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第741話

Author: 藤原 白乃介
上には、歪んだ字で大きく書かれていた――【私のパパ】」

その筆跡からして、これは千尋がまだ幼い頃に書いたものだとすぐにわかった。

使っていたのは鉛筆で、年月が経ち、文字はすっかり薄れていた。

だが、清司はそのたった数文字に、心を強く揺さぶられた。

彼はゆっくりとページをめくっていった。中に描かれていたのは、すべて絵だった。正確に言えば、千尋が思い描く「父親」の姿。

最初は子供らしい拙い落書きだったが、次第にスケッチへと変わっていく。

父親の姿は少しずつ立体感を持ち、鮮明になっていった。

時折、絵の傍らには千尋の文字も添えられていた。

【パパ、私はいつになったらあなたに会えるの?】

【パパ、どうして私たちを捨てたの?もう愛してくれないの?】

【私の夢は大学に合格して、大きな町でパパを探すこと】

【パパを見た。でも、そばには綺麗な娘さんがいて、すごく大事にしてた。パパ、あの子がいるから、私たちのこといらないの?】

年齢を重ねるごとに千尋の画力も上達していった。

清司の整った顔立ちも、はっきりと描かれていく。

それに伴い、横に添えられた文字は、どんどん切なくなっていった。

そして清司は、初めて知った。

千尋はずっと前から、自分が父親であることに気づいていたのだ。

彼女はすでに、彼の姿を見たことがあった。

そして、彼が佳奈をどれほど可愛がっているかも。

そのすべてが、彼女の心に深い傷を残した。

きっとその頃の千尋はこう思っていたに違いない。

パパは、新しい娘ができたから、私とママをいらなくなったのだ、と。

ここまで読み進めた清司の目には、涙が滲んでいた。

千尋の文字をそっと指先でなぞりながら、声にならないほどのかすれた声で呟いた。

「千尋……ごめん。お父さんは、君の存在を知らなかったんだ……」

彼はさらにページをめくっていった。

一枚一枚めくるたびに、心がきりきりと痛んだ。

なぜなら、後の方の絵にはもう輪郭しか描かれておらず、目や口などの顔のパーツは一切描かれていない。

あの頃の千尋は、父親の顔すら見たくないほど、強く憎んでいたのかもしれない。

だが、心の奥底では、どうしても父親を求めていたのだ。

この一冊のスケッチブックは、ひとりの少女が父親に抱いた幻想、憧れ、哀しみ、そして失望のすべてが詰まっていた。

清司は
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