなり、隼人が眉をしかめながらも、失望の眼差しを瑠璃に注いでいる様子を見て、さらに笑みを深めた。——これで完璧。「千璃ちゃん……本当に、お前がやったのか?」隼人はそれでも信じ切れず、再度問いただした。瑠璃は淡々と彼を一瞥し、不敵に微笑んだ。「そうよ、私よ。それが何か?警察に通報したんでしょう?証拠があるなら、好きにすれば」「あんたって女は、どこまでも反省しないのね!」青葉は怒りに満ちた声で叫んだ。雪菜はすかさず加勢し、わざとらしく瑠璃を非難した。「おばさま、そんなに怒らないで。こんな女、どうせそのうち罰が当たるわ」「黙れ」隼人は低い声で雪菜を叱りつけた。その視線はなおも、瑠璃から離れなかった。「千璃ちゃん……なぜ、そんなことをしたんだ?」彼女は小さく笑った。「なぜって?それを今さら、あなたが聞くの?」皮肉に満ちたその微笑みは、すぐに鋭い光に変わった。彼に歩み寄りながら、その目
瑠璃はじっと隼人の目を見つめた。その瞳に、かつて彼が激怒していた時とよく似た光を感じた。だが実際には——それは怒りではなかった。恐れ、不安、そして——心配。それが彼の目に宿っていた。それが、瑠璃には意外だった。「千璃ちゃん、大丈夫か?」隼人は優しい声でそう問いかけ、彼女の腕を取り、そっと立ち上がらせた。「大丈夫」瑠璃は乱れた服を整えながら静かに言った。「おじいさまの世話をしに、別荘に戻るわ」「送る」「うん」彼女は拒まなかった。車の中でも、彼女の頭の中にはずっと、あのとき隼人が見せた怒りに似たけれど動揺と恐怖に満ちた瞳が、離れなかった。車が別荘に到着した頃、隼人のスマホが鳴った。彼はすぐに応答し、どうやら急ぎの用事ができたようだった。「千璃ちゃん、少し出かけてくる。母の言うことは気にするな」隼人はそう念を押して、車を降りる彼女を見送った。瑠璃は黙って頷き、振り返らずに屋内へと入っていった。隼人はその背中をしばらく見つめ、ふと、彼女が口にした「正式に離婚届を出す」という言葉を思い出した。——ついに、その日が来るのか。あの日、彼女が自分の傷を手当てしてくれた時、隼人はまだ淡い希望を抱いていた。——彼女の心の中には、まだ自分がいるんじゃないかと。だが、それはただの思い上がりだった。——彼女の心には、もう自分はいないのだ。だからこそ、彼女はあんなにも冷静で、あんなにも潔い。隼人は苦笑いを浮かべ、ハンドルを切った。その頃、雪菜は上機嫌だった。今夜、どうやって祖父を眠ったまま二度と目覚めさせないか、頭の中で計画を巡らせていた矢先——瑠璃が玄関から入ってくる姿が見えた。雪菜はすぐに青葉のそばに駆け寄り、火に油を注ぐように囁いた。「おばさま、見ました?やっぱり彼女、何もなかったのよ。お兄さまが彼女に夢中だから、きっと庇ったんだわ!」青葉はちょうど鏡を手に、傷が残らないかを心配していたところだった。その言葉を聞くと、すぐに怒りが爆発した。立ち上がった彼女は、目の前を素通りしようとする瑠璃に対して、手に持っていた鏡を力いっぱい投げつけた。しかし瑠璃は素早く身をかわし、鏡は彼女の足元で「パリンッ」と鋭く砕け散った。彼女は鋭い眼差しを向けた。「今のは立派
瑠璃が警察署で事情聴取を終えて出てくると、隼人が入り口で待っているのが目に入った。彼は陽の光の中で、伏し目がちに何かをじっと見つめていた。その白く穏やかな顔には、どこか少年のような面影があった。一瞬、瑠璃の脳裏に、かつて彼を遠くから見つめていた記憶のようなイメージがよぎった。だが、それを深く思い出そうとすると、頭がずきりと痛んだ。きっと、事故による記憶喪失の後遺症だ――きっと、過去の記憶がすべて戻らない限り、この痛みは消えないのかもしれない。そう思いながら、瑠璃は彼に近づいた。近くまで来て、ようやく気づく。彼がじっと見つめていたのは、自分の左手の薬指につけられた結婚指輪だったのだ。その眉の端に宿る柔らかな光。唇には微笑のようなものが浮かんでいた。ついこの間、隼人はあの別荘で「お前は今も俺の正式な妻だ」と言い切っていた。それを思い出して、瑠璃は問いかけた。「私たち、もう離婚の手続きは済ませてるはず。それなのに、どうして正式な妻だなんて言うの?」隼人はまだ過去の思い出に浸っていたが、その声に現実に引き戻され、彼女の瞳と視線が合った。「瞬から聞いたのか?俺たちはもう離婚したって」「質問に答えて」瑠璃は冷たく顔を背けた。隼人は苦笑しながら、静かに答えた。「離婚届は確かに書いたけど。けど……正式な離婚はまだ成立していない。だから法的には、お前はまだ俺の妻なんだ」そう言った彼の顔には、ほっとしたような、どこか嬉しそうな笑みが浮かんだ。まるで「まだお前は俺のものだ」と言いたげに。だが、瑠璃はそのささやかな喜びをすぐに打ち砕いた。「隼人、私、あなたのお母さんを傷つけた本当の犯人を、もうすぐ突き止める。それが終わったら――一緒に離婚届を提出に行きましょう」彼の顔から笑みが一瞬で消え、心臓を鋭利な刃で貫かれたような痛みが走った。その冷たく、迷いのない言葉が、彼の全身を凍りつかせた。そして、彼女の言葉の中に何かを感じ取った隼人が言った。「千璃ちゃん……もう犯人が誰か分かったのか?」瑠璃は振り返り、淡々と答えた。「分かってないのは、あなたのお母さんよ」そう言って彼女は踵を返し、タクシーを呼ぼうと歩き出す。しかし、ちょうどそのとき――交差点の角から、一台のスポーツカーが猛スピー
「ここは私の家よ!なんで私が避けなきゃいけないのよ!」青葉は当然のように叫んだ。「私は何もやましいことなんてしていない。どうしてあなたに遠慮する必要があるの?」瑠璃はまっすぐに反論した。「この!」「ここは千璃ちゃんの家でもある。来たければ来ればいい。これ以上騒ぎを起こすな」隼人は不快げに青葉へ釘を刺した。「この女はもうあなたと離婚したのよ?妻じゃないなら、ここはもうこの女の家じゃないはずでしょ!」青葉は反論を返した。隼人は落ち着いた様子で瑠璃を一瞥し、薄く唇を開いた。「いや、彼女は今でも俺の正式な妻だ」「……えっ?」青葉と雪菜が同時に驚きの声を上げ、瑠璃自身も思わず目を見開いた。その時——「ここが傷害事件の現場で間違いないですか?」突然現れた二人の警察官の声が、その場の空気を断ち切った。瑠璃も思わず振り返った。青葉は急いで駆け寄り、身を乗り出すようにして訴えた。「そうです、警察の方!被害者は私です!そして加害者はこの女です!」彼女は瑠璃を指差して叫んだ。「この女が私を殴って、私の財布とジュエリーを盗んだんです!捕まえてください!」隼人の目元に瞬時に怒りの色が宿った。警察は瑠璃を一瞥し、確認するように言った。「あなたが四宮瑠璃さんですね?」瑠璃は落ち着いた声で返した。「本名は碓氷千璃です。四宮瑠璃は昔の名前です」警官は軽く頷いた。「では、事情を聞かせてもらうために、警察署まで同行願えますか?」「はい、構いません」「ふん!」青葉は鼻で笑った。「いつまで平然と装っていられるかしら!」その後ろで、雪菜は顔に出さずにほくそ笑んでいた。——よし、よし!瑠璃が有罪になれば、私は完全に無関係になる!警察は青葉を連れて、事件現場の確認へ向かった。雪菜も後を追い、階段の前を通りかかった時——女ヘルパーが祖父を車椅子に乗せて部屋から出てきたのを見かけた。「……瑠……璃……」祖父がかすれた声で、はっきりと瑠璃の名前を呼んだ。雪菜の足がピタリと止まる。祖父のその呼び方はたどたどしかったが、確かに明瞭で、聞き間違えるはずもなかった。——そして、次の瞬間。祖父は、彼女の方をじっと見ながら「雪……」と口にしたのだった。その言葉に
上着がはだけ、冷たい空気が肌を撫でた。瞬の持つ魅力にはどこか人を惑わせる力があったが、瑠璃の意識ははっきりしていた。彼女はその瞬間、瞬の近づいた手を強く握りしめた。「ごめんなさい、瞬……まだ、その心の準備ができてないの」決然とした口調だった。そう言うと彼女は迷いなく瞬の腕の中から抜け出し、距離をとった。身体が離れた途端、瑠璃の気持ちは少しだけ落ち着いた。瞬は無言のまますべての不満を飲み込み、穏やかな表情で立ち上がると、瑠璃に謝意を込めた視線を向けた。「すまない、千璃。無理をした」瑠璃は首を横に振った。「あなたのせいじゃない。悪いのは私。昔のことを思い出せないし……あなたといたときの感覚も戻ってこない。だから……」「気にしないで」瞬は穏やかに微笑み、彼女を慰めた。「無理することはないさ。いつか、思い出せる日がきっと来る」「ありがとう、瞬」「馬鹿だな。そんなことでありがとうなんて言わないでくれよ。俺たち、もう式は挙げたんだ。まだ籍は入れてないけど……俺の中では、もう君はとっくに俺の妻だよ。」瞬はそう言いながらそっと瑠璃を抱きしめ、彼女のさらさらとした長い髪を撫でた。「深く考えずに、今夜はゆっくり休むんだ」「あなたも、早く休んでね」瞬は静かに頷いた。「おやすみ」微笑みながら部屋を出て行ったが、その笑みはすでにどこか消えかかっていた。瑠璃の拒絶は、彼女がまだ隼人を愛していることを意味しているわけではない。だが少なくとも、彼に対しての想いがないということは証明された。瞬の目に、一瞬だけ鋭い光が走った。だがすぐに、それはまた穏やかに変わっていった。——千璃。君に俺を愛させてみせる。それは、君に出会ったあの日、初めて誓ったことだ。……夜が明けた。隼人は一晩中眠れなかった。ずっと、昨日の瑠璃と瞬のキスが頭から離れず、心の中をぐるぐると回っていた。あれこれ考えているうちに夜が明け、ようやく、瑠璃が再び姿を現した。隼人は内心の不安と心配を懸命に隠し、何事もなかったかのように微笑んで彼女に声をかけた。「千璃ちゃん、来てくれたんだ。ちょうどさっき、おじいちゃんがお前の名前を呼んでた」瑠璃は彼に目を向けた。「おじい様、ほかにも何か言ってた?」隼人は首を振