Share

第10話

Author: 藤原 白乃介
佳奈は何も考えずに即答した。

「それ以外なら、全部聞いてあげる」

智哉は彼女の顎をつかみ、薄笑いを浮かべながら低い声で言った。

「でも、俺が欲しいのはそれだけなんだよ」

「智哉、たとえ私が目的を持ってあなたに近づいたと思っているとしても、この3年間、あなたをしっかり支えてきた。私はもうあなたに何の借りもない。私を自由にしてもらう理由は十分なはずよ」

佳奈のその頑固な目つき、ペラペラと止まらないその口、さらにうっすらと見える胸の谷間に、智哉の喉仏が無意識に上下する。

彼は彼女を一気に膝の上に抱え込み、顎を彼女の肩に乗せながら、低く掠れた声で言った。

「なら、しっかり教えてくれよ。どうやって俺を支えてきたのかを」

その低くて魅力的な声が佳奈の頭皮をざわつかせる。

同時に、彼の大きな手が彼女の服の中に忍び込んでくる。

佳奈は必死に抵抗するが、智哉の力強い腕にしっかりと捕まえられて逃げ出せない。

焦った彼女はそのまま彼の肩に噛みついた。

自分の中に溜まったすべての不満と悲しみを、その噛み痕に込めたかのように強く。

血の味が口の中に広がるまで噛み続けた彼女は、やっとのことで噛むのをやめる。

佳奈の瞳には涙が浮かび、震えた声で警告した。

「智哉、本当に私を怒らせないで。ウサギだって追い詰められたら噛むんだから」

そう言い終えると、彼女は彼を強く突き飛ばし、哀しげな表情を浮かべながらその場を後にした。

高木が車に戻ってきた時、ちょうど社長がスマホを手に肩の写真を撮っているところだった。

バックミラー越しに、高木はその肩に残った噛み痕を見た。血が滲んでいる。

またやらかしましたね、社長.....

高木は同情しつつ、軽く尋ねた。

「高橋社長、お薬塗りましょうか?」

智哉は冷ややかに高木を睨みつけた。

「俺がそんなヤワに見えるか?」

高木の心の声:いや、ヤワじゃないけど、その証拠を残して藤崎秘書に藤崎秘書に仕返しするつもりだろうね。

智哉は数枚の写真を撮り終えると、やっと服を整えた。

そして、冷たく命じるように言った。

「藤崎家のプロジェクトを止めたのは誰だ?」

高木は頭を垂れ、しばらくためらった後、ポツリと言った。

「夫人です」

「なぜ俺に報告がなかった?」

「夫人が黙っていろと言ったんです」

「高木、お前は俺の秘書なのか、それとも夫人の秘書か?」

高木は慌てて答えた。

「もちろん高橋社長の秘書です。でも、夫人は、社長と藤崎秘書の関係を知ってしまったみたいです。

それで、藤崎秘書の過去3年間の行動を調べさせたうえで、藤崎家と高橋グループの契約を調査したようです。

どうも、かなり厳しい態度で臨んでいるように見えます」

智哉は長い指で、力を込めてネクタイを引っ張り下ろした。

智哉の目に冷ややかな光が浮かび上がった。

彼はスマートフォンを取り出し、母親に電話をかけた。

通話がつながると、受話器越しに女性の冷たい声が聞こえてきた。

「藤崎家のために情状酌量を頼むなら、無駄よ。私は手を引かないから」

智哉の顔色は見る見るうちに険しくなった。

「彼女は俺の女だ。あなたに彼女をどうこうする権利はない」

高橋夫人は冷笑を漏らした。

「だからこそ、私は彼女を排除するのよ。あなた、知らないの?昔、あの子の母親があなたの父親を誘惑したことがあったのよ。そんな手段で男を手に入れる女の娘が、まともなわけがないでしょう」

智哉は鼻で笑いながら言った。

「それは彼女の母親のことだろう。彼女とは関係ない」

「智哉、高橋家はそんな女を絶対に受け入れない。彼女と一緒になっても幸せにはなれないわ」

「じゃあ、あなたと父さんは幸せなのか?俺が幼いころから何度も喧嘩を繰り返して、別れたり寄り戻したりを何十年も続けてきた。そのせいで俺は結婚が怖くなり、姉さんは愛を信じなくなった。30を超えても独り身のままだ。そんな状況を見て、まだ反省しないのか?俺たちを追い詰めて何が楽しいんだ!」

智哉の声は怒りで震えていた。

頭の中には、両親が日々喧嘩を繰り返していた場面が次々と浮かんできた。

姉が彼を抱き寄せ、小さな暗い部屋でじっと泣いている姿。

もし祖母が丁寧に面倒を見てくれなければ、きっと健やかに成長することなど叶わなかっただろう。

智哉は椅子にもたれ、指先で軽くこめかみを押さえた。

こうしたことを思い出すたびに、彼の頭痛は酷くなった。

しかし、高橋夫人は息子の苦しみなど露ほども気にかけることなく、冷徹な口調を崩さなかった。

「私だけの責任だと言いたいの?あなたの父親があちこちで浮気をしなければ、私が怒ることなんてなかったわ!」

「智哉、はっきり言っておくわ。佳奈の件は私が責任を持って対処する。彼女をあなたのそばに置くことは絶対に許さない。たとえ愛人であっても駄目よ!」

そう言い放つと、高橋夫人は一方的に電話を切った。

智哉は怒りでこめかみの血管が跳ね上がるのを感じ、煙草の箱から一本取り出して火をつけた。

彼は椅子にもたれかかり、深く煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

——

数日後

佳奈は父親の昼食を手伝い終えると、突然、病院の産婦人科からの電話を受けた。

先日、流産後に行った婦人科の総合検査の結果が出たらしい。

彼女は携帯を手に持ちながら病室を出て、電話に応答した。

「藤崎さん、検査結果に少し問題が見つかりました。できればすぐにお越しください」

嫌な予感がした佳奈は、電話を切ると父親に簡単な言葉をかけ、適当な理由をつけて病院を出た。

診察室に入ると、医師はデータを見つめながら佳奈を一瞥し、尋ねた。

「事後避妊薬を頻繁に服用していますね?」

佳奈は静かにうなずいた。

智哉はいつでもどこでも彼女を求め、ゴムの準備が間に合わないときは仕方なく薬を服用していた。

流産に至った妊娠も、智哉の激しい行為が原因で高熱を出し、薬を飲むのを忘れたことから始まったものだった。

医師は佳奈を少し気の毒そうに見つめ、言葉を続けた。

「あなたの子宮は後屈していて、内膜も薄い。それに頻繁な事後避妊薬の服用が影響し、卵巣に早期老化の兆候があります。

妊娠するのが非常に困難な状態です。今回の流産と大量出血で、さらに身体に大きなダメージを与えました。

再び妊娠できる確率は、現在の段階では20%を下回るでしょう」

その言葉を聞いた佳奈は、胸の中に鋭い刃が突き刺さったような感覚を覚えた。

息が詰まるほどの激痛に襲われ、小さな手で服の裾をしっかりと握りしめる。

彼女は親戚に、妊娠確率が40%の女性がいたことを思い出した。

その親戚は結婚して5年が経つが、いまだに子供を授かれていない。

「私のこの20%の確率では、この先一生母親になれないかもしれない......」

佳奈は声を絞り出すように尋ねた。

「先生、何か方法はありませんか?」

医師は無力感を漂わせて首を横に振った。

「漢方薬を処方して調整してみますが、劇的に改善される保証はありません。

ただし、事後避妊薬の使用は今後一切禁止です。女性が母親になる力を失うことの重大さは計り知れません。

本当にあなたを愛している男なら、避妊方法はいくらでもあるはずです。自分だけが快楽を得ることを優先し、あなたの身体を犠牲にするような人間ではないはずですよ」

佳奈は苦笑いを浮かべた。

「本当にそうですね......」

智哉が彼女を愛していたなら、彼女にこんな負担を負わせることはなかっただろう。

診察結果の用紙を手にした佳奈は、ふらつきながら診察室を後にした。

ドアを開けた瞬間、次の患者が中に入ってくる。

佳奈は相手の顔を確認する余裕もなく、すれ違いざまに廊下に出る。

だが数歩進んだところで、耳に飛び込んできたのはよく知る声だった。

「先生、妊活のための検査をお願いします。結婚後すぐに子供が欲しいんです」

佳奈はその場で立ち止まり、動けなくなった。

しばらくして振り返ると、そこには幸福そうな笑顔を浮かべる美桜の姿があった。

智哉は彼女と結婚も子供も望まなかった。

それどころか、妊娠しないよう彼女に避妊薬を強要し、その結果、彼女の身体は取り返しのつかない状態になった。

しかし、今の彼は美桜と結婚するつもりで、さらに子供まで望んでいる。

この差は、彼女の心を引き裂くには十分だった。

佳奈は心身が凍りつくような痛みを覚えながら、外へと歩き出した。

数歩進んだところで、突然、誰かの腕の中に倒れ込む。

驚いて顔を上げると、そこには智哉の冷静な表情があった。

彼の冷ややかな声が頭上から降りてきた。

「妊娠しているのか?」

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第963話

    彼女はまるで何年も前、バーで初めて玲央を見た時のような気持ちに戻ってしまった。 長い間凍りついていた心が、僅かに震えて動き出す。 彼女は男の顔をじっと見つめ、やがて男がゆっくりと歩み寄ってくるのを見守った。 深く腰を折り、温かな声で告げる。 「女王陛下、私はウィリアム家の末子、ウィリアム・ムアンです。兄たちのような才覚はございませんが、歌うことができます。そして何より、女王陛下と共に人生を楽しみたい。その機会を、私にくださいますか」 麗美の心臓はその言葉に鋭く刺されたように痛んだ。 それはかつての夢――愛する男と共に、穏やかな人生を楽しむこと。 なぜこの男の言葉は、彼女の心を正確に突くのか。 偶然か、それとも……計算か。 麗美はその顔を凝視し、低い声で問う。 「どうして仮面をつけているの?顔に何か欠点でもあるのかしら」 男は口元をわずかに弯めて笑った。 「女王に欺瞞があるなら、私は祖国で最も重い刑罰を受ける覚悟です。仮面をかけている理由はただ一つ……この顔は、女王陛下お一人のためだけに見せたいからです」 その説明は麗美の好奇心をさらに強く刺激した。 自分の心がすでに彼に揺さぶられているのを、麗美ははっきりと自覚していた。 彼の姿から、まるで玲央の影を重ねてしまう。 しかし断言できる――彼は玲央ではない。 ウィリアム家はM国の百年名門、玲央と関わるはずがないのだ。 麗美の感情が揺れ動くのを見て、智哉は彼女の手の甲を軽く叩き、低く言った。 「姉さん、この男が気になるなら、俺が素性を調べてくる」 麗美は一瞬も迷わず答えた。 「お願い」 四王子はすぐに身を屈め、言葉を添える。 「麗美、ウィリアム家は百年の名門だ。もし縁を結べば、我が王室にとって大きな助けになる。彼らは金鉱や石油をいくつも掌握している」 「分かっているわ。では、彼にしましょう」 四王子は笑みを浮かべ、宣言した。 「ムアン、女王陛下と踊っていただけますか」 場にいた誰もがその意味を悟った。 喜びの顔もあれば、肩を落とす顔もある。 ムアンは恭しく手を差し出した。 「女王陛下、ご一緒できて光栄です。どうぞ」 麗美は彼の手を取って舞踏の中央へ。音楽に合わせ、華やかに舞い始める。 男の黒曜石

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第962話

    王宮は女王の婿選びのために、特別に私的な宴を開いていた。 招かれたのは、皆M国の王侯貴族たち。 息子がいる家は連れてきて、息子がいない家はとりあえず様子を見にやってくる。 何せ女王と結ばれるとなれば、それはこの上ない栄誉であり、一生栄華を享受できるのだから。 麗美は智哉と話していたが、その時執事が近づき報告してきた。 「女王陛下、賓客は皆揃いました。そろそろご出場を」 「もう少し待って。まだ一人来てないわ」 ちょうどそう言い終えた時、晴臣が長い脚で堂々と入ってきた。 「待たなくていい。俺が来た」 麗美は佑くんの手を引いて前を歩き、智哉と晴臣がその後ろにつく。 四人が揃えば、誰もが振り返るほどの華やかさで、その場の賓客は思わず感嘆の声を漏らした。 この宴の進行役は王宮の四王子であり、麗美にとってはおじさんの世代。 四王子は麗美の隣に立ち、にこやかに言った。 「麗美、俺たちおじさんで何人か貴族の若者を選んできた。これから一人ずつ紹介するから、気に入った者がいれば教えてくれ」 麗美の顔に感情は浮かばない。こうなることは前から分かっていた。 早く来ようが遅く来ようが、結局同じこと。 どうせ政略結婚、本当の愛なんて出会えるはずもないと分かっている。 彼女は淡い微笑みを浮かべて唇を曲げた。 「おじさん、ご苦労さま。始めてください」 麗美は主座に腰を下ろし、佑くんを抱きかかえ、左右に智哉と晴臣が並ぶ。 まるで二人の護衛が控えているかのような光景だった。 智哉は今やZEROグループの社長であり、M国経済の大部分を握り、各名家とも深く関わっている。 一方、瀬名グループは医薬業界の頂点に立つ存在。 その両者が麗美を護っている今、彼女の前で無礼を働ける者など誰一人いない。 佑くんはお菓子を食べながら、黒いつぶらな瞳で次々と入ってくる王侯貴族を観察していた。 彼らは皆きちんと正装し、立ち居振る舞いも紳士的で誇り高い。 だが、麗美に自己紹介する時には、まるで自分の体毛の本数まで語りかねない勢いだった。 確かに気品ある者もいれば顔立ちの整った者もいた。 しかし麗美の心は微動だにしない。 魅力を感じないどころか、嫌悪感すら湧いてくる。 もし彼らと一生を共にするのなら、自分は永

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第961話

    その言葉を聞いた瞬間、晴臣はカッとなって、佑くんのつるんとしたお腹にガブリと噛みついた。 笑いながら言う。 「じゃあやっぱりいらないな。そうすれば、もうちょっと長生きできそうだ」 佑くんはくすぐったそうにゲラゲラ笑った。 「晴臣おじさん、くすぐったいよ、助けて~」 「じゃあ俺の酸素チューブはもう抜かないか?」 「抜かないよ」 二人でじゃれ合っていると、突然ドアがバンと開いて、智哉が入ってきた。 床に転がっている二人を見て、すぐさま声を上げる。 「お前、俺の息子を床に寝かせたのか?」 晴臣は思わず睨み返した。 「何言ってやがる。お前の息子がやらかしたんだぞ、俺、溺れかけたんだよ」 そう言い終えるか終えないかで、佑くんが彼の口を手で塞ぎ、ぱちぱちと目を瞬かせた。 「晴臣おじさん、言ったこと守らないと、僕、嫌いになっちゃうよ」 智哉はそばまで歩いてきて、佑くんの服を確かめると、ひょいっと腕に抱き上げ、軽くお尻をポンと叩いた。 「昨夜、こっそり飲み物飲んだろ?」 犯行を突かれ、佑くんは黒い大きな瞳をぱちぱちさせながら、甘えた声で答えた。 「花音お姉ちゃんが飲みきれないって言うから、僕が代わりに手伝ったの。おばあちゃんが『食べ物を粗末にするのはだめ』って言ってたから、これは助けてあげただけなんだよ」 もっともらしい口ぶりに、智哉は呆れ笑いを漏らし、子どもの首筋に軽く口づけした。 「理屈をこねるのは大したもんだな。さすが弁護士の息子だ……よし、パパと一緒にお風呂入って、そのあとおばさんに会いに行こう」 「やったー!また王宮で遊べる!」 朝ごはんを終え、晴臣は花音を学校へ送り届け、智哉は佑くんを連れて王宮で麗美に会いに行った。 佑くんは今日はアイボリー色のミニスーツに黒い蝶ネクタイ姿。髪もきちんと後ろに撫でつけ、整髪料できらりと光っていた。 天使みたいに可愛らしい顔立ちと相まって、通りかかる人たちはついつい足を止めてしまう。 彼は堂々とパパの手を引き、たくさんの人々がいる王宮の中でも一切物怖じせず、ごく自然に挨拶して歩いていった。 本来なら荘厳で張り詰めた空気の場だが、突如現れたこの愛らしい子どもに、周囲はざわめいた。 「これが女王陛下の甥御さん?可愛すぎる、連れて帰りたいくら

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第960話

    智哉は淡々とうなずいた。 「俺は先に二階に行って佳奈に電話する。佑くん、食べ過ぎはダメだぞ。食べ過ぎたらまたお腹痛くなるからな」 ちょうど麺を一本口に運んでいた佑くんは、その言葉を聞いた瞬間びくっとして慌てて麺を口に放り込み、ぶんぶんと首を縦に振った。 「これで最後の一本だよ」 花音は彼の口の周りにべっとりついたソースを見て、その姿があまりに愛らしくて思わず笑ってしまった。 ティッシュを取って彼の口元を拭きながら微笑んだ。 「お父さんは上に行っちゃったし、じゃあお姉ちゃんの分を食べなさい。私は食べきれないから」 佑くんがキラキラした目で瞬いた。 「花音お姉ちゃん、もしお姉ちゃんのジュースをちょっと飲ませてくれるなら、今夜一緒に寝てもいいよ」 その言葉に晴臣は思わず吹き出した。 「なんだよ、一緒に寝るのは君の気分次第なのか?」 「そうだよ。晴臣おじさんがお魚もう一口くれたら、一緒に寝てあげてもいい」 「お断りだ。寝相悪いし布団蹴っ飛ばすし、この前一晩付き合ったら俺は一睡もできなかったんだぞ」 佑くんは小さな手を伸ばして、晴臣の頬をぺちぺち叩きながら、偉そうに言った。 「それは晴臣おじさんに奥さんがいないからだよ。奥さんと子どもがいる幸せを知らないんだ、大バカ」 「誰が大バカだって?かじり倒すぞ」 晴臣はそう言って、佑くんの首筋に顔を寄せてキスの真似をした。 彼はくすぐったそうにゲラゲラと笑い転げた。 結局その夜、佑くんは晴臣と一緒に寝ることになった。 翌朝。 佑くんはむくりとベッドから起き上がって、目をこすった。 あれ? どうしてお尻丸出しで寝てるんだ?パンツがどこにもない? それに晴臣おじさんはなんで床に寝てるの? 佑くんは首をかしげながらベッドから降り、晴臣の横に腹ばいになった。 頬杖をついて彼の寝顔をじっと見つめる。 すると、顔に何かがかかったような感覚がして、晴臣が目を開いた。 目の前に飛び込んできたのは、全裸の小さな天使みたいなわんぱく坊主。 ぱっちり大きな瞳を瞬かせて、きらきらこちらを見つめている。 あまりの可愛さに心臓が撃ち抜かれそうになる。 思わず抱き上げて頬ずりしようとしたが、ふと昨夜の記憶が脳裏に浮かんだ瞬間、笑みは消えた。

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第959話

    花音は入浴を終えてパジャマに着替え、階下へ降りてきた。 物音に気づいた晴臣が振り返ると、台所の入口に小柄で愛らしい少女が立っていた。 少女の肌は真っ白で、まるで陶器の人形のよう。 身にまとったミルクパープルのパジャマが、あどけなさと可愛らしさを引き立てている。 晴臣はすぐに声をかけた。 「ダイニングで座って待ってろ、すぐできるから」 花音が歩み寄って問いかける。 「お手伝いしましょうか?」 「いい、熱いものに触って、怪我させてしまったら、君の叔父さんに説明できないから」 「私、そんなにヤワじゃありません。お皿を運ぶぐらいなら全然大丈夫です」 花音が皿を取ろうとした瞬間、目に飛び込んできたのは丁寧に盛り付けられたフルーツプレートと、彼女の大好物である洋食の数々。 岩塩焼きのサーモン、白トリュフのきのこリゾット、松茸入りのクリームスープ、そしてトマトミートソースのパスタまで。 花音は一瞬にして呆然とした。 その大きな星のような瞳に、キラキラとした光が浮かぶ。 「晴臣おじさん、私はずっとあなたの料理の腕がブロンズ級だと思っていました。でもまさか王者クラスだったなんて……もう惚れちゃいました」 晴臣は唇の端を少し持ち上げた。 「初めて俺の家に来たんだ、ちゃんともてなさないと、君の叔父さんの前で俺のことを悪く言うだろう?」 「私そんな人じゃないですよ。ただチクるくらいです」 「よし、冷蔵庫見てきて。飲みたいもの、自分で取って」 「お酒、飲んでもいいですか?」 「ダメだ。子供が酒なんか飲むんじゃねぇ」 「もう大人です。子供扱いしないでください。お酒だって恋愛だってできます」 晴臣は鼻で笑った。 「恋愛してみろよ。君の叔父さんが足折りに来るぞ」 花音は不満そうに口を尖らせ、小声でつぶやく。 「どうせ叔父さんには見えませんよ。遠く離れてるんだから、誰にも文句は言われないよ」 晴臣は横目でにらみつけた。 「俺を死人だと思ってんのか?俺の目をすり抜けられたらの話だな」 そこまで言われて、花音は言葉を飲み込み、うつむいて黙々と料理を食べ始めた。 晴臣は元国際警察だ。どんなことも彼の目から逃れることはできない。その彼に監護されている以上、花音が好き勝手に振る舞うのは難しい

  • 結婚は断るのに、辞職したら泣くなんて   第958話

    聖人はさらに涙を流しながら言った。 「俺はただ佳奈に悲しい思いをさせたくなかったんだ。彼女の生活にもう入り込みたくないし、過去のことを思い出してほしくないんだ」 「過去はもう過去のことですよ。佳奈だって細かいことを気にする人じゃないんです。あなたはしっかり養生してください。俺もこちらに数日滞在して、事が片付いたら一緒に帰りましょう。 それに、俺と佳奈の、もう二人の子どもに会いたくはないんですか?」 聖人は何度も首を縦に振った。 「会いたくないわけないだろう。夢でもずっと会いたいと思ってるんだ。みんな元気にしてるのか?」 「元気ですよ。もう六か月目です。一人は男の子で、もう一人は女の子。女の子はきっと佳奈に似て綺麗になると思います。そうしたら、また二人の子が『おじいちゃん』と呼んでくれるんです」 その言葉を聞いた聖人は、ぐっと精神が明るくなった。 闇の中で結翔を探すように声をかけた。 「結翔」 結翔はすぐに歩み寄り、聖人の手を握った。 「父さん、俺はここにいるよ」 「二人の子どもに贈り物を準備してくれ。金の腕輪とお守り……両方とも必要だ。これは母方の家族が用意するものだからな」 「わかった。帰ったらすぐに手配する」 「それから孫娘には金を少し多めに買ってやれ。将来、嫁入りのとき持たせるんだ」 「今は金の値段が高いよ。損するかもしれない」 「損なんてしないさ。もしかしたら二十歳を過ぎる頃には、倍になっているかもしれない」 そうして皆で聖人を連れて帰る話を相談した。智哉と佑くんは聖人と共に夕食をとり、その後ようやく帰路についた。 ――その頃。 晴臣は花音を連れて家へ戻った。 客間に荷物を置いたあと、彼女を見て言った。 「この部屋、気に入ったか?これから週末は気軽に遊びに来て、ここを自分の家だと思えばいい」 花音はピンクと白を基調にした内装を見回し、口元を緩めた。 「晴臣おじさん、私、本当にちょくちょく来てもいいんですか?」 晴臣は眉を上げながら彼女を見た。 「駄目な理由があるか?君の叔父さんと俺の兄貴は親友だ。つまり俺と君の叔父さんも親友同然だ。君を世話するのは当然だ」 「晴臣おじさん、私、初めて会った時から思ってたんです。あなたってすごくいい人だなって」 花音の

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status