捨てたのはそちらなので、私は年下御曹司と婚約契約します

捨てたのはそちらなので、私は年下御曹司と婚約契約します

last updateLast Updated : 2026-07-25
By:  八月 猫Updated just now
Language: Japanese
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大学時代からの恋人で婚約者だった新進気鋭のIT社長・陽斗に、琴葉は資金調達パーティーの場で突然別れを告げられる。 彼が選んだのは、若さと美貌と家柄を持つ取引先の社長令嬢・莉愛。笑顔で過去の女にされた夜、琴葉は偶然、鷹宮グループの年下御曹司・玲央と出会う。 縁談を避けたい玲央から持ちかけられたのは、期間限定の“婚約契約”だった。

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Chapter 1

第1話 主役の隣にいた人

ホテルのシャンデリアは、たぶん人を綺麗に見せるためにある。

天井から落ちる金色の光。磨き上げられた床。グラスを合わせる涼しい音。広い会場のあちこちで交わされる笑い声。

その全部が、陽斗をとても華やかに見せていた。

株式会社ノヴァリンク代表取締役、三枝陽斗。

大学時代からの恋人で、私の婚約者で、今日のパーティーの主役。

新規事業への大型出資が決まった記念の場だと聞いていた。だから私は少し気合いを入れていた。淡いベージュのワンピースに、母から借りた小さなパールのイヤリング。派手すぎず地味すぎず。陽斗の隣に立っても恥ずかしくないように。

今日の陽斗を、私はちゃんと祝うつもりだった。

大学のカフェテリアで「いつか自分の会社を作る」と言っていた彼を知っている。夜中に電話をかけてきて、資金繰りがどうとか採用がどうとか、眠気をこらえる私に向かって夢を語っていた彼も知っている。

あの頃の陽斗は、まだ何者でもなかった。

今は違う。

会場の中央に立つ陽斗は、たくさんの人に囲まれていた。細身の黒いスーツがよく似合っている。鋭い目元。自信のある立ち姿。誰かと握手を交わすたびに、彼の周りだけ光が強くなるようだった。

誇らしいと思った。

少し遠いとも思った。

それでも、私は彼の婚約者だ。

そう思っていた。

会場へ一歩入った時、最初に感じたのは華やかさではなく違和感だった。

受付の女性が私の名前を確認したあと、一瞬だけ目を泳がせた。すぐに笑顔に戻ったけれど、ほんのわずかな間があった。

その小さな引っかかりを、私は見ないふりをした。

こういう場所に慣れていないから気にしすぎているだけ。陽斗の仕事関係者ばかりの場で、私が少し浮いているだけ。そう自分に言い聞かせながら、グラスを運ぶスタッフの横を抜ける。

陽斗を探した。

すぐに見つかった。

彼は会場の奥で、数人の男性と話していた。笑顔はいつも通り柔らかい。相手の話を聞く時に少し首を傾ける癖も変わらない。

でも。

陽斗の隣には、私ではない女性がいた。

明るいブラウンの巻き髪に、淡いラベンダーのドレス。細い肩にかかったショールまで計算されたように上品で、笑うたびに周囲の視線が自然と集まる。

私は、その人を知らなかった。

知らない女性が、陽斗のすぐ隣で微笑んでいる。

その事実だけで胸の奥が冷えていく。

彼女は陽斗の話に合わせて小さく笑った。距離が近い。近すぎる。でも周囲の誰もそれを不思議に思っていないようだった。

むしろ、そこが当然の場所みたいに見える。

嫌な汗が背中ににじんだ。

私は会場の入口で足を止めた。

その時、陽斗が私に気づいた。

いつもの笑顔だった。

柔らかくて、落ち着いていて、誰から見ても感じのいい笑顔。

「琴葉。来てくれてありがとう」

その言い方があまりに普通だったから、一瞬、自分の方がおかしいのかと思った。

婚約者が別の女性を隣に置いていても。私に連絡のひとつもなく主役の隣を別の人に譲っていても。ここではそういうものなのかと、馬鹿みたいに考えた。

「陽斗。こちらの方は?」

私の声は自分で思ったより小さかった。

陽斗は困ったように眉を下げた。けれど笑顔は崩さない。周囲の目をきちんと意識した顔だった。

「ごめん。先に紹介するべきだったね。小鳥遊莉愛さんだ。今回の提携で、ずいぶん力を貸してくれた人なんだ」

小鳥遊。

その名字には覚えがあった。

陽斗がここ最近、何度も口にしていた大きな取引先の名前だ。小鳥遊ホールディングス。業界紙にも名前が出る企業で、陽斗はその会社とのつながりをずいぶん大事にしていた。

けれど、その関係者らしい女性がこんなふうに陽斗の隣に立っている理由までは、もちろん知らない。

莉愛さんは可憐に微笑んだ。

「はじめまして。小鳥遊莉愛です。琴葉さんのお話は、陽斗さんから伺っています」

私の名前を知っている。

なのに私は、彼女のことを何も知らなかった。

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第2話 未来のパンフレット
私の名前を知っている人が、私の知らない顔で陽斗の隣に立っている。 それだけで、答えはほとんど出ていたのかもしれない。 それでも私は、まだ聞かないふりをしたかった。何か事情があるのだと思いたかった。今日の主役は陽斗で、ここは彼の大切な仕事の場で、私は婚約者なのだから。 婚約者。 その言葉が、急に遠くなる。 陽斗は私の前に立った。背後では小さくグラスが鳴っている。誰かの笑い声も聞こえた。でも空気はもう完全にこちらへ傾いていた。 皆、見ないふりをしながら見ている。 「琴葉。驚かせたよね。でも、今日ちゃんと話しておきたかったんだ」 ちゃんと。 その言葉が胸の奥に引っかかった。 ちゃんと話すなら、どうしてこの場なのだろう。どうして莉愛さんが隣にいるのだろう。どうして私だけが何も知らないのだろう。 「琴葉には、本当に感謝してる。大学の頃からずっと一緒にいてくれたし、君が優秀な人だということも僕はよく知ってる」 褒められているはずなのに、足元が冷えていく。 こういう時の陽斗はいつもそうだ。優しい言葉を選ぶ。誰にも責められないような順番で話す。けれどその奥にある結論は、たいてい私の方へ押しつけられる。 「でも、僕の立つ場所が変わったんだ。これからは事業だけじゃなく、人脈も社交も家同士のつながりも必要になる。莉愛は、これからの僕を支えてくれる人なんだ」 莉愛さんがそっと目を伏せた。 申し訳なさそうな仕草だった。けれど彼女の指先は陽斗の袖に触れている。細く白い指が、ここが自分の場所だと示すみたいに。 「琴葉さんには本当に申し訳ないと思っています。でも陽斗さんがこれから進む場所には、私の方が力になれると思うんです」 柔らか
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第3話 高級すぎる非常口
その人は、たぶん私より少し年下だった。 柔らかそうな黒髪。穏やかな目元。すっと通った鼻筋。高そうなスーツなのに、着ている本人がそれを主張していない。 陽斗とは違う種類の人だと思った。 陽斗は人の視線を集める。自分が見られていることをよく知っている立ち方をする。 目の前の人は、見られることに慣れているのに、見せようとしていない。 その差が少し怖かった。 「……失礼しました」 先に視線を外したのは彼だった。 声まで柔らかい。 私は慌てて左手を引っ込めた。指輪を見られたからといって、何を言われたわけでもない。それなのに急に恥ずかしくなった。 「いえ、こちらこそ」 何がこちらこそなのか。 私は今、誰に何を謝っているのか。 人生が散らかりすぎて、言葉の置き場が見つからない。 彼はエレベーターから降り、私の横を通り過ぎようとした。ほんのり清潔な香りがした。香水というより、洗いたての白い布みたいな匂い。 その時、廊下の奥から女性の声が聞こえた。 「玲央さん?」 彼の足が止まる。 玲央。 その名前に、なぜか聞き覚えがあった。 いや、名前というより名字の方だ。会場の案内板。ホテルのロビーに並んでいた企業名。陽斗がいつか口にした巨大なグループ名。 彼は振り返らなかった。 ただ少しだけ、困ったように目を伏せた。 「……少々、面倒な状況になりました」 面倒。 今、面倒と言った。
last updateLast Updated : 2026-07-01
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第4話 鷹宮静華という人
上品な人ほど、笑った時に怖い。 私はこの日、そのことを学んだ。 目の前の女性は、ふわりと笑っていた。淡いグレーのワンピースも、真珠のネックレスも、きれいに整えられた髪も、全部が柔らかい。 でも視線だけは柔らかくない。 私の顔を見て、左手を見て、隣に立つ彼を見た。 その一瞬で、だいたいの事情を半分くらい拾われた気がする。 「あら。巻き込まれたばかりなの」 声まで優しい。 だから余計に逃げ場がない。 「はい。正確には、まだ状況を把握している途中です」 私は何を言っているのだろう。 でも嘘をつくよりはましだった。ここで彼の恋人ですなどと言えるほど、私の神経は太くない。さっき婚約破棄されたばかりである。 人生の乗り換え案内が雑すぎる。 隣の彼が静かに口を開いた。 「母さん。朝比奈さんを困らせないでください」 「困らせているのは私かしら」 女性の笑顔が少し深くなる。 彼は黙った。 負けた。 今、完全に負けた。 私は隣の人を横目で見る。優しそうな顔をしているのに、母親の前では少しだけ表情が硬い。 この人でも苦手な相手がいるらしい。 人間味を感じるべき場面なのかもしれない。けれど私はそれどころではなかった。 「玲央さん。白藤さんがお待ちよ」 白藤さん。 たぶん縁談相手だ。 名前だけで高そうな家の気配がする。私の脳内ではすでに白い洋館と庭園が建っていた。
last updateLast Updated : 2026-07-02
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第5話 三十分だけの交渉
「……今の方が、お母様ですか」 声に疲れがにじんでいた。 隣の彼は、申し訳なさそうに目を伏せる。 「はい。鷹宮静華です」 鷹宮。 その名字を聞いた瞬間、頭の中でいくつかの情報がつながった。 鷹宮グループ。 私の勤める鷹宮ライフデザインの親会社にあたる巨大企業群。名前だけなら毎日のように見る。社内報にも出る。研修資料にも出る。 けれど、その一族とホテルの廊下で会話する予定は人生設計に入っていない。 「鷹宮」 声が少し乾いた。 彼は丁寧に頭を下げた。 「名乗るのが遅れました。鷹宮玲央です」 「でしょうね」 しまった。 心の声が漏れた。 玲央さんは少しだけ目を丸くしたあと、またあの控えめな笑い方をした。 「驚かないんですか」 「驚きすぎると、人間は一周して事務的になります」 「なるほど」 「納得しないでください」 私は疲れていた。 本当に疲れていた。 陽斗に婚約破棄された。知らない社長令嬢に丁寧に刺された。廊下へ出たら鷹宮家の御曹司に謎の協力を求められ、今度はその母に後日呼び出されそうになっている。 今日一日で人生のジャンルが変わりすぎだ。 恋愛ドラマから財閥ものへ転落、いや転職している。 玲央さんは廊下の奥にあるラウンジの方へ視線を向けた。 「三十分だけ、時間をいただけますか」 「何のお話ですか」 「先ほど言った交渉の話です」 交渉。
last updateLast Updated : 2026-07-02
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第6話 婚約契約という名の事故物件
婚約契約。 人生で初めて聞く言葉だった。 いや、言葉としては理解できる。婚約と契約を合わせたものだろう。意味はわかる。 わかるけれど、納得は遠い。 ホテルの静かなラウンジ。夜景の見える奥の席。大きな窓の向こうには、ビルの灯りが星みたいに散らばっている。 さっきまでいた会場の熱が嘘みたいだった。 グラスが鳴る音も、拍手も、陽斗を称える声もここまでは届かない。厚い絨毯が足音を吸い、低く流れるピアノの音だけが空気に溶けている。 目の前には、鷹宮玲央と名乗った年下の御曹司。 そして私は、婚約者に捨てられた直後に別の男から婚約契約を持ちかけられている。 状況が渋滞している。 「確認してもいいですか」 「はい」 「私たちは今、初対面ですよね」 「はい」 「初対面の女に婚約契約を持ちかけている自覚はありますか」 玲央さんは少しだけ目を伏せた。 反省している顔だった。けれど撤回する顔ではない。 「あります。かなり無理な提案だとも思っています」 「思っているのに出してくるんですね」 「はい。今はそれだけ急いでいます」 その返事があまりにまっすぐで、私は少しだけ言葉に詰まった。 もっと綺麗な理由を並べるのかと思っていた。財閥御曹司らしく、こちらが反論しにくい言葉を選ぶのかと思っていた。 けれど玲央さんは、自分の都合を隠さなかった。 窓際の小さなテーブルに、水の入ったグラスが置かれる。スタッフが音もなく下がっていったあと、透明な水面にラウンジの灯りが細く揺れた。 私はその揺れを見ながら息を整えた。
last updateLast Updated : 2026-07-02
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第7話 入口に出口の看板
玲央さんは少しだけ姿勢を正した。 その仕草だけで、空気が変わる。 ラウンジの灯りは柔らかい。テーブルの上には水のグラスが二つ。窓の向こうでは夜景が静かに光っている。 なのに、目の前の話題はまったく柔らかくない。 「期間は三か月。結婚が目的ではなく、婚約破棄を前提にした婚約です。必要な場では俺の婚約者として同席していただく。ただし恋愛的な接触や私生活への干渉はしません」 婚約破棄を前提にした婚約。 私は思わず、その言葉を頭の中で繰り返した。 すごい。 入口に出口の看板が立っている。 「解消する時は」 「俺の都合として処理します。あなたに非がある形にはしません。必要なら書面にしますし、弁護士も入れます」 「本気で言っていますか」 「はい」 軽くない返事だった。 私は思わず玲央さんを見る。 柔らかい顔立ち。穏やかな声。優しそうに見えるのに、この人はおそらく決めたら動く。 さっき静華さんが言っていた。 見た目より頑固で、決めたらなかなか曲げない。 今、その意味が少しわかる。 「ですが、私の名前が出た時点で傷は残ります。あなたは鷹宮家の人です。私が誰であれ、後で婚約破棄となれば周囲は好きに言います」 「そこは俺が責任を持ちます」 「持てるんですか」 少し鋭い声になった。 玲央さんは怒らなかった。 「持てるようにします。今の時点で、あなたの生活や仕事にどういう影響が出るかを俺は把握していません。だから今ここで完全な保証はできません」 正直だ。 正直すぎる。
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第8話 まだ契約前です
三十分は短い。 けれど人生を変な方向へ曲げるには、十分すぎる時間らしい。 ラウンジを出る頃には、私はさっきより少しだけ冷静になっていた。冷静になった結果、状況の異常さもはっきりした。 婚約者に捨てられた夜。 鷹宮家の御曹司から、婚約破棄を前提にした婚約を提案される。 冷静になるほど意味がわからない。 「大丈夫ですか」 隣を歩く玲央さんが、静かな声で尋ねてきた。 大丈夫。 その言葉ほど返事に困るものはない。 「大丈夫ではないです。でも歩けます」 「それは、大丈夫の範囲に入りますか」 「今夜の基準では入ります」 「基準がかなり下がっていますね」 「原因の一部は玲央さんです」 「否定できません」 素直に認められると怒りにくい。 困る。 廊下の絨毯は相変わらず足音を吸っていた。さっきまでの私は、この静けさに救われた気がしていた。でも今は静かすぎて自分の心臓の音まで聞こえそうだった。 左手の指輪が重い。 外せばいい。 そう思うのに、まだ外せない。 陽斗が好きだった時間を捨てるみたいで指先が動かなかった。 白藤さんという縁談相手が待つ部屋の近くまで戻ると、鷹宮静華さんは廊下の窓辺に立っていた。付き添いの人たちは少し離れた場所にいる。 静華さんは夜景を見ていたはずなのに、私たちが近づいた瞬間にゆっくり振り返った。 待っていた。 そんな言葉は一つもないのに、そうわかる。 「三十分ぴったりね」 「お待たせしま
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第9話 指輪の跡
 ホテルの出口に近づくにつれて、空気が少しずつ冷たくなっていった。 ラウンジの灯りも、静華さんの見透かすような視線も、背後へ遠ざかっていく。代わりに見えてきたのは、ガラス扉の向こうで流れる車のライトだった。 夜の街はいつも通りだった。 私の婚約が壊れても、誰も困らない。信号は変わるし、タクシーは走るし、ホテルのスタッフは丁寧に頭を下げる。 世界は冷たいというより、ただ忙しい。「琴葉さん。ご自宅までお送りします」 隣を歩く玲央さんが当然のようにそう言った。 私はすぐに首を横に振った。「大丈夫です。駅まで出れば帰れます」「夜も遅いですし、今日はかなり疲れているはずです」「夜遅いからといって、初対面の御曹司の車に乗るほど人生を諦めてはいません」 玲央さんは一瞬だけ黙った。 それから、真面目な顔で頷く。「正しい判断です」「そこは少し引き止めるところでは?」「無理に引き止める方が危険です」「それも正しいです」 正論で返されると、こちらのツッコミの行き場がなくなる。 困る。 ホテルの自動扉が開く。外の空気が頬に触れた。三月の夜はまだ冷たい。パーティー会場の熱が残っていた体から、少しずつ余計なものが抜けていく気がした。玲央さんは懐から名刺を出した。 白い厚紙。余計な装飾はない。けれど指先に乗せられたそれだけで、なんだか値段が高そうに見える。 鷹宮グループ総帥府特命戦略局 次世代事業統合・再編監理室 室長代理補佐待遇 鷹宮玲央 長い。 部署名が強い。 そして、偉いのか下っ端なのか読む側に判断を委ねないでほしい。「…
last updateLast Updated : 2026-07-03
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第10話 失恋の翌朝に見る資料ではない
 翌朝、目が覚めた瞬間、私はまず天井を見た。 知らない天井ではない。 自分の部屋の天井だ。 なのに、一瞬だけどこにいるのかわからなかった。昨日の夜が濃すぎたせいで、現実の方が夢みたいに薄い。 私は布団の中で左手を持ち上げた。 薬指には何もない。 指輪はベッド脇の小さな皿に置いてある。外した時にできた薄い跡は、まだ残っていた。 痛いわけではない。 でも見るたびに胸の奥を小さく押される。 私は手を下ろし、枕元のスマホを取った。 通知が来ている。 陽斗からだった。 心臓が嫌な跳ね方をした。 少しだけ迷ってから、画面を開く。『昨日は驚かせてごめん。あの場で話す形になったのは、僕も本意じゃなかった。ただ、琴葉なら冷静に受け止めてくれると思っていた。指輪や両家への説明もあるし、落ち着いたら一度話そう。できれば穏便に進めたい』 私はしばらく画面を見つめた。 謝っている。 ように見える。 でも読み返すほど、謝られている気がしなかった。 驚かせてごめん。 あの場で話す形になったのは本意じゃなかった。 琴葉なら冷静に受け止めてくれると思っていた。 つまり、私は冷静に受け止める役にもう配置されている。 私の傷より、これからの処理。 私の怒りより、穏便。 陽斗らしい。 柔らかい言葉で自分に都合のいい場所へ人を置く。 私は返信欄を開いた。 何か打とうとして、やめた。 今返したら、きっと感情が出る。感情が出れば、陽斗はまた困ったように笑うだろう。 琴葉、そういう言い方はしないでほしい。 画面の向こうから、あの声が聞こえた気がした。「しないでほしいのはこっちです」 独り言が部屋に落ちた。 返事はしなかった。 スマホを置こうとしたところで別の
last updateLast Updated : 2026-07-04
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