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縁語り其の二十三:緋色の瞳

Author: 渡瀬藍兵
last update Last Updated: 2025-05-23 19:00:10
朝。

薄手のカーテン越しに差し込む光が、部屋を白く照らし出していた。窓から流れ込むのは、夏の始まりを告げる、じっとりと湿った生ぬるい空気。

ゆっくりと目を開けた瞬間、額の裏に、ずきり、と鈍い痛みが走った。

身体は鉛を飲み込んだように重く、布団に縫い付けられたかのように動かせない。

昨夜の出来事が、色褪せることなく脳裏に焼き付いている。

不自然なまでに白かった詩織さんの肌。おびただしい血で赤黒く滲んだトレンチコート。そして、何度も繰り返された、掠れた言葉。

『……ごめん、なさい……』

どうしようもない後悔と悲しみに満ちた声が、まだ耳の奥で微かに響いている。

胸の奥が、ずっしりと重たい。

「……今日くらいは、学校…休もうかな…」

無意識にそう呟いた時、昨夜の美琴の、静かで力強い言葉が鮮明に蘇った。

『また明日、学校で、ゆっくりお話しましょう。私も……今夜、調べてみますから』

彼女は、もう行動を始めている。

僕だけが、ここで立ち止まっているわけにはいかない。

焦りに似た感情が、無理やり背中を押した。

重い身体を引きずり、制服に袖を通す。洗面所の鏡に映った自分の顔は、生気が抜け落ち、虚ろな目をしていた。

***

永遠に続くかと思われた授業が、ようやく終わった。

「おーい、悠斗ぉ。お前、今日一日ずーっと死んだ魚みたいな目をしてたけど、だるそうだなー」

机に突っ伏して意識を飛ばしかけていた僕の頭上から、親友である翔太の能天気な声が降ってくる。

「…あ゛ぁ゛~……」

呻き声を返すのがやっとだ。

「どした? まーた変な心霊スポットとかに首、突っ込んだんじゃないだろうなー?」

(翔太が言うな)というツッコミも、口にする気力がない。昨夜の記憶の奔流が、まだ胸の奥で黒い澱のように燻っていた。

その時だった。

放課後のざわめきが、不意に、水を打ったように静まり返る。そして次の瞬間、今までとは違う種類の、興奮したさざ波が教室に広がった。

「え、誰あれ…? 見たことない子じゃね?」

「うわっ、待って、めっちゃくちゃ可愛いんだけど!?」

「おい、誰か声かけろよ! チャンスだろ!」

好奇心に満ちた視線が、一斉に教室の入り口へと集まる。僕も、重い頭を持ち上げ、そちらへ視線を向けた。

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