LOGIN私、梅原唯(うめはら ゆい)の婚約者である黒崎勇真(くろさき ゆうま)は、極道の世界を支配している。 世間の目には、彼は権力そのものに映るが、私の目には、彼は愛そのものにほかならない。 しかし私は、こんな男を愛することがどれほどの代償を伴うのか、まったくわかっていなかった。 バレンタインデーに、私は勇真の好きな料理を自分の手で作り、彼の帰りを待っていた。 時は刻々と過ぎていったが、彼はずっと帰ってこなかった。 不安に駆られながら、私は彼の義妹である神田千鶴(かんだ ちづる)のSNS投稿を開いた。 【彼を褒めてみたい。私が寂しいって一言言っただけで、すぐに来てくれたの。 それに、私がうっかり彼の服にワインをこぼしても、彼は全然気にしないんだよ。やっぱり勇真は、家族を何よりも優先する人だね。恋人が冷遇されようとも、決して私を失望させはしない。これからも変わらずにいてほしい】 写真の中で、勇真の腰まわりのシャツは濡れ透け、千鶴のハンカチは彼の最も秘められた場所のあたりを危うげにさまよっていた。 勇真は避けようともせず、ただ甘やかすような目で彼女を見つめていた。 私は騒がなかった。ただ、千鶴の投稿に「いいね」を押しただけだった。 そして勇真に一通のメッセージを送った。【別れましょう】 勇真は、いつも通りそのメッセージを無視した。 あとで知ったことだが、別れのメッセージが届いた時、彼はただ淡々とこう言っただけだった。 「唯は俺なしじゃ生きられない。拗ねてるだけだ。数日放っておけば、自分で戻ってくるさ。彼女は本当に簡単に機嫌を直すから」 彼は知らなかった。私がこれまでそんなに簡単に機嫌が直ったのは、彼を愛していたからだ。 私が離れると決めた以上、彼がどんなに慰めようと、もう私を引き留めることはできないのだ。
View Moreその日以来、私の世界はようやく静けさを取り戻した。風の銃傷は重かったが、回復は順調だった。彼が入院していた間、私は彼のそばを一歩も離れずに看病した。まるで昔、何度も勇真のそばを守っていた時のように。けれど、少しだけ違っていた。風は昏睡していても、無意識に私の手を握り返してくる。目を覚ましたら真っ先に私が怖い思いをしなかったかと尋ねる。彼は勇真のことも、過去のことも一切口にせず、ただ静かに寄り添っている。七年にも及んだあの悪夢から私を引き上げるように、ひたすら優しく包んでくれた。私は思い始めていた。もしかしたら、私も光のある方へ歩いていけるのかもしれない、と。あの日の後、勇真はようやく私の決意を悟り、もう二度と現れないだろうと、私はそう思っていた。だが、半月後の雨の夜、彼は再び現れた。今度は車列もなく、千鶴も連れず、ただひとりで。外ではいつも輝きをまとっていたヤクザの親分は、今はしわだらけの黒いシャツを着て、全身ずぶ濡れのまま、私の花屋の前に立っていた。顎には青黒い無精髭、目の下には深い影。かつて刃のように鋭かった眼差しには、疲労と血走った赤みだけが残り、まるで見捨てられた野良犬のようだった。風はすでに眠っていた。私は勇真にドアを開けた。「唯……」彼は私を見つめ、掠れた声で言った。「一緒に帰ろう。この前のバーの件、全部調べた。俺が間違ってた。本当にすまなかった」私は入口に立ったまま、何も言わずに彼を見ていた。焦ったように、彼は続けた。「別荘は……君がいないと、恐ろしいほど空っぽなんだ。この数日、夢を見るたびに俺たちが初めて出会ったあの雨夜に戻る。君が俺にしがみついて、子どもみたいに泣いて……あの時、君の目には俺しかいなかった。それに、君は俺のために組織に入って、俺のためにも、組織のためにもすべてを捧げて……唯、本当にすまなかった。俺が悪かった」彼の目はすでに赤く染まっていた。「境界を見誤ったのも、千鶴を甘やかしたのも……君を代わりの存在みたいに扱って、君の愛とすべてを当然のように受け取って……俺は最低だ」正直に言えば、勇真が涙を流すのを見たのは初めてだった。任務で銃に何発も撃たれた時でさえ、裏切り者に囲まれ血塗れになった時でさえ、彼は眉ひとつ動かさなかった。なのに今、彼は泣いている。け
千鶴の「私たち、もうあなたを許してるんだから」っていう言葉を聞いた瞬間、私は思わず笑ってしまった。私の笑いは小さく控えめだったが、それで勇真の顔色は一瞬でさらに険しくなった。「何を笑ってる?」「自分を笑っているのよ、勇真」私は笑いを収め、顔を上げて冷たい口調で言った。「七年もかけて、あなたがどんな男かようやく見抜けた自分を笑っているの」私は一歩前に出て、彼の目をまっすぐに見つめ、一言一言を噛み締めるように言った。「あなたは私を恋人だと言ったけれど、本当にそう思っていたの?バレンタインデーに、彼女の『寂しい』という一言で、あなたは私を置き去りにした。一晩中家で待たせたとき、あなたは私を恋人だと思っていた?私が襲撃され、全身傷だらけで病床に横たわっていたとき、あなたは口では『裏切り者を始末してくる』と言った。しかし、実際にあなたは千鶴と海外へ行き、ファッションショーを観に行った。あなたはあの時、本当に私を恋人だと思っていたの?そして今、彼女の『後悔したくない』という願いを叶えるために、私が七年も待ち続けた結婚式を彼女に差し出すとき、あなたは私を恋人だと思っているの?勇真、胸に手を当てて考えてごらん。顔以外に、あなたは私を愛しているのか、それともすべての問題を処理してくれる、千鶴に似た代わりの存在を愛しているのか?」私の一つ一つの問いかけが、彼の顔色から血の色を奪っていった。彼の眼差しの中の怒りは次第に消え、代わりに自分でも理解できない動揺が浮かんだ。彼は口を開いたが、一言も出てこない。私は最後に彼を一瞥し、落ち着いた声で言った。「それから、あのバーで、私は彼女を銃で襲うつもりはなかった。本当に真相を知りたいなら、あの店の監視カメラを確認すればいい」「嘘よ!」千鶴が突然叫び、慌てた顔で言った。「私、ちゃんと確認したのよ、あそこには監視カメラなんてなかったんだから!」言い終えるとすぐ、彼女は自分が間違ったことを言ったと気づき、すぐに口を押さえた。空気は一瞬で張り詰めた。勇真は猛然と顔を向け、千鶴を震える目で見つめた。彼は馬鹿ではない、一瞬でそれが何を意味するのか理解したのだ。「私……違う、間違って言ったの……」千鶴は慌てて首を振った。しかし次の瞬間、どんな弁解も無力であると悟り、怒りに駆られ、バ
「何でもないよ」私は凛音をなだめ、ただ気晴らしに出てきただけで、後でまた連絡すると伝えた。電話を切り、窓の外に広がる小さな町の静かな夜景を眺めたが、胸の内は少しも穏やかではなかった。勇真のやり方なら、ここを見つけるのは時間の問題だけだと分かっていた。案の定、一ヶ月後、彼はやって来た。その日の午後、日差しは暖かく、私はエプロン姿で店先の新しく入荷したアジサイの鉢を手入れしていた。黒塗りの車列が音もなく通りの角に停まった。周囲ののんびりした空気とは明らかに相容れない存在感だった。先頭の車のドアが開き、勇真が降りてきた。彼は仕立ての良いオーダーメイドのスーツを着込み、髪もきっちり整えられていて、一見すると一ヶ月前と大きく変わらない。だが、その眼差しには、これまで見たことのない疲れと赤く滲んだ充血が浮かんでいた。彼は私を見つめた。泥がついたエプロンと手にした小さなスコップを見て、驚愕と戸惑いを隠せない表情だった。まるで、私が彼のもとを離れたなら、もっと落ちぶれているはずだとでも思っていたかのように。私が今のように、穏やかで、むしろ生活に満足している姿は想定外なのだ。彼は一歩一歩こちらへ近づき、私の目の前で立ち止まった。「もう気が済んだのか、唯?どうして組織まで辞めたんだ?」その声はかすれていたが、あの絶対的な傲慢さは変わらない。「俺が来た。結婚式も整えてある。帰るぞ」私はスコップを置き、手を拭い、落ち着いて彼を見た。「今の生活が好きよ。戻るつもりはないわ。それに、私たちもう別れたじゃない」彼の顔色がみるみる険しくなった。「俺がいつ別れると言った?」そのとき、店の奥から風が姿を現した。手にはショールを持っている。彼は勇真を見てもまったく驚く様子もなく、自然な動作でそのショールを私の肩に掛け、平然と私の隣に立った。勇真の視線が、一瞬で敵意に染まった。彼は冷笑し、嘲るように言った。「なるほど、これが君の新しい手段か?男を連れてきて俺を刺激し、もっと君を気に掛けさせようってわけか?」彼はさらに一歩踏み込み、歯を食いしばるように低く言った。「唯、俺はもう結婚式まで用意したんだ。君はどこまで気が済まない?」「私はあなたの結婚式なんていらないの、勇真」怒りで歪んだその顔を見つめ、私は初めて彼を見知らぬ人のよう
私は別の国へ渡った。勇真のあの誇り高さからして、彼はもう二度と私に連絡してこないだろう。私たちは互いの世界から、完全に消え去るはずだった。けれど、一週間後。彼からメッセージが届いた。【唯、どこにいる?自分の過ちを反省したなら戻ってこい。君との結婚式はもう準備してあるぞ】私はその文字を見つめ、ゆっくりと打ち込んだ。冷え切った決意のこもった言葉だった。【勇真、私たちはもう別れたの。私はもう離れた。あなたと千鶴の邪魔にはならないよ】まさか彼が自分から連絡してくるとは思わなかった。それどころか、私に拒否された後でも、彼は執拗にメッセージを送り続けた。画面いっぱいに詰め込まれた文字列を眺めながら、私は返信しなかった。程なくして、彼から電話がかかってきた。画面に浮かぶその名前を見て、私は一瞬たりともためらうことなく、そのまま電話を切り、彼の番号をブロックした。これで本当に終わりだ。「もう二度と目の前に現れるな」彼自身がそう言ったのだから、私はその願いを叶えただけ。良識のある元カレというものは、まるで死んでしまったかのように振る舞うものだ。私はスマホを置き、目の前のバラの手入れを続けた。ここは海外の海辺の小さな町。陽光は明るく、空気にはいつも花と潮の香りが混じっている。私は持ち出せた唯一の貯金で、小さな花屋を借りた。もう冷たい銃を握りしめることもなく、触れるのは露に濡れた花びらばかり。生活は質素で、時に苦労もするが、かつてないほどの安らぎを感じさせてくれる。これが、私自身で選んだ新しい人生。「梅原さん、コーヒーをどうぞ」落ち着いた声が入口から聞こえ、常陸風(ひたち かぜ)が湯気の立つコーヒーを差し出した。彼とはずっと前、ヤクザの任務で顔を合わせたことがある。「もしいつか、ヤクザの生活から抜け出したくなったら、迎えに行くよ」昔、彼はそう言っていた。私は何も答えずにいたけれど、あの日、ついにその番号に電話をかけた。風は背景の知れない実業家で、この花屋の常連でもある。彼は毎日必ず白いバラを一束買っていく。雨の日も、風の日も。彼は私の過去を知っていても、何も聞かない。ただ、私が悪夢にうなされて顔色が青ざめているときだけ、彼が差し入れてくれるコーヒーには、そっと一つ余分な砂糖が入っているのだ