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第177話

Author: 連衣の水調
その日はたまたま午後で、医師が薬材を買い出しに出かけており、別荘には静華一人だけが残されていた。

部屋がひどく息苦しく感じた静華は、手探りで階下へ降りた。リビングに着いた途端、外で物音がした。

初めは医師が戻ったのかと思ったが、ハイヒールが床を踏む音がだんだん近づいてきた。

りんが傲然と戸口に現れた。静華は数メートル離れていても、りんが纏う憎悪を感じ取った。

静華は意外ではなかった。むしろ、りんが来るのが遅すぎるとさえ感じていた。

静華は気づかないふりをしてソファにもたれかかった。りんは部屋に漂う鼻を突く匂いを嗅ぎ、冷笑した。

「なんでこんなに薬臭いの。森、もうすぐ死ぬの?」

他に誰もいないため、りんの口調は鋭かった。

静華は淡々と答えた。

「望月さんをがっかりさせて申し訳ないけど、私は今のところまだ死なないわ。

この薬は、私が子供を妊娠できないから、野崎が医師を寄越して煎じてくれているものよ。

すごく滋養があるって聞いたわ。もし興味があるなら、試してみてもいいわよ」

「なんだって?!」

りんの美しい瞳が揺れ、繊細な顔立ちにひびが入ったような表情。

森が子供を妊娠できないというだけで、胤道が医師を寄越して、わざわざ森のために薬を煎じさせてるっていうの?!

胤道、一体何をするつもりなの!このところ、自分は胤道に会うことさえ難しいのに!

「嘘でしょう!あんたが子供を妊娠できないからって、それが胤道に何の関係があるの?」

一瞬の後、りんは落ち着きを取り戻し、軽蔑するように冷笑した。

「森、あんたがどんな立場か、私があんたよりよく知ってるわ!

胤道は私があんたのあの子犬の腹を切り裂き、手足をバラバラにしたのを知っていても、私を許してくれたのよ。それは私が彼の妻の一番の候補だってこと。

彼がどうして、どうでもいい女が妊娠するかどうか気にするっていうの?」

静華が答えるのを待たずに、りんはまた顔を歪めて言った。

「たとえ彼が本当にあんたが妊娠するかどうかを気にしていたとしても、それはただ私が体が弱くて妊娠しにくいから、そして野崎家には後継者が必要だからに過ぎないわ!」

静華は一瞬呆然とした。りんの声がはっきりと耳に残った。瞬間、胤道がどうしても自分を妊娠させようとする目的が明確になった。

どうりで彼が自分がもう妊娠できないことを気
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平田 麻里
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